【5】 見上げる程の巨体が、びくん、びくんと痙攣したかと思えば、力を無くしてゆっくりと倒れていく。 倒れた衝撃に地面が揺れて、体の軽いシーグルは立っていられずによろけて膝をついた。そうして舞い上がる埃の中を見上げたシ―グルは、倒れたドラゴンのその先に立っている黒い騎士の姿を見つけた。 「あれは……」 返り血を浴びて濡れた黒い騎士は、先ほどまで持っていなかった先端に斧ついた大きな槍を持っていた。潜在魔力が高いシーグルには、それが何か特殊な魔法を帯びたモノであるという事が瞬時に分かった。シーグルは初めてみたが、あれは魔槍――魔剣と同じく魔法を帯びた特殊武器だろう。武器に選ばれた者だけが持てるという――そこまで考えて、セイネリアならそんなものを持っていても当然かとシーグルは思う。確かにシーグルはここまでの道中、セイネリアの馬に括りつけてある派手な布包みの長物を見て、今回彼はどれだけ大きな武器をもってきたのだと思っていた。だから彼が岩場を上る時に先ほど投げた槍を持っていたのを見て、期待したものと違って残念に思った覚えがある。実際はあの大槍と共に包んであったのだと考えれば納得がいく。 「おぉおっ、やりましたなっ」 「あのドラゴンめがこんなにあっさりと」 アルダレッタ卿の部下達がはしゃいでセイネリアに向かっていく。それをうっとおし気にあしらっている黒い騎士を見て、シーグルは兜の中で苦笑した。 ――本当に、すごいな。 そして、彼にはどうやっても届きそうにないとシーグルは思う。確かに冗談ではなく彼の言った通り、この程度の化け物はセイネリア一人でも倒せたのだろう。自分などいなくても問題なかったではないかと、落ち込みそうになるのを歯を噛みしめて耐える。 「シーグル、お前の方は怪我はないか?」 近づいてきた黒い甲冑に黒いマントの黒ずくめの騎士を見て、シーグルは慌てて立ち上がると背筋を伸ばした。 「あぁ、怪我はない」 「そりゃよかった。しーちゃんを怪我させたら、アルダレッタ卿がウザそうだからね」 勿論怪我一つない様子で立っている最強の騎士のその堂々とした体躯を前にしていると、シーグルの顔は自然と下を向いてしまう。茶化していたセイネリアはそれに気づくと、態度を普段通りに戻して聞いてくる。 「どうした?」 「……俺は、役立たずだったなと思っただけだ」 つい本音が口に出てしまえば、セイネリアが兜を脱ぐ。 黒い前髪をうっとおしげに手で払うと、見るだけで人を圧倒する金茶色の瞳が現れてこちらに向けられる。 「ちゃんと尻尾は切ったんだ。お前の仕事はしたんだから落ち込む必要はないだろ」 「だが結局はお前ひとりで倒したようなもので、俺はいた意味がないも同じだ」 自分でもみっともないと思うのだが、一度口から出てしまうと止められない。 セイネリアはため息をついて見せて、それから真っ直ぐこちらをみてくる。 「あのな、今回はたまたま上手くいっただけで、あそこで首を落せなかった可能性も、槍が外れて逃げられる可能性もあった。上に張ったロープが外れて空に逃げられたかもしれない。その場合はお前が尻尾を切った効果も出てくるし、羽を攻撃した意味も出た。……何重にも失敗の可能性を考えて手を打っておく事を、意味がないと言うのか、お前は」 それを言われるとシーグルは反論出来ない。所詮自分が言っている事は、活躍できなかったと駄々をこねている子供と同レベルだと分かっているからだ。 ふと気づくと、セイネリアの手が近づいてきて、下を向いているシーグルの兜に手が触れる。驚いて逃げようとした時には既に遅く、セイネリアはシーグル兜のバイザーを上げさせて、上からこちらの顔を覗き込んできた。 「ふん、泣いてはいないか」 「うるさい、何故俺が泣くんだ」 睨み付ければ、不気味に金の光を放つ琥珀の瞳が楽しそうに細められる。 「ならいい。悔しいなら強くなれ。弱いと自覚している間は生き残れれば誇っていい」 そうして兜を被りなおして顔を隠すと、彼はシーグルに背を向けた。 サルーゾの街に戻ると、既にドラゴン討伐の連絡は行っていたらしく、街を上げての宴の準備がされていた。 ドラゴンのような大物を倒した時に街や村を上げての宴になるのは珍しくないが、それにしても街に入ったところに楽器隊が待っていて、そこからまるで凱旋パレードのような扱いを受ければ、そのやりすぎぶりにシーグルは辟易するしかない。更には領主の館に入った途端、強制で着替えをさせられて、宴の間に連れてこられれば、本音としてはもう勘弁してほしいと逃げ出したくなるくらいだった。 「シーグル、こっちに座れ」 先に来ていたらしいセイネリアが手招きをしてきて、シーグルは周りの者に何か言われる前に彼の隣に座った。連れてきた使用人達があれこれ言ってきたがそれは無視する。ともかく宴に出るのはまだしも、上座でアルダレッタ卿の隣に隔離されるのだけは避けたかった。 行きは次の日早く出るという事で宴会を開く事自体を断れた分帰りは覚悟していたとはいえ、そこまでの特別扱いはされたくなかった。貴族としてもてなされるのではなく冒険者として、せめてセイネリアと同じくらいの扱いで十分――本音を言えば倒したのはほぼセイネリアの力だけなのだから、彼を主役として自分はおまけ扱いでいいのだが――と思うところなのだが、アルダレッタ卿の様子では自分に対してひたすらおべっかを使ってくるのが目に見えていて、想像しただけで気が滅入ってくる。 『シーグル、いいか、アルダレッタ卿が飲み物を注いできたら、こっそり俺の杯に入れろ』 横に座った途端にセイネリアが小声でそう言ってきて、シーグルは思わず彼の顔を見ようとしたが、そこへアルダレッタ卿がやってきた事で聞き返す事は出来なかった。ただセイネリアはアルダレッタ卿へと顔を向けたシーグルに、さらにこそっと小声で付け足してきた。 『奴はあまり信用しすぎるな、裏があるぞ』 正直なところ、シーグルとしてもアルダレッタ卿は個人的にあまり好きなタイプではない。いかにも貴族で、しかも下級貴族特有の、やたらと宮廷貴族や旧貴族を持ち上げるタイプの人間である。更に言えば生理的にもなんとなく受け付けない。 だからセイネリアのその言葉を否定する気は全くない。それにセイネリアが自分に注がれた飲み物を貰ってくれるというなら、それはシーグルにとって無条件で歓迎すべき事だった。 「シーグル様、どうされたのですか? 席はもっと良い場所を用意させましたのに」 いや、彼がいう『良い場所』は絶対嫌だ――と心で思いつつも、シーグルもどうにか無理矢理顔に笑みを浮かべて返した。 「いえ、ドラゴンを倒したのはセイネリアですので、『良い席』なら彼を案内してください」 「ですが、旧貴族である貴方は貴方に相応しい場所にいらしていただきませんと……」 「ですから、今回の宴の主役はセイネリアであるべきです。なのにその彼より目立つ場所へ私にいけということなら、それは私に騎士として恥を晒せとおっしゃるのも同然ですが」 さすがにそこまで言えばアルダレッタ卿もそれ以上は言ってくる事もなく、大人しく引き下がってくれてシーグルは胸を撫で下ろす。 「なかなか言うようになったじゃないか、しーちゃん」 ……隣でセイネリアは、楽しそうに笑っていたが。 ともかく、シーグルが断った事で領主の席周辺はばたばたと直されたものの、暫くすると料理が運ばれ、楽士達が音楽を奏で出し、宴が始まった。 宴会場には他にも招待客らしい人間がいて、身なりや雰囲気からすれば、恐らく彼らは街の有力者達なのだろうと思われた。彼らはシーグルにちらちらと視線を向けては話しかけてくるチャンスを伺っているように見えたが、隣にセイネリアがいて、主にシーグルが彼と話している為に近寄ってくるのを躊躇しているようだった。 この手の宴会では、ともかく話しかけてくる者達をどうやり過ごすかが悩みであったから、それに関してはシーグルはセイネリアに感謝をしたい気分だった。 「ところでセイネリア、最後に持っていた槍は魔法武器……だな?」 ともかく、他の連中と話したくない為セイネリアとの会話と続けようとしていたシーグルは、途中ふと思い出して、あの戦闘が終わった時から気になっていた事を聞いてみる事にした。 魔法武器の事はもしかしたら秘密なのかもしれない、と思いはしたので慎重に聞いたつもりだったのだが、セイネリアの方は酒を飲みつつやけに気楽そうに答えてくれた。 「あぁそうだな、若いドラゴンだから皮膚がまだ柔らかいとはいえ、流石に首を落とすとなれば剣では無理だからな、呼んだ」 「呼べる、のか?」 「あの手の武器は契約が成立すると、呼べば手の中にやってくるようになる」 「そうなのか?」 一般的に魔剣等と呼ばれる魔力の篭った武器は、その武器に選ばれた者だけが扱える特別なモノで、その実体は殆ど世に知られていない。当然戦士としては憧れの対象で、シーグルも思わず身を乗り出しそうになる。 するとセイネリアが、こちらを向いて緩く笑う。 「ただ遠くにあると来るまでに相応の時間は掛かるからな、すぐに使えるようにしたいなら結局持って歩かないとならないんだ。特にあいつは大きいからな、呼んでもすぐには来ない」 「あぁ、それで持ってきてたのか」 「そうだ。嫌がらせで上まで役立たず二人組みに運ばせてやろうかとも思ったがな、ま、それはそれで面倒もあるから止めといた。下からならそこまで待たなくても来るだろうしな」 それにはシーグルも少しだけ笑う。あの大槍を背負わされて岩を登らされたら相当きつそうだが、彼らにはシーグルもいろいろうんざりしていた為、セイネリアが嫌がらせをしたがった気持ちが分かる。……結局彼らは戦闘中は本気で見ていただけであったし。 「……しかし、すごいな。お前なら魔法武器を持っていると言われても驚かないが、魔槍というのは初めて聞いた。有名なのは剣だろ、契約が成立しないと鞘から抜けないらしいが」 「あぁ、剣だと大抵そうだな」 「もしかしてお前、魔剣も持ってるのか?」 「あるぞ、殆どが倉庫の肥やしだが」 彼が魔剣を持っているだけなら驚かなくても、そんなにいくつも所持しているというのなら驚きを通り越して声が出ない。魔剣といえば、高名な騎士であっても一生に一度お目にかかれるかどうかというシロモノで、実際それの主となった者の話は確実なものは聞いた事がない――という程の希少なものである。そんなモノを軽くいくつも持っているというセイネリアの例外ぶりには、シーグルも悔しがるとか憧れるとか以前の気持ちになってしまう。 「シーグル様、杯が進んでいないようですが」 だがそこで隣にアルダレッタ卿がやってきた事で、その話は終わりとなった。 「あ、あぁ、あまり酒は得意ではないんだ。だから少しづつしか飲めない」 言って、軽く杯に口をつけて飲むふりをする。……この手のことは何度もある為、実はシーグルはそれなりに飲むふりには慣れていた。実際は杯の中身はまったく減っていないのだが、予め少し減らしておけば、減ったか減っていないかは分かり難いものだ。 案の定、半分くらいしかない酒をなみなみと満たしていって、それをまた飲むふりをして見せれば、アルダレッタ卿は満足して離れていく。そうすればまたその中身の半分をこっそりセイネリアの杯に入れて、後はたまに飲むふりをすればいい。 「すまないな」 酒を彼の杯に入れてからこっそりセイネリアにそう言えば、彼は軽く笑いながらもその酒を簡単に飲み干した。一人の時は毎回減らした分の酒の処分に悩むため、今回は正直に彼がいてくれてありがたかった。 「構わん。俺はこの程度で酔う事はないから気にするな」 実はシーグルは酒は全く飲めない為、こうして酔わずに飲める事にもちょっとばかりの嫉妬と憧れを抱いてしまう。自分が持っていない、欲しかったものを全部持っているこの規格外の最強の騎士は、本当に戦士として――シーグルの理想として――非のうちようがない。 本当に、彼の十分の一でも、こんな風に生きられたら――シーグルは、彼と仕事をする度に、毎回何度もそう思わずにはいられなかった。 --------------------------------------------- 後一話です。 |