【6】 「シーグルっ」 聞き覚えのある懐かしい声に、反射的に馬を止めて振り向く。 当然ながら無言で主の前に出て構えた部下達の向こう、大勢の冒険者達の山を掻き分けて出てきた青年の姿をみて、シーグルは呆けるように目を見開いた。 「クルス……」 優しい色の金髪に相変わらず穏やかな顔立ちのリパ神官は、シーグルの唇が彼の名を呟いたのを見るとその場で立ち止まって瞳を潤ませた。それから軽く目尻の涙を拭うと、にこりと笑みを浮かべて深くお辞儀をした。 「申し訳ありません、失礼な呼び方をしてしまった事をどうぞお許しください、シルバスピナ卿」 シーグルもまた目を熱くさせながら、馬上で笑みを浮かべた。 「何を言って……」 けれども、言いかけた言葉をシーグルはそこで止める。前に出て自分を守ろうとしている部下達と、こちらを見ている冒険者達の目に気付いて、シーグルは今にも馬を飛び降りようとしていた自分を抑えた。代わりに、泣き出してしまいそうな感情を抑えて、表情を消して、彼を見下ろす。 「問題ない。久しぶりだ、クルス・レスター」 冒険者として、一番楽しい時を一緒に過ごした、騎士になって最初に出来た大切な友人。別れを告げた時に泣いて嫌だと言ってくれた彼は、そんな冷たいシーグルの返答にも嬉しそうに微笑み返してくれた。 「お久しぶりです。お元気そうで安心しました」 「君も……元気そうで良かった」 声が震えないようにするのが精一杯で、それ以上言葉は出なかった。 本当なら、彼には、言いたい事、言わなくてはと思う事がたくさんあった。けれども今ここで彼に友として話し掛ける訳にはいかなかった。そうしたら、何の為に彼に別れを告げたのか分からなくなる。 「悪いが急いでいる為、我々はこれで失礼する」 「いえ、私の方こそお呼び止めして申し訳ありませんでした」 それだけで、馬首を戻し背を向けてそこから離れる。振り向く事もしない。してはいけない。 あの時、別れを告げた理由は、セイネリアに目を付けられた事で背負い込む事になったトラブルに彼を巻き込まない為だった。今はその時よりも自分が背負っている責任と敵は更に厄介で、彼を直接守ってやれない立場なら、彼との関係は切り捨てておくのが彼の為になる。 「お知り合い、だったのですか」 冒険者の多い街中を抜けて、城壁をくぐってから、ウルダがそう聞いて来た。 「あぁ、冒険者時代、一緒にパーティを組んで仕事をした……友人だ」 それにはウルダから少し考えているような間が返って、それから彼は笑顔を浮かべてシーグルを見上げた。 「実はですね、アルスオード様。祭りの日、『客人』をリパ神殿まで見送りに行った時、向こうで出迎えてくれたのがあの神官殿だったのですよ」 思わずシーグルは手綱を持つ手を硬く握り締める。 大神官であるテレイズは、彼が自分の友人だという事を知っていたのだろうか。いや、クルスの人柄を考えれば、例え知らなかったとしても信用出来る人物として彼を選んだだけという事もあり得る。 「今度、こっそり会えたらお礼を言っておきます。それと、貴方が会えて本当は嬉しかったとも伝えておきますね」 自分の事を見透かしてそう言った部下に、シーグルは泣きそうに顔を歪めながらも唇に笑みを乗せた。 「あぁ……頼む」 少しだけ浮かんでしまった涙を指で拭えば、それを見ないように部下達はそれとなく目を逸らしてくれる。本当に自分は随分と彼らによく理解されているらしい、とそれを我ながら呆れつつも嬉しいと思って、そんな彼らに囲まれている事をシーグルは感謝した。 「それにしても我が主も、今回はよく自重してくださいました。……俺はいつ貴方が馬を飛び降りてあの人のところに駆け寄るんじゃないかと思いましたよ」 わざといつも通りの嫌味まじりの言い方でリーメリがそう言ってきたので、シーグルは軽く笑い声をあげて、そうだな、と返した。 そうすればクルスと同じ長い金髪の、けれども彼と違ってきつい顔の青年はくるりと振り返って、彼にしては珍しい程にこりと柔らかく笑った。 「仲の良いご友人だったのでしょう?」 「あぁ」 「本当は、たくさん話したい事があったんでしょう?」 「……あぁ、完全に見透かされているな、俺は」 彼の笑みに返すように笑えば、リーメリはくるりと背を向けて前を向く。 「そりゃ貴方は本当にわかりやすいですからね。……大丈夫です、向こうも分かってくれていると思いますよ」 それは、穏やかな春の日だった。 久しぶりに見た彼は別れた時と殆ど変わらず、綺麗で強い、誇り高い騎士様のままだった。 「クルス、どうしたんだ?」 後ろから、人ゴミをかき分けて出てきたろう同僚の神官の声を聞いて、クルスは笑顔で振り返った。 「何でもありません。帰りましょうか」 「あ、あぁ……」 浮かれた気持ちのまま一歩踏み出して歩き出せば、一緒に神殿から使いに来た神官も急いで追いかけてくる。 「何だ、随分機嫌がいいみたいだな」 振り返りはしなかったものの、それには即答する。 「えぇ、とてもいいことがあったんです」 お互いに苦しい顔で別れた彼は、それでも今、笑っていた。それに、前よりもずっと顔色が良くて、少しだけ体格が良くなって、命令がなくても守ろうとするような部下に囲まれている。 彼が家を継いだのは知っていた。 彼が結婚したのも聞いていた。 フィラメッツ大神官からの用事で偶然、結果として彼を手伝う事になってしまったものの、それが嬉しくて、今の彼にどうしても会いたくなってしまった。最近では大通りを歩く度、彼に会えないだろうかと目で探してしまうのがクセになってしまっていた。それでも、本当に会えるとは思えなかったのだが。 「貴方は、相変わらずなんですね」 クスリと笑って呟く。 ハタから見れば、シーグルは貴族らしく自分に事務的な挨拶をして去っていっただけだろう。けれども、こちらを見つけて嬉しそうに自分の名を呟いてくれた事と、それから別れる時、『すまない』と口元が動いていたのを見れただけでクルスにとっては十分すぎた。 会えなくても、ずっと友人だと思う事を許してほしい、と彼は言っていた。 その言葉のままに、彼はずっと自分を覚えていてくれる。今までも、これからも。 それなら――。 清々しく青い空を見上げたシーグルは、晴れやかな気持ちで大きく息を吸った。 騎士団は今日から、前期と後期の入れ替え時期に入る。前期組は今日から復帰し、後期組は初夏まで暫く切り替え期間として来ても来なくてもよくなる。そうなれば他の隊では当然後期組はもう来なくなるのだが、シーグルの隊は少なくとも若手は全員残る。だから当分は人数も多く賑やかになるなと思いながら、シーグルは自分の執務室に向けて歩いていた。 「シーーーグルっ」 やけに浮かれた声で名を呼ばれたと思えば、予想通りロウが廊下の向うから走ってきて、シーグルはため息と共に苦笑した。 「ロウ、廊下は走るな」 「わぁってるけどさ、一刻も早くお前の顔をみたいって俺の気持ちも分かってくれよ。あーもー久しぶりだなぁ、会いたかったぜー」 そうしてお約束のように抱きついて来ようとした彼の顔を手で押し退けて、シーグルは彼の足を引っかけようとする。 「うわわわわっ」 見事足を掬われて倒れそうになった彼だが、すんでのところで壁に手をついて踏みとどまった。それに軽く笑い声を上げれば、ロウもまたにやりと笑って、壁に背を寄り掛からせて手を振る。 「じゃ、また後でな」 「あぁ」 シーグルも手を振って彼と別れた。 「懲りない方ですね」 後ろからついて来ているナレドには、まったくだな、と返してやる。そうすれば彼はぶつぶつとロウの態度に文句を言って、シーグルは苦笑するしかないのだが。 どうもこの従者の青年はロウの事が気に入らないらしい。 いくら友人とはいえ態度が失礼すぎるという事だが、彼は少々自分に理想を見過ぎているのではとシーグルは思う。彼の一生懸命さはとても好ましいが、余りにも純粋な崇拝の瞳はたまに少々困る事もあるというのが正直なところだった。 けれどもふと、振り向いた時の青年の姿を目線で測って、シーグルはある事に気付いた。 「そういえばナレドも、随分背が伸びたんだな」 まだシーグルの方が高いが、従者にした時からは随分目の高さが合うようになった。 「あ、あぁはい、それは……その、従者をするようになってよい物を食べさせていただけるようなってから急に……」 「そうか」 シーグルは穏やかに笑う。貧民街出身の彼なら、確かに栄養がちゃんと取れるようになった今、急激に背が伸びたというのも分かる話だ。 だから彼の頭に手を置いて軽く撫ぜてから、笑ったまま歩き出す。 「ウィアが騒いでるんじゃないか?」 明らかに今のナレドはウィアよりずっと高い。身長に拘るウィアなら、今のナレドの伸び具合は相当に腹に据えかねている事だろう。 「えぇはい、よく『生意気だ』って言われます」 「だろうな」 それには耐えられず、シーグルは声を上げて笑ってしまった。見ていなくもその時のウィアのセリフと表情が想像出来て、それにはシーグルでさえも笑わずにいるのは困難だった。 そうして、ナレドと話しながら歩いていけば、途中、訓練場の傍を通って、シーグルの隊の数人が剣を振っている姿を見かける。真剣にやっているだけあってこちらに気付いていない彼らだが、後で朝礼前に自分も少し混ざろうとシーグルは思う。 「シーグル様、今日は随分ごゆっくりだったんですねぇ」 執務室に入った途端、待っていたように立ち上がった文官の魔法使いに、シーグルは呆れたようにため息をついた。 「これでも随分早いだろ。他の隊長連中は、この時間じゃまだ朝食中かへたすると寝てるぞ」 「貴方基準ならこの時間は遅いじゃないですかぁ」 「少し南の森に寄ってきたんだ」 「成程ぉ、寄り道してすっきりしてきたなら、今日は朝からこちらのお仕事に取り掛かれますねぇ」 「待てキール、朝礼までは皆と……」 「どーせ南の森寄って少し体を動かしてきていらしたのでしょう? ならいいじゃないですかぁ〜」 彼の笑顔には逆らえないシーグルは、諦めて大人しく椅子に座った。ナレドがご愁傷さまです、とでもいうようにお辞儀をして、彼もまた自分の席に座る。 もう慣れてしまった、騎士団でのそんな日々。平和で、賑やかで、楽しい、慣れてしまった日常。この時が何時までも続けばいいと思いながらも、それが近い未来に変わる事をシーグルは覚悟していた。 首都に遅い春が来て、国境付近で偵察隊らしき少数の蛮族達が捕まったという報告が度々くるようになったのは、そこから暫くたった頃の事だった。 最初の大規模な砦の襲撃が起こったのは丁度夏になった頃で、シーグルの隊に出兵命令が出たのはそれから間もなくの事だった。 END >>>> 次のエピソードへ。 --------------------------------------------- そんな訳でこのエピソードは終了です。日常話という事でさくさく終わらせましたが、次回からは出兵編なのでいろいろばたばたします。 |