古き者達への鎮魂歌




  【11】



 それは、おそらく夢だ。
 誰よりも強い、最強の男があの琥珀の瞳を細めて泣きそうな顔で言う、愛している、と。愛してる、愛してる――そう呟く唇を自分は拒めない。キスを受け入れて、肌をまさぐるその手を拒絶できなくて、彼を体の中に受け入れる。その肉の熱さと存在の確かさに声が上がる。最強である男の体に抱き着いて、彼に貫かれる快感に嬌声を上げてただ彼を求める。彼だと思うから体が拒絶しない、彼だと思うから体が歓喜に震える。体中が疼いて彼を欲しがる――それはきっと、夢だ。
 けれどおそらく、それは自分の中にある願望でもある。
 彼に全てを明け渡して、誰よりも強い男の腕に守られて過ごしたい。……どうやら、そんな願いが自分の中にはあったらしい。やはり自分は弱いのだと自覚しながら、それでもきっと自分が彼に出せる答えは『ソレ』じゃない。
 愛していると、あの最強の男が苦しく呟くその声に返せる言葉は一つしかない。

――すまない、セイネリア。だが俺はお前を選ぶ事は出来ない。

 もし彼に会えたら告げるのはその言葉しかないのは分かっている。彼がどれだけ苦しそうな顔をしても、自分の心がどれだけ疼いても、次に彼に返す言葉は決まっている。
 彼を求める心が自分の中にあるのが分かっているからこそ、彼に全てをゆだねる訳にはいかない。心の中に彼を求める声が確かにあっても、それは自分の行くべき道ではない。だから『ソレ』を言葉にしてはいけない。

「……すまない」

 呟いたシーグルは、直後に別の声を聞く。

「――様、――……ーグル様、ご無事ですかぁ」

 目を開いたシーグルは、そこに見慣れた魔法使いの顔を見て完全に意識を現実に戻した。

「キール、来て、くれたの……か」
「えぇえぇ、そりゃぁ貴方に何かあったら来ますよぉ〜」
「すまない……ッ」
「あぁあぁ〜無理に動かないでください〜」

 反射的に起き上がろうとしたら、当然ではあるが体に力が入らなくてうまく体が持ち上がらない。その上体中関節のあちこちが軋むような感覚もあって、思わず痛みに顔を顰めた。

「隊長、体を洗います、抱き上げますがよろしいですか?」
「あぁ……アウド、か。頼む」

 聞こえた声が彼の声で、周囲を見て他のメンツがいない事にほっとする。流石に見せられる姿ではないと自覚しているから、ここにいるのがキールとアウドだけで良かったと思う。

「皆は?」

 ただ、自分を助けに来たのなら確実に彼らもいる筈だからそう聞けば、上掛けにくるんでこちらを抱き上げようとするアウドに代わってキールが答えた。

「あぁ〜みぃなさんはですねぇ〜先に外に出て行ってもらってますよぉ。私がアウドさんだけを指名して貴方の運び役として残って貰ったんです」
「そうか……」

 なら多分、キールはある程度アウドの事情を分かっているんだろう。彼だけは自分のこういう姿を見せても問題ない人物だと……あえて何故、と聞く気はないが。

「どこかお怪我はありませんか? くそ、リパかアッテラ神官がいれば……」
「アウド、大丈夫だ、怪我はない。極端に体力を消耗してる……だけ、だ」

 まずいな、声を出すだけでも酷く億劫だ――しかも喉はガラガラで、出した声はかすれている。自分の酷い状況にうんざりしながらも、体力に精神も引きずられていてそれ以上考える気にもならない。
 ただ今自分を運んでいる人物が分かっているから、目を閉じて大人しく運ばれる。女みたいに抱えあげられてそうっと運ばれるその体勢にも文句など言う気力もなく、更に言えば他に誰も見ていないならいいかと、どこか投げやりな気持ちになる。

 信用している人間に抱えあげられるのは不快じゃない。ずっと体も心も緊張していたせいか安堵に気持ちが解れてまた意識が沈みそうになる。人の腕の中で揺れて……うとうとと意識が薄くなったところでアウドの声が聞こえた。

「シーグル様、体を洗います。よろしいですか?」

 それで気づいてシーグルは目を開ける。アウドがやけに心配そうな顔で見つめていたから、大丈夫だ、と呟いた。彼は一度こちらを下に降ろすとくるんでいた布を外し、それからまた体を抱え上げて水に入れてくれた。
 水の冷たさに一瞬ぶるりと震ええたものの、おかげで意識がクリアになってシーグルは辺りを見渡した。

――あぁ、ここか。

 そこはあの蔓達に嬲られる時の広い空間で、確かに水場が広がっていたからそこに入れてくれたのだろう。体は重いがそれでも水の中の所為かどうにか動けて、シーグルは肩まで水に浸かると手で水を掬って顔を洗った。体中、顔もすべてべたべたして感触が気持ち悪かったからほっとする。

「俺がお体を洗いましょうか?」

 言って来たアウドの声はいつもの冗談半分の誘いの言葉とは違って真面目ではあったから余計な事はしてこないとはわかっていたが……それでも断った。

「大丈夫だ、それくらいは出来る」

 言えば彼はそれ以上何も言ってこないから、シーグルは嫌々ながらも身体を手で軽く擦って汚れを落す。さすがに見られているところで中に指を入れて洗うのは恥ずかしくてあまり念入りには出来なかったが、それでも大分感触はなくなった。
 ……ただ、ここでこんなにのんびり水浴び出来るというのなら、自然と浮かぶ疑問がある。

「あの……魔法使いはどうしたんだ?」

 それにはキールが近づいて来て、杖である方向を示した。

「あそこですよ。杖もぉ取り上げましたしぃ……少なくともぉもう何も出来ませんよ。する意味もなくなりましたからねぇ」
「あの石をどうしたんだ?」

 すぐさまシーグルが聞き返せば、キールは少し言い難そうに言う。

「……壊しました」

 それを聞いてシーグルが感じたのは安堵ではなかった。
 座り込んで動かない魔法使いの姿とその傍にいるシカを見て、シーグルはため息をついた。

「この谷に溢れていた魔力は〜全てあの石のモノだったのですよぉ。あの魔法使いはぁその石と魔力を繋げて老いる事なく過ごしていたのですがぁ……それだけではなく、どぉうやらあのシカ達にも魔力を分けていたようでしてねぇ」

 キールの言葉に、シーグルは顔を上げると聞き返した。

「シカ……達?」
「えぇぇ、最初はぁもっと多くいたようです。あの魔法使いは長い時をそのシカ達と過ごしていたのですがぁ〜その所為で石の魔力消費も激しくてですねぇ、シカ達は率先してこの谷から出ていったのです。なにせぇ、この谷から出ていけばぁ石とのつながりは消えますからねぇ、あの魔法使いのために少しでも石の負担を減らそうとしたのでしょう。そぉして今、残ったのはあのシカだけとぉいう訳です」

 それでシーグルにはあの魔法使いの行動が理解出来た。切実な、まるで祈るようにシーグルに向けて壊れてくれと言っていた彼にはやはりそれだけの理由があったのだ。
 長い間共に過ごしていた友人のため、残った最後のシカの友人とずっと一緒にいたかったから……だから、良心を殺してシーグルから魔力を吸おうとした。彼に悪意がない事は分かっていたが、理由を聞けばやはり彼を憎めない。

「石が壊れたら……どう、なるんだ?」

 だからシーグルはキールにそう聞かずにはいられなかった。

「魔力を供給する大本がなくなった訳ですからね。あの魔法使いも今後は普通に歳を取るようになります」
「そうか……」

 その言葉にはおそらく思った以上に同情の感情が入ってしまったらしく、そこでキールが唐突に怒るくらいの強い口調で言って来た。

「い〜いですかぁシーグル様、あの魔法使いに同情しているのかもしれませんが、その必要なんかぁあ〜りませんからね。もともとあの魔法使いぁ寿命以上の歳を生きてるのです、それがここから普通に歳を取るだけの話です。シカ達も同様、なぁにも同情する必要などあ〜りませんからっ」

 キールの勢いに押されてシーグルは目を見開く。体も思わず引いてしまえば、アウドが肩を支えてきて言ってきた。

「これ以上は体が冷えます。持ち上げてよろしいですか?」
「あ……あぁ、すまない」

 アウドに抱えあげられて水から引き揚げられ、もってきてくれていたのか体に巻いていたのとは別の布で包んでくれた。当然だが持ち上げてくれたアウドは思い切り濡れてしまっていたが、彼は一切気にしていなかった。

「すまない、アウド」
「何故貴方が謝るんですか」

 彼の口調は硬い、というか彼も明らかに怒っているような気がした。動く気力も体力もないから彼に任せて体を拭いてもらうしかないのだが、どうにも怒っている彼の様子にシーグルは困惑する。彼はこちらを起こす前に服も探してきてくれたらしく、拭いたら何も言わなくてもこちらに服を着せていく。

「ご安心下さい、装備の方はランが持って行っています」
「あぁ、そう……か」
「どうせ鎧まで着れるような状況ではないと思いましたし」
「確かにな」

 彼の声自体は淡々と抑揚を抑えたものなのだが、纏う空気が重いというかピリピリしている。

「アウド、怒って……いるのか?」

 だから、耐えきれず聞いてしまえば、そこで隊で唯一こんな姿を見せられる男は急に声を荒げて言った。

「勿論怒ってますよ。なんでまた貴方はあの魔法使いに同情してるんですか。どんな目にあわされたか思い出して下さいっ」
「すまない……」
「謝ってほしい訳ではありませんっ、同情する暇があるならどうすればこんな事態にならないか反省していてください」

 それには言い返しようがなくてシーグルも黙る。そうすればまだこちらも怒りが収まらないのか、キールが顔を近づけてまで言ってくる。

「い〜いですかぁ、そもそもですねぇ〜あの魔法使いが馬鹿なぁのです。幸運にもすごい魔石をみつけて命を伸ばす手段を見つけたのにほぉいほい他のモノまで繋げたらこうなるのは当然分かぁってた筈なんです、えぇえあれこそ自業自得ですともぉ」

 魔法使いの事情というのが関わるからどこまで自分の理解が正しいかは分からないが、あの大きな柘榴石が魔力を持っていて、あの石はこの谷の魔力を支えていた。その石と魔力を繋げる事であの魔法使いは歳を取らずに生きていられた……のだろう。だがおそらくは自分だけが置いて行かれるのが寂しくて、大切な友人であるシカ達までも石と繋げて歳を取らずに生きながらえさせた。
 確かにそれはキールの言う通り自業自得とは言えるだろう。けれどそれを分かっていてもシカ達に魔力を与えてしまった彼の気持ちもシーグルには分かった。

「……親しい者に置いてゆかれる覚悟がないものはぁ……不老なぞ、求めてはいけないのです」

 そこで最後に、呟く程度の声で言ったその言葉にシーグルは自分の部下である魔法使いの顔を見る。いつでもどこかふざけているような空気を出している彼が、冷たい瞳であの魔法使いとシカの姿を見つめているのに気づいて聞いてしまう。

「キール、お前は……」
「なんでしょぉ?」

 だがこちらを振り向いた彼の顔はいつも通りの緩い笑顔で、シーグルは言いかけた言葉を止めた。

「いや……なんでもない。」

 言ってる間にアウドが服を着せてくれて、今度は自分のマントを外してこちらをくるんでくれた。

「まずは一旦、皆に貴方の元気な姿を見せてやってください。文官殿に言われたから大人しく先に地上に行ってますが、連中もそろそろ限界でしょう」

 そのまま彼はこちらを抱きあげて歩き出す。けれど、シーグルの目はずっと動かないあの魔法使いの背をどうしても追ってしまう。砕けた石を前に肩を落としている魔法使いの姿から目を逸らす事が出来なかった。

「……ちょっとまぁって貰えますかぁ?」

 後からついてきていたキールが唐突にそう声を掛けてきて、アウドの足は止まる。それからいつも飄々とした魔法使いは、シーグルの傍に寄ってくると少し小声で言って来た。

「優しすぎる貴方のために、あの魔法使いにはちょぉ〜っと前向きになれそうなサービスをしてさしあげましょーかねぇ」



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シーグルは人が好すぎるから……。



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