寄り添う心と離れる手




  【9】



「やっぱりお前、わざと俺を抱かなかったんだな」

 彼に気付くようにやっていたのだから気づいて当然ではある。
 だが彼がその意味まで分かっているかは別だ。

「そうだ。ここでの俺は、かつてお前が俺に望んでいた姿だった筈だ。お前が共にいてくれるというなら、お前の望む姿でいてやる」

 シーグルが自分に何を求めていたか、それをセイネリアは分かっていた。幼い頃に家族から引き離され、誰にも甘えられずに育った彼が自分に何を求めていたのか、セイネリアは分かっていた。それがセイネリアの望む形とは違っていても、彼がそれで自分の腕の中で満たされてくれるというならその姿でいてもいいと思った。だからそれを示した――無駄な足掻きと分かっていても、彼が欲しいものを与えられるのだと示してみせた。
 驚いたように一度目を見開いたシーグルは、それから自嘲ぎみに唇を歪めた。

「確かに俺は……お前が裏切らず、あのままずっとお前と友人でいられたらと思っていた。だが、今は違う」

 そうしてまた、そっと指を伸ばして指先でセイネリアの頬に触れてくる。
 それを睨む勢いでセイネリアは見た。

「何が違う?」

 こちらを見つめるシーグルの瞳と目が会う。
 彼はその濃い青の瞳を逸らさずに向けてきたまま、ごくりと息を飲んだ。

「俺は……」

 そうして彼は苦しそうに告げる。

「俺は……俺も、お前を愛してる。お前が欲しい、お前に抱かれたい」

 セイネリアがそこで瞳を見開く。
 シーグルは苦し気に眉を寄せながらも、はっきりと目をそらさず合わせたまま言葉をつづける。

「俺はレザの元でずっとあの男に抱かれていた……その度に嫌で堪らなかった。お前以外に抱かれるのが嫌だった。それで……気づいたんだ、俺はお前にだけ抱かれたい。そう思うくらいお前を愛してるんだと」

 望んだ言葉を何処か呆然と聞いて、セイネリアの腕が緩む。すると逆にシーグルの方からこちらに抱き付いてくる。彼の体温と彼の匂いを強く感じて、彼の言葉が頭の中に入ってくると、それは喜びになる前にセイネリアの中で悲しみに変わった。

「お前は……それでも……俺を愛しているのに、それでも俺を選んでくれないのか?」

 それは感情から出た素直な言葉だった。

「お前を愛してるから――選べないんだ」

 シーグルのその言葉を頭で理解しても尚、感情は何度も頭の中で叫ぶ――何故愛していても自分から去るのだと。理性は分かっているのに、感情はそれを分からない。分かりたくないと叫ぶ。
 口を開けば彼を責めそうで、何度も言葉を飲み込んで……そしてセイネリアは、告げるべきかどうか最後まで迷っていた、彼に対する最終手段でもある言葉を告げる事にする。彼を引き留めるための手札はこれが最後だった。

「お前が帰らなくても、お前の役目を果たすものはいる。お前はシルバスピナの当主として最後の役目をはたしている」

 すぐに察したシーグルの声が変わる。

「どういう事だ?」

 彼が帰らなくても許される最大の理由。――けれども告げれば、おそらく彼は帰ると言うだろう。それでもどうせ最初から可能性のない望みなのだからと、最後の手札を彼に告げる。

「お前の息子がいる。……お前がアウグにいる間に、ロージェンティ・シルバスピナは子を産んだ。お前と同じ銀髪の男児……次代シルバスピナだ」

 シーグルが息を飲んで、そうして大きく息を吐き出す。

「……本当に?」
「本当だ、だからお前が帰らなくても、シルバスピナを継ぐ者はいる」

 彼の声には信じられないという思いと、そして喜びがある。
 それを理解した時点で、セイネリアは全ての望みが絶たれた事を知った。

「そうか……そう、か……俺の、子……ロージェが」

 彼の顔に浮かんだ笑みを見て、その笑みが彼の息子と彼の妻に向けられている事にセイネリアは嫉妬する。――そう、おそらく、この感情は嫉妬なのだろうとセイネリアは思う。シーグルが望むものでセイネリアが与えられないもの――自分が彼を引き留める為に彼に示した全てよりも、それが勝るという事をセイネリアは思い知る。

「シーグル」

 名を呼べば、すっかり頭がこの場から離れてしまっていたシーグルが、気づいたように自分を見る。
 明らかに自分に対して申し訳ないという顔をするシーグルを、セイネリアは敗北感に苛まれながら見る事しか出来なかった。
 そうして彼は、今度は迷う事なく、真っ直ぐセイネリアの瞳を見つめる。

「すまない……だめだセイネリア、それでもお前とはいけない。ここで俺が子供に全ての責任を押し付けてお前と行ったら、俺は父と同じになってしまう。だから……だめだ、すまない」

 完全に迷いさえ消えた彼を見て、ここへ残る可能性がゼロになった事を理解したセイネリアには、もう、恨み言を言うくらいしか出来る事が残っていなかった。

「お前はいつも、俺には何もくれないんだな」

 こういう時の彼は、迷いがないからこそ謝るだけだ。

「すまない」
「俺が何をしても、お前は俺を選ばない」
「すまない……」

 あぁ本当に、なんと無様でみっともない姿だろうと、セイネリアは自分の事を嘲笑う。けれどもまだ、感情が諦めきれない。未練がましく、彼を離したくないのだと心は叫ぶ。

「お前に何かある度に、俺がどれだけみっともなく怯えているか分かるか? 最強などという言葉が笑い飛ばせる程、お前を失うのではないかと恐れて……怯えて、狂いそうになる」
「セイネリアっ」
「お前の事を考える度……どれだけ力を手入れたところで、本当に欲しいもののためには無力だという事が分かるだけだ」

 いっそもっと無様な姿を見せれば、彼は思い知るだろうか。
 セイネリア・クロッセスがどれほど本当は臆病で、彼が必要なのか、彼に見せてやろうか。
 自虐的な考えが口元の苦い笑みとなれば、唐突にシーグルが強くセイネリアを抱きしめてくる。

「セイネリア」

 腕の中の愛しい彼を見下ろして、セイネリアは反射的に彼の頭に手を置いて、その銀色の髪に指を入れる。すっかり朝になった部屋の中で、彼の髪は更にきらきらと輝いていた。

「お前を、愛してる。それは本当なんだ。だからこそいけない……俺は帰らなければならない。だから……」
「だから?」

 黙ってしまったシーグルに聞き返せば、その手がセイネリアの服を掴んできつく握られる。

「……だから、その前に一日だけ……全て、お前にやる。帰る前に一日だけ、俺は他の全てを忘れてお前だけのものになる、それくらいしか……俺は、お前に渡せる物が思いつかない」

――これだけ示しても、俺が手に入るのはお前の一日だけなのか。

 勿論、理性では分かっている。彼にはそれが限界だろうと。彼という人間なら、その一日だけでも全てを裏切るのはどれほどの覚悟が必要か――それは分かっている。だからこれ以上を彼から望めない。ただ黙って手放す事に比べれば、彼の全てを一時的とはいえ手に入れられるなら十分ではないかと理性は結論づける。
 それでも今、それを了承してしまったら、彼を手放すしかないのだとそれも分かっている。

「お前は……本当に、酷な事を言う」

 だからセイネリアには、それに返事を返せない。彼の差し出す物を受け取るとも、はねつけるとも言えない。
 そうすれば、シーグルの両手がセイネリアの顔を掴んで固定し、そこに彼は自分から唇を押し付けてくる。それに驚いたセイネリアは、だがすぐに自らも彼の唇に唇を押し付け、思うまま彼の口腔内を感じる。舌を擦り合わせれば彼からも返されて、その感触を感じて、舌同士を絡ませて粘膜の交わりをかわす。互いにずっと抑えていたものをぶつけ合うように、激しく唇を求め合って、相手の口内を味わって、何度も、何度も、唇を合わせなおして交互に噛みつくように唇で交わる。
 そうして、呆れるくらいに夢中で唇を求めあってから……どちらともなく唇を離して、目を合わせて、すっかり情欲に上気した顔でシーグルが言った。

「愛してるセイネリア。今だけ、俺の全てはお前のものだ」

 そうして再び口づけてきた彼を、セイネリアが拒める筈はなかった。

「ずるいな、お前は」

 そしてまた、朝日に照らされた部屋の中で飽きる事なく唇を求め合う。互いに相手が愛しいのだと、それを伝える為に、抱き合いながら、体を擦りつけ合いながら。顔を撫で、髪を撫で、服を脱がし合いながらも唇だけで求め合う。二人ともがすっかり裸になってしまっても尚、唇でつながったまま、抱きあって体を擦り付けあっているだけで体はもうすっかり熱に支配されている。キスの合間に漏れるシーグルの甘い声だけで、セイネリアはすぐにでも彼の中に入りたくて抑えきれなくなる。

「セイネリア……お前を感じたいんだ」

 熱い声を隠すこともせず彼が言う。

「……どれだけ俺が堪(こら)えていたと思ってる」

 キスをしたらきっと耐えられなくなる。それを分かっているからこそ、セイネリアは彼にキスさえしなかった。彼の存在を、その体温と匂いと感触で感じる事だけに留めた。

「愛している、シーグル」

 唇が離れた合間に呟けば、彼からも望む通りの答えが返って来る。

「俺も、お前を愛している、セイネリア」





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 次回エロです。



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