※戦闘シーンなので残酷表現ぽいのがあります。 【6】 怒号と兵の駆ける足音が交差する。 辺りの気配に驚いた馬がいななき、それを止める為にまた大声が飛ぶ。 慌てて走り回る者達を、落ち着き払った金茶色の瞳がただ見つめ、やはり全く動揺のない声が呟いた。 「狙いはわかるが、無駄に死ににくることもないだろうに」 呟いて、セイネリアはつまらなそうに唇を曲げた。 傍にいたシーグルは、伝令達に言葉を伝えながら、そこで立ち上がった黒い騎士が出る為の準備を始める。 「ここで兵を減らすのはバカらしいしな。先頭の連中は混乱してるだろう、少しでてやるか」 言ってセイネリアは周辺の者数人に声を掛けて前線へと馬を走らせた。勿論シーグルもそれに従った。 現在、シーグル達反現王軍はバン卿のいるヴネービクデの街近くにあるアラスの森にいた。この森を抜ければヴネービクデはすぐなのだが、丁度森の中程にさしかかった辺りで敵からの襲撃を受けた。どうやら相手は、こちらがヴネービクデの街に入る前に戦力を削ごうと待ち伏せをしていたらしい。 それでもそれは敵にとって成功したとは世辞にも言えない。というのも、部隊よりも先行していたセイネリアの配下の者から、その知らせは事前に入ってはいたからだ。ただ後手に回ってしまったのは、その報告がきて先頭集団に準備をさせるまでの間に攻撃を受けてしまったからである。 「まったく、やはり人数がいすぎると伝達に時間がかかるな。俺も甘く見過ぎていた」 らしくないセイネリアのその言葉にシーグルは微かに兜の下で笑みを漏らす。彼が自分で準備した状況に舌打ちを打つ姿なんて滅多にみれるものじゃない。 「俺が先頭部隊にいればこんな事はなかったろうが」 だが流石にその言葉には、シーグルは呆れながら言い返してしまった。 「そうもいかないだろ」 その場合、後ろで何かあった時に対処が遅れるだけだ。後方部隊にロージェンティとシグネットがいる以上、それは絶対に許されない。それにそもそも今回の先頭は、この辺りの地形に詳しいサビーネ家の部隊が道案内も兼ねてやっているのだ、かの家の面目を保つ為にも任せざるを得ないという事情もあった。 「まぁ分かってる、ただ人数が多いと面倒が多いと思っただけだ」 「それは仕方ない」 そこで後にいるエルから笑い声が上がる。 「さっすがのあんたも、使い慣れない人数を動かすとなりゃ思い通りって訳にいかねーか」 普通の組織ならそんな事を上司に言えばとんでもない罰を受けるところだが、セイネリアはエルの言葉に逆に自分も楽しそうに笑って返した。 「まぁ、そうだな。なんでも思い通りとはいかんさ」 あまり大きな声ではないから、馬の蹄にかき消されてエル本人まで聞こえたかは分からないが、ともかくそれに笑うのだからセイネリアに余裕がある事は確かだろう。 襲撃に慌てる部隊の横を通り抜けていけば、やがて前方から戦闘音が聞こえてくる。逃げてくる兵を避けながらセイネリアが馬を降りたのを見て、シーグルやエル達も馬を降りて主を追う。普通なら、供(とも)より先にどんどん前にいく主を諫めるべきなのだろうなと思っても、セイネリアにそれを言う気はシーグルにはない。 セイネリアの背中を追っていれば、やがて彼がイキナリ走り出してシーグルは一度距離を離される。だがその直後に前から大きな声があがる。急いで追いついたシーグルは、セイネリアが敵部隊の前に剣も抜かず立っている姿を見ることになった。 「セ、セ、セイネリア……セイネリアだ」 「ばかな、奴がなんでこんな前線に」 敵は混乱している。当然だろう、こんな大戦前の嫌がらせレベルの襲撃に大将が前線にやってくるなんて常識ではありえない。適度に戦果を上げて退く気だった者達からすれば、あのセイネリア・クロッセスと直に戦う覚悟なんてしてきている筈がない。 セイネリアが姿を現した事で、その場の形勢は逆転する。 こちらを攻めていた敵の部隊の足が止まり、逆にじりじりと後ずさっていく。セイネリアが敵と味方の間に出来たひらけた空間の真中に立てば、先ほどまで逃げまどっていた味方の兵士達から歓声が上がった。 「俺を倒せば大手柄だぞ、早い者勝ちだ、遠慮せずに来てみろ」 言って、挑発するように漆黒のマントを派手に翻して両腕を広げたセイネリアの手は何も持っていなかった。その所為で馬鹿にされたと思った兵の一人が思い切ってセイネリアに向かっていけば、それにつられた他の兵士も一斉にセイネリアに向かっていく。 いくら『あの』セイネリアであっても、この人数なら、しかも素手であるなら――そう思ったろう敵兵達は、その一瞬後に後悔をする。いや、そもそも後悔する暇もなかったかもしれない。 セイネリアの傍にまで敵が到達すれば、途端辺りに血飛沫(ちしぶき)が上がる。 赤色が飛び散る中、黒い騎士は優雅にマントを翻して踊るようにその場で数度回る。素手であった筈の彼の手の中には何時の間に現れたのか派手な斧刃がついた槍があり、それがぐるりと辺りを一薙ぎすれば血飛沫と共に兵達が倒れていく。それはまるでただの伸びきった藪が刈られていくように、ただ刃の過ぎた後にその高さから上が無くなっていた。 一瞬で数人の命が消えたその光景で、敵だけではなく味方からも声が消える。 倒れた兵の中に立つ、凶悪な魔槍を持った黒い騎士の姿に、辺りが恐怖に包まれる。 それでもシーグルには分っていた。これはまだセイネリアにとっては本気ではなく、ゴミを払う程度のつもりでしかない事を。本気なら黒の剣で一気にカタを付ける筈――あの魔槍はシーグルも見た事はあるが魔法的な特殊能力はない、単に見た目の迫力があって切れ味と頑丈さが飛びぬけているだけの武器だ。あれを使う分には、セイネリアはまだ人間としての範囲内での戦闘能力に留まる。 一度動いた所為で部隊全部がまた動きだしてしまい、状況が見えない後ろの兵達の勢いに押され、敵は前に出て来ざるえなくなる。そうしてセイネリアに向かってきてはなぎ倒される状況の中、彼から逃げるように回り込んだ連中とこちらの兵との戦闘も始まった。 「レイリースっ」 セイネリアに呼ばれて、シーグルは彼に見惚れていた状況から我に返った。そうすれば血に濡れた黒い騎士はこちらを向いて声を張り上げて言った。 「来いっ、お前は俺の後ろを守れ」 それに返事を返すまでもなく反射的に体が動いてしまったのは、シーグルがその言葉を嬉しいと思ってしまったからだ。戦士として理想であると認めて憧れている相手から、その背を任されて嬉しくない筈はなかった。 シーグルはセイネリアの背に付くと、剣を抜き、この最強の騎士から逃げて後ろから回り込もうとしている者達に向けて構える。前の敵を薙ぎ払うセイネリアの後ろで、彼の背を狙おうとしている敵を払う。 いつしか、辺りはまた混戦になっていた。 入り混じった敵と味方が、あちこちで戦いを繰り広げている。だが勢いのまま前に押し出されてきた敵兵達は、今ではセイネリアを筆頭としたその部下達から逃げようと引き返す者と半々になっていた。 シーグルの視界の中、すこしずれた位置で見覚えのある長棒が見えて、エルが無事で敵を蹴散らしている事が分かる。ここへ来るまでの最後尾にいたのは確かカリンだったが、彼女も先ほどちらと見えて、敵の懐へ一瞬で入ってそのまま首を狙って一撃で落としていた。彼らの腕を考えればここで心配した方が無礼に当たるくらいだろう。 倒されて、または逃げて、音が消えていくのと共に確実に敵の姿は減っていく。気付けばこちらへ向かってくる者は殆どいなくなり、敵は逃げまどって来た道を引き返すか森へと向かう者しか見えなくなっていた。 「追うなっ、放っておけ」 セイネリアが叫べば、勢いのまま追おうとしていた兵士達はぴたりと足を止める。 セイネリアに向かってくる敵など皆無の状況で、後ろを守る必要もないかと思ったシーグルもその声で剣を納めた。 「死体を道の脇に並べろ、怪我人は敵も出来るだけ助けてやれ」 戦勝の声を上げて安堵にへたり込もうとしていた兵達が、今度はその声を受けて急いで倒れている者を引きずって運びだした。今さっきまでセイネリアのその恐ろしさを見せつけられていた兵士達は、おもしろいようにセイネリアの一声に反応してその命令に従う。 「将軍閣下、わざわざお来し頂き申し訳ございません」 言って、血塗られた黒い騎士の前に、この先頭部隊を率いていたサビーネ家の長男であるガロネット・サウ・リア・サビーネが側近の部下共々膝をつく。セイネリアはそれに口元を歪めると、被っていた兜を一度脱いだ。 「気にするな。こんなところで足止めをされるのも戦力を減らすのも馬鹿ばかしいからな、てっとり早く道をあけに来ただけだ」 サビーネ家は、南部の領主ではあるが血筋的にはファサンではなく北部側の人間である。ファサンを倒した時に、その功績から領地を貰ったクリュースの貴族であり、だから同盟内でもどちらかといえばセイネリアをただの平民と見下していた方の人間であった。その彼でさえ今のセイネリアの戦いぶりを見て彼の恐ろしさを自覚したのだろう。『将軍』という名は、現王を倒した後、新政権が無事立ち上がった場合にセイネリアに与えられる予定の役職である。サビーネ家や、北部よりの貴族達はそれに良い顔をしていなかったのだが、今セイネリアをそう呼んだ事で、少なくともサビーネ家の次期当主はセイネリアを全面的に認めると示したのだろう。 「あぁ、捕虜にした連中には、こちらに付くなら無条件で受け入れると言っておけ。どうせ下っ端兵は向うに付きたくて付いてるんではないしな、同国人だ、出来るだけ敵扱いはしたくない」 ガロネット・サビーネは、それには頭を地にすりつけんばかりにして了承の返事を返した。残虐なイメージのある、しかも今目の前でその恐ろしさを見せつけた男が、そんな言葉を言うと思わなかったのもあるだろう。恐れさせても寛大な面も見せれば、兵達はセイネリアの為に自ら望んで働いてくれる。この光景が兵達に伝わっていけば、寄せ集めの同盟軍は結束した軍として機能するだろうことまで予想出来た。 実際はセイネリアの計算の中で出された冷静な判断であると分かっていても、シーグルでさえその言動に彼の部下として在る事に誇りを感じてしまう。 上に立つべき者というか、戦士としての『格』というか、それを実感してしまって苦笑するしかない。 ――シグネットの事がなくても、俺はやはりお前が王になるのが一番いいと思ってしまうんだがな。 王になるべき者、という言葉は彼以上に似合う者はいないではないか、と思わず小声で呟いてしまってから、振り向いてこちらをみた彼にシーグルは自然と頭を下げた。 --------------------------------------------- 唐突な戦闘シーンでしたが、次回は大戦前の町での穏やか(?)なお話。 |