微笑みとぬくもりを交わして




  【3】




「おーい、えーと、レイリースいるっかー?」

 そこでエルの声が聞こえてきて、部屋の空気が変わった。
 顔を上げたサーフェスと顔を見合わせてなんとも言えない間に困っていれば、紫髪の魔法使いは先ほどまでの話がなかったかのようににこりと笑った。

「そういや、おにーちゃんも今回はかなりがんばったんでお礼を言ってあげるといいよ」
「エルが?」

 シーグルがそう返せば、すかさず彼はエルがいるだろう隣部屋に向かって声を張り上げた。

「愛しのおとーと君はこっち、マスターはいないから安心して入ってきなよ」

 そうすれば暫くしてドアを開けてエルが現れたのだが、彼は何故か部屋の中をきょろきょろ見渡してから、ほっとした顔をして部屋に入って来た。

「大丈夫だよ、マスターが城に出かけたってのを聞いたから来たんでしょ」
「まぁそうだけどよ、いやなんか……今のマスターならいつでもレイリースの事見てそうでさ」
「そりゃ正確には見てるかもしれないけど、まぁ代理でソフィアが見てるってとこでしょ」
「あぁ……うん、そーだな」

 そこまでの流れを見ていれば、エルがセイネリアに会いたくなさそうだというのくらいはシーグルもわかって、だから思ったまま聞いてみる。

「エル、セイネリアと何かあったのか?」

 そうすれば彼は一瞬顔を強張らせて、それからなんだか怯えるような、それでいて助けを求めるような、そんな目でこちらをじっと見つめてきた。

「実はなー……」
「エルはね、弟思いのおにーちゃんパワーでマスターを殴ったのさ。こう、『てめぇには人を愛する資格なんかねぇ』ってマスターの顔をガツンとね」

 サーフェスに先に言われてしまえば、エルは固まったまま唇をひくひくと引き攣らせて、それから急に頭を抱えた。

「いやだって当たると思わねーだろ、てか確実にわざと当たったんだとは思うけどさ、それだけに後が恐くてな……」

 確かに、セイネリアならよけられなくて当たったのではなくわざとよけなかったと考えるのが妥当だろうとはシーグルも思う。エルは当然よけられると思って殴ったのだろうし……だから『あの』セイネリア・クロッセスを殴ってしまったという事でエルが戦々恐々としているのも分かる……のだが。

「大丈夫だ、気にしなくていいと思うぞ。あいつはきっとまったく気にしていない」

 それには自信があったから、シーグルは断定して彼に言う。
 エルはそれで一度考えたように眉を寄せて、それからため息と共に呟いた。

「うんまぁ……そんな気もすんだけどさ、なにせ冒険者時代には必ず倍返し以上で報復してるのを散々見てるからやっぱな……」

 確かにエルはシーグルよりも冒険者時代の付き合いは長い訳で、その頃のセイネリアなら彼の言う通り恐れられるだけの事はしていたと思う分、エルの気持ちも分からなくはない、のだが。

「気になるなら俺から聞いてみてもいいが」
「いやーそれも逆効果な気がすんだよな。お前が俺の事庇うような事したらイラっとしそうじゃねーか、あの男は」

 ……言われればそれも間違ってはいないとシーグルは思う。

「何も言われないのが生殺しって感じでな……どーすっかなーって」

 ただらしくなく悩み捲る彼にちょっと呆れたというかうっとおしいと感じてしまったので、シーグルはともかくこの空気を変えようと考えて……そうして言ってみる。

「大丈夫だ、どうせ殴られた程度、あいつなら即治ってるだろうし痛くもないだろ……なにせあいつほどツラの皮の厚い奴はいないからな」

 そこで一瞬、沈黙が下りて。

「お……おぅ、そ、そうだな」

 エルがわけが分らないという顔をしてそう言えば、サーフェスがぷっと吹きだしてベッドにつっぷした。
 シーグルは顔を真っ赤にしてただ黙っていたが、内心慣れない事はするものではないと深く後悔していた。サーフェスはまだ笑っていて、エルは赤くなってるシーグルの姿に可愛いなぁと見惚れて元のシーグルの発言自体を即忘れた……と、それだけはシーグルにとっては不幸中の幸いだったのかもしれなかった。








 早朝から城に出かけたセイネリアは昼前には将軍府に帰って来て、やっぱり昨日と同じセッティングでシーグルと昼食を取る事になった。

「いつまでこの状態で食べる気なんだ?」

 だから思わず聞いてしまえば。

「これからはいつもだ」

 とあっさり返されて、だろうな、とシーグルは内心ため息をつくことになった。

「嫌なら俺の膝の上に乗って食べるかと言っているだろ」
「だからそれは却下だ、ふざけるな」
「ふざけてる訳でもないが。食わせてやるぞ」
「お前は俺をガキ扱いしたいのか」
「いや単に俺が楽しいからしたいだけだな」

 彼の答えは嘘偽りもなく正直だ……だからといってこの場合は少しも嬉しくないが。食べる前に疲れた気がして、シーグルは顔を押さえた。

「お前相当浮かれてるだろ」
「まぁな」
「……気味が悪いぞ」
「ひどいなぁ、しーちゃん」
「しーちゃんはやめろっ」

 セイネリアは笑っている。こちらを揶揄っているのと本当に楽しいのと両方だろうが、それにしても本気でここ数日のセイネリアの変わりようは差がありすぎてシーグルとしては未だに彼の調子についていけない。
 わざと顔を見ないようにはしていても向かい合って座っているのだからまったく彼を見ないのは不可能で、ちらと見てしまえば彼の豪快な食べっぷりにそのまま目が止まる。ふかしたイモを齧れば一口で半分近くがなくなり、大きな肉の塊を噛みきっていたかと思えば見てる間に簡単にそれは彼の胃袋に消えてしまう。豪快すぎて行儀がいいとはいい難いが、気持ちのいい食べっぷりなのは確かだ。なんだか笑えてしまって、シーグルは手を止めて口を押えた。

「どうした?」

 笑い声まで漏れてしまえば、セイネリアも手を止めて聞いて来る。

「いや……お前今はお偉い将軍様だろ、貴族連中との会食とかでもまさかその勢いで食ってるのかと思ってな」

 セイネリアはそれにふん、と鼻で笑ってみせると、持っていたグラスの中身の酒を一息に飲み干してから口を拭った。

「連中と食う時はまぁ適度には抑えてるさ。もしくはほとんど食わないで飲んでるかだな。まぁ仮面の所為で食いずらいのもあるが、どうせ奴らと食う飯などどれだけ豪華でも不味いから食いたくもない」

 それには、はははっと声を上げてしまってシーグルは軽く腹まで押さえた。

「ただ俺でも流石に出来るだけ行儀よく食おうと気を遣う時もある」
「そうなのか?」
「あぁ、国王陛下の前で食う時だけはな。俺のマネをされたら後々面倒だ」

 それにまた声を出して笑ってから、シーグルは笑い過ぎて出た涙を指で拭いた。

「シグネットの行儀が悪いのは将軍のせい、とは流石に言われたくないか」
「あいつの行儀が悪いところはだいたいあの家庭教師のガキのせいという事になってる。ただ貴族共との会食の席だとシグネットは俺を見てるからな、ヘタな事は出来ん」
「成程、そこで行儀が悪ければお前をマネてるからと言われかねないか」
「あぁ、貴族共にしてみれば、堂々と自分達が俺より優位に立てるのはそんなところだろうしな」
「まぁ……確かにな」

 それにセイネリアはその程度の些細な悪口や影口は例え目の前で言われても怒ったり罰したりしないというのがある。その程度で怒ればそれだけ自分が小物に見える、というのと多少は貴族達も優越感に浸らせておいたほうがいいガス抜きになる、という事らしい。……まぁ、もともとセイネリアは口で何を言われようと動じない男ではあるが。

「しかし、行儀よく食べているお前、というのが想像出来ないな」

 シーグルの中では、彼はいつも呆れて感心するくらい豪快によく食べるというイメージだ。だから幼いシグネットにじっと見られながら出来るだけ行儀よく食べようとしている彼の姿など想像しただけでありえなさすぎて笑えてしまう。

「あぁ、何を食っても食ってる気がしないぞ」
「だろうな」

 それから笑うシーグルに、セイネリアは持っている匙をぴっと向けた。

「逆にお前と一緒だと、何でも美味すぎてつい食い過ぎる」

 シーグルは一度目を見開いて、それからどんな顔をすればいいのか分らなくて視線を逸らした。

「……そういえば、前にもそんな事を言ってたな」
「そうだな、お前と一緒ならどんな料理でも美味くなるのは本当だ」

 そうして本当に美味そうに、セイネリアは黒いソースで煮込まれた肉を大口で口に入れて咀嚼する。その様がやたらと美味そうだったから、シーグルもまた笑って自分の皿にある小さな肉片を口に入れた。



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 エルはびくびくしてますが、当人(セイネリア)はこの調子ですから、殴られたの忘れてそうな気さえする……。
 



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