【9】 空が暗くなってくれば、リパの月が上る。 一年で一番強く、明るい光を放つ月の出現に、街行く人達は空を見上げる。 そうすれば、広場に集まっていたリパ神官達の持つランプに一斉に光が灯され、広場はたくさんの青白い幻想的な炎で埋め尽くされる。大聖夜の本式典の始まりを告げるその光景に、ざわついていた人々は口を閉じて、今度は空ではなく闇と炎の光景に魅入った。 神官達は列を作って大神殿に向かって歩き出す。途中途中、手に持っていたランプを道の中央に設置されているランプ台に置いていけば、神官達から光がなくなる代わり、彼らが通った後に光の道が出来上がっていく。 静けさの中で、太鼓が叩かれる。 音に驚いた人々が振り返れば、広場の4隅に設置された大きな台から魔法の炎が噴き上がって、急激に辺りを明るく照らした。 その、広場の中心に浮かび上がる、2騎の騎馬。 見ただけですぐに見分けがつく、まったく違う作りの鎧を身につけた馬上の人物達は、それぞれ槍を受け取ると、構えて正面から対峙する。 チュリアン卿の立ち位置は、広場の中でも真中から少し南、大神殿から遠い位置になる。対するシーグルの立ち位置は広場の北、大神殿へ続く大通りの入り口に当たる位置になる。ちなみにこの時間、この広場から見える月の位置は北よりの東、丁度大神殿の上にある。リパの丸い月に見守られた2人の騎士は、馬上で互いに背筋を真っ直ぐに伸ばし、槍を脇に構えて見つめ合った。 太鼓の音は弱く、けれども一定のリズムを守って、途切れる事無く続いている。 だが、その音が一度止み、力強く一斉に3度叩かれたと同時に、ただ立っていた騎馬は互いを目指して走り出した。 夜闇にさえぼんやりと浮かぶように映える白銀の鎧の騎士と、使い込まれた褐色の鈍い輝きの鎧の騎士が互いに槍を構え交差する――。 「今年もお疲れ様ですね、レッサー」 「って、フィダンド様、何処へいっていたんですか」 大の大人になっても子供の頃の愛称で呼んでくる魔法使いに、チュリアン卿はがっくりと肩の力を抜いた。 彼は子供の頃知り合ってからずっと、チュリアン卿にとっては師のような存在であった。勿論、チュリアン卿は騎士で、彼は魔法使いだから実際の師弟関係ではないのだが、彼の助言とサポートがあったからこそ、チュリアン卿は今この地位にいるといっても過言ではなかった。出会った時から見た目が殆ど変わらないから、実際は相当な爺さんだとは思っているのだが、それを言うと後で酷い目に合うので言ってはいけない。 「おや、いつもなら、うんざりぐったりした顔して、早く砦に帰ろーって言い出すのに、今年は随分楽しそうですね。いい事がありましたか?」 くすくすと笑いながら言ってくる魔法使いに、チュリアン卿は口をへの字に曲げた。 「……どうせどこかで見てたんでしょう。本当に貴方は人が悪い」 「えぇまぁ、見てましたよ、どうでしたか、シルバスピナの若君は」 やっぱりな、と内心舌を出したい気分になりつつ、まぁ今更だと思い直す。 今では、立場上は自分の文官という位置にいる彼は、毎年祭り参加にはついてくるものの、セニエティについた途端姿をくらまし、お役目が全て終った頃にふらっと帰ってくるのが常だった。 「彼は素晴らしい騎士になるでしょうね。……将来の騎士団の幹部候補に彼みたいな人物もいると思えば、少しは明るい未来が見えてきそうだ」 浮かれているともいえる楽しそうな口調で、チュリアン卿はつい先程の試合を思い出しながら話しだす。 ――シーグルとチュリアン卿の勝負は結果として、当然と言えば当然ながらチュリアン卿の勝ちで終わりはした。 とはいえ、3本勝負の判定勝ち、完全に本気だったチュリアン卿相手に、あの状態でもシーグルは落馬だけはしなかった。それだけでなく、チュリアン卿は数年ぶりに、馬上でバランスを崩しそうにさえなった。文句なく今回の競技会で一番いい戦いだったとチュリアン卿は思っている。何しろ、チュリアン卿の本気の気迫に全く怯む事なく堂々とした態度で最後まで向かってこれるというだけでも、精鋭揃いの自分の部下達以上だと言う事が出来るのだから。少しも逃げずに真正面からぶつかって、意地でも落馬だけはしなかったシーグルには、体格的に不利な事と今回の彼の体調、それにその若さを考えれば、次は勝てると言い切れるだけの自信がないとチュリアン卿は思う。そして、そう考えるだけで楽しくて、約束した彼との再戦が待ち遠しくて仕方がなかった。 久しぶりに勝負で血の湧き立つ思いをした彼の機嫌は、だからすこぶる良かった。 ところが、そうして盛り上がっている彼に対して、まさに水を掛けるような言葉を魔法使いはいうのだ。 「そうですね。無事、彼がそこまでいければ、ですが」 「不穏な事言わないでください」 魔法使いの表情はいつも通りの軽い笑顔で、それが冗談なのか本気なのかはわからない。 「いろいろと、彼には彼の所為ではないところで問題がありますから。本当にいい青年なんですけれどね。中身も勿論ですが見た目も目の保養にもなりますし」 確かにあの容姿のせいで困った連中に襲われるような事態になっているのだから、それは大変だろう、とチュリアン卿も思う。 「……それは、確かに、そうでしょうが……って、何処かで彼に会ったんですか?」 遅れて気付いた事に、チュリアン卿が魔法使いを凝視する。 それににっこりと返す魔法使いの顔は満面の笑顔で、彼がこういう顔の時はロクなことを言わない、とわかっているチュリアン卿は顔を引き攣らせた。 「えぇ、貴方があんまりにも、シルバスピナの跡取が〜っていってましたからね。個人的にも、私も会いたい理由がありましたし。ついでに味見もしてこれました」 「味見? 味見ってなんですかッ、まさか貴方がシーグル殿を襲った犯人じゃ……」 「ははは、いくら私でも、そこまでの気合も度胸もありませんよ。レッサーが狙うならお手伝いしますがね」 このジジイは何言ってるんだ、と内心思っているチュリアン卿は、そこで思わずシーグルのあられもない姿を思い出してしまって顔が赤くなってくる。 「いやっ、俺はっ、いやその確かに彼は綺麗だし、その正直ちょっとヤバかったですけどっ、俺はそういう意味で彼に会いたかったんではなく……」 焦ってしどろもどろになっているのを自分でも自覚しながら、頭の中から切なげに喘ぐシーグルの声と姿が消せなくて、視線が宙を彷徨う。 けれども、笑顔の魔法使いの顔が急に真顔になって、彼は驚いて口を止めた。 「冗談です、命が惜しいならやめときなさい」 普段から何でも物腰柔らかに、穏やかな彼がこれだけ真剣に言うのは珍しく、自然チュリアン卿の表情も固くなる。 「貴方に教えておきましょうか。シーグル・シルバスピナは旧貴族の跡取りですから、槍についてはそこまで実践的な訓練は受けてません。ですから勿論、実際の戦は当たり前として、どの競技会にもでた事はありませんよ」 「本当に?」 聞き返すほど彼が驚いたのには理由がある。いくらシーグルが優秀で訓練の方は真剣にしていたとはいえ、試合でも戦でも、実践経験がないものが、あんなに迷いなく思い切り突っ込んでこれるものではない。しかも相手は試合どころか実際の戦場で勇名を馳せるチュリアン卿なのだ、それに気圧されないだけでも驚くべき事である。 いくら今回の試合は、式典前に怪我人を出すわけにいかないと、リパ神官が特に守りの魔法役を多く準備をしていたとはいえ、あれだけ迷いも動揺もなく馬を走らせるには、度胸とそれを裏付ける経験がある筈だった。そのくらいのプレッシャーを彼は相手に掛けていたつもりだった。 「本当ですよ。けれども、貴方が思い切り掛けていたプレッシャーに、彼はまったく圧されなかった。その意味が分かりますね?」 それは、つまり、彼はチュリアン卿と同等以上のプレッシャーを持つ相手と対峙した事があるという事だ。 チュリアン卿の顔に、先ほどまでの機嫌がいいだけの笑みとは違う、深い笑みが口元だけに浮かぶ。笑っていない目は爛々と輝くように生気に満ちあふれ、遠い風景を凝視する。 「成る程、それは益々彼と真剣に勝負する時が楽しみだ」 試合から無事式典までが終って、着替えに帰ってきた部屋で、シーグルは明らかに怒った声で文官の魔法使いに詰め寄った。 「キールっ、どういうつもりだ。結果的には、チュリアン卿が信用出来る人物だったから良いものの、あの時点であそこまで言わなくても良かった筈だろう」 「いーじゃないですかぁ。ヘタな言い訳考えるのも面倒でしたしねぇ、まぁあの御仁なら大丈夫だってぇ確信はあった上でしたので大丈夫ですよ〜」 そう言われれば、結果としては問題なく終ったのだからどうとも言えない。ただ、いくら信用出来る人物だとしても、初対面の相手に向かって、男の、しかも騎士の自分が襲われましたと言うのは、流石に情けないというか、それが第一印象として残るのは簡便してもらいたい、とは思う。 「どーせ見られた場面が場面ですからねぇ。ヘタに取り繕って不審がられるよりいいじゃないですかぁ。……いや別に、私は構いませんけどねぇ? シーグル様が、部下の文官にそっちの意味での相手させてるって思われてもねぇ〜」 シーグルは軽く眉を寄せて口をぎゅっと噤む。 目だけは抗議を返してはいたが、頬は僅かに赤い。 そんな彼を見て、キールはにやにやと笑っていた顔を一瞬だけ真顔にする。 「それにちょっと私も頭に来てましたしねぇ。なにせこんな面倒な事になったのも、あの人が確認も取らずにシーグル様と勝負したいなんて言ってくれたお陰ですからねぇ。少しは反省してもらわないと」 珍しく、彼の声は本気で怒っているとわかるものだった。 その原因が自分の為だと分かるからこそ、シーグルは瞳の怒りを消して、諦めたように息をつく。 「謝って貰いすぎたが」 「もっと謝って貰っていいくらいですねぇ」 騎士らしい堂々とした体躯を出来るだけ縮こませて、とにかくひた謝りしていたチュリアン卿を思い出すと、少しだけ気の毒な気もした。 「まぁいいじゃないですか、これで向こうへの貸しはチャラってモンです」 その言葉の意味がまったくわからないシーグルは、首を傾げてやれやれといった顔のキールを不審な目で見つめる。それに軽く嫌そうな顔をすると、キールは大きなため息をついて説明を付け加えた。 「祭りの初日、貴方に接触してきた魔法使いがいたでしょう。あの人が貴方の鎧にちょっとばかり『残り香』をつけていってくれたおかげで、馬鹿な雑魚が貴方に手を出せなかったんですよねぇ。……鎧じゃなくなった途端あっさり襲われた訳ですからね、効果の程は流石でしたが」 その後にも、ごちゃごちゃと何かを呟くキールにシーグルが不審な目を向けると、気付いた彼は何故か恨みがましい目でシーグルを睨み返した。 「えぇ、それでですねぇ、その魔法使いが、チュリアン卿の保護者というか相方というか関係者だった、という訳です」 「そうなのか」 それには確かにシーグルも軽く驚く。 けれどどうやらそれだけですまなそうなことは、その後のキールの顔が更に険悪にしかめられたことでわかる。 「チュリアン卿本人は、そんな事があったのなんか知らなかったでしょうけどねぇ。まぁ、助かった事は確かでしたからぁ、感謝はしていますがね」 「なるほど、世間は狭いものだ。ところでキール、なんでお前は感謝してるというわりに、そんなに嫌そうに言うんだ」 ぐちぐちとひたすらつぶやくだけで話の見えないキールに、シーグルも呆れて、いい加減はっきりと理由を聞いてみることにした。 途端に、がっと、まるで噛みつくような顔でこちらを向いたキールは、普段ののったりした口調とはかけ離れた勢いで怒鳴るように言い放った。 「それはですねぇえ、そのチュリアン卿の関係者って魔法使いが、私のお師さんだからですよぉおおお」 どん、どん、と持っていた杖でまるで地団駄を踏むように床を叩いている様子からすれば、相当彼は苛ついているらしい。 「まったく、あの人は絶対こちらに貸し作るつもりだったんですよぉ、年甲斐なくシーグル様に手ぇ出して、これ見よがしに跡つけてくんですからねぇえ。絶対嫌がらせも込みです、私がシーグル様に付いてると分かっててに違いないですよぉぉおお」 それでも気が収まらない彼は、ぶつぶつと未だに愚痴を続けていた。 そんな彼に対するシーグルといえば、もう声を掛けるのも止めて、本気で呆れるしかなかった。 「……本当に、世間というのは狭いものだ」 ちなみに、本式典が終わった後、残りの祭り二日は、キールがいうところの彼の師匠の『残り香』のせいか、ほぼ何事もなく無事に過ぎた。 サーフェスが言っていた通り、リパの月の前後が過ぎれば、シーグルの中の黒の剣の魔力も落ち着いたらしく、やたらと魔法使いに絡まれる事もなくなった。 それでも、以後魔法使いを見る度に必要以上に警戒してしまうシーグルにキールは笑っていたが、彼曰く『シーグル様にはそれくらいが丁度いいです』との事らしい。 ただ一つ問題があるとすれば。 「たぁぁいちょぉぉお〜、チュリアン卿と試合したって本当ですか? なぁんで教えてくれなかったんですかぁぁあああっ」 どうやらシーグルの試合の時が、隊の皆の休憩時間と重なっていたらしく、知っていれば仮眠しないで見に行ったのに、と散々後で泣かれてしまった。 しかも相当にそれは根にもたれたらしく、以後2週間近く、シーグルは顔をあわせる度に、隊の若手達に訴えるような恨みがましい目で見られる事になった。 END. --------------------------------------------- このお話はここで終わりです。チュリアン卿はなかなかの好青年(いや設定的に30ちょい過ぎなんで壮年か)で、印象は良かったのではないかと。騎士団の勇者としての名声もあり、部下達からは無茶苦茶慕われて頼りにされてるいい隊長さんですが、ちょっと体育会系過ぎっていうかデリカシーがないので、女性にはモテるのによく振られるという裏設定があります。 |