謀略と絶たれた未来




  【7】



 昼の休みが終わって午後の訓練が始まった後、基礎訓練を今日はテスタと組んでやっているシーグルは、黙々と黙って必死に訓練に没頭していた。

『やっぱ流石隊長ですっ』
『結局ロウの奴は一本も取れませんでしたからね』
『そうそう、あっという間に2本ですからね』

 ロウとの試合が終わった後、口ぐちに皆はそう言って褒めてくれはしたものの、実際のところシーグルとしてはとても勝った気分にはなれなかった。2本目もどうにか勝つ事は出来たもののやはり余裕などなく、おまけに試合後の息はシーグルの方が乱れていた。
 体力がない、というのは元々ではあるものの、たった2本の手合せで息がこれまで乱れるのでは話にならない。いくら今は皆と同じチェインメイルで、軽量さでは反則的とも言える魔法鍛冶の鎧ではないとしても、それは単に皆と条件が同じだけで言い訳になる筈がない。更に言うならロウはその前に2人と試合をしていて、3本目があったら確実に取られていたとシーグルは思う。

 ロウは強くなった、それは確かだし、それだけであるならいいのだ。

 シーグルが一番悔しくて納得いかないのは、自分の体が思っている以上、あまりにも鈍ったまま戻っていなかったという事だった。
 全力の踏み込みだったのに足が記憶通りに動かなかった。というより、どんな動きをしても前より確実に1テンポ遅れている気がした。
 考えれば帰ってきてからは事務処理やらで忙しくて、隊の者達とさえ手合わせを殆どしていなかった。実力が拮抗するような相手との実戦訓練は皆無で、全力を出す事がなかったから自分の上限がここまで落ちていたという事に気づけなかった。
 一人で剣を振っているだけでは気づきにくいが、あれだけの期間体を怠けさせてしまったのだから、それを取り戻すのに日課程度の訓練で簡単にどうにかなる筈がない。特に怪我で完全に使えなかった足の衰えは酷く、足だけなら前より1テンポどころか2テンポは遅れる。体力作りも兼ねて首都の屋敷から騎士団までは馬に乗らずに走ろうかとさえシーグルが考えていれば、無言の基礎訓練に付き合ってくれていたテスタがぼそりと呟いた。

「そんなに、鈍った自分の体が悔しかったんですか」

 それが他の連中に聞こえないくらいの声だった事で、シーグルは彼の気遣いに気がつく。シェルサやマニクはただ単純に喜んでシーグルに賛辞の言葉を掛けてくるだけだったが、隊で一番目のいい元狩人はシーグルの動きの鈍さには気付いたらしい。

「あぁ、そうだ」

 素直にそう返せば彼は喉で笑って、それからやはり小声で言ってくる。

「怪我の後じゃ仕方ないでしょう。かといって奥方がいる身では、前程必死で鍛える訳にもいかねぇでしょうからねぇ」
「……あぁ」
「そこは焦らず少しづつ戻すくらいのつもりでいいいじゃないですか。でもまぁこっちとしちゃぁですね、貴方は多少自分の腕に自信がないくらいの方が、行動が慎重になって守りやすくなるかなとも思うとこもありまして」
「上はお飾りの方が楽か」

 嫌味半分に聞いてみれば、人生経験では数枚上手の中年騎士は、片眉を跳ねさせてからにやにやと笑みを張り付かせて髭を擦る。

「なぁに、そうまで言いやしませんがね。ま、貴方が戦えないくらいの事なら他が戦えばいいと言えますが、貴方という存在自体は誰も代わりがいないって事ですよ」

 そう言われれば、シーグルもため息を付くしかない。
 走って騎士団に通うと言い出したら、いざという時逃げられなかったらどうするのだと泣きつかれるなと、シーグルはその考えは誰にも言わずに諦めるしかないかと思う。

「それでも、前出来たことさえ出来なくなるのは相当悔しいんだが」

 自分の状況を十分分かった上でも、その程度の愚痴が出てしまうのは仕方ない。
 シーグルは強くなりたいのだ、あの男に追いつけるくらい。なのに、こんなところで更に遠ざかっているようでは話にならない。

「そらま分かりますけどね、なーにせ俺も歳食った所為で自分の衰えが分かっては悔しがることが多いですから」

 それを妙に芝居がかった言い方で言うのだから、シーグルもまた笑うしかなかった。

「それを言われるとな、俺もいつまでも若い訳ではないし」
「いやいや流石に隊長の歳じゃまだそっちは考えなくていいかと思われます」

 そうして笑い合っていれば隊の他の者達の視線を感じて、シーグルは彼らの顔を見回してから笑みを苦笑に変えて気を引き締め直す。表情を引き締めて基礎訓練に戻ったシーグルを見た彼らもまた自分の訓練に戻ったものの、テスタは口元の笑みそのままで、だからシーグルは少し強く彼の腕を引っ張った。

「てててっ」
「テスタ、相談に乗ってくれるのは嬉しいがあまり笑うな、皆が気にする」
「はい、失礼しまし……てててっ」
「代わりにこっちももっと強く引っ張ってくれていいぞ」

 言えば彼はその通りにこちらの腕を引く力を強めて、引っ張られながらもシーグルは歯を食いしばる。実は、折角二人組で組んで貰っていても、大抵の者はシーグル相手に思い切り力を入れる事はしてこない為、シーグルとしては物足りなさを感じるのが常だった。だからいつもこれくらいでいいのだがと思いながら腕を伸ばしていたシーグルだったが、視界の中に親衛隊の人間がぞろぞろと何人もやってくるのを見ると、テスタに声を掛けて止めさせた。
 シーグルが姿勢を直して彼らを見れば、気づいた隊の者達も訓練を止めてシーグルの傍に集まってくる。どうにも嫌な予感がするのは彼らも同じらしく、隊員達は親衛隊の者達からシーグルを守るように前に壁を作って並んだ。

「親衛隊の皆さん方が、俺達になんの御用でしょうかね?」

 前に立ったグスが言えば、その場で足を止めて先頭にいた親衛隊の一人……おそらくは彼らの中でも隊長クラスの男が、持っていた書面を広げてこちらにつきつけてくる。

「アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナ様、貴方をウォールト王子殺害の首謀者としてその身柄を拘束させて頂きます」

 その言葉に隊の者達の緊張が驚愕となり……それから、怒りに変わる。
 シーグルも聞いた瞬間は驚いたものの、内心では『ついに来たか』という部分があって、冷静に状況を考えようとした。

「ふざけるな、隊長がどうしてウォールト王子を殺害する必要がある」
「どこのどいつがそんな世迷言を言い出したんだ」
「隊長にはウォールト王子を殺害する理由がない、どんな証拠があって旧貴族の当主を捕まえるというんだ」

 敵意を露わにして抗議の言葉を投げつける隊員達は、剣に手を掛けて威嚇する。その中でランとアウドはシーグルの前にぴたりと壁のように立って、そこからアウドがシーグルに小声で言ってくる。

「どう考えても濡れ衣どころか完全に貴方を捕まえる為に罪をでっち上げてます。状況によっては逃げてください」

 シーグルは現状を観察する。単純な戦力的問題で言えば逃げる事は可能だろう。だがもし逃げれば、確実に部下達は捕まり、自分は罪人だと決定付けられる。

「何時、ウォールト王子は亡くなられたのだ」

 ランとアウドに少し前を開けるように言ってから、シーグルは親衛隊の男にそう尋ねた。とにかく状況を見極める為には出来るだけ情報が必要だった。なにせそもそも、シーグルはウォールト王子が本当に死んだかどうかも知らないのだ。

「ご遺体が見つかったのは3日前です。ただ大神殿から姿を消されたのは聖夜祭の最終日、貴方からの使者がきて貴方に会うために外へ出た――という事になっています」
「使者など偽物に決まっている」
「名前を語るだけなら誰でも出来る、その程度では証拠にもならんっ」

 すぐに隊の者達は抗議の言葉を叫ぶ。
 それで敵意を感じ取った親衛隊の者達が剣を抜けば、隊員達も揃って剣を抜いた。

「逃げて下さい」

 再び前を塞いだランがそう言って、手を広げて体毎シーグルの盾となる。その前に立ったアウドが、盾を構えて戦闘体勢を取る。
 だがそこへ、未だに余裕を崩さない親衛隊の男の声が響いた。

「シルバスピナ卿、大人しく我々と来ていただけるなら、貴族法に基づいて貴方の身は丁重に扱うようにお約束しますが、そうでない場合は貴方を捕まえる為にどんな手段を取ってもいいと言われております」

 それに益々隊の者達は敵意を強める。ランはシーグルに早く逃げるようにと身体で庇いながら押してきた。
 だがシーグルはまだ、ここで本当に逃げるべきなのか迷っていた。相手の余裕が全く消えない事に、まだ何かある気がして仕方なかった。

「――あぁ、言い忘れましたが、貴方のお屋敷の方には既に他の者達が行っております。まだ貴方の罪が確定した訳ではありませんので念のため程度ではありますが、もしここで貴方が逃げる事などあれば、貴方が罪を認めたと同じという事になりますね」

 その言葉に、シーグルは決断した。するしかなかった。

「皆、剣を下せ」

 シーグルが強い声で言えば、その決断を理解した隊の者達はゆっくりと剣を下した。ランとアウドもシーグルの前を退き、つられるように他の者も左右に分かれて道を空ける。

「すまない……いいか皆、俺に何があっても軽率な行動に出る事は止めるように」

 そうして一歩足を踏み出す前、項垂れて拳を握りしめている隊の最年長騎士にシーグルは言う。

「グス、後は頼む」

 約束通りわざとらしくも旧貴族の当主に対する礼を取って待っている親衛隊の者達の前に、シーグルはゆっくりと歩いて向かった。隊から離れれば、すぐに親衛隊の者達に回りを囲まれ、シーグルの姿は隊員達の目から見えなくなる。
 過ぎ去っていく親衛隊の者達をじっと見送りながら、隊員達の嗚咽の声だけがその場に取り残された。




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 そんな訳で物語が大きく動き出す事件が起こりました(==。さて、これでセイネリアがどう動くか……。



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