【1】 暗い部屋の中には松明の明かりだけがある。なぜランプ台ではなく松明の火を明かりとしているのかと言えば、ここは一切の魔法が使えないように部屋自体が封印の中にあるからだ。 もっとも自分ならそれでも無理矢理ここを破る事が出来なくもない。だからこそ自分の時は封印布でぐるぐる巻きにされたんだから――魔法使いクノームは、かつて子供の頃に見ていた風景にうんざりしながらその部屋に繋がれている男に視線を戻した。 「それで、何が分かったんだって?」 聞き返せば、男は薄ら笑いを浮かべてこちらの反応を見るような視線を向けてくる。 「そうだな……今日は気分がいいから一つだけ答えよう。黒の剣の魔力の量を測ってみるといい。出来るだけ正確にだ、貴方なら出来るだろ」 「魔力量が変わってるっていうのか? ただの誤差じゃないのか?」 「確かに誤差と言える程度の変化ではある……でも測る毎にその誤差分程度とはいえ毎回必ず減っているというなら意味がない事ではない、違うかな?」 「黒の剣の魔力が減ってる、って事か。まさか」 「それが本当かどうか、それがどういう意味か、それは自分で調べてみるんだな」 それで今は囚人である魔法使いの呟くような声に顔を顰めて、クノームはその部屋を去った。囚人番号293番、シーグルを殺してセイネリアを暴走させようとしたその一派の首謀者と見られている男の部屋を後にして、クノームは考えた。 ――つまり、それで剣の魔力を減らせるって確信があったからあんな馬鹿げた計画を立てたって事か? なら奴らは何故剣の魔力が減ったかその理由も付き止めてるって事か? だが、階段を上っていたクノームは、そこで反対側からやってくる者に気付いて一度足を止め、頭を下げた。ここで人にすれ違うのは珍しいと思いつつも、ここへ入って来たのだからちゃんと許可が下りた人物なのだろうとその程度しか思わなかった。それにその者は確かに会議で見た顔だから地位的にも問題ない筈だと思ったというのもある。 結果、彼はその数時間後にその時の自分を恨む事になった。 夏が近づく少し強くなった日差しの下、将軍府の中庭ではこのところよく見る風景が広がっていた。十数人づつの隊に別れた兵士達が整列し、それぞれの場所でその隊の隊長の説明を聞いている。説明が終われば隊毎の訓練になって、ある隊は行進の練習をはじめ、別の隊では少し変わった隊列で整列し、一斉抜刀の練習などをしていた。 今、こんな訓練が行われているのは、程なくアウグとの国交が開かれるその式典の為であった。式典が行われるのは中継都市として開かれるウィズロンで、なにせ相手が相手であるから連れて行く兵の数はきっちりと決められている分、騎士団でも特に腕の立つ者が厳選されて任命された。そうであるから彼らの士気は高く、将軍府の中庭では連日熱心な訓練風景が広がっていた。 更にいうなら、隊での訓練が終わった後も兵士達は残って各自自主特訓に精を出していて、夜遅い時間まで将軍府の周りは活気があった。 「よう、総監督官様っ、そうしてるとらしいじゃないか」 通りすがりの元団の人間にそう呼ばれて、金髪の髪を普段とは違って綺麗に撫でつけ、どう見ても貴族に見える立派な仕立ての服を着た青年は引き攣った笑いを返した後に大きくため息を付いた。その様にはシーグルも兜の下で笑ってしまいながら、彼に少し同情もする。 「ったく、皆気楽なモンだな……くっそ、胃が痛い」 そう言って腹を押さえるラタがそんな恰好をしているのは、アウグとの国交が開かれた後、ウィズロンにて両国の検問所が不正なくちゃんと運営されているかを監督する監督官の最高責任者に任命されたからであった。実際に現地へ赴任して総監督官と呼ばれるのは式典の後だが、事前の打ち合わせやら顔合わせやらであちこち公式の場に出なくてはならなくなった為、既に恰好だけは常に整えているという訳だ。 「だが、これで本当の名を名乗れるんだ、やはり嬉しい……んじゃないのか?」 休憩の為に部屋に入った途端ソファに座った男にシーグルが聞けば、疲れた顔をしつつもラタは複雑な笑みを浮かべた。 「まぁそりゃぁな、嬉しいが……ただもう、諦めていたからな」 彼がアウグとクリュースの貿易を監視する総監督官に任命された理由――それをシーグルはつい最近彼の口からきいていた。彼が元はアウグの貴族で、自分の領地が他の領主に侵略されて取り込まれた際、逃げてこの国にやってきたのだ、と。 「だが完全に家の名を捨てた訳じゃなかったんだろ、だからマスターとの契約条件でその剣を取り返したんじゃないのか?」 「まぁ、そうだが――それは逆に諦める為のキッカケでもあったのさ」 ラタがセイネリアとした契約、その僕となる代わりに彼がセイネリアに願ったのは、彼の父の剣を取り戻す事だったそうだ。殺された父の剣、家の紋章が入っていた当主が受け継ぐ剣が蛮族の手に渡っていた、それを取り戻してほしいと彼は願ったのだ。 「勿論、この国に来た当初はいつか家を再興してやるって思ってたさ。だがな、こっちで暮らす内に家に囚われてその復讐の為に生きるなんてばかばかしいと思ったのもある。後は……マスターに会ったからな。こんな化け物がいるんだって思ったら、家の事よりあの人の傍にいた方が大きい何かを見れると思ったんだ」 「そうか……」 家に囚われるより、セイネリアの部下として歩んでみたい……その気持ちはシーグルにも分かる。セイネリアと出会って間もない頃、彼を友と呼んでいたあの時なら、もし彼に自分の部下にならないかと言われていたらシーグルの心は揺れていたと思う。次期当主としての責任を放り投げても、あの男の部下として彼のする事を傍で見ていたいとそう思ってしまったかもしれない。 「それにだ、俺はあんたと違って跡取ではなかったからな。もとから家を継ぐ事は期待されていなかったしそのつもりもなかった。だからというのも少しある」 「だが、アウグの国王は貴方の爵位を認めると言ったのだろ」 「あぁ……まぁそれは向うの打算もあるからな。アウグの貴族が総監督官をしている、って言えるのは貴族や国民を納得させるのに都合がいい」 それは確かにそうだろうとはシーグルも思う。友好条約とはいえアウグとしては自国側の立場が弱い事を宮廷周りの者は勿論、殆どが兵士である国民達も分っている筈だった。そこでアウグの人間が両国の間を取り仕切るというのは自国側への宣伝効果が絶大だ。その所為でラタの家の再興はあっけない程簡単にアウグの王から認められたのだろう。 だからこそ、シーグルは改めて思ってしまう。 「……しかしすごいな、気付けばどれもこれも都合よくパズルのピースが当てはまるように綺麗にあいつが思う通りに繋がっていく。分ってはいたが、あの男の純粋な強さ以前にこの手の手腕は恐ろしいな、とてもじゃないが敵わない。まさに『逆らえば死ぬより恐ろしい目にあう』と言われる所以だ」 彼のそういうところが一番すごいとは分かっていたが、この状況を見ればまさに彼はなるべくして今の地位にいると思わずにいられない。冷静に敵も味方も思うままに動かし、あるべき役目に当てはめる。駒の情さえ利用して、だが自分の判断に情は挟まない。……彼のやる事を見れば見る程、やはり自分は上に立てる器ではなかったとシーグルは思い知る。いつまでも部下の死に引きずられ、情を切り捨てて行動出来ない自分はあのまま騎士団にいて出世したとしても人々の期待に応えられなかっただろう。 「まぁな、俺としては契約として願った以上の望みが叶った事になる訳だ。普通なら涙を流して主の情の深さに感謝するしかない、という立場だろうな」 シーグルが少し黙ってしまったからだろうか、ラタは少しおどけて、座ったまま畏まって深く頭を下げながらそう言ってきた。 「情の深さ、か」 あまりにもあり得ないと分かっている言葉だけに、シーグルもラタも言いながら思わず笑う。 「あぁ、あの人の計画ではまったく情なんか考慮してなくて、ただ俺って人間を最大限に利用して状況を上手く動かしただけなんだろうけどな。その結果が、俺にとっても最大限の望みを叶える事になるんだから文句のつけようがない」 笑ったままそういうラタに、シーグルの笑みは少しだけ自嘲に歪んだ。 「前にセイネリアが言っていた事がある。敵だろうと味方だろうと、その人間の望むような状況を作ってやれば思った通りに動いてくれる、と」 多分まだ友人としてセイネリアと付き合っていた頃、何度か組んで仕事に行ったその時に、シーグルはそんな言葉を彼から聞いた事があった。思えばその頃は随分彼には冒険者としていろいろ教えて貰っていた。まだ世間知らずだった自分にはだから彼は憧れと畏敬の対象だった。 「あぁ、俺も聞いた事がある。敵なら相手が望むように動かしてやろうとすれば簡単に策にはまってくれて、味方なら最大限の能力を発揮してくれる、って事らしい」 「成程、まさに今の貴方のように、か」 少し笑いながらそう言い返せば、彼も肩を竦めてこちらにウインクをしてくる。 「そういう訳だ。それが分ってても俺はあの人には感謝してるし、あの人の部下である事を誇りに思う。だけどな……」 それでラタが何か含みのあるような笑みを浮かべて見てきたから、シーグルは不思議そうに聞き返した。 「だけど?」 「だけどもだ、あんただけは別さ。マスターにとってはあんただけは思った通りに動かせない」 そうしてシーグルの肩をぽんと叩くと、ラタは立ち上がって背伸びをした。 「さて、そろそろ次の会議かな」 シーグルもそれで立ち上がって、彼に続いて部屋を出ていく。彼の最後の発言について、それ以上何か聞き返す事はしなかった。 --------------------------------------------- ここまで書いたのでそのうちラタの番外編を書く予定です。 |