【12】 妙に、落ち着かない。 いつも通りの部屋、いつも通りにやってくる者達。あえていえば今日はキールが来なかったが、ここのところ彼はたまにしか顔を出さなくなっていたので特別おかしいというほどではない。いつも通りの見張りの気配を扉の外に感じて、当然だが何か騒がしいという事もなく……なのにどうにも胸騒ぎのようなものがして、シーグルはその日、朝からずっと落ち着かなかった。 その、胸騒ぎの原因なのか、その夜になってシーグルは来た時ぶりに王の元へ連れて行かれる事になった。 前の時と同じ、腕に枷を嵌められ、目隠しをされて、引かれるままに歩いていく。もう大分記憶も薄れていたが、歩かされた感じでは、やはりそこは前に王に呼ばれた時と同じ部屋だと思われた。台に枷を固定されて、目隠しを外されるのも前の通り。ただ違うと感じたのは、視界に王が入った途端――彼の持つ雰囲気が明らかに苛立っていると分かった事だった。 「処刑前に、まだ私にお話があったのでしょうか?」 だから、余計に苛つかせるのを承知でそう聞いてみれば、王は思った通りに顔をぎっと顰めた。 「ふん、処刑か、処刑……まったく、何もかもうまくいかぬ。誤算だらけだ、忌々しい……あの男め」 それでシーグルは僅かに目を細めた。あの男、というのは誰なのか。シーグルに対してのこの間の話の続きであるならセイネリアと考えられるが、今の王はあまり正気とはいい難い気もしていて、言っている事は独り言のようにも思える。 「あの男、というのはセイネリア・クロッセスの事でしょうか?」 だから試しに聞いてみれば、王の顔が更に怒りに赤く染まった。 「そうだっ、お前が処刑されるなら助けに出てくると魔法使い共は言ったのに、奴は何もしてこなかった。はっ、どうやらあの男はお前を見捨てたらしいぞ」 「おそれながら、陛下、その件は……」 その声でシーグルは、横の壁沿いにリーズガンがいた事に気付いた。更に部屋の中を見渡せば、他にも2人親衛隊の者がいるようだった。ただ今回、キールの姿は見えなかった。 「ふん、どうせこやつは何も知らぬ」 王の機嫌が悪いのはリーズガンにも分っている事らしく、彼はその場で礼をするとすぐ壁に下がった。苛立ちを隠さぬ顔で再びこちらを睨んできた王に、シーグルは出来るだけ冷静な声で言った。 「セイネリア・クロッセスは馬鹿ではありません。そうそう他人の意図通りになど動いてくれないでしょう」 「ほう、あの男にそこまで言うか」 「私は彼を、騎士として尊敬しております」 「騎士として? 名誉ある旧貴族のお前がただの平民出の男を? は、尊敬ではなく雌として惚れているというのではないのか?」 王は酷く興奮しているようだった。セイネリアに対して余程腹に据えかねる事があったと予想出来る。 それにしても、確かに王というには小さい男だとシーグルは思う。言葉を取り繕う事もない下卑た言い方には、彼がこの大国を束ねる者だという余裕も威厳も感じられない。王家の血筋、というだけではかつての建国王の意志を継げはしないのだと改めて思う。 「彼の強さは、生まれの差など無視出来る程に賞賛すべきものです。彼を軽んじていれば後悔する事になるでしょう」 すると王は、持っていた杖で床を叩いた。 「後悔? ふん、後悔なら既にしている、魔法使い共の話など聞いてあの男をあぶり出そうとしたのに、臆病風を吹かして出ても来なかった。そんな男をそこまで警戒していたという事にな」 舌打ちをする王の様子に、自分が捕まっている間に王がセイネリアをどうにかしようとして何か企んだというのが分かる。大方、シーグルが処刑されるという話で彼を釣ろうとしたのだとは思うが、この王程度が立てた企みなどセイネリア相手に通用するはずがない。 「アルスオード・シルバスピナ、お前に最後の機会をやろう。セイネリア・クロッセスを逆賊として討つ為の私の駒になれ」 王の言葉に、だがシーグルが了承の返事を返す事はなかった。 代わりにシーグルの口元には笑みが湧く。 「今更の交渉など、もう既に遅いと思われます」 「何だと?」 そう、もう手遅れだとシーグルは思う。 シーグルが捕まってこれだけの時間が経っていれば、既にセイネリアは相当あちこちに手を回している。シーグルを見つけられなくても、王を追い詰める為、あの男なら何かしらの状況を作り上げている筈だった。 「陛下……あの男を警戒するなら、貴方は間違いを犯したのです。あの男は、地位になどなんの興味もありません。貴方が何もしなければ、あの男は貴方になんの危害も与えようとしなかったでしょう。貴方は恐れるあまり、自ら破滅する道を選んだのです」 それには王は、言葉ではすぐに何も言いはしなかった。 だが椅子から立ち上がると、昏い怒りを映した瞳で睨みながら、シーグルに向かって歩いてくる。 「アルスオード・シルバスピナ……貴様は今、自分が何を言ったのか分っているか?」 シーグルもまた、近づいてくる王の瞳を睨み返した。 「はい、陛下はいずれ、自らの愚かさの所為でその地位を失うでしょうと言ったのです」 言い切る前に、王の手にあった杖がシーグルの頬を殴る。 それから王が顔を近づけてくる。 「そこまで私を侮辱して、無事でいられると思うのか?」 「これはおかしな事を、私は既に死刑が決まっているではありませんか」 シーグルは殊更王を馬鹿にするように笑ってみせた。そうすれば再び、王の杖がシーグルを殴る。今度は特に顔を狙うでもなく、怒りにまかせて2度、3度と、杖がシーグルの体に振り落とされた。 シーグルはそれに声を上げなかったが、回りにいる他の者達が動揺して声を漏らしているのが聞こえた。リーズガンなどは、自分の顔が醜く腫れれば後で愉しめなくなるとでも思っているのかもしれない。 「お前がそこまで愚かとは思わなかった。ふむ、計画を少し変更しよう。お前は殺す訳にはいかぬが、見てくれだけが使えれば問題ない。……そうだ、別に中身は必要ないのだ、見た目だけマトモに見えればいい、最初からそれでよかったのだ」 数度シーグルを打ち付けた王は、興奮が多少は収まったのか、言うと椅子に戻らず部屋を出て行こうとする。その際にリーズガンを呼び寄せて、彼はシーグルに聞こえるように大声で命令をしていった。 「イシュティト、こやつの中身はいらぬ。生きてさえいれば魔法使いどもがどうにか操って動かすだろう。飾り人形として使えればそれでいい。方法はお前に任す……薬でも拷問でも好きな方法で精神(なかみ)だけ殺せ。ただし見える部分に直せないような怪我はさせるなよ……せいぜい愉しむといい」 深い礼で王を送ったリーズガンは、王が部屋を出て行くとシーグルに振り返る。 その瞳を楽しそうに歪ませて、歪んだ口元のままで彼は言う。 「勿体ないが、君はもう生きて体だけあればいいそうだ。残念だよ、本当にね」 愉悦と色欲を隠しようもない顔で、リーズガンは笑ってシーグルに近づいてきた。 天気の良かったその日の夜、空には美しい半月、時間の神ラベルナの月が輝いていた。 静まり返った夜のクリュース城、その敷地内にある導師の塔からは、黒い人影が今、高い場所にある窓から降りてこようとしているところだった。 カリンが首都の酒場で手に入れた情報は、最近、城のお堀でもあるクナン湖や、そこから流れるサンレイ・エシロ川で手紙のような3枚の紙切れが発見されたというもので、それらの出だしは必ず『最強の樵の弟子殿へ。薪割りの苦手な騎士より』という文で始まり、その後に一言がつけ加えられているというものだった。 この『最強の樵の弟子』がセイネリアを指すという事は、彼の過去を聞いた事もあるカリンにはすぐにピンときた。となれば『薪割りの苦手な騎士』はシーグルの事ではないか。手紙の文章だけ写してそれをセイネリアに見せれば、それが確定だという事は彼の安堵の笑みですぐ判明した。 また3枚の手紙の文章は、それぞれ最後の一言が『今度はぜひ弓を教えて貰いたい』『見張り台はもう飽きた』『鳥を射れれば良かったのだが』という内容で、わざと繋がった手紙らしく関連性がありそうな文にしているが、これはシーグルが高い場所にいるという事をいいたいだけなのではと考えられた。 高い場所にいるなら、その窓から手紙を飛ばしたというのも納得できる。そして高い位置から飛ばした紙がクナン湖やサンレイ・エシロ川で見つかったというなら、その飛ばした元はクリュース城だと確定していいと思われた。 『城なら、導師の塔から入ればいいわよ。連中、シルバスピナ卿を助ける為なら協力するっていってたんだから』 団の魔法使いアリエラがそう言った事で導師の塔の魔法使いと即連絡を取れば、それは二つ返事で了承され、どうせ面子は皆首都周辺に集めてあるのだからと、その夜すぐに救出作戦は決行される事となった。 導師の塔は、建物として外部から入る為の入り口がない。魔法使い達は全て彼らの転送路を使って出入りしているし、王の居城である太陽宮に行くにも転送で専用のポイントからしか入れない事になっていた。だから城の敷地内にあっても別の場所として扱われていて、魔法使い達は塔の中へなら城の警備を無視して自由に出入り出来る代わり、自由にそこから城へ出入りするという事は出来ない事になっていた。 それでも、導師の塔も上の階には窓がある。魔法を使わずその窓から出入りするなら、物理的に城内へ出る事が出来るという事になる。 今回、この救出作戦に参加するのは、首都に残ったカリン率いる裏の連中と、セイネリア直下の特殊能力者に限定された。シーグルがいるのは城内と確定は出来ても、何処にいるのかはまだつかめていない。だからまずは城内を探し、シーグルを見つける事が必要になる。その為には騒ぎを起こさずに城内を探せる者でなくてはならない。……そして、シーグルが生きているという事を秘密に出来る者である事が必須となる。 勿論、セイネリアが自ら参加して指揮を取るのはいうまでもない。後は、内部を探す場合に双子のアルワナ神官がいれば楽になる。他に例え断魔石があっても、使える場所では有用なクーア神官のソフィア……彼女は自ら志願して参加となっていた。 窓からロープを下ろし、まず最初に下りたのは弓を担いだ赤毛の青年ロスターだった。彼は小柄な所為で身軽であるし、素の目がいい上に夜目も利くから先に降りて下の状況を警戒するのに向いていた。続いて下りたのは双子の一人、ラストを背負ったセイネリア。そうして同じく、レストを背負ったラダー、それからソフィアが続く。カリンは全員が下りた後、最後に下りてロープの回収を確認してから動く事になっていた。 「こう、魔法でふわっと下まで下ろしてくれたりはないんでしょうかね」 皆が下りていく様子を見てそう呟いた自分の部下に、カリンは答えてやる。 「城内はあちこちに断魔石があるから、どこで魔法が途切れるか分からないそうだ。つまり突然魔法が切れて落ちる可能性がある。それでも魔法で下ろして貰いたいか?」 あまり機嫌の良くなさそうなカリンの声に、男は振り返ると顔を引き攣らせた。 「……いえ、結構です」 「一応、幻覚を重ねて隠してはくれているらしい、あり難いと思っておけ」 「はい……ところで、脱出の時はどうすれば?」 「目的を果たした後なら、どれだけ騒ぎを起こしてもいいからな。ボスが派手に暴れる事になっているからそれに続けばいい」 シーグルの身が取り返せれば、後はどれだけ騒ぎになろうが、傭兵団が逆賊扱いになろうが問題はない。脅し代わりの置き土産を派出に残していく事が決まっていた。 「では、目的が果たせなかった場合は?」 それでも不安そうに聞いてくる男には、正直カリンも苛立つ。 だから殊更鮮やかに笑って彼女は言った。 「その場合は湖に飛び込め」 --------------------------------------------- シーグルの救出作戦がやっとこさ開始。 |