寄り添う心と離れる手




  【1】



 忌々しい冬が終わって、この寒い国にも春がやってくる。
 結局、レザ男爵邸には近づけなかったまぬけな自分を呪って、ラタは酒場で一人不貞腐れていた。
 なにせラタには、ここアウグの貴族回りの人間とは会いたくない事情があった。それもあって冬の間、レザ男爵が屋敷に篭っているとなれば、彼の部下やら傭兵達からその様子を知る事は難しく、どうにも調べようがなかったのだ。
 とはいえ結果として、こちらで探る事は失敗したのだから言い訳のしようもない。シーグルがレザの元にいるとつき止めたのは現地にいない主本人なのだから。
 ならばせめて、主が来るまでにレザの元へ行く方法を確保しておかなくてはならないのだが、そちらも貴族からのツテを使わないとなれば屋敷へ入る事は無理だと思われた。屋敷が彼所有の森の中にあるものだから、遠くから様子を見るだけでも難しい。

「このままあの人が来た日には、騒ぎ起こすのは確実だろうな」

 シーグルがいる場所が確定しているのだ、ならあの男は大騒ぎになるのも構わず連れ戻しに行くだろう。本気を出せば彼一人で一軍の相手さえ出来るのを知っている分、想像すると胃も痛くなってくる。
 国境周辺の雪が解ければ、すぐにあの黒い騎士はアウグへやってくる。
 アウグの貴族達の屋敷周辺にはほぼ必ず断魔石が敷かれていて、もしソフィアを連れてきたとしても転送で入る事は不可能だし、中の様子を伺う事も出来ないだろう。隠し通路か何か、こっそり入る手段を掴まないと大騒ぎは確実なのだが、何度か森にまでは行っている分これ以上行くとさすがに怪しまれる。既に見回りの者に一度顔を見られているのも考えれば、そうそうに近づく訳にはいかなかった。
 近づけない男の内部事情を調べるのなら、お約束は娼婦などの外の愛人からというところなのだが、レザの場合はそれも無理で森に入る以外に選択肢がない。

「手を出した女も男も皆囲う男だからな、外からの情報収集は無理だときている」

 さぞ絶倫に違いない、と悪態をついた後に、シーグルがその男の元にいるならどんな目にあってるかは想像が容易(たやす)くて、ラタは大きくため息をついた。見つけたら見つけたであの人も荒れるだろうなと、その時を想像すると眩暈さえしてきそうだった。どうすれば穏便に、せめて騒ぎはレザ男爵の屋敷だけで留めて、シーグルを連れ戻す事が出来るだろうか。
 考えながらも店を出る事にしたラタは、春が近い事で浮かれている街の人々を眺めつつ歩きはじめる。彼が異変に気付いたのはその時だった。

――つけられてる、な。

 おそらくは、酒場を出てからずっと。
 慎重にやってきた筈だが、とうとうどこかに目を付けられたか。
 ただ、追ってきている人物から敵意は感じない。それはつまり、向こうが余程のプロか、はたまた本当に敵意がないのかのどちらかだろう。
 さてどうしようかと思ったラタだったが、試しにわざと人通りの少ない道に入ってみれば、思いの他あっさりと向こうから声を掛けられた。

「えぇっと、少々いいでしょうか?」
「なんだ?」

 振り返れば、相手も顔をフードに隠した怪しげな人物で、彼は頭をペコリと下げると聞いてきた。

「えーと貴方は、もしかしてクリュースの方から来たんじゃないですか? それとも、前にクリュースにいたのでしょうか?」

 声にも気配にも敵意はなく、かといって完璧に自分を抑えたフユのような感じでもない。ただ言っている事はヘタに返事をする訳にいかない内容であるから、フユはどう返すべきか迷って考える。

「あぁその、私は別に貴方を捕まえるとかそういうつもりで声を掛けたわけではありません。ただその、貴方はどうやらクリュースで出回っている魔法アイテムを持っているようなので忠告しておこうかと思いまして。この国では建前上、魔法アイテムの入手も使用も例外なく違法となってますので……お気をつけください」

 こちらが見下ろすくらいの身長差がある為フードで隠した目は見えないが、にこりと口元で笑いかけてきたその人物にラタは少しだけ安堵する。

「あぁ、忠告……感謝する」

 だがそう言ってから、すぐにラタは気付いた。
 何故、この人物にソレが分かったのだろう。魔法アイテムを持っている事が分かるというなら、こちらの常識で考えればその理由は一つ。

「……それが分かるのは、あんた魔法使いか?」

 何故この国で魔法使いに会うのか分からないが、そうであるなら問題は彼が敵かそうでないかである。ラタは体に緊張を張り巡らし、構えはしなかったがいつでも剣に手を置けるだけの心の準備をした。
 その様子を見た相手は、口元に笑みを浮かべたまま幾分か小さな声で言ってきた。

「そちらこそそれが分かるという事は、少なくともクリュースの人間、というかクリュースに長くいた人物という事ですね。まさか向こうのスパイとか」

 ラタは辺りの気配を探る。
 それで今、見える範囲に人がいない事を確認して剣に手を置いた。

「言ったじゃないですか、それが分かったからといって貴方をどうこうする気はなにもないと。ただもし……貴方がここへ人探しに来たのだったら、言っておきたいことがありまして」

 敵意が無い事を示して両手を広げて見せた人物に、ラタも手を剣から引く。
 そうすればその人物はこほんと軽く咳払いをしてから、やはり耳打ちに近い小さな声で言ってきた。

「我が主からの伝言です。返して欲しければ本人が来い。正面からくる度胸があるなら招待してやる――だそうです」

 それが言ったのが何者で、誰を返して欲しいのか。それを向こうは言いはしない。だからそれは分かるものなら伝わる言葉だという事になる。そして当然ラタは、その言葉が示す意味が全部分かった。

「では私はこれで。言葉の意味が分かるなら伝えておいてください」

 そうして大通りに向かって去っていった人物の後ろ姿を見ながら、ラタは表情を険しくして……そうしてすぐ、セイネリアと連絡を取る為に宿へ向かって歩きだした。






「俺はな、結構本気だったんだ」

 言って、手に持っていた杯を一気に呷る。酒に強いレザであるからそうそう酔って正気を無くすことはないが、それにしても相当飲んだと本人も自覚していた。
 まぁいわゆる、やけ酒という奴である。

「結構、じゃなくて思い切り本気だったんじゃないですか?」

 こういう愚痴相手としてはもう慣れたものの、戦場では頼りになる参謀でもある息子は、そう言うと自分のペースを守って一口だけ杯から飲んだ。

「う……そりゃまぁ、な」

 そこをつっこまれると確かにその通りな分、レザの声はどうにも弱気になる。というか何せ愚痴ってる内容が内容な分、いつもの自信家でいられる訳がない。

「まぁそりゃですね、外見も中身もおまけに血筋もとびきりでしたから、貴方がそこまでになる理由もわかります、けど」
「だろ、あれは欲しくなって当然だ」

 うんうんと頷くレザの顔は微妙に緩む。それを見て、難しい顔をして説教モードになるのはこの魔法使いでもある青年のお約束であった。

「といっても、今回ばかりは理性を働かせて欲しかったですね。せっかくの大金を手に入れるチャンスをふいにした訳ですし、もしあの人が国に帰ったら、領主を侮辱したっていちゃもんつけられても仕方ないですよ」
「う……だがあれ見て俺に我慢しろというのは無理だろ」

 こういう状況になるとどうにもレザには分が悪い。追加で注いだ杯を両手で持って、立派な体躯を縮こませてちびちびと酒を舐める姿は、戦場を共にする部下達が見たら凍りつく光景だろう。

「えぇそりゃわかってますよ、貴方がどれくらい節操なしかって事くらいはね」

 その言いようには、さすがのレザも落ち込むより顔を引き攣らせる。

「お前、父親相手に言い方酷くないか?」

 さすがにレザがそう抗議すれば、澄ました顔の全く酔った様子のない青年は、どちらが年上かまったく分からないくらい上から目線で言ってくれる。

「貴方に自覚してもらう為に、こういう事ははっきりきっぱり言うべきだと思いまして。まぁ結局、それだけの国際規約違反から王へ隠し事までした相手を貴方は手放す訳ですからね」
「まだ手放すと決まった訳じゃない」

 どん、と言葉を止める為に机を叩いて吼えたレザを、魔法使いでもある青年は冷ややかな視線で見つめる。

「……簡単に渡してたまるか」

 今度は呟いて、レザはまた杯を呷る。
 同時にラウはため息を付いた。

「迎えにこいって言ったのに?」
「本気で俺より強くて、俺よりあいつを愛してるっていうならだ」
「往生際が悪いですね、だってきっぱり彼にふられた訳でしょう」

 それに今度はレザが黙る。
 だがそれでレザは暫く、澄まして黙々と飲むラウドゥを見つめてから、また唐突に机を叩いて怒鳴った。

「うるさい、ともかく俺より上だっていうならな、それを確かめてからでないと納得できんだろ」

 今度はそれに、いつも冷静な筈の青年までが机を叩き返して言う。

「何子供みたいなだだこねてんですか。彼自身が貴方よりそっちの男がいいって言ってる次点で貴方の負けでしょう。一冬閉じ込めて全力でアプローチしてそれで腕の中で違う男の事思い出させてる時点で負けですよ、これ以上なく完全な大負けです」

 おそらく魔法使いの青年もそこそこに酔っていた所為の勢いで言ってしまったのだろうが、そこまで言われたレザはさすがに落ち込んで、下を向くとテーブルにごん、といい音をさせて額をぶつけた。

「あー……バロン?」

 言い過ぎた事が分かった青年が声を掛けてももう遅く、どうやらこちらも強い筈なのにそれなりに酔っていたらしいレザが、テーブルに額を付けたままぶつぶつと呟き出した。

「うるさい、分かってても納得出来ないものというのがあるんだ……男としちゃこういう場合はけじめをつけなきゃならないだろーが。くそ、そうそう簡単に諦められる訳ないだろ……」

 やがて言葉が途切れて鼾(いびき)が聞こえてくるに至って、魔法使いの青年もほんのり赤くした顔を呆れさせて肩を竦めた。








 アウグとクリュースの国境を砦を通らずに越えるなら、主に方法は2つある。一つは、東から回って山越えをするルート、そしてもう一つはこっそりと西から海を渡るルートである。
 とはいえ後者は現実的ではなく、大抵は前者の山越えとなる。なにせクリュースが対アウグ用の兵力を置いて砦を築いているのが港町ウィズロンのすぐ傍で、当然ながら海も警戒してウィズロンを拠点に海軍がうろついている。海から行くならもっと南の港から船を出して、大回りをしてアウグに向かわなくてはならない。
 ちなみにこのウィズロンは元々はポノという小国に属していて、アウグとは古くから国交があった。だがアウグの侵攻に危機感を抱いたこの街の領主はひそかにクリュースと交渉して保護を求め、その庇護下に入った。そうしてポノという国はアウグに滅ぼされたものの、ウィズロンだけはクリュース領となって無事だったといういきさつがある。
 それだけに国境の街ウィズロンには騎士団の支部があり、多くの兵力がそこに駐留していた。この時代、町人にとっては軍の兵士といえば味方といえど略奪の象徴だが、豊かなクリュース兵は自国内で略奪などする必要もなく、兵士がいる事で流通の便が良くなった事もあって、駐留軍は人々に好意的に受け入れられていて街人は軍に協力的だった。
 そんな背景があるから、漁師にこっそり金を渡して船を借りる、という手も使い難く、海からのルートは最初から諦めて険しい山を越えをする方が現実的だと言えた。とはいえ、山を越えるルートは蛮族達の勢力圏内を通過してアウグに入る事になるため、山越え以外にも相当に危険なルートであった。勿論山越え自体もかなりの難関で、夏場でも大変なこのルートを冬に抜けようとするのは自殺志願者しかいない、とよく言われるくらいには困難な事で有名であり、カリンが止めるのも当然だと言えた。

――俺も、ぎりぎりまでの転送といろいろとアイテムを渡されなきゃ、二度とここを抜けてきたいとは思わなかったがな。

 国境の山を眺めてラタは思う。本当に、当時クリュースへ無事逃れられたのは奇跡だったなと独り言ちる。
 そうして、山のふもとの森で待機していたラタは、山の方からキラリと光る合図を見つけてこちらからもすぐ鏡で合図を返した。

――本当に、すぐ来るんだからな。

 どうやってこの時期、あの山を三日で越えてきたんだと苦笑しながら、ラタはそのまま彼の主である黒い騎士の姿が見えるのを待っていた。



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 次回はレザvsセイネリア。いや、戦闘はないですよ。



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