世界の鼓動と心の希望




  【5】



 明るさに瞼を震わせて、シーグルは不快げに眉を寄せた。南国の朝日は強くて、まどろんでいた意識を無理矢理に覚醒へと引っ張り上げる。
 何故か暑苦しさを感じて軽く唸った彼は、目を開いた途端、まずは驚いて、それから顔を赤くして思わず目を背けてから、最後に思い切り顔を顰めた。

「セイネリア……」

 名を呟いてしまってから、彼を起こしてしまうと思ったシーグルは、まったく反応がない男の様子を見て安堵の息をつく。
 だが、現状を考えて見れば、さてこれはどうすればいいのかとシーグルは悩むしかなかった。なにせ、狭くはないといえベッドの中、男二人で寝ているだけでも暑苦しいのに、目の前のこの男はよりにもよって自分を抱き寄せたまま寝ているのだ。彼の腕が自分の上にあるのだから、息苦しいのも当然だった。
 窓の外は既に明るいものの、この部屋の窓が朝日が昇る方にあるため特に眩しいだけで、まだ陽はそこまで上がりきっていない。だからまだ早朝と言える時間だと思ったシーグルは、仕方なくすぐに起き上がる事はせず、目の前にある、眠っている彼の顔をじっと観察してみる事にした。
 彫りが深く、固い輪郭の彼の顔は自分とは違って男らしく、あの圧倒的な琥珀の瞳が閉じられているからこそ、その高い鼻だとか薄い唇だとか長い睫毛とか、彼の顔の造形が思ったより繊細な整い方をしている事が分かる。容姿を褒められる事には慣れているシーグルだったが、男としては彼のような整い方であれば良かったのに、と思わずにはいられなかった。

「セイネリア」

 今度は、起きるだろうかと、そう思いながら呼んでみる。
 けれども彼は動かなくて、悩んだ末、もう少しだけ声を大きくして呼んでみる。

「おい、セイネリア」

 そうすれば、見つめている彼の顔はそのままで、自分の上に置かれている彼の腕が更に自分の体を引き寄せて抱き込まれてしまう。裸のままの体が、やはり裸のままの彼の体に押し付けられれば、昨夜の情事を思い出して、シーグルの顔は真っ赤に染まる。

「お前っ、本当は起きてるんだろっ、離せっ、俺は抱き枕じゃないっ」

 流石に冗談ではないと体を離そうとしてもがくものの、がっちりと抱え込まれた彼の腕を力ずくで離すのはシーグルには困難過ぎた。だから結局彼から離して貰うしかないのだが、セイネリアの顔は目を閉じたまま腕だけが更に自分を抱きしめてきて、その顔さえ自分の頭の上に埋めてしまおうとしてくる。

「黙って、大人しく抱き枕になって……ろ」

 頭の上で彼が言って、腕が軽く髪を撫ぜる。

「こっちは気分よく寝てるんだ。……もう少し、付き合え」

 ゆっくりと少し途切れがちな、彼にしては歯切れが悪い言い方は、もしかして本気で今、彼はまだ半分寝ているんだろうかとシーグルは思う。

 確か、出合って間もない、まだ彼と友人として付き合っていた頃。
 酒で潰れたシーグルは、目が覚めたらセイネリアと同じ部屋にいた事があった。その時、まだ眠っているセイネリアを起こしに行って、寝ぼけた彼に押し倒されてキスをされたのだが、それはおそらく演技だったのだとシーグルは後日確信した。寝ぼけているようにふるまっていただけで、彼は絶対はっきり目が覚めていた。あの男が他人の傍で寝ぼけているというのがあり得ない、というのがシーグルが出した結論だった。
 けれども、今。
 こちらの頭に鼻を擦り付けて、それからまた静かな寝息を返すだけになってしまったセイネリアは、本当に寝ているのかもしれないとシーグルは思う。規則正しい彼の寝息と肌から伝わる鼓動を聞いて、シーグルもまた目を閉じる。
 そういえば、他人の傍で寝るのはどれくらいぶりだろうか。
 家族と過ごしていた子供の頃は、ずっと兄を傍に感じて眠っていた。
 兄と和解した時、久しぶりに起きて彼の顔を見た時は、年齢の所為か酷く照れくさかった事を覚えている。

 ――あぁ、だが、そういえば。

 家族と離されてから初めて他人の傍で眠ったのは、やはり彼の腕の中ではなかっただろうかと、シーグルは思い出す。子供のようにただ自分がみじめだと泣いて縋り付いた彼の胸で、彼の体温と匂いに包まれて、自分はいつの間にか眠っていた。
 その時から、シーグルには分かっていたのだ。彼に抱かれている事が心地よいと、その腕の中にいると安堵できると。

 身動きのとりようもなく、大人しくセイネリアの腕の中で力を抜いたシーグルは、いつしかまた眠りについていた。







 次に目が覚めた時、流石に部屋の明るさが完全に日が昇り切った後のものである事に気づいて、シーグルの意識は瞬時に眠りの淵から浮上した。

「おいセイネリアっ、起きろっ、流石に朝だっ、不味いだろっ、離せっ」

 勿論自力脱出が出来る筈もなく、もがいて、手が届く彼の体を叩く。完全に朝になってしまえば、起き出した隊の連中は、シーグルは何処だと領主であるエデに詰め寄るのは間違いない。そんな事で彼に迷惑を掛けるのはシーグルの本意ではなかった。

「セイネリアっ、俺が顔を出さないと不味い事になるっ、とにかく離せっ」

 そうして彼の顔に向かって怒鳴れば、ようやくだるそうに動いた彼の顔が思い切り顰められて、そうしてうっすらと瞼が開かれる。

「朝になっても俺が顔を出さないと、隊の皆が探し出す。ヘタをすると領主に抗議して騒ぎになる、お前もそれは困るだろ」

 朝の明るい日差しの中でも、金茶色の瞳は光を受けて鋭く輝く。それがいかにも不機嫌そうに、威圧するようにこちらを睨んでくれば、シーグルも一瞬言葉を詰まらせた。
 
「問題ないな」

 言って彼は、シーグルの頭をぐしゃりと乱暴に撫でて、そのままその頭ごと自分の胸に抱き込んだ。

「問題ないじゃないだろっ、この時間なら絶対に皆起きてるぞっ」

 それでもセイネリアの腕が離してくれる気配はない。

「……お前は昨夜、エデと話をしている最中に、使用人が間違って出した酒を飲んで酔い潰れてそのままこの客間に寝かされた。酒が強かったせいで、朝になってもまだ頭が痛いと朝食は辞退。昼になったら一度部屋に部下の一人を呼んで、お前からその事情を説明する」

 不機嫌そうながら、何処か文書でも読み上げているような棒読み口調でセイネリアが言った言葉に、シーグルはもがくのを止めて彼の顔を見た。

「なんだそれは」

 セイネリアの目は再び閉じられていて、起きようという気配が欠片もない。

「そーゆー段取りだ。昼飯前になったら体を洗って着替えさせてやる。それまで寝てろ」
「冗談じゃない、もう十分に寝たぞ、これ以上寝てられるか」

 そうすればやっと、彼は片目だけを薄く開いてこちらを見る。

「頭は寝てられなくても、体の方はそうそう起きられない筈だが?」

 シーグルはそれで口を閉ざす。実は起きてからずっと下半身に鈍いだるさは感じているので、立って歩くのは相当に辛い、というのは経験的にわかってはいた。

「どうやら加減しすぎたようだな。ならもう少し楽しませてもらおうかな……なぁ、しーちゃん?」

 それで楽しそうに口角を上げるのだから、シーグルとしては火照る顔を自覚して歯を食いしばるしかない。
 その様子にセイネリアは軽く喉を震わせると、またシーグルの頭を抱きかかえて目を閉じた。

「まぁ、あともう少しだ、それまでこうしてろ。勿論、まだ足りないというなら、いくらでも起きて相手してやるが」

 シーグルは大きく口を開き掛けて閉じてから、また寝ようとして目を瞑った彼を恨みがましい目で睨みつけた。
 そもそも、この男はこんなにも寝汚い人間だったのか。
 彼の立場と仕事を考えると、不規則な生活で朝寝ている、というのまでは理解出来ても、なかなか起きないねぼすけ野郎、というのは想像出来なかった。それだけ最近寝不足だったとか忙しかったとかも考えられるが、それでこんな無防備な姿を彼が他人に晒すとは考えにくかった。
 考えながらじっとその寝顔を見ていれば、今度は唐突に、はっきりと金茶色の瞳が見開かれる。お蔭で、余りにも近くで見つめあってしまった事に、シーグルは内心かなりうろたえた。

「まったく、大人しく寝てればいいものを」

 ため息さえついて、口調は呆れたように呟いていても、その瞳が嬉しそうに、優しく自分を見ている事がどうにも落ち着かない。だからシーグルは、じっと見つめてくるその瞳から、やはり目を逸らした。

「お前、やっぱり寝た振りをしていたのか」

 言えばセイネリアはシーグルの上においていた腕を離して、前髪を手で梳いた後、額を軽く押してくる。つまり、顔を上げろという事なのだろうと分かったシーグルは、しぶしぶ顔を上げた。

「さっきまでは本当に半分寝てたんだがな。お前が余りにも俺を睨んでくるから、さすがに起きた」

 セイネリアの顔は、やはり、笑っていた。

「いつからそんなに寝汚くなったんだ。寝ぼけるなんてガラじゃないだろ」
「まぁな。久しぶりによく眠れたから、起きるのが惜しくなっただけだ」
「最近忙しかったのか?」
「そうだな、そこそこには」
「疲れていたのか?」
「いや、体はそんな事はない」
「…………」

 セイネリアの顔は終始『嬉しそう』としか表現できない笑みを浮かべていて、どうにもじっと見ているのも、見られているのもシーグルとしては落ち着かなかった。かといって、いつの間にか顎を押さえられているから顔を逸らす事が出来なくなっていて、結局、シーグルは視線を泳がせるだけになる。

「……話が、あったんじゃないのか。こんな手間を掛けてまで俺に言いたい程の」

 ベッドの上で抱き合って、他愛ない会話をする――なんていうのは、まるで恋人同士のようで、闇と熱に飲まれていた昨夜はともかく、明るい日差しの中の今はあまりにもいたたまれない気分だった。
 だから、この空気をどうにかしたくてシーグルは話を変えようとしたのだが、セイネリアは僅かに不機嫌そうに顔を顰めた後、顔を近づけてくる。

「おい、セイネリ……」

 文句の言葉を最後まで言う事も出来ず、シーグルの唇は塞がれる。昨夜あれだけしてきてまだ飽きないのかと言いたくなる程、彼のキスは念入りで、そして長い。それでも、キスをしながら、髪を撫でて頬を撫でて、優しく耳元の髪を指で解かしながら、首からうなじを触れていくセイネリアの手の感触を心地よいとシーグルは思う。息が苦しくなる少し前まで唇を塞いでは離して、それからまたあわせ直して舌を絡めてくるという繰り返しに、いつしか頭がぼうっとなって、どうにかしようと考える事も出来なくなっていく。

「ふ……ぅん」

 意識せず、鼻から甘い吐息が漏れる。
 ちゅく、と濡れて溢れた唾液の音も、最初は気になったのに、次第にそれも気にならなくなってくる。すべてを彼に任せて、沸き上がる熱に流されていきそうになる。

「……困るな」

 唇を離したセイネリアがそう呟いて、シーグルはゆっくりと瞳を開いた。実は目を閉じた事にも自分で気づいていなかったのだが。
 セイネリアは言葉通り、困ったように苦笑を浮かべていた。

「そんな顔をされると、ここで止めるのが辛い」

 言いながら頬を撫でられた感触で、少し熱に浮かされていた頭がはっきりと思考力を取り戻した。

「ばっ……馬鹿な事をっ……」

 思わず顔を手で隠すが、顔中、頬から耳まですべてが熱い。まるで先ほどまでのキスで体に生まれた熱が全て顔に来てしまったかのように、顔が熱くて仕方がない。

「俺は自分自身を自分の意志でコントロール出来る人間だと思っていたんだが、お前に関してはそういかないらしい」

 楽しそうに顔を眺めてきながら、セイネリアはシーグルの前髪を弄ぶように指で弾く。

「特に昨夜、俺が欲しいと言われた時には文字通り理性が飛んだな。あれは不味い、お前にしては気が利きすぎだ」
「あ、れは……」

 今更ながらに、自分が言った言葉を思い出して顔を更に赤くするシーグルに、セイネリアは唇の笑みそのままで言ってくる。

「まさか、お前が本当に言ってくれるとは思わなかったからな。頭の中が全部飛ぶくらい……嬉しかった」

 そう言って、本当に嬉しそう、というよりも幸せそうに笑う男の顔をシーグルは知らない。そんな満たされた顔の彼なんて別人過ぎて見たことがなかった。

 最初は、彼のそんな表情に言葉も返せずただただ驚いていたシーグルだったが、後からゆっくりと、自分が言った言葉の意味を考えて理解すれば、これ以上はないと思っていた顔が更に熱くなっていく。その時の場面まで鮮明に思い出してしまえば、どうしても彼の顔を見ていられなくて思わず顔を下に向ける。

「あれはっ、その……他の連中の誰にされるより、お前の方がずっとマシだという意味だ」
「他の連中に抱かれる度、俺だったらと思ってくれたんだろう?」
「それはっ……だからっ……お前だと奴等と違って……嫌でもない、から」
「俺が欲しいと言ったのは?」
「……あそこで止める訳にもいかないだろっ。だからっ……」

 シーグルが何かを返す度に、聞き返してくるセイネリアの口元の笑みが深くなっていく。
 そんな嬉しそうな彼の視線に晒されているのは余りにも恥ずかしいというかいたたまれなくて、シーグルはまた顔を上げる事が出来なくなっていた。頭の中で昨夜の自分に抗議したところで、言ってしまった言葉はもう取り消せるものではない。

「――別に、あの時の気分に流されただけの言葉でもいいさ。お前が俺を欲しいと言った事には変らない、俺は確かに聞いたからな」

 言いながら笑みと共に、セイネリアの手がシーグルの顎を掬い上げるようにして顔を上げさせる。
 あぁ本当に、自分はなんて事を言ってしまったのだろう、と後悔しても、自己嫌悪に落ち込んでも、今更手遅れな事は分かっている。この男にあんな事を言えば調子に乗るに決っていると分かっていた筈なのに、あの時のシーグルは彼にそう言うべきだと思ってしまったのだ。

「セイネリア、だがそれでも俺は……」
「黙ってろ……分かっている」

 じっと優しく見つめてくる男の顔を、観念してシーグルも見つめ返せば、言いかけた言葉を遮るように、顎にあったセイネリアの手から指が唇へと伸びてくる。無骨な戦士の親指が唇を一通りなぞってから、手を僅かに上げて、今度は掌全体で頬を優しく撫ぜてくる。何度も何度も、まるで、ただその感触を感じようとするように触れてくる。
 皮膚の固い彼の手の感触は世辞にもいいとは思えないのに、撫ぜてくるその掌の体温を心地よいと感じてしまって、シーグルは自然と目を閉じた。
 けれどもそこで手が止まって、抑えた笑い声が聞こえてくる。だからその声に不審そうに眉を寄せてシーグルが目を開けば、喉を震わせて笑っている男の顔が目に入った。

「お前は少し……いやかなり自覚が足りない。その顔を見せて我慢しろというのはありえんだろ」

 言ってセイネリアは、今度は額に、触れる程度に優しく唇を押しつけてくる。
 シーグルは大きく目を見開く。同時にまた顔も熱くなる。彼みたいな男にこんな穏やかなキスをされるのは、ある意味、行為前の深いキスより恥ずかしい気がした。

「うるさい、いちいち自分の咄嗟の表情まで自覚してられるか」
「まぁ、俺の前ならどんな顔でもいい……が、他では気をつけろ」
「……気をつけてはいるんだ、これでも」
「全然足りないな」

 言いながらも、彼は顔のいたるところに触れるだけのキスをしてくる。なんというか、触れている事が楽しくてたまらないというように、彼の表情はどこまでも嬉しそうで、終始唇には笑みが浮かんでいる。
 さらには困った事に、シーグルの正直な気持ちとしては、その彼のキスを恥ずかしいとかくすぐったいとかは思うものの、嫌ではないのだ、確実に。

「セイリネアっ、誤魔化すなっ、話はどうしたんだっ」

 仕方なく彼の頭を押さえて引きはがせば、予想外に彼はあっさり顔を上げてくれて、思い切りまともに正面から目を合わせる事になってしまった。

「さっき予定を言ったろ。昼になったら、部下の一人にお前が事情を説明すると。まだ動くのは厳しそうだから、今日は一日寝ている事にした、と言えばいい。こっちの話は午後にでもゆっくりしてやる」
「……待て、今日の予定はっ……」
「今日のお前達の予定は何もない。ラッサデーラからの合流部隊が来るのは明後日だし、この辺の有力者との会食は明日の夜だ。今日一日、部下には自由にアッシセグ観光をしてこいとでも言っておけ」

 淀みなく、決まっていた予定を読み上げるように言うセイネリアに、シーグルは呆然として、今度こそ体からがっくりと力が抜けきった。

「……最初から全部、お前の組んだ予定通りか」
「勿論、だから昨日は加減しなかったんだ」

 つまり、昨日の晩から今日一杯までシーグルを傍に置いておくためだけに、領主に根回しさせて、予定を全部ずらしておいたというのだ、この男は。
 シーグルは、なんだか別の意味で頭痛がしてきた。
 いつでも用意周到すぎるこの男を、誤魔化したり、こちらが裏をかいて躱したりするのは無理だと、今更ながらに深く思う。

「結局……俺の行動はいつもお前の掌の上か」

 悔しくて呟いてしまえば、セイネリアは少しだけ悲しそうに、それでも唇をつり上げる。

「そう言うな。……俺は俺で……お前がいないところでいつでもお前に踊らされているんだ」

 そうして、シーグルが何かを言うより早く、彼はまた口づけてくる。
 先ほどよりずっと、激しい熱を纏った口づけは、体の熱をすぐに引きずり出す。そうしてシーグルは、結局、その熱にまた流された。




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いちゃいちゃは一旦終了。次回はエロ……ではなく、グスさんがやきもきしてるお話です。




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