微笑みとぬくもりを交わして




  【5】



 魔法使い達が帰れば、後はまた二人で向かい合って夕食を食べて、その後は寝る前にセイネリアがシーグルの体を拭く事になったのだが……それがまたやけにじっくりと身体の隅々までを念入りにしてくれたものだから終わったのは夜中近くで、しかもそれでシーグルはすっかり疲れ切ってしまった。
 なのに……やっぱりただでも恐らく体力がありすぎるだろうに今ではその体力が尽きる事がない男は、ベッドでぐったりしているシーグルに今夜も当然のように手を出してきた。

「ン……」

 ベッドで裸で抱き合う事になってこうして深い口づけが始まれば、まず100%それで終わる訳がないとはシーグルもわかっていた。しかも散々彼が我慢していた所為なのか、何をするにしてもとにかくセイネリアはしつこくて長かった。昨夜はキスだけで一体どれだけの時間が経っていたのかもうよく分らないくらいで、途中から意識さえ薄れてキスが終わった事さえ気づけなかったくらいだ。

 予想通り、だから今夜もセイネリアのキスは終わらない。

 最初はゆっくり浅い位置で舌を触れさせてくるだけなのに、段々と舌と舌の絡みは深くなっていく。気付けば噛みつく勢いで唇を塞がれていて、舌を掬われて、口腔内を舐められて口の中が互いの唾液でどろどろになっている。それで口を一度離して違う角度から合わせ直してくると、今度は舌先だけでチロチロとこちらの舌先を擦ってくる。それがなんだか恥ずかしくて舌を引けば舌の裏に舌を入れられて舌全体を絡めとられる。何度も何度も唇を合わせなおして、唾液を溢れさせて、たっぷりの唾液と共にぬるぬると舌を触れさせ合えばやがてその感触に頭がぼうっとなってくる。そうしている事が気持ち良いなんて思ってしまえば後は彼にされるがままで、もう僅かな意地さえ霧散して彼に応えてしまうしかなくなる。

 キスするうちに彼の手が髪を撫ぜて、頬を撫ぜて、体をぴったりと擦りあわせてくる。股間同士を擦りあわせて、それから足をこちらの足の間にいれてくる。恥ずかしくて体が逃げてもそこで口腔内を深く弄られれば体から力が抜ける。彼に翻弄されるしかないのを悔しいと思っていられたのは最初だけで、気付けば自分も彼を求めて体を擦りあわせている。
 実際に、こうしている事が心地良くて幸せだと感じてしまうのだから仕方ない。
 けれど、彼の手がこちらの片足を持ち上げて、性器同士を本格的に擦りあわせてきたから……シーグルははたと気づいてセイネリアを押し退けた……のだが、それで簡単にこの男が止められる訳がなかった。

「……って、今日はだめだっ……んっ」

 無理矢理唇を離した時に抗議してみるが、勿論その程度でこの男が諦めてくれる事なんかなくて、すぐに唇は塞がれて腕もベッドに押しつけられる。膝で彼の股間を蹴っても、上手く浮かせて避けられてしまう。それでも今回はシーグルも諦める気はないから、口の中に入ってくる彼の舌を噛んで、僅かに彼の腕から力が抜けたところで押し退け、更に足で彼の腹を狙って蹴り飛ばした。
 そうすればさすがに彼の体はこちらの上から完全に離れて、シーグルはそこから横転することでベッドから降り、そのまま転がりながら床に置いてあった剣を掴んで立ち上がった。

「……昨日あれだけ付き合ったんだ、今日は何があってもだめだ。明日こそ俺はちゃんと仕事に戻る」

 剣を構えて睨めば、最強の筈の黒い騎士はその琥珀の瞳を僅かに悲しそうにして見つめてくる。それにちょっと心が痛むものの、今日は絶対折れないとシーグルは朝から決心していたのだ。

「いいか、今日明日で別れるという状況なら分かるが、毎日一緒にいる前提で毎回お前の好き勝手にされたら俺はお前の性欲処理だけが仕事になる。そんなのは御免だ、俺の存在理由がそれだけだというなら俺はここから出ていく」

 言えば、ベッドの上で座り込んでいるセイネリアも、怠そうに片膝を立ててこちらを睨んでくる。

「出て行くのは契約違反だ」
「お前の部下のままなら違反じゃないな。ドクターの病室かエルの部屋に今後は泊めてもらう事にする。それでもお前が抑えないならシグネットの教育補佐として平時は向うに寝泊まり出来るようにウィアと交渉する」

 最後はかなり苦しいが、絶対に出来ないという話ではない。一応シグネットに剣を教えるという名目なら『先生』の一人としてウィアが推せばどうにかなる話ではある。
 セイネリアは暫くじっとあの琥珀の瞳でシーグルを睨んでいたが、ふと唇を拭うと笑みを浮かべ、壁に背を掛けて大きく息をついた。

「城住まいとなると、顔を隠したままはかなり難しいぞ。緊張で休まる間もないくらいだ」

 セイネリアの声は少し馬鹿にした感じがあって、『出来る訳がないだろう』という裏の言葉を連想させる。さすがに『城に』は話を飛ばし過ぎたかとはシーグルも思ったが、今更撤回出来るものでもないからそれで通すしかなかった。

「それでもお前とヤルだけの生活よりマシだな」

 セイネリアが鼻で笑う。
 シーグルがかっとなって更に何かを言おうとすれば、彼はいきなり楽しそうに大口を開けて笑いだした。一体どういうことなんだと呆然とするくらいセイネリアの笑い声は楽しそうで、シーグルは口を開き掛けたまま固まるしかなかった。

「まぁ、まだ本気が足りないがいい事にしよう。大丈夫だシーグル、今日はもうこのまま寝る、それでいいな?」
「あ……あぁ」

 何があったのか本気で分らなくて呆然とするシーグルだったが、それで嘘をついて自分を油断させようとするような彼ではない事を知っているから大人しく剣を下した。

「本当に大丈夫だ、約束する。だからお前を抱きしめて寝るくらいは許してくれるだろ?」
「……あぁ」

 本当にこの男の事がこのところ分らないとシーグルは思う。あれだけ悩んで絶望していたくせに急に前以上に悪化してべたべたしてきたかと思えば、今度は拒絶されて楽しそうに笑いだす。彼の意図が一体どこにあるのだと彼を不審そうに見てしまうのは当然だろう。
 それでもセイネリアに促されるままベッドに戻れば、彼は大人しくシーグルが寝るまで触れようとして来ず、寝てからやっと腕を回して抱き寄せる。それで約束通り寝る時のいつものようにこちらの頭に顔を埋めてくるから、シーグルもなんだか腑に落ちないものを感じながらも目を閉じた、のだが。

「シーグル」

 しんと静まり返った寝室の中、笑いの余韻のない静かな声が頭に直接掛けられる。
 シーグルはすぐに目を開けた。
 囁く程の小さな、だが感情を殺した平坦な声で彼は言葉を続ける。

「いいか、嫌なら何があっても俺を許すな。止める時は俺を殺す気でこい、一旦死ねば俺も目が覚めるだろう。……一度自分に許してしまったからな、俺はもう俺の意志でお前への感情を止められない。だからお前はそれくらいの覚悟をしてくれ」

 その声は後になるほど硬く、苦しそうに聞こえたから、思わずシーグルは聞き返した。

「まだ、俺を失くす事が怖いのか?」
「あぁ、怖くて仕方ない。お前を失ったらと思うと立っていられないくらいにな」
「情けない事をいうな、それでもあのセイネリア・クロッセスか」

 シーグルはその体勢のまま彼の顔を見ようとはしなかった。
 けれどわざと怒ったようにそう言えば、セイネリアが自嘲を込めて笑ったのが彼からの僅かな振動で分かった。

「残念ながら俺は元からとんでもない臆病者だ。いつでも傷つく事から逃げてきた……だがもう今更感情を抑えるのも無理だと分かったからな、俺だけでは俺を信じられないから……お前に頼る事にした」

 言ってセイネリアの腕が更にシーグルを引き寄せる。彼の吐息を頭の上で聞いて、シーグルの口元は笑みを浮かべた。

「なんだそれは」

 そうしてシーグルからもセイネリアの体に体を寄せていけば、彼の指が髪の毛を梳いてくる。

「だから忘れるな、お前は自分を守る為なら俺に加減するな。本気で嫌なら本気で逆らえ」
「……少なくとも部下に言う言葉じゃないぞ」

 シーグルが笑いながらそう答えれば、急に彼の頭がこちらから離れて、その大きな戦士の手がシーグルの顎に置かれて顔を上げさせられた。
 薄暗い部屋の中、金茶色の瞳が悲しそうに自分を見ている。けれどすぐに近づいてきた彼に合わせて目を閉じてしまったから、その顔がシーグルに見えたのはほんの一瞬だけだった。唇が合わせられて舌がこちらの舌を掬う。ただそれは深くまで絡ませてくる事はなく、その感触を数度感じた後に彼の唇はすぐに離れていった。
 目を開けた時見えたセイネリアの瞳はやはり辛そうで、けれど彼はすぐにこちらの頭を抱き寄せてしまうとまた顔を埋めてきて、大きく息を吐いた。

「寝るぞ」

 そう、小さな呟きが聞こえたからシーグルもそこで目を閉じたが、彼が悲しそうな瞳をした原因が『部下』という言葉にあったのだろうかと考える。

――馬鹿だな、部下だという事にして俺を縛ったのはお前じゃないか。

 シーグルは彼の胸の心臓の音を聞きながら眠りの中へと落ちていった。






 翌朝は気持ち良いくらいによく晴れて、朝からドクターだけでなくエルやらロスクァールやらに治癒術を掛けられ捲って、それからやっとシーグルは出掛ける準備に取り掛かる事が出来た。今日の予定は事前にセイネリアが調整していて国王と摂政へのあいさつ程度であるから昼前には帰って来れる、それ以後の予定はシーグルの様子をみて決めると言う事で、シーグルとしては結局昨日の茶番も彼の予定通りだった訳かと思うところだった。

「怒るな、ここ3日くらいはその程度の仕事で収まるように調整してあっただけだ」
「つまり、3日以内に俺が耐えられなくなって怒ると考えていたんだな」
「そうだ、実際怒ったろ?」
「甘い顔をしてやるのは1日だけだと決めていたからな」
「……それでもまだ甘いな、本気でだめだと思ったら即俺を止めろ」

 馬車の中でそんなやりとりをして、セイネリアはそこまで自分自身が信用できないのかとシーグルは思う。ただ、彼が自分を頼ってくれるというその事自体は嬉しいと思ってしまうのをシーグルは自覚していた。
 彼が安心して自分を求める為には、自分が彼の暴走を止められなくてはならない。
 それだけを肝に銘じて、シーグルは彼に笑い掛ける。この、名実ともに最強のくせに、シーグルの事になるとどこまでも臆病になるこの男を安心させてやれるのは自分だけなのだと、そう考えるのをやはり嬉しいと感じる事は止められなかった。

「……あぁ、不味いと思った時はお前を殺してでも俺は俺を守る。それでいいな?」
「あぁ、それでいい」

 それでまた軽くキスをしてから、セイネリアは仮面をつけ、シーグルも兜を被った。



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 シーグル、パパの自覚がここで……。
 



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