【1】 「シーグル様の恋人を見たんです」 と、ある日、しごく真面目な顔でサッシャンが言った。 「それは……隊長なら立場的に許嫁とかいたっておかしくないだろ」 「だな、いくらあの人が恋愛っ気なかったとしても、家で決まってれば仕方ない」 「てかあの容姿だ、冒険者時代にモテたろうし、何人か付き合った娘くらいいたんじゃないか」 返される声には驚きが混じっているものはなく、皆割と何がおかしいのか、と言った意見ばかりだった。 ただし、一人だけは、それなりにショックを受けていたらしい。 「あんた達と違って、隊長が遊びで女性と付き合うもんですか」 何処か怒った様子の彼女、ラナ・ポーカレットはそう言って一人剣を持つと、休憩用の待機室から出て行ってしまった。 他の連中が肩を竦めて顔を見合わせる中、隊最年長の、リキレ・サネ・ローン――通称ローンじいさんが、シシシと歯を震わせて笑う。 「ったく、ラナもあれだな。やっぱ女だったって奴だぁな」 にたにたとお世辞にも品のいいとは言えないにやけ顔のローンじいさんに、他の連中は自然と顔を顰めた。 「何かあったか?」 「女って、じーさんは言い方がいやらしいな」 それらの面々を見下すような目で見渡してから、ローンじいさんは腕を組んで小指を立て、チ、チ、チと左右に振ってみせた。 「ったく、女心の分からねぇ連中だな。ラナがこんとこ、すっごい薄ーくだが香水付けてるのに気付かなかったのかよ。それに、顔やら服やら汚れたらすぐ拭くようになったし、服の乱れだってすぐ直すようになったじゃねーか。そらもう、隊長さんが来てからなっ」 それを聞いた彼らはまた顔を見合わす。 それから今度は、顔を顰める、というよりも、何処か気の毒そうな微妙な表情を各自浮かべた。 なにせ、いくら彼女がシーグルを意識したとしても、高嶺の花、というか身分違いで思いが通じる筈がない。特にあの真面目すぎる彼らの隊長なら、部下にそういう感情を向けてくれる事はまずないだろう。彼女がそれくらい分かっていない筈はないと思うが、もし本気だったりしたらどうしてやるべきかと、皆で自然とため息が出る。 だが、そんな中。 「それで、シーグル様の恋人なんですが、絵を描いてみたんです」 サッシャンが、ごそごそと筒に丸めた一枚の紙を広げだす。 それは絵を描くのが趣味の彼ならばであるが、今度は事の成り行きをじっと難しい顔で眺めていたグスが、広げて掲げたその絵を見た途端、がくりと頭を抱えて肩を落とした。 「あー……やっぱ、そうじゃないかと思ったんだよなぁ」 色もなく線だけで描かれたそれは、長い髪の、優し気な面持ちのどう見ても女性の姿で、回りの連中は皆が皆好意的な声を上げる。 けれどグスは知っていた。 「その人なぁ……隊長の兄上なんだよ」 彼らの間に困惑のどよめきが走った。 一方その頃、シーグルは相当に疲れていた。 これが体力的な疲れであれば自分の訓練不足だと思うだけの事だが、今シーグルが疲れているのは精神的な理由からくるものだった。つまるところ、ストレスという奴だ。 「やっと、今日の分が終わり……ですね」 うんざりとした声で呟いた『今日の分』とは、今日出席するべき会議の事をさす。 「本当に……愚痴っても仕方ないですが、無駄な会議でしたね」 「全く。寝るやつの気持ちが分かるくらいです」 真面目なシーグルでさえそう言いたくなるくらい、役職持ちの間では、本気で意味のない会議が延々と行われていた。 「ただ書類を読み上げるだけの事に、なんでわざわざ会議をしなくてはならないんでしょうか。……単に書類そのものを皆に回せばいいだけだと思うのですが」 「まー確実に、本人が内容を見るように、って事なんでしょうけどね」 シーグルの隣で同じく会議を聞いて、何度もこっくりこっくりと船を漕いでいたエルクアは苦笑して、この真面目で綺麗な青年を宥める事しか出来なかった。 シーグルが怒っている理由の一つに、書類を読み上げている者がやたらと遅く、文字を間違えたりひっかかったりと手際が悪い事も挙げられた。読むだけならさくっと終わるだろうそれを、3,4倍以上の時間を掛けて、手際わるーく、とろとろイライラと読まれるわけである。もう諦めて寝ていたり、たまに『病気』になって適当に欠席してる連中はまだいいだろうが、シーグルみたいなタイプにはまさに拷問だろう、とエルクアは思う。 「えーと、その、どうせ上も、本気で聞かせる気なんかなくてただの予定消化ですし、なんでしたら貴方もたまに気分が悪くなったとか言って断ってしまっても……」 「それは……」 シーグルは言葉を濁して顔を俯かせる。 そういう『ズル』が出来ないのだから、この青年は大変なのだ。 「まぁ、こんなくだらない会議に、そこまでカッカカッカする事ないですよ。もうすこし気楽にですね、ほかの連中くらいだらけろとはいいませんが、休憩時間だと思って要領よくこなしたほうがいいかと思いますよ」 シーグルはまだ眉を寄せていたが、それを聞くと大きくため息をついた。 「確かに私は、少しせっかちなのかもしれません。もうすこし余裕をもつべきだ、とは思います」 エルクアは、それで少し反省したようにしゅんとしたシーグルを見て笑う。 「それが出来たら本気で貴方は非の打ち所がなくなってしまいますね」 それにシーグルは、少し苦しそうにどこか遠くを見て返した。 「そうでもありません。私はまだ全然未熟すぎます」 冬の空は淀んでいて、重そうにもったりと膨らんだ雲が青い空を覆い隠している。 空から落ちてきている雪の粒は、今は幾分か勢いを緩め、ちらちらと軽く舞っている程度だった。 「これくらいなら、大丈夫ね」 言ってラナは、剣を鞘から抜いて構える。 そうして、雪の中、彼女は剣を振る。 ラナは元々狩人の家の出で、だから弓の腕では余程の者でなければ負ける気がしなかった。だがその半面、剣は首都に出てきてから習った為、かなり努力はしたのだが、現状で扱いが上手いとはいいがたかった。 それでも騎士になれたのだからそれなりには使えるのだが、その程度では馬鹿にされても当然だと彼女は思っている。『騎士』の称号が泣くと言われても仕方ない。 そしてまた、この程度の腕では、シーグルと練習試合さえする事も出来ない。それが彼女は悲しくて悔しかった。 シーグルはそれでもラナの動きを見てアドバイスをしてはくれるが、あまりにも腕の差がありすぎて、剣を合わせてもらう事はどうしても頼めなかった。言えばきっと受けてくれると思ってみても、あまりにも実力差があるのが申し訳なくて、言い出す事が出来なかった。 「こんな中でやっていたのか」 ふと声が聞こえて、彼女は慌てて振り返った。 銀髪の、絵画から出てきたように整った姿の青年が、雪が降る中に立っていた。 白い雪の中にいる白い容貌の彼の姿は、まるで冬の精霊のようだと彼女が思うくらい、青年の姿は綺麗だった。 思わず見とれていた事を自覚して、彼女は顔を左右に振ると、急に背を伸ばして礼を返した。 「はい、少し降りが弱くなりましたのでっ。今なら出来るかと思いました」 「熱心だな」 静かに笑ってそう言われれば、頬が熱くなる。 「いえ……その、私は、皆に比べて腕がまだ未熟ですので……少しでも追いつかないと皆の足を引っ張る事になりますから」 顔を見てられなくて下を向けば、シーグルの優しい声が返る。 「そんなに卑下しなくていい。ラナは他の皆から飛びぬけた特技を持っている。そういうのを生かして部下を使う事が俺の役目だ」 名前を呼ばれて、彼女は思わずドキリとする。女性だからと区別せず、他の者と同じく名前を呼び捨てにしてくれるおかげで、自分は彼の近しい位置にいるのだと錯覚しそうになる。 「あぁそれと……俺が剣を振っているのをとてもよく見ていてくれるが、俺の動きを見本にしようとするのはやめた方がいい」 一瞬、見ていた事を気づかれていたのに顔が赤くなったが、話の内容に彼女は不安そうに首を傾げた。 「だめ、でしょうか?」 「あぁ、俺の動きは、おそらくラナの体には合わない。実を言えば俺にもあまりあってないんだが、そこはひたすら時間を掛けてどうにかした、というところなんだ」 言われてラナはしゅんとする。彼女としては、シーグルの動きこそが理想だったのだ。 「ただマネるのではなく、自分にあった動きを身につける方がいい。そうだな、今度ファンレーンに会ってみないか、同じ女騎士として彼女から学べる事は多いと思う。彼女のスタイルを学ぶかどうかは別としても、彼女に一度見てもらうといい」 「ファンレーン様ですか?! 会わせていただけるんですか?」 「あぁ、きっと話せば彼女も会いたがると思う」 ファンレーンは、この騎士団にいた女騎士の中では、一番名前が通った女騎士だと言ってもいい。彼女が女性であるハンデを覆して、自分よりも体力も筋力もある男騎士を試合で負かしたという逸話は騎士団にいくつも残っていた。 「彼女の剣の理論は独特なんだ。基本的に自分の力は最小限で、相手の力を利用するから、構えからしてこう――」 「こうですか?」 シーグルがとった構えを、ラナもマネしてみる。 「いや、こっちの手はこうなんだ」 言いながらシーグルは、ラナの腕を持って、構えの姿勢を取らせる。 だからその時、彼女は気づいた。 シーグルから微かに香る、少しだけ甘い匂いを。 実はラナは前にも、シーグルに腕を持って動かしながら教えて貰った時があって、その時に気づいていたのだ。 それは、香水をつけているというには本当に微かな、余程傍にいないと分からないような匂いで、実はラナはそれに少し感動した。香水も、こんな使い方なら品があって、嫌味にならないのだと。 それでちょっと、シーグルの使っている香水を探そうと、彼女はその手の店に生まれて初めて入ってみた。だが、見つけたそれが余りにも高級品だったので買うのは断念して、自分で気に入った別の香水を買って、本当にちょっとだけ、毎日つけてみているのだった。ただ、どんなに調整しても、シーグル程微かな、するかどうかなんて絶妙な加減には出来なくて困っていたのだが。 「あ、あのっ……この匂い、お嫌ではないですか?」 唐突に口からそんな言葉が出てしまって、ラナは我ながら焦って口を押えた。 「あ、いえその、気にしないでくださいっ」 焦りすぎて涙目になっている彼女に、シーグルは僅かに口元を綻ばせる。 「あぁ、本当に微かだから気にならない。いい匂いだと思う」 ラナは思わず頭を下げた。 「あ、ありがとうございます」 だが、頭を下げたのはいいものの、顔が火照っているせいで頭を上げる事が出来ない。下げたままどうしようと焦る彼女を見て、シーグルが柔らかい声で話し出す。 「正直パーティなどでやってくる女性は……その、香水の匂いがきつすぎて、たまに頭がくらくらする事がある。だから、これくらいの方が、俺はいいと思う」 顔の火照りもだが、口元がどうしても緩んでしまってラナは今度は手で口を押える。深呼吸をしてからそうっと顔を上げてみれば、銀髪の、誰よりも騎士らしい美しい青年は、ラナを優しい瞳で見下ろしていた。 ――こんな人って本当にいるんだ。 ラナがシーグルを見た時、最初に思ったのはその言葉である。こんな、絵本の挿絵の王子様みたいな見た目と、中身もどこまでも綺麗な人物。いくら男まさりと言われる彼女であっても、心が躍らない訳がない。 ただ勿論、ラナは自分の立場もシーグルの立場もちゃんと正確に理解していたから、あわよくば、などという大それた期待をしてはいなかった。絵本の王子様と結婚するんだなんて事は、この歳になっていう話ではない、という程度にはシーグルに対して恋愛云々を語る気はなかった。 所詮、単なる憧れだ。それは重々承知している。 しかも、ある程度遊んでいた女性であれば、恋人や妻にはなれなくても情人ならとモーションを掛けたかもしれないが、そういう部分ではラナはウブというか真面目であった為、本当にただの憧れだけしかなかったのである。 「隊長が……本当に微かに香水をつけてらっしゃるのが、その、とてもいいなと思ったので、マネ、させて頂いたんです……」 けれど、思い切ってそれを言えば、シーグルは少し目を見開いて、首を僅かに傾げた。 「いや、俺は……特にそういうモノはつけていないが」 その言葉が、今回それなりに騒動を起こす事を、彼女はまだ知らなかった。 --------------------------------------------- 今回はかるーいノリのお話です。後、前回の話で出番多かった連中は出番少なく、あまりなかった連中を中心めに書くというのが目標です。 あ、ジジィ組は基本にぎやかし役なので、今回もその程度の役割です。 |