【4】 一方、別に新政権の中心人物ではないのだが、ウィアもまた忙しかった。 ウィアがロージェンティや新王シグネットをリシェから逃がし、守った者の一人である事は冒険者間では有名になっていたし、実際国葬やらで王家の身内のような扱いを受けていたのを見れば英雄扱いさえしてくる者も少なくなかった。 更に言えば、元々ウィアは冒険者としても結構顔が広いので、その所為でシーグルの救出作戦や今回の暴動でも人を集める事が出来たものの、その後にその多くの知人達から――ある者は仕事の誘いだったり、あるものは武勇伝を聞きたいといってきたり、またある者は新政府関係でいい仕事がないかと言ってきて――早い話、追いかけられるレベルで声を掛けられ捲っているという事情があった。 そんな訳で、昼間はフェゼントの手伝い(主にシグネットの子守)に城へ行って、夜はあちこちの知人に声を掛けられ酒場行き、という毎日を忙しく送っていたウィアだったが、流石に毎夜の外出は兄の怒りを買ったらしく、ある日城にいるウィアの元へ直接呼び出しの使者がリパ神殿からやってきた。 「ウィア、聞けば兄上に最近は全く会っていないそうじゃないですか」 「いやーだってそれはさー、兄貴だって神殿泊まりの日も多いしー、帰るの遅いしー」 「だからこちらにわざわざ迎えを寄越したんですよ、行ってちゃんと話して来てくださいね」 と、フェゼントに言われてしまえばウィアが逃げられる訳がない。……当然、それも兄の策略通りなのだろうが。 とりあえずそういう経緯で、ウィアはリパ大神殿の兄の部屋に連れて来られた訳なの……だが。 「お前は、自分の立場がまったっく分かってないだろっ」 と、部屋に入った途端、頭を押さえて思い切り顔をしかめて、それでいて気の抜けたような声でそう言ってきた兄に、ウィアは口を尖らせた。 「立場ってなんだよ。……いやそりゃさ、一下っ端冒険者としちゃ身分不相応のトコにいるなーってのは分かってるぜ。たまたまフェズの身内が王様になるなんてびっくり展開のセイで、へーみんの俺が国葬なんかに席があった訳だし城に出入りできる訳だし」 その答えは正解とはほど遠かったようで、リパ大神官の兄は見せつけるように大きく大きくため息をついた。 「……お前は、自分に何も肩書きがないと思っていたのか」 ウィアは胸を張って答えた。 「そんなん、シーグルの兄のフェゼントの恋人っ……は対外的にマズイからシーグルの友人、くらいになってんだろ、俺」 まぁいくら冒険者間では同姓カップルもよくあるとはいえ、さすがに正式な席ではあり得ないから友人だろう、というウィアの答えに、兄はびっと立てた人差し指をウィアの額に押しつけてくると、ギロリととてつもない圧力を持った目で睨みつけてきた。 ……とりあずそういう時の兄に対しては、条件反射的にウィアは小さくなるしかない。 「馬鹿者っ、お前の肩書きは、『新王シグネット様の家庭教師』だ」 「え?」 一瞬真っ白になったウィアの頭だが、それでもどうにか『家庭教師』という言葉から思い出す事はある。 「ちゃんとロージェンティ殿下からはそう通達されている。だから自由に城に入れてもらえてるんだ、おかしいと思わなかったのか?」 ――えーとえーと、あぁうん、確かにシグネットの家庭教師なってくれってシーグルにいわれて了承したよな俺。でもでも王様の家庭教師なんてのは俺には無理だろ状況が当時からスケールアップし過ぎだしそれに約束してくれたシーグルはいない訳だし酒の席だしまさかあの話がそのまま有効なんて思わないよな王様に何教えろっていうんだよ俺ただの不良神官だぜ〜〜――等々と冷や汗を流しながらウィアの頭の中では自分内会議が行われたが、もちろんそこで明確な答えが出る訳はない。 とりあえずウィアは、兄の恐ろしい目から思わず目をそらしてしまってから、ひきつって半笑いになった口でどうにか答えた。 「あー、うん、ロージェンティさん忙しいだろうにちゃんと俺の事忘れないで顔パス出来るようにしてくれたんだなー……くらいに思ってた」 「『ロージェンティ摂政殿下』だ、城に出入りするならその不敬極まりない言葉遣いはどうにかしろっ」 ちらと見た兄の目が益々怖くなっているのを確認して、ウィアの声は更に小さくなっていく。 「いやでも、シグネットにはそんな俺みたいに育ってほしいってシーグルは俺に頼んでくれた訳だし……」 「ウィ〜〜ア〜〜だからせめて敬称が分らないなら『様』をつけろっ。……そもそもっ、その時と今だと状況が違うだろっ、身内だけがいる場所に行くんじゃないんだぞっ」 「でも俺が城行って会う人間なんて知ってる顔ばっかだぜ?」 「そーゆー問題じゃないっ、城という場では知り合いでも立場にあった言動と振る舞いが必要とされるんだっ」 兄の鬼気迫る顔に、さすがのウィアもそれ以上は何も言えなくなる。 だがそこで唐突に兄の顔が一変し、にこりと不気味な笑みを浮かべた。 「引き受けたなら仕方ない。ウィア、これから暫くはお前が家庭教師として城に出入りする為の礼儀を俺がしっかり教えてやろう」 それに反論など出来る訳もなく、怖い、ヤバイ、と益々顔を引き攣らせるウィアの首根っこを兄テレイズが掴む。そのままずるずると引きずられて、ウィアは神殿内の個別学習室に連れて行かれる事になった。 空は快晴。このところは雪も降らず奇跡的に晴れが続く冬特有の白っぽい青空を、部屋の中から見るしかないというのは悲しいものがある。特にそれが外に出たくても出られない、嫌いな仕事中という事になれば尚更だ。 「あーもー、すっげぇストレス溜まるぜ……」 窓の外をちらと見てから机の上の書類を憎い敵でも見るように睨んでエルが呟いた言葉に、シーグルは思わず同情してため息をついた。 「まったくだ」 そうすればエルは視線をじろりとこちらに向けてきて、ちょっと涙ぐみながら訴えてくる。 「いや確かにな、やんなきゃなんねーことだっては分かってるんだ。団の連中にゃ読み書き出来ねー奴も多いし、一応神官として読み書き出来る上に立場的にも俺がやるしかねーってのは分かるんだがよーーー。俺は座って書類とにらみ合いなんて仕事はやりたくねーーーーっ」 訴えというかその叫びに、シーグルは同情しつつも乾いた笑いを返すしかない。まぁ普通に考えて、傭兵団なんてところにいる冒険者でデスクワークが好きな人間がいる訳がない。それでも一応、この団はほかに比べれば特殊な人材が多いのもあって読み書き出来る人間はかなり多い方だ。特に裏の連中はほぼ全員出来る上に公式文書の読み方もある程度分かるというのはシーグルとしては嬉しい誤算だった……とはいえ。やはり、通常団員達はかろうじて読むだけならある程度というくらいの者が多く、そちらのトップであるエルに負担が集中するのは仕方がない。しかもエルの立場上、少々やっかいな公式文書が入ってくれば、最初のうちはシーグルがついていないとならないのもまた仕方なかった。 「うえ、なんだこりゃ、ひたすら名前が羅列されてるんだが何のリストだ?」 「エル、これはリストという訳じゃないんだ。この名前はこっちの文書の制作者の署名で、こっちはこれを確認したという者の署名だ……という事がここに書いてある」 「つまりこっちだけ読めばいいのか?」 「あぁ、こっちに問題がなければここの名前の列の最後にエルの名前を書けばいいんだ」 とまぁこんな感じで、慣れるまではシーグルが側にいないとエルも仕事が出来ない状態であった。 「はいはーい、レイリースさ〜ん。こっち写し終わったよ〜」 「私も終わりました、次ありますか?」 「あぁ、こっちの山から持っていってくれ」 「は〜い」 ここで補足しておくと、現在、この部屋はエルとシーグルのほかに、アルワナ神官の双子二人とクーア神官のソフィアもいた。とりあえず彼(+彼女)らには今、書類の写しを作るのをお願いしているのだが、団の中でもこの手の仕事面で有望である彼らには、ゆくゆくは自分の代わりにセイネリアやエルのサポートが出来るくらいにはなってもらおうとシーグルは思っている。だからこの際、一緒に仕事を覚えてもらうつもりもあって手伝ってもらっていたのだった。 ちなみに、カリンに関しては彼女自身優秀で覚えがよかったというのもあるが、例の吟遊詩人がケーサラー神官でもあるという事でやたらと記憶力が良く、彼がサポートにつくという事で早々にシーグルなしでも問題がなさそうな状況になった、という事情がある。 あの詩人の意味ありげな言い方には何かもやもやとしたものを感じるものの、吟遊詩人などというモノは皆そういうモノだという事で今のところは気にし過ぎない事にしていた。……というか、そもそも忙しすぎてそれどころではないというのが正直なところだが。ただセイネリアの事だけは、未だにシーグルは彼自身に聞く事を迷って聞けないでいた。 「レイリースっ、ちっとこっちなんだが」 「あぁ、今いく」 忙しく目が回りそうな状況というのは、余分な事を考えなくてすむという利点がある。ただ、こうしてデスクワークに追い回されていると、どうしても騎士団時代の自分の執務室での風景をシーグルは思い出してしまう。……ただあの時は、人に教えるのも書類に指示を出すのも自分がする必要はなくて、優秀な文官に任せてしまえばよかったが。 シーグルは口元に苦笑を浮かべて、今ここにキールがいれば楽だったろうと考える、そして。 ――ナレドは無事だろうか。 考えれば、捕まった以後に彼の姿を一度も見ていない事に不安が湧く。少なくとも今、ロージェンティ達のそばに彼はいない。ただ自分が捕まった後は無事に逃げられたらしいことは魔剣の魔法使いが言っていたから大丈夫ではあるとは思う。あらかじめもしもの時はシルバスピナの家には戻るなといってあったから、ロージェンティ達と合流できなかったと考えられる。 ――一段楽したら、セイネリアに探してもらおう。 あの青年なら、現状、ロージェンティやシグネットの立場があまりにもおそれおおいと戻れなくなっている可能性もある。探してやらないとシグネットのもとへ戻ってきてくれないかもしれない。 「くっそぉおおおおっ、何でこんな回りくどい書き方ばっかりなんだよっ」 だん、と机を叩いてエルが突っ伏したのを見て、シーグルは苦笑を通り越してさすがに気の毒になってくる。いや、人の事をどうこう言っている状況ではないのだが、自分も相当にストレスが溜まっているから、エルの気力がそろそろ限界そうなのも分かる。 だからふと、窓の外を眺めて。それから彼に言ってみる。 「実を言えば俺もこのところ書類仕事ばかりで体が固まりそうなんだ。……だからエル、少しだけ気分転換に体を動かしにいかないか?」 死んだ目になりかけていたエルの瞳が、それを聞いてぱぁっと生気を取り戻した。 --------------------------------------------- 次回はまたちょっとウィアサイドのお話。 |