寄り添う心と離れる手




  【7】



 夜になって少し風が吹いてくると、窓がガタガタと音を鳴らしだす。部屋の中はパチパチと火がはぜる暖炉の音に、その窓の音と風がびゅうと鳴る音が混じってにわかに騒がしくなる。
 そうしてシーグルは、昨夜と同じく、セイネリアに寄りかかって暖炉の火を見ていた。
 彼は何も言わない。
 ハーブ茶が入ったカップを両手で持ち、シーグルもまた何も言えずにいた。
 ただ、セイネリアの手はゆるく抱くようにこちらの肩から頭に乗せられていて、時折手だけが髪の毛を優しく梳くように動いていた。そんな今が泣ける程心地良いのだから、もう自分の心を騙す事は無理なのだろうなとシーグルは思う。

 レザの元で、あの男に抱かれる度に嫌だという感情が膨らんで行った。それを抑えつけるために酒で頭を騙していた。今自分を抱いているのはセイネリアなのだと、そう思い込む事で男に体を明け渡した。

――俺は、こいつが好きで、欲しくて……愛してる。

 考える度、口元に苦い笑みが湧いて泣きそうになる。苦しくて、苦しくて、胸が痛い。それでも彼を選べない――最後は必ずそこにたどり着くから。

「セイネリア」

 思い切って名を呼べば、彼がまったく気配を崩す事なく返事をしてくる。

「なんだ」

 声は穏やかで、優しくて、満ち足りていて。彼も今、こうしていることが幸せなのだと分かってしまって、今を壊す言葉が出せない。

「ラタは、今日もこなかったな」

 それでも思い切ってそう尋ねれば、セイネリアはやはり気配そのままに「そうだな」とだけ自然に答える。

「そんなに、遠い村に行っているのか?」
「いろいろと仕事を頼んでいる」
「そうか、明日には来れるのか」
「さぁな、あいつも疲れてるだろうから、着いたら一度宿を取って休んでいいと言ってある」
「そうか、なら遅れても仕方ないな」
「あぁ、仕方ない」

 いいながら、彼のその声にどこか安堵した響きがあるのがシーグルには分かってしまった。強い腕がこちらを引き寄せて、また顔をシーグルの頭に埋めてしまってから、微かに震えて吐き出された彼の息継ぎの音を聞いてしまう。彼が何かを言い掛けて、それを飲み込んだことを察してしまう。

「セイネリア、お前は……」

 けれど思い切って口を開いた直後、言葉はセイネリアに遮られた。

「昔……強い男がいた」

 ぽつりと呟くような彼の声に、シーグルは思わず口を閉じる。彼の顔を見ようとして顔を向けたものの体勢的に見れなくて、シーグルはただ彼の声を聞くことしか出来なかった。

「そいつは周囲におそれられる程強かったくせに、結婚した後、家族の為に冒険者をあっさり引退して人に雇われる生活をして満足していた。俺にはその男が理解出来なかった、それだけの力があるくせに上を目指す事を諦めた負け犬だと思っていた」

 セイネリアの声には抑揚はない。けれどそれはいつものように彼が意識して出している感情を消した声ではなく、どこか呆然とした、彼らしくないふわりとした響きの声だった。

「結局、最後は娘の為に意味もなく戦って笑顔で死んだそいつの考えが……俺には分からなかった。ずっと……分からなかったのに、な」

 呟きは最後の言葉と同時に感情を纏う。彼が軽く喉を鳴らしたのが、肩に響く振動で分かる。

「笑えることに、今の俺はそいつが羨ましい。奴が笑って死んだ理由も、奴がどれだけ幸せだったのかも分かるんだ」

 彼の言いたい事が分かるようで、でも何か違う気もして。ただ分かる事は、確実に今、彼はおそろしくセイネリア・クロッセスらしくない顔をしているだろうという事だった。だからシーグルは、競りあがってくる不安にたまらず彼の名を呟いた。

「セイネリア……」

 そうすれば彼はシーグルの頭を更に引き寄せて、何も言わずにそこに顔を埋めたままただ震える息を吐く。その沈黙と、彼がしているだろう顔を想像するのが怖くて、いてもいられずシーグルは開いた唇の言葉を無理矢理続けた。

「そう……だ、そういえば、お前はどうして我が家がシルバスピナという名を建国王アルスロッツから賜ったか知っているか?」

 僅かの沈黙の後、少しだけセイネリアが顔を浮かせたのが分かる。

「その銀髪からだろ。だから、お前の家は代々銀髪の者が継ぐ事になっている」

 返す声は平坦であまり力がない。ただ彼の指は髪に触れて、それを優しく梳いてくれる。

「あぁ、その通りだが……なら何故、シルバスピナ家が他領主に比べてあれだけ狭く、しかもあんなに王都に近い領地を貰ったかも知っているか?」
「……いや、それは知らんな」

 それでセイネリアが顔を上げてくれたので、シーグルは彼の顔が見えた事に安堵した。

「アルスロッツと彼と共に戦った者達のうち、国を作った最初の8人は同じ部族出身で、アルスロッツを含めた7人はその部族の有力者の息子達だった。彼らは自分の村が襲撃された時、父親達に言われて村人達を連れて逃げたんだ。……ところが彼らのリーダーである族長の息子は村に戻って死んでしまって、それで仕方なくまとめ役としてアルスロッツが選ばれたんだが……それは何故だと思う?」
「普通は、一番強かったからとなるが」
「その逆だ、どの息子連中も血気盛んで腕に自信がある中、アルスロッツだけが剣も使えない腕力もないという青年だったんだ」

 セイネリアの口元が僅かに緩む。

「確かに、それは面白いな」

 話の内容に興味を持ってくれたのか、こちらを見る琥珀の瞳から苦し気な色が消えていたのを確認して、思わずシーグルは笑みを浮かべた。

「だろう? ただだからこそ要領が良かったそうで、血の気の多い連中を宥めて仲裁役が出来るから彼がまとめ役に選ばれた」
「なるほどな」
「……その時代、男に生まれて戦士としては役立たずというのは相当に恥ずかしい事だったそうだ。だからアルスロッツの父親は戦えない息子の代わりに戦士として有望な青年を息子の側近として付けていた……それが最後の一人で、我が家の祖先という訳だ。つまりシルバスピナだけは、最初からアルスロッツの直接の部下だったんだ」

 どうしてこんな話を始めてしまったのだろうと思っても、セイネリアが興味を持って聞いてくれるのが嬉しくて、シーグルは努めて明るい声で彼に話す。
 建国王アルスロッツの話はこぞって吟遊詩人達が詩にしているが、その内容は主に魔法使い達と手を組んだ後の、敵を打ち倒し、辺りの国を併合して大国となっていくまでの話ばかりだった。だから一般的には、この辺りの……自分たちで国を作ろうと決めるまでの話は殆ど伝わっていない。

「彼らが興した国がどんどん大きくなっていけば、名ばかりのリーダーだった筈のアルスロッツはいつしか王と呼ばれ、同格だと思っていた仲間達は彼に跪くようになった。アルスロッツは相当納得いかなかったそうだが、実際彼の決断と機転によって敵を倒し、国は大きくなっていったんだからな」
「……そうか、それで旧貴族は基本的には王族と同格扱い、などと言い出したわけだな」

 セイネリアがそれで軽く笑った事で、シーグルも更に笑みが深くなる。

「そう、皆から持ち上げられるのが嫌だったアルスロッツの最後の悪あがきだと臣下――かつての仲間達は言っていたそうだ。ただ流石にそのままの法だと世継ぎ争いがとんでもない事になると、臣下達から提案されてしぶしぶ王族の特別性が追加されたそうだ」

 シルバスピナ家に来て最初にその話を聞いた時から、シーグルは建国王の話が好きになった。なにせこの程度の話だけでも、一般的に知られている英雄的な部分の下のその人間味溢れる人物像が分ってしまって、なんだか親近感が湧いてしまったからだ。

「最初からアルスロッツの部下であった初代シルバスピナ卿は、他の仲間達が皆自分より身分が高い事を分かっていたから、貴族の名を貰って領地を分けるという話になった時に王に言ったんだ。自分は一番小さい領地でいい、ただ王に何かあった時真っ先にはせ参じる事が出来るように王都に近い場所にして欲しいと」

 だから王は、その言葉通りの地をシルバスピナ卿に与えた。リシェは場所柄王の直轄地になると思っていた為、他の領主達はそれに相当驚いたらしい。領地としては狭いながらもあんな金になりそうな場所をわざわざ臣下にやる必要はないと、王に進言する者は後を絶たなかった。それらの意見を全て却下して、リシェという土地をシルバスピナ卿に渡したのは王がそれだけ……シルバスピナ卿を部下として大切に思ってくれていて、彼の働きに感謝してくれていたからだろう。だからシルバスピナ卿もまた、何があっても自分の家は王を守る騎士であろうとしたのだ。

「王の答えがリシェなら、王は相当にお前の祖先を離したくなかったんだろ」

 セイネリアが呟くように言って、シーグルの頭にまた顔を埋める。その口調からは、おそらく笑みを浮かべているだろう事が予想出来て、シーグルも体の力を抜いて彼に更に寄り掛かる。

「最初からずっと自分に付いていてくれた部下というんだ、離したくない、だがその働きに見合うだけの地位をやりたい……それでリシェとなったんだろ?」
「あぁ……そうだな。だからシルバスピナ家は、例え代が替わっても、ずっと王を守る騎士でありつづける事でそれに報いろうとしたんだ」

 その話を聞いた事で、シーグルは自分が家を継ぐ者である事に誇りを感じる事が出来た。ただ家族の為に家を継ぐというだけでなく、その立場である事に誇りを持つことが出来た。

「最後まで王を守る部下であろうとした家、か――皮肉なものだな」
「セイネリア?」

 ふと、セイネリアがシーグルの髪を指で梳きながら呟いた声は言葉通り皮肉めいていて、シーグルは思わず彼の顔を見ようと顔を上げる。だが彼は黙ったままで、それ以上言葉をつづけようとはしなかった。
 けれど、シーグルもすぐに彼の言葉の意味を理解する。かつてアッシセグで彼に会った時の現王への忠告を。王がシルバスピナ家をどう思っているか、その現状を。

 シルバスピナ家はずっと王を守る騎士であり続けようとした――けれど現在、王を継いだ者は、疑心暗鬼に陥りその部下を邪魔に思うようになった。

 そう考えて、ふとその図が黒の剣が出来た時の話のようだとシーグルは思った。王に仕えた大魔法使いギネルセラは、疑心暗鬼に陥った王によって無理矢理剣の中に魂を封じ込められた。

「仕方ない、個人でさえいつまでも変わらない訳にはいかないんだ。世代が替われば最初の思いも変質し、失われていく」

 呟くように返したシーグルの声は、妙に緊張した、不自然な声になっていた。

 そう、王とギネルセラの関係は、今の王とシルバスピナ家とは違う。こちらは所詮、世代が代わっていて本人ではない。ただもしかしたら、王に裏切られたギネルセラがそれだけの憎しみを持つくらい、彼らは君主と臣下としてかつては心通じていたのかもしれない――そう考えるとシーグルはギネルセラに同情してしまいそうになる。そして王も――話だけを聞くと愚かで臆病な王と思えるが、頂点を掴む前の王は本当は野心がありながらもいい王だったのではないかとも思えてくる。誰もが馬鹿にした魔力のない騎士を認め、魔力がありすぎて不自由をしている男の言葉に耳を貸す度量があったのだから。

 そうしてまたシーグルは思う、セイネリアに聞かなければ、と。黒の剣を手に入れた事で、彼の何が変わってしまったのか、彼に何が起こったのか――おそらく聞けば、彼は答えてくれるだろう。

 シーグルの緊張をセイネリアが察したらしく、彼は顔を上げるとその大きな手でシーグルの頭を自分の胸に抱き込んで髪をくしゃりと撫ぜてきた。

「話はこれくらいにして、もう寝るぞ。お前も今日は疲れたんだろ」

 優しい声で言われた途端、体から緊張が消える。
 それから今度は体毎抱き寄せられて一緒に横にさせられる。
 優しい金茶色の瞳が自分を見下ろしてくるのを感じれば、安堵して自然と彼の体温に縋りついてしまう。

「おやすみ……セイネリア」
「あぁ、おやすみ、シーグル」

 目を瞑れば彼の体温に包まれて、優しく髪を撫ぜてくるその手の感触を感じて、シーグルの意識はすぐ睡魔に奪われた。





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 おだやかないちゃいちゃモードはここまで、次回はセイネリアの意図が分かります。



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