絶望と失望の火




  【4】



「将軍様? どちらへいらっしゃるのでしょうか?」

 姿は見えないが声だけは聞こえる。見たところただの壁に見えるほうから音は聞こえているが、妙な反響があってセイネリアはそれが本当にそこから聞こえているのか考えた。

「ザーネヴ、将軍様を探して貰えるかしら」
「はい、奥様」

 その声が今度は反対側の通路の先から聞こえる。勿論そちらを見ても誰の姿も見えはしない。

「将軍様、どちらでしょうか?」

 夫人の声に、今度は使用人達の声も混じってセイネリアを探している。

「……まったく、こちらの事情をよく分かっているじゃないか」

 舌打ちと共にセイネリアは呟いた。
 セイネリアの耳に魔法を掛ける、もしくは音それ自体が魔法というのなら意味はないが、部屋自体の音を魔法で操作して鳴らしているのなら音が鳴っている通りにしかセイネリアには聞こえない。
 夫人が本当にこの部屋の傍にいるのか、そうでないのか。ここはヴィド家の屋敷の中なのか、それとも遠い何処かなのか――それさえも判別は難しい。セイネリアの目にも壁を通して夫人や使用人達の魔力の気配は見えないが、ヴィド家の屋敷は断魔石が元からあちこちにあって見え難い上、そもそも然程強くない彼らの魔力など少し距離があるだけでも見えなくなる。

「どうしても俺に歩いて抜けさせたいらしいな」

 セイネリアは、黒の剣を抜かずに歩きだした。
 セイネリアが剣を呼んだのは手っ取り早くこの建物自体を吹き飛ばして出ようとしたからだが、近くに夫人がいる可能性があるならそんなマネは出来なくなる。

――目的は時間稼ぎか、最初からリーズガンはこちらを食いつかせる為のエサだったと見るべきか。

 つまり最初から狙いはセイネリア自身であったと考えるのだが妥当だろう。なにせ何もかも黒の剣の主であるセイネリアの特性を分っていて仕掛けられた罠だ。
 そして、敵が過激派の魔法使いというのなら、セイネリアを足止めする理由など一つしかない。

「くそ……」

 何重にもミスを犯した自分に目眩さえしてくる。
 つまり今、シーグルに何かが起こっている、もしくは起ころうとしているという事だろう。

「俺は何をやってるんだ」

 セイネリアは走り出す。
 自分に対する怒りと彼を失うかもしれないという不安で胸が苦しい、頭に血が上って息が出来なくなるほどに体中に力が入る。胸を手で押さえ、忌々し気にどこまでも続く廊下を睨みながらセイネリアは走った。

 シーグルを散々弄んだあの男を、出来るだけ早く始末してしまいたかった。

 だからセイネリアは単身でここへ来た。それが一番早いと思ったからだが、自ら来るのではなく部下にでも魔法使い共にでも命じれば良かったのだ。

――馬鹿か、俺は。

 思った以上に焦っていたらしい自分のまぬけさ加減にセイネリアは歯を噛みしめた。ともかくこうなれば後は一刻も早く首都へ戻ってラストにシーグルの無事を確認する必要がある。
 廊下は長く、時折分岐し、更に続く。まさに迷路のようなそこを出る為、セイネリアは今はただ走るしかなかった。








 自分の入れられた檻のような部屋を見渡して、魔法使いリトラートは考える。

――これだから精神操作系の魔法使いは。

 大したことが出来る訳でもないのに人を操れるから自尊心が肥大する、世界が自分の為に回っているような錯覚を起こす。そうしてあっさり魔女へと堕ちる、自分の能力を自分の為だけに使う事に罪の意識を感じなくなる。信用をした訳ではなかったが、今回は彼の築いた信者のネットワークと領主の館の仕掛けが使いたかったから仕方なく手を組んだ。
 忌々し気に思いながらも、あの男を信用した自分の落ち度だと自らに言い聞かせてリトラートはさてどうしたものかと考えた。

――奴の狙いはあの青年の体それ自体だろう。

 その程度は予想がついた。それはそれでこちらの目的を果たした後ならあの男の望む通りあの青年の体を渡しても良かったのだ。あの体をサテラがのっとって、セイネリア・クロッセスがどう出るか――青年の体を人質とした交渉という手に使えるから悪くない。なのにこちらを裏切るとは、目先の欲に焦って我慢できず手を出すところがあの男の下等なところだ。

「出るだけならどうにか出来るか」

 杖は破壊されてしまったから彼の代名詞とも言える空間の断層で何でも引き裂く能力は使えない。いくら彼でもアレを杖なしでいきなり使うのは無理だった。ただし杖はなくとも比較的単純な魔法なら使える。基礎魔法でも使い方を考えれば思った以上の効果が出るものだ。

「人を操って悦に入るだけの馬鹿には思いつかないだろうがな」

 思いついていたらこんなところに閉じ込めただけで放置などする筈ない、そう嘲笑の笑みを浮かべてリトラートは自分の髪を数本抜いた。
 あいにく魔法陣を描く道具がなにもないから媒体を使う事で補う。自分の身体の一部を使えば術の方向性を固定できる。抜いた髪を鉄格子数か所結びつけ、丁度人一人が通れるくらいの範囲を囲むようにすれば、後は術を構築して唱えればいい。

「オーブ・ロ・ソダード・レイデアル……」

 リトラートは魔法使いとして魔力が足りなかった分、基礎魔法の研究は嫌になる程やってきた。だからこそ術の精度には自信がある、杖が無いぶん正確さが求められるこういう状況でも術を完成させられる。
 呪文を言い切ればチリン、チリン、と小さな金属片が落ちる音が彼の傍で微かに鳴った。これは空間魔法使いの基本、モノを取り換える術だ。当然基礎魔法だから極小さなものしか取り換えられないのだが、空間魔法でモノを取り換える場合はモノを物理的に動かすのとは違ってごっそりその空間を取り換えられる。
 つまり、リトラートは鉄格子の髪の毛で囲んだその部分のみを周辺の空気と取り換えたのだ。先程鳴った音は入れ替えられて空気中に放り出された薄い鉄の輪切り、コインのような、けれど髪の毛分しか厚みのないコインよりごく薄い鉄の丸いチップが落ちる音だった。
 後は髪の毛で囲んでいた部分を軽く手で押してやれば、その部分の鉄格子は簡単に取れて落ちる。鉄の棒の切りたい部分を空気と入れ替える事で切ったという訳だ。

「まぁ、普通の空間系魔法使いはこんな使い方はしないが」

 こんな使い方を覚えたのも彼の魔力が低い所為だった。どうすれば魔力が少なくても効果的に使えるか、それだけをずっと彼は研究してきた。魔力の低さだけで魔法使いになるのは無理だと見下してきた周囲を見返す為、どれだけ彼が努力してきたか。

 周囲には他にも牢になっていた部屋はあったが、中に人がいる部屋はなかった。ついでにいえば見張りともいえる人間もおらず、舐められたものだと彼は思う。

「所詮魔法使いなど杖がなければロクな術は使えない、としか考えてないんだろう。……いや、もしかしたら見張りがいないのは奴が自分の視点で考えたからかもしれないか」

 それは彼としても冗談で言った言葉だが、暗示が使えるサテラなら見張りがいた方が見張りを操って逃げられるというのは真実だ。まさかこちらにもその危険を考えたとは思えないからただ単に人を配置してないだけだとは思うが、それにしても悪巧みはしても頭が追いついてない男だと彼は思う。

 そうして牢のある区画を出て、特にサテラの信者に見つかって捕まる事もなく通路を歩いていた彼は、途中で信者以外の人間の声を聞く事になった。

「おい、なんだここは? 誰もいやしねぇんだが、ほんとにここが敵のアジトか?」
「……ともかく、そういう言葉はここを全部調べてから言えばいいんじゃないの」
「魔法であいつの居場所とか分んねーのか?」
「あちこちに断魔石があるのよ、見えてたらとっくに言ってるわ」
「じゃどこに向かってるんだ?」
「断魔石に囲まれてるやたら大きな空間があるの、いかにも怪しいじゃない」

 成程、礼拝堂へ行く気か――その会話を聞いて、彼も別ルートで行ってみる事にする。ただそちらのルートは普段なら必ず誰か見張りがいる筈で、今の彼の立場を考えればわざと避けていたのだが……彼らの会話にあった『誰もいない』という言葉から試しに使ってみる事にしたのだ。

――彼らがすんなりとこちらへ来れたという段階で……だと思うんだがな。

 思った通り、進む彼の前に見張りの信者達は現れない。それでほぼ確信出来た彼は邪魔もされる事なく悠々と歩きながら、この状況を自分の望む通りに利用出来ないかと考えてみた。

――向うの面子にはアッテラ神官、リパの大神官、それにアルワナ神官がいる。アルワナ神官も元司祭長だった筈だ……これは面白い。

 予想して、考えを整理する。さてどうなっているかと、わざと彼らより後に着くようゆっくりと歩いてきた彼は、着いた礼拝堂で予想した通りの光景を目にして口元を楽し気に歪ませた。

「おい、レイリース、大丈夫か? おいっ」

 アッテラ神官がシーグルを抱き上げて胸に耳を当てている。それからほっとした顔をして今度は揺り起こそうとしている様を見れば、まさに彼の思う通りの展開だった。
 怪しまないのか、と彼は思う。いかにも敵側の重要施設という場所に見張りさえ一人もいない上、攫われた筈の人間が拘束もされず無事でただ倒れているだけなんてどう考えてもおかしいだろう、と。

「俺は……どうしたんだ?」
「レイリース、大丈夫か? 俺が分るか? どこか痛いとこへあるか? とりあえずロスクァール治療だ治療っ」

 起き上がった青年が何処か虚ろな目で辺りを見渡せば、アッテラ神官が抱きしめて涙声で大騒ぎする。

「良かった、本当に良かったです」
「安心したぜ……あんたに何かあったら俺ァあの男に殺される」
「ほんと、やっとラストにシーグルさんは無事だったって報告出来るよ」

 泣き出す女に、安堵の表情で笑い合う男達。リパ神官がひたすら治癒術を掛けて、アッテラ神官が懸命に泣きながら話しかけている。問題の青年はまだ呆けたような表情で辺りをぼうっと見ているだけで、おぼつかない受け答えも周りは気にしていないようだった。いや……面子の中の魔法使い達は違和感を感じているようではあるが、今のところは何も言っていない。
 尚も見ていれば徐々に青年の顔に生気が戻り、その顔が僅かに微笑みを浮かべたのを彼は見た。

「すまない、心配を掛けた。……ありがとう」

 それにはもう声を上げて笑ってしまいたくなりながら……彼は彼らの前に姿を現す事にした。

「随分とケチな三問芝居を見せてくれるじゃないか、なぁサテラ」

 魔法使いリトラートの姿を見た青年の顔に、本物であるならあり得ない負の表情が浮かんだ。

「……何故、貴様がここに」

 美しい青年の顔が憎々し気に顰められ、それから何かを思いついたのか唇が歪んだ笑みを作る。

「皆、こいつが俺を攫った魔法使い、過激派の首謀者だっ」

 成程そうきたかとリトラートは思ったが、顔の笑みは崩さない。そうして、戸惑いながらもこちらに敵意を向けてくる者達に向けて静かに告げた。

「まぁ待て、その青年は体は本人だが中身が違う。そっちの魔法使いの二人は何かおかしいというのは分かってるんだろ?」
「どういう事だ? サテラってのは何だ?」

 青い髪のアッテラ神官がこちらを睨みつけて聞いて来る。魔法使い以外はどうやらあの青年の言葉の方を信用しているようで、こちらには明らかな敵意を向けてくる……まぁこの時点では仕方ない。
 だが、頭のよい彼はちゃんと、こういう場合に何と言えばいいのかを分っていた。

「今のその青年はサテラという魔法使いに体を乗っ取られているという訳だ、嘘だと思うならその青年に今、何かリパの術を使ってくれるよう頼めばいい。本物なら使える筈だろ?」

 余裕を見せて邪悪な笑みを浮かべていた青年の顔が悔し気に歪み、アッテラ神官を振り切って走りだそうとした。




---------------------------------------------


 この状況ですが、シーグル自体も無事ですのでご安心ください。
 



Back   Next


Menu   Top