その濁りない青に
セイネリアとシーグル(騎士×騎士)の出会い編です。





  【プロローグ】



 それは、珍しくもない、不幸な一場面。


「なんだ、お前達は」

 まだ少年らしい高さを残す、けれども強い声が、ハッキリと彼の前にいるだろう男達に向けられる。

「おー、威勢いいなぁ」

「坊主、昨日の試験で騎士になったばかりだろ、そのほっそい体で剣が振れるのかぁ?」
「触るな、用があるならまず名乗るのが礼儀じゃないのか」
「礼儀かー、いいねぇ新人君、真面目なところもそそるねぇ」

 がしゃがしゃと、鎧がぶつかる音、男達の笑い声。
 音だけで、今がどういう場面かはセイネリアには大体予想がついた。こういうシチュエーションは別に珍しい事ではない。ただ、捕まっただろう恐らく成り立ての騎士の少年の運が悪かっただけの事だ。

 助けるべきか?

 一瞬だけそうは思ったが、すぐにまたセイネリアは興味もなさそうにごろりと藁の上に横になる。
 ここは、騎士団内の厩舎の中、セイネリアは自分の愛馬の横で昼寝中であった。
 そしてその厩舎のすぐ外で起こっているだろう出来事は、新人の騎士が古参騎士の性質のよくない連中に捕まって、これからお楽しみに入ろうというまさにその時というところだ。

 騎士、といえば名誉と秩序を重んじる紳士的なものを思い浮かべる者も多いが、実際はそんな連中ばかりというわけではない。特にこの国では、冒険者に門戸を広げるために称号を受ける為の敷居は低く、表だって素行に問題がなければ、腕に自信があるなら成る事はそこまで困難ではない。他の国では常識の、貴族の出という条件さえ必要ない。

 ――この自分でさえ、なれたくらいだからな。

 セイネリアは、緩く口元に笑みを浮かべて思う。

 騎士になった後もいろいろ規則はあるものの、結局は表だって違反をしなければいいだけで、見えないところで好き勝手をしている者は珍しくない。しかも、一見規律正しく見える正規騎士団の所属騎士達の方が、抑制されているものが多い分、裏で犯罪にならない程度のストレス解消をしていたりするから性質が悪い。

 定期的に行われる試験に合格すれば騎士になれるこの国のシステムでは、他国のように騎士になった者に対して華やかな式典を催したり等という事はない。試験に合格した後は後日騎士団へいって、騎士団のエンブレムと証明書を貰えばそれで騎士として認められる。騎士団に正規所属するものは、その後厳しい訓練の日々となるのだが、所属しない者は晴れて自由な冒険者生活となる。大抵の者は後者だ。
 だが、所属している正規団員連中からしてみれば、肩書きだけが欲しくて騎士になった連中を快く思っていないのは当然の事で、だから新人騎士が証明書を貰いに来た時に、公にならない程度でウサを晴らす、というのは昔からの慣わしのようなものだった。
 その中でも最低なのは、見目のいい新人に性欲処理の相手をさせるというもので、これは歳若い男ばかりが狙われていた。というのも、女の場合は訴えられたり、露見した場合に完全に罪になるのが、男相手の場合は暴力沙汰という事で厳重注意と軽度の罰で済むからだ。それ以前に、男がレイプされたと訴える事はまずないというのもある。
 金の掛からない性欲処理として、新人騎士がうろうろする時期は、騎士団内のあちこちでこういう事が起こっている。……ただし、さすがに目に見えるところで手を出す馬鹿はいないから、こんなところにのこのこ誘われてやってくるほうが悪い。

 ――まぁ、手痛い社会勉強とでも思うがいいさ。

 わざわざ助ける義理もない、とそう呟いて、セイネリアは体をそのまま昼寝の体勢に戻した。

「いてっ、こいつ噛み付きやがった」
「暴れるんじゃねぇ、くそっ、見た目より結構力ありやがる」

 新人の割には、なかなかに善戦しているらしい。
 馬鹿どもは押さえつけるのに手間取っているようだ。
 ふむ、と一瞬だけ考えて、セイネリアは起き上がった。
 外では未だに、鎧のぶつかる音や、物や人がぶつかる音が派手にして、壁に何かが当たる度に、馬達が落ち着かない様子で鼻を鳴らしている。

「おいっ、そっち回れっ」
「とにかく押さえ込んじまえっ、捕まえちまえば抵抗できねーだろ」

 声から判断するに、襲ってる馬鹿連中は3人くらいだろう。それを一人で、どうにか抵抗しているならたいしたものだとセイネリアは思う。
 だから少し興味がわいた。






 セイネリアは立ち上がり、窓から覗いてその姿を観察する。
 予想通り、捕まえようとしている方は3人。騎士団の赤いサーコートを着ている彼らは、正規団員に間違いない。その中の一人に後ろから腕を押さえつけられている小柄な姿が、多分、餌食に選ばれた成り立ての新人騎士だろう。

 ――まだ子供だな。

 十五にもなっていなさそうな新人騎士は、明らかに他の騎士達にくらべて小さくて細い。だが、見事な銀髪と青い目の、そういう意味で狙われただけあって、確かにかなり見栄えのいい顔をしていた。体はかなり細いが力はそこそこあるようで、暴れる度に、後ろから押さえている男が体勢を崩しそうになっている。とはいえ、さすがにあそこまでがっちりと押さえられていると逃げるのは難しい。健闘はしたとしてもあの少年も諦めるしかない……と、セイネリアにはそう見えた。

「おい、ちゃんと押さえてろよ。へへ……ちょっとオイタがすぎたなぁ、坊や」

 いって、右頬を少し腫らした大柄な男が、押さえられている少年の傍に寄る。

「いい加減大人しくしろよ、いい子にしてたら優しくしてやるからよ」

 男の手が少年のベルトにかかる、その途端。

「いてぇっ」

 今まさにベルトを外そうとしていた男の体が、前のめりに折れる。
 どうやら、まだ少年は諦めていなかったようで、腕が押さえられているからと、男の腿あたりを足で蹴り上げたらしい。ち、と誰がいったかわからない舌打ちが聞こえたのがあの少年のものであったのなら、本当はあの蹴りは股間を狙っていたのかもしれない。
 セイネリアの口元に、笑みが浮かんだ。

「このやろうっ」

 もう一人、傍で見ていた男が、少年の顔を殴る。

「おぃっ、折角綺麗な顔してるんだ、顔はやめとけ、たのしみてぇだろ」

 押さえている男の言葉を聞いた男は少年の腹を蹴る。蹴られる度に強張って跳ねる、細い少年の体。
 一度、二度。更には、蹴られた男が立ち上がって、仕返しとばかりに殴りまくる。押さえられた少年は、それらを全てマトモに食らうしか術はない。

「ぐ……がっ……」

 時折激しく咳き込みながらも、見苦しく喚かないあたりはたいした根性だとセイネリアは思う。
 それでもそれだけ殴られれば、少年もさすがに体力が尽きたのか、押さえつけられた状態からぐったりと項垂れる。
 少し気が済んだのか、さんざん少年を殴った男は、その銀色の髪を掴んで、無理矢理顔を上げさせた。

「あんま手間かけさせるんじゃねぇ。いいか、お前はな、これからケツに俺達のをぶちこまれて、ひぃひぃ善がり泣くんだよ。どうやら痛いのがいいみたいだからなぁ、どんなに泣いてお願いしても、優しくなんかしてやらねぇぞ」

 勝ち誇った顔で大仰に笑う男。
 投げるように少年の頭から手を離せば、それはガクリと下に落ちる。
 もう動けないだろう程に痛めつけられていた少年は、だがそれでもゆっくりと今度は自ら顔を上げた。

「下衆め、誰が泣くか」

 ぎっと、未だに強い意志を映した青い瞳が男を睨み返す。

「女に相手されないからって、よってたかって男のガキにつっこもうとする惨めな馬鹿共に、誰が泣いてお願いなどするか」

 諦めるしかない状況だろうに、少年の青い瞳は、未だに屈していない。

 ぞくり、とした。

「いい度胸だ。その威勢がいつまで続くかなぁ、坊や」

 腕だけでなく、今度は足も押さえられて、少年のベルトが外されていく。
 マントを外され、鎖帷子や部分防具、着ているものを次々と剥ぎ取られていっても、少年の瞳は男を睨み付けたままだった。
 鎧下も下着も脱がされて、上半身が露になる。
 かなり細い割に筋肉をつけている体は、がりがりというよりも引き締まった印象を与える。まだ子供の体のくせには鍛えたと思わせるその姿に、セイネリアの唇の笑みが深くなる。

 いいな、アレ。

 胸を悪戯に撫でられて、嫌そうに少年の眉が顰められる。
 それでも、やはり、その瞳は目の前の男の顔を睨んでいる。

 アレ、欲しいな。

「なんだぁその目は? まだ屈しないってか?……そうだな、んじゃあ立場分からせるためにもご奉仕してもらうか」

 いって、前にいた男は、自分の下肢の服を緩めて、既に勃ち上がりかけた己の性器を取り出す。

「ほら、銜えるんだよ」

 押さえつけている男達が、少年を無理やり座らせて、顔を固定し、口を開けさせた。
 浅黒く醜い肉塊が、白い少年の顔にひたりと擦り付けられる。
 そして、それが今まさにその口に押し込まれようとする、瞬間。

「ひっ……うあぁっ」

 情けない声を上げて、自分の股間を出したまま後ろに飛びずさる無様な姿を、つい数秒前まで勝ち誇った笑みを浮かべていた男が晒した。

「惜しかったな」

 少年が笑みを浮かべながら、歯をむき出しにして男を睨む。

「男にしか使えないような役に立たないシロモノ、食い千切ってやろうと思ったのに」
「なんつー、恐ろしいガキだ」

 再び殴られる少年。
 怒りと恐れの入り混じった顔の男は、最早、最初にいっていたように、今度は顔を避ける事もせずに少年を殴りつける。上半身を脱がされた体を直に金属具のついた足で蹴られれば、いくら鍛えていてもアバラの何本かは折れただろう。たちまちのうちに、少年の体には痣と鬱血の痕が浮かびあがり、口から吐かれた血が地面に落ちた。
 けれど、それでも。
 どれだけ殴られても、どれだけ蹴られても、彼は痛がったり泣き喚く事はしなかった。殴られても殴られても、声を懸命に噛み殺して、目は殴った男を睨みつけていた。
 
 その、青く鋭い瞳を見ているだけで、背中を走り抜けていく感覚がある。

「ふ……」

 口から漏れる笑みが抑えられない。

「はは……いいな、アレ」

 思わずセイネリアは呟いた。

「欲しいな、アイツ」

 赤い舌でペロリと唇を濡らし、セイネリアは声を出して嗤う。


 やがて、どれだけ殴られたのか、顔を上げる事さえ出来なくなった少年は、体を支える事もできず、地面に転がされる。

「さすがに、もう抵抗する力もねぇだろ」

 やっと安心した男達は、少年の残された着衣を全て剥ぎ取ろうとした。
 だが。そこに響くのは、男達の内の一人の叫び声。

 どこからか投げられた石が、服に手をかけた男の頭に直撃する。
 その場に蹲る男に、事態を察したほかの者達が辺りを見回す。
 その、隙に。
 もう動けない筈だった少年の腕がピクリと動いた。

「誰だっ、誰かいるのかっ」

 叫ぶ男達は、焦って注意が完全に辺りにいっている。
 少年の手がゆっくりと伸びて、地面にばら撒かれたままだった脱がされた自分のマントを掴む。それを確かめるように軽く引いてから、次に一気に引っ張り寄せた。

「うあわぁあっ」

 丁度、そのマントを踏んでいた男が盛大にひっくり返り、最後の一人はまたどこからか石が投げられて蹲る。

 這いずるように、それでもどうにか立ち上がって、少年は散らばった自分の装備を拾うとその場を逃げた。






「つっ……誰だ……いてぇ」

 蹲る男達の前に、剣を携えた背の高い男が現れる。
 地面に座っている者には、黒い髪を持つその男を見上げた姿はただの黒い影に見えた。ただ、その影の中、金茶に光る琥珀の瞳が冷酷な光を向けている。
 少年が逃げた事を確認して、現れたのはセイネリアだった。

「よぉ、馬鹿共、残念だったな」

 文句を言おうとして立ち上がった男が、セイネリアの顔を確認して顔色を失う。
 いい意味でも悪い意味でも有名だったセイネリアの顔は、騎士団の人間なら知らぬものはない。そしてその名は、畏怖を込めて口に出される。

 騎士団最強の男。彼に逆らうな、恐ろしい目にあう、と。

「本当は、別に他人の事などどうでも良いんだが」

 セイネリアは上機嫌で、口元に笑みまで浮かべて剣を構える。

「あれは俺が貰う事にした。黙ってお前らにくれてやるのが惜しくなったからな、邪魔させて貰った」

 セイネリアは、見せつけるように剣を一人の男の頭に向けて突き出してみせる。

「文句があるなら聞いてやる。……まぁ、今後一切あいつに手を出さないなら、忘れてやってもいい」

 細められた琥珀の瞳が、さも楽しそうに、狙いをつけた男を見据える。その、笑顔とは不釣合いな程に、彼が今発している殺気は本物だった。

「まてっ、すまん、あんたの獲物だとは知らなかったんだ、セイネリアっ。あんたを敵に回す気はねぇっ。手をひくっ、俺達は手を引くから見逃してくれっ」

 慌てて、晒したままだった下肢の衣服を引き上げながら、あたふたと地べたから立ち上がれず、無様な男は尻を引きずるように後ずさる。

「そうか、運がいい事に俺は今気分がいい。気が変わらない内に、その汚い姿を消せ。10数える間にな」

 言うと、セイネリアは、構えを解いて、剣を肩に担ぐ。

「1」

 それから、男達にそれ以上何かを喋らせる暇もなく、ゆっくりと数を数えだす。

「2、3、4……」

 そのカウントが8になる前に、転び這い蹲りながら、男達は慌てふためいて走り出した。

 男達が走り去ったその先には、騎士団のある城の敷地内から外、首都セニエティの街へ向かう石畳の道が見える。
 その道が続く先を見つめて、セイネリアは笑みを浮かべた。
 もちろん、その瞳は逃げていった男達などまったく見てはいなかった。彼が見ていたのは先に逃げた、あの成り立ての少年騎士の青い瞳。記憶に焼き付けられたあの瞳を遠くに見て、セイネリアは高揚する気分のままうっとりと目を細めた。

「まったく、騎士団を辞めるって日に、こんな事があるとはな」

 セイネリアは今日、正式に騎士団を辞める手続きをしてきた。明日からは気楽な冒険者生活に戻るつもりで、最後に世話になった愛馬を見にきていたのだ。
 今日が辞める日でなければ、明日にでも少し調べれば、あの少年騎士の素性くらいはすぐに分かっただろう。だがこのタイミングで彼に会ったという事は、今がその時ではないという事なのかもしれない。

「まぁ、名も分からないが、その方が面白いか」

 すぐ摘み取るにはまだ若すぎる。だからまだ、今はいいとセイネリアは思う。遊びは急がないのがセイネリアの主義だ。
 だが。
 次に会えたなら、今度は逃してやらないと心に決めていた。
 そして、もし彼に次に会えたら、絶対に間違えない自信がセイネリアにはあった。

「だから……そのときまで、せいぜい自分を守りきっていろ」

 お前は俺のモノだから。
 勝手に、誰かのモノになるなんて許さない。

 セイネリアの呟きが口の中の笑みに消える。


 彼が、そのときの少年騎士を見つけたのは、それから三年後の事だった。





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