【2】 セイネリアが吟遊詩人を連れてきた、と聞いたカリンは、最初、いわゆる表の顔として詩人をしているだけで、その実は情報屋をしている、という類の人物を連れてきたのだろうと思った。 なにせセイネリアは吟遊詩人というのが実は嫌いで、何度か『貴方の事を歌にしたいから傍においてくれ』としつこく言われてその度に一騒ぎした過去があるのだ。しかも彼としては詩人の歌というのは主観性が強く、話を着色して大げさに言い過ぎるから、大ざっぱな情報としては使えるが正確な情報にはならない、という事で、とにかく彼らの歌を聞こうとしたところさえカリンは見た事がなかった。 かつて、カリンがセイネリアに付いていくと決め、仕事として情報収集を命じられた時、冗談混じりに言われた事がある。 『人間というのは信じたい情報を信じて、信じたくない情報は否定出来る材料を探す。だからな、情報を集める立場なら、逆に信じたい情報だった場合はそれを否定する材料を探し、信じたくない情報はそれを肯定する事前提で調べるんだ。そうすればつりあいがとれて、かなり自分の主観が入るのを抑えられる』 情報を扱うのなら主観は入れるなというのは鉄則で、その為にはとても分かり易い考え方ではあると思う。だからカリンはそれに納得し、今でも部下になった者にはそれを伝えているくらいだった。 そんな事を言う彼であるから、主観で物語を脚色する吟遊詩人の歌が嫌いだというのも分かるのだが――結局は、お喋りでしつこく付きまとってくる、というのがとにかく鬱陶しかったのではないか、というのが実はカリンが予想しているところだった。普通は他人から怖がられて避けられている彼としては、実はその手の人間に耐性がないのかもしれない。いつも、仕事に関しては冷静な視点から客観的判断を下すセイネリアとしては珍しくもある。 だから、セイネリアがその詩人にそれなりの待遇を与えて、食事の後は歌を聴く、と言っていたのに、カリンは何があったのかと少しだけ心配になった。 「……なんだ、気になるか?」 いつも通りの皮肉げな笑みを浮かべて、セイネリアはカリンの顔を見返した。 彼女の主には、別段おかしいところは見えない。 「吟遊詩人はお嫌いだと思っていましたので」 それでセイネリアはカリンが何を気にしているのか察したらしく、鼻で軽く笑った。 「まぁな。だが真実をそのまま歌うのなら聴いてもいいさ。丁度いい、お前も一緒に聴くか? ウチにいる事になれば、お前の下につけることになるだろうしな」 「ウチに置くのですか?」 何度か傍に置いてほしいと言っていた詩人達にセイネリアがどんな扱いをしていたかを考えれば、それは驚くべき言葉だった。 「ケーサラーの神官でもあるそうだ。なかなか面白いぞ。その場で起こった過去の出来事を『見る』事が出来るらしい」 勿論カリンもケーサラーの神官の術を知らない。だから分かる範囲の推測からすかさず答える。 「サーファンの使う術の上位魔法のようなものでしょうか?」 言ったその名は団にいる魔法使い見習いの事で、物の記憶を再生させる術を使える男だった。 「そうだな、似ていても術自体は相当違うようだが。何せこちらに見せる事は出来なくて、ただ術者本人が『見る』事が出来るだけだ。だが、その場所へ行きさえすればそれでその風景全体の過去が見えるというから、情報収集には役立つだろう」 「確かに、そうですね」 事件が起こった場所へ行きさえすれば事件そのものが起こった瞬間を見れる、というなら、それは確かに情報収集としてはインチキ臭いレベルに便利な術ではある。魔法使いの上位の者の中には、物が覚えている過去の風景を幻覚のように映像として再現出来るものもいるらしいが、魔法ギルドの方で名前が公開されていない程慎重に扱われているらしい。 「だが使い方も難しい。例え能力は本物で100%の真実を見ることが出来るとして、こちらに伝える言葉が100%の真実そのままとは限らない。また、嘘はついていなくても本人の主観が入るから、情報の正確さには疑問が残る。こちらが確認出来る証拠なしでただ本人の口からだけの言葉を、どこまで使えるかは使う側の裁量によるという訳だ」 カリンは眉を寄せる。確かに、それは難しい問題だ。 考え込むカリンをちらと見て、セイネリアは口元に軽く笑みを乗せる。 「それだけ便利な術なら、警備隊辺りと組んでいてもいいくらいだが、やはりケーサラー神官が『見た』というだけでは証拠としては正式適用されないそうだ。まぁ、当然の結論だろうがな」 「確かに、そう、ですね」 自分ならどう使うか。考えて黙り込むカリンを見て、セイネリアは少し楽しそうに喉を鳴らしてから、それに気付いて顔を上げたカリンと視線を合わせた。 「それで、どうする? お前も聴くか?」 彼女が、気まずそうに視線を外したのは一瞬。本当にこの男は意地が悪い、と思いつつも、付き合いの長いカリンは、気を取り直して、優雅に笑みを返して言った。 「勿論。許してくださるのでしたら、ぜひお供させて下さい」 詩人は歌う――たった一人、貴族の跡取りとして家族から離されてしまった子供の孤独と悲しみを。 ――いくら自ら覚悟して残ったのだとしても、彼はまだ幼い子供で、昼間は無表情を纏っていても、夜は広い部屋の広いベッドで、毛布を握り締めて必死に涙を抑えて震えている事がよくありました。 騎士になる為、訓練と勉強だけで日々を過ごし、遊ぶ事は勿論、人との余分な雑談さえ殆どした事がありません。 使用人達は彼を見ると歓談していたその顔を張り付かせ、そそくさと仕事に戻るのが常の事でした。従者として教えを請うていた騎士でさえ、自分より家の位の高い彼相手に何かあれば後が恐ろしいと、必要以外の話をしようとはしませんでした。 唯一、家にずっと仕えていた騎士が彼の境遇に気を掛けてくれたものの、その騎士への信頼も、祖父の命令で結局裏切られる事になります。 それでも彼は、いつか暖かい家族と共に暮らせる日だけを望んで、ただ、自分を鍛えました――。 カリンは、じっと詩人の歌を静かに聴いているセイネリアの顔を見る。彼の瞳は何かを考えているのか僅かに細められ、カリンの視線にももしかしたら気づいていないのかもしれなかった。 いくら詩人嫌いの彼女の主も、この歌の主人公である『彼』の事であれば話は別だ。ただカリンの立場としては、これがセイネリアに取り入る為、適当にでっちあげられた作り話である事も疑わなくてはならない。セイネリアがその可能性を考えない筈がないとは思っても、シーグルの事に関してだけは、この男の感情が揺れる事も知っている。 詩人の歌は、父親の死後、祖父に認められる為に、シーグルが貴族の特権を使わずに騎士になる約束をしている場面を綴っていた。 早く騎士になれば、家族を援助出来る。その彼の努力は実って、彼は15にして騎士試験に合格する――。 けれども、そこで、詩人の手が止まり、部屋の中の音楽は途切れた。 「さて、ここまでの話は、『彼』に起こった出来事をなぞっているだけの真実の話。そしてここからは、選ばれなかった選択肢の、起こり得なかった過去の話」 馬鹿丁寧にお辞儀をしてみせた吟遊詩人は、そうして、今度は少し違う曲調で弦を鳴らす。 「私が貴方に会いたかった理由として、この選ばれなかったもう一つの話が見えてしまった事があります。これを貴方に伝えたなら、貴方がどう答えてくれるのか、それが気になったというのがあるのです」 詩人の顔はセイネリアだけに向けられている。セイネリア本人はそれに僅かに忌々しげともとれる視線を向けながらも、唇に笑みを浮かべていた。 「俺が選択を誤ったといいたいのか」 「いえ、それは私にはわかりません、貴方自身が判断するべきでしょう」 一度手を止めた吟遊詩人は、改めて少し低く早い曲調で楽器を奏でながら、大きく息を吸い込んだ。 次に歌が始まった時、主人公である『彼』がいる場所は騎士団であった。 ――父親譲りの銀色の髪、印象深い濃い青の瞳、少食の所為で全体的にほっそりとした姿の彼は、会う誰もが美しいという印象を持つ若者に育っていました。そんな彼が騎士団にいけば、彼を都合の良い自分たちの欲の捌け口にしてやろうと、正規騎士団の騎士達が声を掛けてくるのも当然の事。 彼は親切を装って案内をしてくれるという彼らについて行き……そして、必死の抵抗も虚しく男達の餌食にされたのです。 セイネリアの眉がピクリと揺れて、不快げに寄せられる。 カリンもその理由をすぐに理解していた。シーグルは、その時点では逃げられた筈だった。セイネリアが石を投げて、その隙に彼は逃げた。セイネリア自身、シーグルが逃げることを確認し、しかもその後に襲った連中を直接脅したとカリンは聞いている。 だから、これこそが起こり得なかった出来事という事だろう。 ――彼は犯されました。徹底的に、何度も、何度も。抵抗を諦めなかったせいで、より乱暴に、より念入りに、抵抗どころか指一つ動かせなくなるまで、仲間達を呼ばれて何人もの男達の欲を体に受け入れさせられました。 セイネリアの顔から表情が抜け落ち、肘掛に置く手だけが、人差し指で苛立ちのリズムを刻む。 止めないだけまだ彼が冷静ではあるのが分かっていても、彼の心の内を考えればカリンの方が気が気ではなかった。 ――終って取り残された彼は、もう、全てを投げ出していました。自分の無力さと、価値のなさに打ちひしがれ、自分を侮蔑する事でしか正気を保てない状態でした。 それから数日熱を出し、体調が戻っても、彼は何もやる気が起きず、ただベッドに座って日々を過ごしていました。 けれど、騎士になった目標を思い出し、縋るように必死で家族のことを調べてようやくそこを訪れた彼は、更に残酷な現実に辿り付きます。母親は彼がくる数週間前に死んでいたのです。 彼は後悔しました。後悔のあまり絶望しました。騎士になってすぐ来たのなら、せめて最後に会えたかもしれないのにと。彼の兄弟も彼を受け入れてくれるどころか、彼を責め、彼の心の拠り所は全て失われてしまいました。 そうして、彼の心は完全に壊れ、ただ後継ぎとして、役目を果たす為だけに生きていなくてはならないという責任感だけで生きているようになりました。自らを諦めてしまった彼は、強くなろうと剣を持つ事もなくなりました。冒険者でも壊れた連中と付き合い、体を好きにさせて相手を利用する事で、自分と世界を嘲笑って過ごしていました。彼の心は完全に闇に飲まれてしまいました。 そこで、今までひたすら暗く沈んでいくだけだった曲調が変わる。 静かな、けれども希望を感じさせる優しいメロディーが、重苦しい部屋の空気を払っていく。 ――けれど、そんな中で、彼は、ある強い男の噂を聞きました。 最強と呼ばれる男の話を聞き、その人物に会いに行きました。 男はどこまでも強く、何にも誰にも影響されない圧倒的な存在で、彼は、真に強いその男に憧れ、その男と共にいたいと願いました。 しかし、何度抱かれても、縋っても、男は彼を見ようとしませんでした。 それでもやがて、男も彼に惹かれて行きました。彼の絶望と、それでも生きる必死さに、凍り付いた男の心も溶けていき――そうして二人は、やがて心を繋げる仲になるのでした――。 詩人の歌はそこで終った。 --------------------------------------------- タイトルの意味の通りの内容でした。この起こり得なかった物語、がこのエピソードの核になります。 次回はこれを聴いたセイネリアの反応。 |