吟遊詩人は記憶を歌う




  【4】



 騎士団の一角、主に予備隊の隊長室が並ぶ中にあるシーグルの部屋は、部屋の主が仕事をちゃんとしているのもあって、他の部屋に比べて遅くまで明かりがついている。最初の頃に比べ事務仕事も大分落ち着いて量が減った為、訓練時間はずっと隊の連中につき合って、事務仕事はそれが終わってから手をつける、というのが通常の日課になっているのが主にその理由ではある。
 その、訓練が終わって事務仕事をしている時間に、シーグルの目の前にはグス、マニク、セリスク、シェルサの四人が並んでいた。

「隊長、すいません。犯人は分かったんで、そいつに隊長を助けた人物の事を聞いたんですけど……どうしてもそいつ言おうとはしないんですよ」

 4人の中で一歩前に出たマニクが、悔しそうにそう告げる。後ろにいるセリスクとシェルサも、悔しそうに拳をきつく握りしめて口を引き結んでいる。
 だが、そんな中グスだけは、困ったような微妙にどうしようかと考えているような顔をしているのに、シーグルは気づいた。

「奴ら、その人物の事聞いたらすごい怯えて、『その名前だけは教えられねぇ、許してくれ』って泣きつく勢いで……とりあえず騒ぎを起こしたくなかったのでその場は引いたのですが、知ってる事は確かなんで、もし隊長がどうしても聞きたいのでしたらっ……」

 気合いを入れてシェルサが乗り出して言った言葉は、シーグルが苦笑と共にあっさりと止めた。

「いや、いい。最初から無理はしなくていいといった筈だ」

 おそらく、彼らもシーグルがそう返すと思ったからこそ、それ以上追求しないで報告に来たのだろう。若手3人は悔しそうにしているものの、口ではすんなり、分かりました、とだけ言って引いた。

「そんなに気にしないでくれ。今更の事ではあるしな。とっくに終わった昔の事でどうこう騒ぎを起こしたくはない」
「はい……」

 それでも、答えの在処が分かっているのにそこで終わりという、その悔しさも気持ち悪さもシーグルに分かる。

「でも、俺の為にお前達がわざわざ調べてくれた事はうれしかった、ありがとう」
「は、はいっ」

 それで彼らの顔に笑顔が浮かぶから、シーグルも僅かに口元を綻ばせる。入って来たときとは変わって、足取り軽く、彼らはその後退出の礼をして部屋を出ていく。
 けれども、若手連中がきびきびと部屋を出ていく中、一番最後に出ていこうとしていたグスは、外へでる直前、考え込みながらも足を止め、シーグルに振り返った。

「あー……隊長、その連中がそんだけおっかながるような人物……っていや、隊長はもしかして心当たりがありますかね?」

 シーグルはそれに表情を硬くし、瞳を伏せて、沈んだ声で答えた。

「……あぁグス、おそらくな」

 それで察した隊最年長の騎士は、大きく頭を下げて部屋を出ていった。

「その人物の名前、教えて差し上げましょうかぁ? ……まぁ〜知らない方がいいかも知れませんけぇどねぇ」

 やはり他の連中がいる時は黙っていたキールが、彼らが部屋を出た途端、ぽつりと、目線は書類をみたままでまるで独り言のように言った。

「何故、お前が知っている?」

 聞かれて初めてキールは顔をあげる。

「私は、魔法使いですからねぇ、彼らより〜そうですねぇ、もっと確実な調べる手段がある、と、そー思ってくださいませ」

 にこりと笑った顔からは、それ以上の説明はする気が無い事が分かってしまったので、シーグルは無言で暫くの間、たまに得体の知れない部分を見せる自分付きの文官の顔を見つめた。

「……いい。多分、お前がそんな言い方をするなら、思っている人物で確定だろうからな」

 声が硬くなったのを自覚しながらも、シーグルもまた、途中で止めていた書類の確認を再開する。キールも一度肩を竦めて、視線を手元へと戻す。一見、二人共が、いつものようにただ自分の仕事をしているだけの状態になるが、部屋にある重苦しい空気はそのままだった。
 シーグルも心を覆うもやもやとした感覚のせいで、仕事に没頭出来ていない事を感じていた中、キールの声が静まり返った部屋の中に響いた。

「それでも貴方は、あの男に会っていなかったならばと、そう、思うんですかねぇ?」

 シーグルの手が止まる。
 そうして彼は、重い息を吐きながら目を閉じた――。







 秋の終わり近いある日の事だった。
 シーグルは騎士団の厩舎の傍で、見たことのない、黒を基調としたその職業的には珍しい服装の吟遊詩人を見かけた。
 それは、見た目だけではない奇妙な人物で、どうやらシーグルを待っていたらしく、シーグルと目が会うと近づいてきて丁寧にお辞儀をしてきた。

「やっと、本人にお会い出来ました、初めまして、シーグル・シルバスピナ様」
「お前は誰だ?」

 その怪しい雰囲気で、思わず警戒して構えたシーグルに、詩人の男はくすくすと笑う。

「あぁいや、すいません。貴方に危害を加える気も能力もこれっぽっちもありませんので、どうぞ警戒しないで下さい。少し、お話を伺いたいだけです」
「……何者だ?」
「見ての通りの吟遊詩人ですよ。少しだけ過去が見える、ね」
「過去が見える?」

 言いながら、背からリュートの一種のような楽器を取った詩人は、弦の様子を確かめるように何度かその音を鳴らして調整を始めた。

「えぇ、私はケーサラーの神官でもありますのでね、その場へいけば、かつてそこで起こった事を見る事が出来るんですよ」

 シーグルは記録と記憶の神であるケーサラー神官の能力を殆ど知らない。研究者や詩人達に信徒が多いとは知っていても、一般的な娯楽というものに全く興味がなかったシーグルにとって、詩人などという者は話す事もその歌を聞く機会さえ全くといって良いほどなかった。

「ですから、ここでかつて、貴方に何が起こったのかも見せて頂きました」

 シーグルの顔が途端強ばり、警戒を露わにした瞳が、じっと男を睨みつける。
 それに微笑む事で返した黒い服の吟遊詩人は、手に持っていた楽器を軽く鳴らして見せた。

「貴方はかつて、ここで襲われそうになったのでしょう? 騎士になったばかりの頃、正規騎士団の騎士達に押さえつけられ、汚らわしい欲の捌け口にさせられるところだったのでしょう?」

 シーグルは返事を返さない。相手の意図をはかりかねて、ただじっと詩人の一挙一動に注意を向ける事しか出来ない。
 そんなシーグルの様子に呆れながらもくすくすと笑うと、詩人は今度はまるで歌うように、楽器を鳴らしながらその音に合わせて言葉を紡ぎ出した。

――私は知っています、見ましたよ、助けが入って貴方は無事逃げられた。
 でももし、助けが入らなかったら、貴方はどうなっていたでしょうか?
 3人の男達に、叫ぶ声も出なくなるまで犯されて、ボロボロの体と、ズタズタのプライドを引きずって、貴方の心は闇に落ちていたでしょうね。

 自分の価値も認められず、壊れた心のまま自虐的に体を傷つける事しかできない貴方は、逆に体を男達に任せて貶める事で正気を保っていたかもしれません。
 あるいはもう全てを諦めて、ひたすら堕ちるに任せていたかもしれません――。

「……黙れ」

 睨みつけたまま、力ない声でそう呟いたシーグルに、詩人はますます笑みを深くする。
 シーグルには分かっていた。この男の言っている事が、出鱈目な推測ではなく、あの時逃げられなかったら真実になり得た事だと。
 実際、ヴィド卿の部下達に嬲られた後、自分は壊れてしまおうと諦めたのだから。そうならなかったのは……ただ、彼がいたから。

 詩人の声が、再び歌う。

――その時、壊れた貴方を助けてくれる人はいるんでしょうか?
 貴方に救いは訪れるのでしょうか。
 かつて、貴方は一度全てを手放そうとした。壊れる寸前にまでなった。
 けれど、貴方が今ここにいるのは、壊れかけた貴方を助けてくれた者がいるから。
 どれだけ踏みにじられても、堕ち切らずに踏みとどまれたのも、その人物がいたから。
 なら、彼に会う前の頃の貴方がただ踏みにじられたなら、貴方は今こうしていられると思いますか――?

 詩人の言葉は、本当に見ていたかのように、真実を込めてシーグルに問いかける。
 確かにあの時、ヴィド卿に解放された時点でシーグルがまだ生きていられたのは、セイネリアの言葉があったからだった。彼が愛していると言ったから、シーグルは自ら命を絶つ事が出来なかった。彼に拒絶されたから、シーグルはまだ自分の力で立たねばならないと思えた。

「分かっている。あいつには借りがある。返せない程の借りがある、だから俺は答えをみつけてあいつに会わないとならないんだ」

 言えば、詩人は楽器を奏でる事をやめ、黙ってシーグルを見つめる。手で押さえた幅広の帽子のその下から、黒い瞳だけを向けてくる。

「ねぇ、それでも貴方は、その人物に会わなければよかったと思いますか?」

 にこりと笑った詩人は、その場で優雅にお辞儀をする。それから、黙って何も返せないシーグルに、最後に別れの言葉を伝えた。

「それでは、私はこの辺でおいとまさせていただきます。私が聞きたい事はここまでです、シーグル・シルバスピナ。きっと貴方の名は、永くこの国に残る事になるでしょう。私はいつか、貴方の歌を歌う事になるでしょう。そして……もう一人、この国の先を作る男に、私は会いにいくとしましょう」

 シーグルは呆然と、やはり歌うようにそんな挨拶をする詩人の姿をじっと見つめ、彼の言葉が終わるとその目を苦しげに細めた。

「セイネリアのところへ……行くのか」

 あくまでも笑顔を崩さない黒い吟遊詩人は、その言葉にも楽しげに笑う。

「えぇ、職業柄といいますか、性分といいますか、この国が変わる瞬間を、私は一番傍で見たいのですよ」

 詩人は言うと帽子を押さえ、また頭を軽く下げて見せる。

「では、また。先に向こうで待っております」 

 それからすぐに、楽しそうに騎士団の外へと歩いていく男を、シーグルは引き止めはしなかった。
 ただ、見えなくなるまでその後ろ姿を眺めて、視界から消えた後に、大きくため息をつきながら、自分の運命を大きく変えた男の名を呟いた。
 セイネリア、お前は待っているのか――と。







――あの吟遊詩人は、セイネリアの元へいったのだろうか。そして、あいつに何を言うのだろうか。

 考えれば、自然と口調は自嘲の笑みに歪んでいく。
 シーグルには不思議だった。こうして、目を閉じて、あの男の顔を思い出すと、何故かそれはいつも苦しそうで、辛そうで。琥珀色の強い筈の瞳が、訴えかけるように自分をじっと見つめてくるその顔しか思い浮かばない。誰よりも強い男だと、彼に対してのイメージは真っ先にそう思うのに、何故か彼らしくないそんな苦しげな顔ばかりが頭に浮かぶ。
 そうして、その顔を思い出す度に、申し訳なさで胸が苦しくなるのだ、いつも。

「なぁ、キール。ならお前は、もしあいつが俺に会わなかったら、今頃どうしていたと思う?」

 顔を向けないでそう言ってみれば、キールが少し動揺したのが空気で分かった。

「あいつの力は強大すぎる。ただの一個人が持っている力じゃない。望めば、おそらく世界だって変えられる」

 顔をあげれば、こちらを見ているキールと目が合う。
 シーグルは自嘲というよりも皮肉げな笑みを口元に刻んだ。

「俺という枷などなければ、あいつはどれだけのことを出来たのか、お前は興味がないか?」

 珍しく笑みも茶化しも一切見えない表情で、キールはただじっとシーグルの顔を見ている。

「意味のない話ですね」

 言った途端、キールは瞳をシーグルから外す。
 抑揚のないキールの声に、シーグルの顔からも表情がなくなる。

「そう、意味のない仮定の話だ。結局、起こらなかった未来など考えても意味はない……」

 シーグルもまた、キールから視線を外す。そうすれば、魔法使いの、らしくない穏やかな声が静かに響いた。

「けれどもですね、貴方という枷がなかった方が、あの男は何もせずに終わったでしょうよ。あの男には望みがなかった、心が凍り付いていた。才能も能力も例え権力さえいくらあったとしたって、空っぽの男は空っぽのまま無駄に人生を終わらせたと思いますよ」

 それに、聞き返すでもなくシーグルが呟く。

「空っぽ、か。空っぽというのはどういうことなんだ」

 かつて、セイネリアの部下であるラタという男も言っていた。セイネリアの心は空っぽであると。だから思わず口から出た言葉に、キールは苦笑というよりも皮肉げに口元を歪め、シーグルを非難しているようにさえ聞こえる口調で言ってくる。

「そうですねぇ、貴方には分からないでしょうねぇ。何も感じないんですよ、嬉しいとも、悲しいとも、ね。えぇ、何を手に入れても、何を失ってもね」
「そんな事はないだろう。あいつはあんなに苦しそうに……」

 だが、いいかけた言葉を制するように、キールが昏い目でじっとシーグルを睨む。

「えぇ、ですから貴方の事だけは別なんですよ。あの男にとって、貴方だけが特別なんです。……分かりますか? 今まで痛みを感じなかった者が痛みを感じる感覚というのが。痛みも苦しみも感じないって事はですね、喜びも楽しみも感じられないんですよ。そりゃーあの男だって全く何も感じなかった訳じゃぁないでしょうけどね、大きい負の感情を知らないと、大きい正の感情も得られないんですよ。その上、目標さえ失ってしまったんですからね、そりゃぁ空っぽだったでしょうよ」

 皮肉な笑みを浮かべて言い捨てるようにいうキールの言葉は、普段の彼からは想像できない不気味で深い何かを感じる。彼もまた、魔法使い――世界の秘密を知る者達の一人なのだと、見た目通りの人物ではないのだと、シーグルは改めて自分に言い聞かせる。
 姿勢を正し、じっとその瞳をシーグルが見返した事で、キールは今の自分に気づいたのか、表情をいつも通りに緩めて肩を竦める。シーグルも彼が纏う空気を変えた事で、わずかに安堵の息を吐いた。

「そんな男が手に入れられた強い感情が……どれだけ、愛しくかけがえのないものか……貴方は分からないのでしょう?」

 キールの顔は穏やかだった。声は悲しげにさえ聞こえるのに、彼の表情は穏やかで、優しくて……まるで老人のように達観した瞳をしていた。
 部屋の空気さえもが軽くなったように感じる中、キールは軽く背伸びをして、机の上に視線を戻す。シーグルもそれに習うように、手元へ目を戻す。
 だが。

「ただ、はっきりしている事はですね。もし、あの男が世界を変えるような何かをするとすれば――」

 こちらを見ずに書類を見て、仕事に戻ったように見えるキールの姿に、シーグルはまた目を向けた。
 いつも間延びした口調の魔法使いは、滑らかに、そして平坦に、ただ静かに言葉を告げる。

「それは間違いなく、貴方の為でしょうね」

 その言葉が、真実(ほんとう)になるのかどうか、この時点ではまだ、誰も知らない。





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シーグルサイドはこの話が纏め部分ですね。
後、一話ありますが、短い補足的な話です。


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