悲劇と野望の終着点




  【10】



「次、5人来ます」

 ソフィアが言えば、隣にいたロスターが弓に矢をつがえる。
 現在、ソフィアとこの弓使いの青年の役目は、領主や大商人達の館がある街の高台へと続く道を、王側の兵が通ろうとするのを阻止する事であった。
 転送術を使ってリシェに着いたソフィア達は、まずはシルバスピナの屋敷に敵の増援が行かないようにここに陣取った。レストはリシェについた途端、予め予定していた彼の仕事場所に飛ばしたから、とにかく他に誰かが連絡にくる事がない限りはこの道を死守するのが彼女達の役目となる。
 矢が風を切って飛び、先頭を走る内の一人をまず倒す。
 続いてソフィアはその場で転送術の発動と共にナイフを投げ、即座に視線を道を上がろうとしていた敵の一人に移す。そうすればすぐ、彼女が見た人物は何もない空間からいきなり飛び出したナイフに喉を刺されて倒れた。
 後続の連中が慌てて回りに視線を向けるが、その時には次の矢が既に3人目を倒していて、4人目もすぐにまたソフィアのナイフで絶命する。最後の一人は逃げようとして道を引き返そうとしたところを背後から射抜かれてその場に倒れた。

「次……は、ウチの団の人です、3人、通して下さい」

 どうやら港の方に味方の船が入ったらしく、そこからの連中がこの道を上がってくるようになっていた。彼らの仕事は、最優先は勿論シルバスピナ家周りだが、他の連絡を取っておいた大商人達の脱出を手伝う事でもあった。なにせ、シルバスピナ家の者が逃げれば、確実にこの街には別の領主がくるか、もしくは王の直の領地となる。そうなれば今までの議会主体の街でなくなるのは必至で、大商人達の財産さえ、あれこれと理由をでっちあげて没収と言い出しかねない。
 だからシルバスピナ一家の逃亡計画がある事を密かに議会の役員達にも個別に流しておいて、希望者は傭兵団の方で逃げる手助けをするという事になっていたのだ。

『何があっても、セイネリア・クロッセスはこの街をシルバスピナ家の下に取り戻す。きたるべき時にそれに協力するというのなら、街からの脱出に手を貸そう』

 交渉としてそう言えば、王から反逆者扱いを受ける事を承知で大抵の大商人達はこの街からの逃亡を選択した。そもそも計算高い大商人達は、不穏な王宮の様子からシーグルが捕まるに至って、既に財産のある程度を街の外に持ち出している者が多かった。ここでのセイネリア・クロッセスからの申し出はまさに渡りに船という状態だったのだろう。

 計画通りいくなら、シルバスピナ一家を逃がし、大商人達を逃がし、シルバスピナ家の逃亡劇を企てた連中を逃がした後でシーグルの居場所を探し出してその身を確保する。
 今度は絶対に失敗する訳にはいかない――とソフィアは胸の上で手を組むとクーアの神に祈りを捧げた。





 リシェの街を出た海岸沿いの崖の下。ラークからシルバスピナ家の抜け道の出口として教わっていたそこは、確かに上の道から下を見下ろしても洞窟があるようには見えなかった。海から見ても、周囲は細かい岩礁があるから船は近づけないし、それらの所為で丁度洞窟の入口も隠れていた。場所を教えて貰っていてさえ、そこを見つける事は難しかったくらいだ。

「おーい、ヴィセント〜」

 一人待っていたヴィセントは、そのお気楽な声に思わず苦笑した。

「ウィアっ、そんな声出したらマズイよっ」
「大丈夫だって、誰も回りにいないのはちゃんと確認してきたからっ」

 妙に明るいウィアの様子に、ヴィセントは文句を言いながらもほっとする。これだけ彼の機嫌が良さそうなら、おそらくシーグルの救出も成功したに違いない。

「ウィア、シーグルさんは……」
「あー、そっちの話は後で詳しくなっ、とりあえずさ、ファンレーンさんが用意した馬車だけど予定より一人乗る人数減ったから」
「誰が減ったの?」
「クルスがさ、後々の為に自分は大神殿にいたほうがいいだろってさ」
「あー、それで一緒じゃないんだ。まぁ人数が減る分には問題ないけど……でもクルスさん神殿に戻って大丈夫なの? 顔見られて捕まったりとかないよね?」
「それはだいじょーぶっ」

 自信満々にウィアが胸を張って、ヴィセントは呆れてため息をついた。
 この洞窟の中、シルバスピナの屋敷からの抜け道は迷路のように入り組んでいるそうで、道を知るものでないと抜けるのは難しいという。それもあって相当の距離を歩かなくてはならないらしく、かなり待つ事は覚悟していたものの、まさか首都のウィアまでがここへ来るまで待つ事になるとはヴィセントは思わなかった。いや、予定よりウィアが来るのが早かったというのもあるのだろうが。
 だがそこでヴィセントは、洞窟の奥でチラチラと光が揺れているのを見つけた。

「あれ、フェゼントさん達……かな?」

 よく目を凝らして暗闇の光を睨み付けた彼は、光が揺れるたびに浮かび上がらせるその回りの人物達の姿を確認してふぅと息をついた。

「先頭はフェゼントさんだね、ランプを持ってるのがラークかな。良かった、無事逃げてこれたんだ」

 更に近づいてくればその他の顔も確認できるようになる。勿論、その後ろには赤子を抱いたロージェンティとターネイ、ウルダとリーメリ、そして後もう一人見覚えのある騎士の姿があった。

「よーし、皆無事だなっ、こっちだぞー」
「……だからウィア、大声出さないでって……」

 しっかり突っ込みつつも、ヴィセントもすぐに、まぁいいけど、と諦めて、フェゼントに向かってウィアが走っていくのもため息一つで許す事にした。

「フェ〜ズ〜」
「ウィアっ」

 近づけば、すぐにウィアはフェゼントに抱きつく。
 とはいえ状況が状況であるから、フェゼントの方は抱き返す事はせず、代わりに叱咤の声が飛んだ。

「だめですウィア、喜んでくれるのは嬉しいですが、今は一刻も早くロージェンティさん達を安全な場所へ連れて行く事が先です」
「ほんっとにウィアって見境ないっていうか、お気楽過ぎて緊張感がないっていうかさー」

 ウィアはそれには何も返さず、暫くしっかり抱き付いていたが、ラークがすぐ傍まで近づいてくるに至って顔を上げた。

「わーーってるよっ、でも思わずってのは仕方ないだろっ」

 やれやれと思いながらも、ここでいつもの喧嘩が始まったりした日には目も当てられないと思って、ヴィセントは前に出て行く事にした。

「皆さんご無事ですか? 後から追手がきてたりしませんか?」

 そうヴィセントが冷静に言えば、最後尾にいた騎士の男――確かシーグルの祖父にいつもついていた人物が前に出てくる。

「今のところ追手はいないようだ。おそらくまだ抜け道は見つかっていないと思われる」
「それでも出来るだけ早くここを離れたほうがいいでしょうね。足場は悪いですが、上まで上がれば近くに馬車がかくしてあります」
「有難い。我々はともかく、まずはロージェンティ様とシグネット様と、そしてカリストラ様だけでも安全な場所へ」

 聞きなれない名前を最後に聞いたヴィセントは首をかしげ、ウィアと共に視線を騎士の下に向ける。そうすれば騎士の足に掴まっている貴族らしい身なりの少女と目が合って、彼女はきっと見上げてくるとドレスの先を摘まんでその場でお辞儀をして見せた。

「シグネット様の許嫁のカリストラ・ナナン・リア・ウーネッグでございます。このたびは皆さまのお世話になります」

 まだ5つかそこらの少女は、幼いながらもはっきりとした口調でそう告げる。それに一瞬あっけにとられていたウィアが、遅れて少女の言葉の意味を理解して間抜けな声で返した。

「ってぇ、許嫁ぇ? シグネットのって……いくつでだよ」
「あーうん、ウィア、貴族ならそこまで珍しい事じゃないよ。生まれてすぐ婚約だってある事だからね、そんなに騒がないでよ」

 また余計な事で話し込みたくないヴィセントは、それでウィアを引っ張っていこうとしたのだが、その前にふと気づいたようにウィアが言いだす。

「……そういや、あのおっかないシーグルの爺さんは? あんたがいるのに何であの爺さんがいないんだ?」

 それを素直に一番知っていそうなレガーを見て聞いた為、そこでその場の空気が一気に重くなったのがヴィセントには分かった。

「……大旦那様は、お残りになられました」
「え? 何で?」
「それは……」

 苦々し気に口元を噛みしめる騎士の男の様子から、大方を理解したヴィセントは話をそこで止めることにした。

「ウィア、事情を聞くのは後にしよう。ともかく今は、他に誰かを待たずにここを逃げていいって事でいいのかな?」
「あぁ、急ごう」

 騎士の返事に、ヴィセントは肯くとウィアの首元を引っ張って前に立たせた。
 それから行先を指さすと、足場の悪さを見てレガーはカリストラを抱き上げた。ロージェンティも仕方なくシグネットをウルダに預け、リーメリに手伝って貰いながら崖を上がる小道へと進む。道とはいっても整備されたものではない為、当然ながら女性の靴では相当に厳しい。それでもどうにか登り切った一行は、周囲に誰もいない事を確認して安堵の息をついた。――それが、まさに気の緩みとなったのだが。

「つぁっ」

 唐突に上がった声はウルダのモノで、皆の視線が彼に集まれば、彼の腕には長い針のようなモノが刺さっていた。

「ウルダ、一体何が?」

 すぐに彼に駆け寄っていったリーメリに、ウルダがどうにか落さずに済んだシグネットを差し出す。

「リーメリ、シグネット様を……」

 彼の腕からはかなりの血が流れている。リーメリは急いで手を伸ばしてシグネットを受け取ろうとした。
 だが、その、差し出した赤子の傍の風景が唐突に歪む。
 歪みに驚いて思わず固まったリーメリは、その歪みが裂けてそこから人の手が出てくるのをただ眺める事になってしまった。

「リーメリっ、早くっ」

 ウルダが叫んで、慌ててリーメリがシグネットを受け取る。が、空間から現れた『手』もまたシグネットの腕を掴む。ただならぬ状況に赤子の泣き声が響き、見ているだけしか出来ないでいたフェゼントやウィア達も急いでリーメリの元に走った。
 だが、次に聞こえた悲鳴はこの場の誰のものでもなく、気付けばシグネットを掴んでいた『手』は離れていて、更にはその手にナイフが刺さっていた。

「ぼさっと見てないで、その手を掴んで引っ張ンですよっ、早くっ」

 唐突に表れたかと思ったらこちらに向かって走ってきた人物は、特徴的な灰色の髪と瞳を持った男で、その言葉にすぐ反応をしたのはやはり実践経験の多い初老の騎士だった。
 レガーがナイフの刺さった『手』を掴んでひっぱると、『手』の根本にあった空間の歪みは大きくなり、そこから人間が姿を現す。杖を持ち、ローブを着たその姿を見て、その場にいたものはこれが魔法使いの仕業である事を理解した。

「くそっ。……アーガ・レイズ……」

 魔法使いがレガーに押さえつけられた中、それでも呪文を唱えだす。だがそれは即座に喉に投げられたナイフによって中断され、魔法使いの呪文の言葉は声にならない悲鳴へと変わった。

「ここで逃げられると厄介ですからね」

 ナイフを投げた当人は、今度はゆっくり近づいてくる。飄々としたいつも通りの空気を纏って、でもどこか不穏さを感じさせる男は、少しまだ離れたところで足を止めると芝居がかったお辞儀をしてみせた。

「さて、知ってる方は知ってると思われますが……俺は黒の剣傭兵団の者でして、セイネリア・クロッセスの部下となっております」

 そうするとウィアが、彼の顔を知らないだろう者達を安心させる為にか、前に出ていってフユに声を掛けた。

「何だ、やっぱあんたいたのか」
「えぇまぁ、俺はこっちの見張り役っスからね」
「そっか……なら、何もしてない訳じゃないのか……」

 最後の声にはどこかウィアらしくないものを感じたものの、彼がくだけた様子で話している事で、男を警戒していた他の者達の表情が幾分か和らいだ。
 灰色の髪と瞳の男は、そこでこちらの面々の様子を一通り確認すると、リーメリからシグネットを受け取って抱いているロージェンティに向かって、また先ほどの大仰なお辞儀をして見せた。

「お初にお目にかかります、シルバスピナ夫人。さて、これからの事について、貴女に我が主からの提案があるのですが――」




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 ここでウィア達とシルバスピナ家の面々の脱出劇は終了。次回からはセイネリア達のお話です。



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