愛しさと悔しさの不協和音




  【1】




 ある晴れた昼下がり、というか、昼食後の休憩中、ロウ・アズーリア・セルファンは、人通りのない訓練場の片隅に座り込み、城壁にもたれかかって呟いた。

「俺のこの気持ちって、やっぱ、無理で無駄なモンなんかなぁ……」

 この気持ち、というのは勿論、彼の親友で幼馴染でもある、とんでもない美人の銀髪の騎士(男)に対するこの甘く切なくしょっぱい恋心の事で、もし当の本人が聞いていたなら『だから何度もそう言っている』と吹雪のように冷たい青い目で言われるに違いないものである。いや、シーグル本人ではなく、彼の隊の連中にこの呟きを聞かれたなら、『当たり前だろこの馬鹿』と、本気でリンチにあう一歩手前にまで追い詰められる事確定であった。
 ……と、そこまで考えて、ロウは、更に落ち込んでため息を付いた。

「こんなとこで何やってんだ、お前?」

 声を辿って上を向けば、騎士団に入ってからずっと相方のようになっている同室の友人と目が合う。

「あー……お前かぁ」
「お前かぁじゃないだろ、っとにお前、心配してわざわざ探しに来た友人に酷い言いぐさだな」
「いやまぁ、お前だし」

 そこまで言われれば流石に腹に据えかねたのか、アルセットは無言で、げし、とロウを蹴った。

「まったく、どーせお前、またあの人の事考えて一人であーだこーだやってたんだろ」

 それを言われれば図星な分、ロウに言い返す言葉はない。ロウが恨みがましい顔で睨みつければ、アルセットはロウから少し離れた隣に、彼もまた城壁に寄りかかって座った。

「いー加減諦めろよ。あんだけきっぱりはっきり振られているんだからさ」

 胸に突き刺さる言葉をこれ以上なく直球で言われて、さすがのロウも息を詰まらせて胸を押さえる。

「お前なぁ、友達がいなさすぎだろ。せめてもうちょっとやんわりと言うとか、慰めるとかさぁ」

 半分泣きそうな声でロウが言うと、表面上は穏やかだったアルセットの表情が一変して、思い切り不機嫌に睨みつけてくる。

「友達がい? あのな、最初はちゃんとお前の相談も聞いてやったし、愚痴だっておとなしく聞いてやった。慰めてもやったぞ俺はっ。でもな、こう、何度も何度もじめじめねちねちと同じ事をずーーーーっと聞かされてみろ、同情する気もなくなってうんざりするぞっ。それが、無駄だって結果が既に分かってるなら尚更だっ」

 その勢いに押されて引き攣りながら苦笑いをした後、ロウはまたため息をつくとがっくりとうなだれた。

「無駄、かぁ」
「あぁ、無駄だ。ってかお前、この間は『シーグルにちゃんと見てもらう為にまずはあいつより強くなる』って張り切ってたじゃないか、それはどうしたんだよ」
「う……」

 そこを付かれるとロウの顔も引き攣るしかない。
 もちろん、その決意を放棄したわけでは決してないのだ。
 これでもロウは、決心してからずっと早起きをして、冬季の休暇中だってずーっと訓練を欠かさなかった。親からは何が起こったんだと驚かれるくらいには、真面目に、一生懸命、一日も欠かさず、家の仕事もやりつつちゃんと鍛えていた。手合わせ等は出来なくても、かえって騎士団にいる時よりも集中して筋力やら基礎の訓練をやれた事もあって、だからロウは、この休み開けで自分は絶対強くなっていると確信していた。

 なのに、前期が始まってすぐにシーグルに手合わせを申し込めば、やはりあっさりと負けて、想い人ではなく地面と熱烈なキスするはめに陥った訳で……意気込みも決心もくじけそうになっても仕方ないではないか、というのが今のロウの心境だった。

『強くなったな、ロウ。休み中にもかなりやっていたんだろ』

 涼しい顔で嬉しそうにそう言ってくれた麗しの君、もとい最愛の現状親友殿は、剣を合わせている最中、苦戦する顔どころか一瞬の焦り顔さえしてくれなかった。というか、最中に声を掛けてきた段階で、相当に余裕があるのが分かってしまった。追いつくどころか更に差が広がったようにしか思えず、ロウの気合いはいきなり出鼻をくじかれたのだ。
 確かに、この冬で自分は強くなった筈だった。……その筈、なのに、向こうがそれを余裕で上回ってくれると、いくら普段は馬鹿とか脳天気とかいわれているロウだって、心がぽっきりと折れたくなる。

「俺はがんばったんだ、がんばったんだぞ〜」

 やけくそで叫んでみれば、アルセットが苛立つ声をそのまま吐き出すような、大きなため息をついてみせた。

「あーもー、お前が努力してんのは分かった。ちゃんと強くなってるのも俺が保証してやる。何せ、今期が始まってから俺は一本もお前から取れてないし、取れる気がしない」

 泣きそうな顔になっていたロウは、それで同室の友人の顔を見る。

「努力してる分はちゃんと出てる、だからそれは自信持て」

 肩をがしっと掴まれて、力を込めて言って貰うと、ロウだって自然と口元に笑みが戻ってくる。

「……おぅ、そか、うん、ありがとな」

 けれど、礼を言ってにぱっと笑えば、ロウよりも真面目で理性的なこの友人は、更に声に力を込めて言ってくれたのだ。

「だがな、それでも全然差が縮まらなくて、向こうが更に強くなってるって言うなら、それはお前の意気込みや真剣さが向こうに負けてるって事だ」
「う……」

 真剣な友人の言葉は、ロウには痛すぎた。

「で、性格上、どう考えてもお前があの人に真剣さで勝てる訳がない」
「……おいまて、俺を励ましてくれるんじゃないのか? つまりお前何が言いたいんだよっ」

 完全に雲行きが怪しくなってきたアルセットの言葉に文句を言えば、彼は真顔のまましれっと答えてくれた。

「うん、だから、お前があの人に追いつくのは無理だ。同じ土俵に上がれない時点でたわ事を言う権利もない。つまり、すっぱり諦めろ」
「…………」

 その後、やたらと元気に昼休みに追いかけっこをしていた者がいた事が騎士団内でちょっとした噂になり、午後の仕事でそんなに元気が有り余っているならと、ロウとアルセットは隊の先輩連中に相当に絞られたのだった。








 日が傾き、今日の訓練を終えたシーグルは、隊の者と別れると、いつも通り自分の執務室へ向かっていた。今期が始まったばかりという事で予定等いろいろ話があると、歩く隣にはグスがいて、彼も共にシーグルの執務室に向かっていた。

「ききましたか隊長。ロウのやつ、昼に追いかけっこやって、今日の訓練は特別メニューになったらしいですよ」
「……あれは、ロウだったのか……」

 にやにやと笑みが押さえられないといった様子のグスにため息で返すと、シーグルは軽く頭を抱えた。

「何をやってるんだあいつは」
「いや、隊長が原因じゃないんですか?」

 呟きに、当然のようにそう返されて、シーグルは驚いてグスの顔を見返す。

「俺が? 今日はまだロウに会ってさえいないんだが」
「いやでも、あの馬鹿……失礼、彼があーゆー意味不明な騒ぎを起こす時は、大抵隊長が原因ですので」

 グスの推測は全く間違っていないのだが、当のシーグルが知る筈はなかった。

「まーでも、俺が思うところ、昨日のアレが原因じゃないかと思うんですけどね」
「……あれ?」

 怪訝そうに眉根を寄せたシーグルを見て、グスが喉を鳴らして笑う。

「いやほら、昨日、隊長に手合わせしてくれって来て、あっさり負けたでしょう?」
「そんなの、いつもの事だ」
「あぁいや、それはそうなんですが……昨日のはその、傷ついたんじゃないですか、がんばったようでしたからね」

 それ以上は笑い声に取って代わって、グスの言葉は途切れる。シーグルは彼の言いたいことが分からなかった。

「あいつがあれで傷つくような奴なら、俺に寝ようとかキスだとか言ってくるのはとっくに止めてる」

 それくらいこっぴどく拒絶している自覚がシーグルにはある。
 聞いたグスは腹を抱えて、苦しそうにさえ見えるくらい体を震わせてますます笑う。

「いやーあいつぁ、いい意味で馬鹿ですからね、ストレスは発散してすぐ立ち直れるんですよ」
「それは……ある意味羨ましい性格だな」

 呆れながら言ったものの、シーグルとしては実はかなり本音も含んでいた。
 毎日家に通ってくる、徹底したポジティブ思考の神官青年いわく、『どうにもならない時にどうしようなんて考えるだけ無駄だろ? 動けるべき時に動くべきであって、どうにもならないなら気にしない。世の中、自分にとっていい方にいけるって信じて動いてればさ、結構、どうにかなるチャンスを見つけられるもんだ。下を向いてぐじぐじ考えてると、そのチャンスを見落としたり、怖くてチャンスに飛び込めなくなったりするんだぜ』という事で、実際彼は、フェゼントに怒られても、次の日にはまったく引きずる事なくけろっとしている。考えてみれば、確かにロウもその系統の人間らしい。
 ウィアの超楽天的思考は、一見お気楽すぎるように思えてその実結構理に叶っている、とシーグルは感心するところがあり、ある意味尊敬さえしていたりする。シーグル自身は少々物事を悪い方に考えすぎる部分があるので、もう少し気楽に構えてもいいと普段からよく言われている手前、彼に倣うところがあるとは常々思っているところだ。

「そうですね、隊長は少し見習った方がいいと思いますよ」

 そうしてまた、よくシーグルにそう言ってくる人物の一人が、しみじみと、ため息さえついて言った発言に、シーグルは内心少し落ち込んだ。

「考えておく」

 だからそうとだけ返して、この話はもう終わりにしようとグスに告げる。
 たとえ自分が原因だったとしても、ロウなら性格上放っておいても問題ない筈だった。





 そうして、翌日。
 めげない男は、やはりめげずに立ち直っていた。

「あいつがとんでもなく強いのなんて今更じゃねーか。いくらいつもあいつが先にいっちまってても、ここで立ち止まったら絶対に追いつけないんだ。なら、こっちはひたすら追いかける為に走るしかねぇっ」

 誰もいない廊下で、理論は強引すぎるものの勢いだけで気合を入れたロウは、朝の訓練をしているシーグルの隊がいる訓練場へと向かっていた。
 だが、意気揚々とそこへ向かった彼は、訓練場の様子を見て考え込んだ。

――あれ、なんだか人多くね?

 いくら頭はあまり良くないロウであっても、記憶にある昨日までの風景とくらべて明らかに多い。だから目を凝らして面子の一人ひとりを見れば、確かに、見覚えの無い顔が数人見える。
 ここで最初にロウが思ったのは、自分のように他の隊の連中がきたのか、という事だった。ただし、他の隊の人間なら、流石にロウが見た覚えが全くないという事はない筈で、だからそれは早々に違うと分かる。なら、と次に考えたのは補充に新人が入った可能性で、そういえば元々シーグルの隊は新設の為、最大人数には足りていないと思い出す。
 それならそれで別に問題はない。大きく深呼吸をし、ロウは気を取り直して歩きだした。

「おーはよー、シーグルー」

 いつも通り、機嫌よく挨拶をすれば、いつも通り、攻撃的な視線がこちらに突き刺さる。さすがに毎日のこの非歓迎ムードには慣れたものの、いつもなら返ってくる筈のシーグルからの返事がなくて、ロウは急いで愛しい青年の姿を探した。

「それではいきますっ」
「あぁ、いいぞ」

 聞こえた声に顔を向ければ、見慣れないガタイのいい男とシーグルが今まさに練習試合を始めようとしているところで、ロウは急いで彼らがよく見える場所へと走った。

「あいつは誰だ?」

 見物に集まりはしないものの、自分の方の手を止めてシーグル達の戦いをみようとしていたマニクの近くまでいって聞けば、不機嫌そうに彼は答えた。

「アウド・ローシェって、今日からこっち所属になる奴だよ」
「やっぱ新人か」
「いや、後期からこっち移るんだってさ」
「なんでまた……」

 と尚も聞こうとした時、鉄同士がぶつかりあう音が派手にして、二人とも戦闘の方に集中する。
 シーグルの剣が、アウドの盾を叩く。
 珍しくシーグルの方から仕掛けているのも驚くべき事だが、アウドという男も盾の防御は完璧で、あの速い攻撃を全て受けている。
 アウドが片手剣に盾、対するシーグルは両手剣という、一般的に得物でいえば両手剣が不利な点を、シーグルの場合は旧貴族の鎧でない事にしている為、ハンデを付けているという程ではない。それであれだけの勝負を出来るなら、つまり、あの男は相当の実力者だという事だ。
 シーグルは剣の長さを生かして、相手の剣の範囲外から、速さに任せて一気に距離を詰めて一撃を与え、盾に防御されればそこで引く事を繰り返す。アウドの方も最初はそれにただ防御しか出来なかったものの、突然、シーグルが詰めてくるのに合わせて前に踏み込み、盾でシーグルの体毎吹っ飛ばそうとした。
 回りの者達から声が上がる。
 シーグルは盾に押されて後ろへ上体を逸らしたものの、その盾を蹴ると同時にマントで相手の視界を遮り、距離を取って体勢を立て直した。

「さっすが……」

 マニクの呟きに、ロウは頷く事しか出来なかった。
 漏れる声は感嘆の息ばかりで、言葉にならない。
 実際のところ、隊の中の手合せ程度では、シーグルが完全にフル装備で相手をする事もあまりない。旧貴族の鎧は高性能過ぎて、どうしても勝負としては不公平になるからというのもあるが、必要ないというのが正直な話だろう。
 だが何より、シーグルとの勝負でこれだけ長く打ち合っていい勝負まで持っていける者がそもそもいない。
 シーグルは基本、隊の者と3本でやる時は、最初の2本はあっさりとって、最後の1本はわざと手を抜いて打ち合うようにしている。ただそれは、見ただけで勝負ではなく稽古というのが分かって、こんな緊迫した打ち合いになる事はない。
 一応、勝つというだけなら、ロウは今まで、大量の負けのほかにシーグルから2本だけ取った事がある。けれどそのどちらもが、イレギュラーなアクシデントがあったり、シーグルが体調が悪そうだったりと、マグレで勝ったといえるものだけであった。実際、隊のほかの連中よりはいい勝負を出来るという自信はあるが、シーグルが本当の本気を出した状態でちゃんと打ち合えるかというと、自信はない。

「しっかし、あいつすごいな、足悪いとは思えね……」
「……なんだって?」

 マニクの呟きにロウは焦って聞き返した。驚きすぎて、思わずマニクを振り返る。

「昔怪我したらしくてな、右足は俊敏に動かす事はだめなんだってさ。歩く時も軽く足ひきずってるしな」

 目をシーグル達の戦いに向けたままマニクは答え、ロウも急いでそちらに顔を戻すと、アウドの足の辺りをじっと見つめた。
 言われれば確かに、アウドの右足はあまり動いていない。
 軸足として使うだけで、踏み込むのは左足だ。右ききのアウドからすれば、剣を伸ばす時に右足を出せないのはかなり厳しいハンデだと分かる。おそらく、だから剣を伸ばすよりも、盾でシーグルを押す動作が多いのだろう。

「それでこれかよ……」

 アウドという男は相当にデキる人物ではないか。少なくとも、ロウとしては『負けた』という思いが見ているうちに段々強くのしかかってくる。
 意気揚々と訓練場へやってきた筈のロウは、再び意気消沈していた。

 それから暫く後、結局、試合はシーグルの勝ちで決着がついた。終って見れば3本中3本シーグルが取って、いつも通りといえる完全勝利である。
 けれども回りの者達からは、アウドに対して賞賛の声と拍手が惜しみなく贈られた。




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ロウメインのお話ですが、ちゃんとシーグルも話に絡みます。
また切り替わりの時期が来て、前期組にメンツが戻ってきたのです、が……。



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