寄り添う心と離れる手




  【5】



 次にシーグルが気付いた時、隣にはセイネリアの気配があった。
 いや、気配どころではなく、シーグルはセイネリアに寄りかかっていた。今まで眠ってしまっていたらしい。

「起きたか? 丁度いい、そろそろ出来る」

 言われれば確かに肉が煮える匂いがして、シーグルは目の前の暖炉の火に掛けてある鍋を見た。

「お前が作ったのか?」
「それ以外にあるか?」

 言いながら彼がスープを一さじ掬って味見をしている姿を見つめる。

「どうした?」

 シーグルの視線に気付いて黒い騎士は顔を向けてくる。――黒い騎士、とはいっても、今の彼は鎧を脱いでいたが。

「お前が料理をするとか……想像出来なかった」
「そうか? 別に好んでやったりはしないが冒険者として必要なことは一通りは出来る」

 セイネリアの表情は明るく、その笑みは優しい。

「昔、俺と組んで仕事したときは、俺に作らせたじゃないか」
「それはしーちゃんがマトモに料理が出来るか見てみたかったからな。だがその時は俺も肉を焼いてただろ」

 その呼び方をされると気恥ずかしくて、シーグルの顔は赤くなる。というかこの男はこの見た目で昔はあんな茶化した言葉遣いを平気でしていたのだからやっぱりおかしい。

「それは当然だろ、あれはお前しか食わなかったんだから」

 だからつい、返す言葉は昔のようにからかわれて返す時の言い方と同じになってしまった。

「……そういえばお前、好き嫌いは別にないとか言った事があったろ。なんであの時は肉を食わなかったんだ」
「一串に刺さってる肉が大きすぎたろっ、食いきれないものを貰おうとは思わない」
「なるほど、もっと小さく切って刺せばよかったのか」

 そうして喉を震わせて笑う彼を見て、その振動を寄りかかっている所為で体でまで感じてしまって、なんだかシーグルはますます顔が熱くなってくる。それが暖炉の火の所為だけではないのは確実だった。

 というか、何故自分はこうして彼に寄りかかったままでいるのだろう。

 だから慌てて体を起こして彼から離れれば、有無をいわさずセイネリアの手に引き寄せられて元の体勢に戻される。それどころか引き寄せた手で彼はそのまま頭を撫でてくる。その間、ずっと無言なのだから、なんだか自分ばかりが動揺しているようで、どう反応すればいいのかシーグルには分からない。
 どうしようもなくてその体勢のままじっとしていれば、セイネリアが顔をこちらの頭に埋めた。

「何してるんだ」

 自分でも間抜けな事を聞いていると思うが、シーグルはこのまま無言でいるのが耐えられなかったのだ。

「お前の匂いだと思ってな」

 セイネリアの声にはほとんど抑揚がないのに、彼が今どれほど愛おしげな顔をしているのか想像出来てしまう。

「俺の匂いは、すこし変わっている……からか」
「そうだな」
「何かの香水に似てる、そうだ」
「確かにな、だが少し違う」
「そうなのか」
「あぁ」

 どうにか会話を繋げてみたものの、そこでやはり言葉が終わってしまってシーグルは黙るしかない。
 パチパチと爆ぜる火の音しかしない中、この男と二人で静かに寄り添い合っているなんて、前なら想像も出来なかったと思う。更に言えば自分は今、それに安心感を感じているのだから驚きだった。

 たとえば、このまま彼とずっとこうしている事を願うのなら、それは簡単な一言で実現できるだろう。
 そうすればきっと、彼に愛されて、彼に守られて、責任に押しつぶされそうになどなる事なく、彼を頼って、この体温に縋って生きていけば良くなる。

――無理だな。

 それに即そう思ってしまった段階で、やはり彼を選べない。
 彼の傍に居てそれが心地良ければ良いだけ、幸せであればあるだけ、自分はきっと捨てたものの重さに苦しむ。自分に期待してくれた人、自分を愛してくれた人達への罪の意識に耐えられなくなる。

 だけれど――……。

 シーグルには今回分かってしまったことがあった。レザの元にいて自分が行方知れずになっている間、どうしているのか気がかりで心配で仕方なかったのはセイネリアの事だった。それは確かにレザに抱かれていた所為というのもあるのだろうが、シーグルにはそれで分かってしまったことがあった。

 もし、自分が死んだら。もしくは二度と戻れなかったら。

 家族や部下達は嘆きながらも、残された家をどうにかしてくれるだろう。兄か弟が家を継ぎ、ロージェンティもそれを手伝ってくれるだろう。部下達も協力してくれるに違いない。例え彼らがどれだけ自分の死を嘆いたとしても、きっと前を向いて自分が出来なかった事を果たしてくれると確信できた。
 けれど、シーグルがいなくなったあとのセイネリアのことを考えると……どうやっても建設的な未来が何も見えなかった。彼が嘆き、怒り――そこから立ち直る姿が見えなかった。それが怖くて、彼のことばかりが心配だった。彼ならいつかきっと強いセイネリア・クロッセスに戻るに違いないと思っても……思い込もうとしても、不安で不安でそれを信じ込む事さえ出来なかった。
 彼を選べないくせに、彼が一番自分を必要としている事を本当は分かっている。

 飽きる事なく自分の髪に顔を埋めている男に、シーグルはいいそうになる。愛している、とその一言を。







 夕食が終っても、ラタは小屋にくることはなかった。
 いくら彼が優秀でも、この時間に森へ一人で入ってくる事もないだろうと考えれば、彼は今日中に来る事はもうないかとシーグルは思う。
 となれば当然、寝る時もセイネリアとの二人だけになる訳で、しかも第三者の目が全くない、誰の目も気にする必要がない状況となる。
 であるならほぼ必ず、自分はセイネリアに抱かれる事になる。ここで彼が抱かない理由がないのだから、今夜は彼とそういう事になるのは当然だろうとシーグルは思っていた。今までの事を考えればそれは疑う余地もなく、だから、そろそろ寝るかと言われた途端に、体は緊張に包まれて、動悸はやたらと早くなる。体が彼を思い出して熱を持ち出す。
 暖炉の火を消して、代わりに保温の為の粉を掛けると、セイネリアは小屋の中に置いてあった上掛けを持ってくる。それから寝転がると、固まったまま動けないでいるシーグルに向けて不機嫌そうな目を向けた。

「何をしている。来い」

 あぁ、とかろうじて返事を返すと、シーグルものろのろとセイネリアの傍に近づいていく。内心相当動揺しながらも彼の傍に横になれば、やはり強引に引き寄せられて抱き込まれる。
 そうなれば、思わずシーグルは体を固くして身構えてしまうのも仕方ない。
 だがそうしていても彼の腕は自分を抱き込んだだけで止まってしまって、彼の頭は自分の頭の上で収まりのいい場所を暫く探すだけだった。やがてそれが動かなくなってしまったと思えば、彼が寝てしまったのを気配で感じて、シーグルは安堵というか盛大に気が抜けてその場で大きく息をついた。

――こいつも、実は相当疲れていたんだろうか。

 そんな事を考えながらもちらと眠る彼の顔を見上げて、寝ている事を再確認してからおとなしく彼の胸に寄りかかる。ほっとした所為か睡魔も急にやってきて、彼の心臓の鼓動を聞きながら、この数日で慣れてしまった男の体温を感じてシーグルもまた眠りについていた。





 そうして、朝になって。
 起きて、ふと顔を上げたところでセイネリアと目があってシーグルは驚いた。このところ毎日彼に抱き締められて寝ていたもののいつも先に起きるのは自分の方だった為、心の準備が出来ていなかったというのもある。だから、何処かまだ眠気を残したままの頭が彼を見た途端一気に起きた。
 そしてまた、ぱちりと大きく目を開いたシーグルを見て、朝の光を吸った金茶色の瞳が細められて微笑んだのだから、シーグルは文字通り何も言えなくなってしまった。

「おはよう。よく眠れたか?」
「あ、あぁ」
「それなら良かった」

 言いながら嬉しそうに顔を近づけてくるから、てっきりキスしてくるものだと思ったシーグルは首を竦める。そうすれば彼の顔はこちらの顔を逸れていき、首もとに軽く埋められる。そしてすぐに顔をあげたセイネリアは、そこから起きあがって手早く身支度をすると、鉄のポットに水を入れ、手際よく暖炉に火をつけた。

 いくらその手の事に鈍感だと言われるシーグルであっても、ここまでくれば彼がわざとその手の接触をしていないというのはわかる。
 とはいえ、その理由はわからない。

「いつまでぼうっとしてる気だ。顔くらい洗ってこい」

 そう言って指さされたボウルを見て、シーグルは急いで起きあがるとそれに水を入れた。
 セイネリアの方を見れば朝食の支度をしているところで、やはりその手際の良さに感心する。考えれば確かに、セイネリアは自分より長く冒険者として仕事をしてきた訳だし、それ以前に樵の弟子などしていたのなら食事の支度くらいはずっとやらされていたのかもしれない。子供時代は貴族として身の回りの事はたいてい人にやってもらっていた自分より、彼の方が生活能力があるのは当然と言えば当然だ。
 ただその分、勉強はともかく、ずっと訓練に打ち込んでいた筈の剣で勝てないのは悔しいが。そこは体格もあれば訓練の質にもよる為文句を言っても仕方ない。

「シーグル、朝飯にするぞ、食えるか?」

 言われて振り返って、器から立ち上る湯気を見ながらいい匂いだと思った時点でシーグルは返事をした。

「あぁ、少しなら」
「わかってる、お前のぶんは少なくしておいた」

 嬉しそうな彼の返事が少し恥ずかしくて、シーグルは顔を背けると急いで途中までだった体を拭くのを終らせて服を着なおした。セイネリアはどうやらこちらを待っていたらしく、シーグルが座った途端に食べ始めた。それをちらと見て、食前の祈りを呟いてからシーグルも食事に手をつけた。
 昨日の残りのスープに違う香草を足して少し麦を入れて煮たスープは、軽くとろみがあって食べていると体がじんわりと暖かくなる。美味しいと思っても食べる気がなくならない時点で、最初は少々量が多いかと思ったが、このくらいなら食べられそうだとシーグルは思う。
 今朝は久しぶりにケルンの実を食べなくても済みそうだ。それが嬉しくて思わずシーグルが呟く。

「美味いな」

 そうすれば黙って食べていたセイネリアの手が止まって、こちらを見ているのにシーグルは気付いた。セイネリアはシーグルが顔を向けた事で僅かに口元を緩ませた。

「なら良かった、食えるだけ食え」

 なんだかそんな穏やかな笑い方は彼らしくなくて、見ているだけで恥ずかしくなって、シーグルは顔を下に向ける。そうすれば何事もなかったようにセイネリアはまた食べだすから、気まずいまま何も言わず、シーグルもそのまま食べるしかなかった。

 食事が終って、大雑把に片付けやら昨日使った上掛けを干したり等した後、セイネリアが外に出ていった間に先ほど中断した続きで体を拭いていたシーグルは、外の小屋裏の方から何か規則正しい高い音がしてくるのに気付いた。最初は分からずすぐにピンと来なかったシーグルだったが、それが何か察すると、思わず我慢できずに外へ出て彼を見にいってしまう。
 小屋の裏は壁ぞいに薪が重ねて置いてあって、その傍にある大きな切り株の台の上で、思ったとおり、セイネリアが薪割りをしていた。
 上着を完全に脱いで上半身裸のセイネリアが、大きな斧を軽々と持ち上げては落としていく。カン、と小気味いい音が響く度に台の上の木が綺麗に真っ二つに割れる様と、彼の腕の動きに合わせてその筋肉が動く様を、シーグルは呆けたまま暫く見蕩れていた。
 おそらくセイネリアは最初からそれに気付いていたのだろうがすぐに声を掛けてくる事はなく、シーグルが黙ってそこを動かずにいた事で、キリのいいところで手を止めると声を掛けてくる。

「お前、もしかしたら、薪割りをしたことがないのか?」

 唐突の言葉に、シーグルは一瞬戸惑ったものの少し気まずそうに視線を外して答えた。

「……あぁ、ない」

 セイネリアはにやりと少しばかり意地悪そうに笑って、シーグルに手招きした。

「ならやってみるか?」

 そこで素直に彼の傍に行ったのは、やった事がないのが悔しかったからに他ならない。しかもセイネリアの顔が、いかにも『だろうな』という表情をしていたのも癪だったというのがある。

「斧を持ったことは?」
「小型の戦斧だったら」
「まあ、確かにお前だとそんなところか。刃の重さに任せて振るのは同じだが、人間相手じゃないからな。敵に警戒する必要はない分ゆっくり狙って、刃の重量を落す位置に向けて誘導してやる感覚だ。何、お前なら体幹が出来てるからコツさえ掴めばすぐ出来るさ」

 見た目だけでなく、セイネリアから受け取った斧の重さは相当で、持った途端一度腕が下がってしまった様子を見たセイネリアが肩を揺らして笑う。それを睨みつければ、気が抜ける程素直に謝った彼は、頭を撫でながら『俺用にあわせてあるから重めなんでな、お前が非力という訳じゃないから安心しろ』なんて言ってくれる。
 それから、まるで自分を後ろから緩く抱き締めるように斧を持った手の上から一緒に斧を持ってくれて、説明しながらゆっくりと斧を上げて下ろすまでの一連の動作をやってくれる。

「腕で振り下ろすんじゃなく、刃の重さをそのまま木の上に落としてやる感じだ。重心を意識して重さの流れをコントロールするのは剣と同じだ、得意だろ」
「あ、あぁ……」

 それでも離されて最初に一人でやってみた薪割は木の中心に当たらず、割るというより削り取ったような感じになる。それが悔しくて薪を置き直し、もう一度やってみる。先ほどよりはいいものの、やはりまだ綺麗にセイネリアのような真っ二つにはならなくて、そうなると集中する、というかムキになってちゃんとできるまでやろうとするのはシーグルの性格上仕方なかった。

「いい加減にしておけ、昼飯にするぞ」

 その声で手を止めた時にはかなりの時間が経っていたらしく、割れた薪が辺りに散乱した様子に我に返ってシーグルは呆れた。

「片づけは後でいい、お前は知らんが俺は腹が減った」

 笑いながら近づいてきた彼はそう言いながら肩を抱いてきて、片手で斧を受け取るとそれを無造作に台に刺した。
 あの重さを軽々と片手で振り回せるのだから、やはり彼は化け物だ。そう考えてため息が出てしまえば、上機嫌のセイネリアは調子に乗ってそのままシーグルを抱き上げた。

「おいっ、何をっ」

 勿論シーグルは抗議する、暴れもした。……当然ながら、無駄ではあるが。

「お前、疲れて足がふらついてるだろ。俺は急ぎたいんだ」
「なら先に行け」
「冗談を言うな、外にお前を放っておけるか」

 その言葉の意味を計りかねてシーグルは黙る。いや、せめてまだ担がれた方がマシだと思いながらも、どう言い返そうか考えている内に小屋の入り口まで着いてしまった。

 それからまた、昼食はセイネリアがイモのスープを作ってくれて、シーグルもそれを食べる事で食事を終えた。





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 幸せないちゃいちゃモードです。存分ににやにやしてやってくださいませ。



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