<プロローグ・メイヤの章> 【4】 その日から、メイヤの日課にいろいろと仕事が増えた。いや、仕事というか、ただの修行なのだが。 朝は軽い鍛錬と外の掃除をして、食事を作って、ティーダを起こして食事した後に洗濯して……までは一緒なのだが、その後にひたすら石に力を込める作業をさせられていた。 ティーダいわく、この石は魔法を吸い込む力があって、少しでも力を放出出来れば石が吸う為、その力を引っ張り出してくれるらしい。 まずは体の中の力の通し方を覚えろという事だそうだ。 更に言えば、こうして石に魔力を溜めておくと、後でその石から魔力を引き出して使えるから便利でもあるとも言っていた。 だがその作業は、メイヤが思った以上に困難ではあった。 魔力が入れば石には色がつく、という事だが、この作業をはじめてから3日、未だに石の色が一瞬でさえ変わった事はない。 更に、これは午前中の修行で、午後の修行は落ち葉を飛ばして落ちるそれらを手を触れないで集める事だったり、その落ち葉で火を炊いて、その煙をじっと見て動かす事だったり、もしくは煙のいく方向を風が変わる前に予想したりと、ティーダのいうところの”基礎中の基礎”の修行をしているのだが、そのどれもが、今のところほんの僅かでも成果が出た事はなかった。 「まぁ、ンな焦るなよ。悪いが元々オマエの力自体が低くて引き出し難いんだからさ。オマエの場合、引き出すのが難しい分、引き出し方さえ分かればすぐ使えるようになれるから、それまではじっくりがんばるしかねぇよ」 ティーダはそう言って笑っているし、当初の目的である弟子になる、という部分がクリアされた訳だから焦らなくてもいいのだが、それでもやはりメイヤとしては悔しいのだ。 子供の頃から剣の修行をさせられてきて、努力でどうにかなる事はどうにかしてきたという自負がある。それに、早く成果を見せて、ティーダにいろいろ教わりたい、褒められたい、という子供らしい願いもあった。 勿論いくらメイヤでも、数日でいきなり魔法が使えるようになるとは思っていない。ただ、これだけ一生懸命にやっているのだから、ほんの僅かでも前進したという成果が欲しいのだ。 「やっぱ俺、魔力が本気で低いんだろうなぁ」 メイヤの家は5代続いた剣士の家だ。母親の方だって魔法使いになった者が身内からでた事はない。血で言えば素質はまずないだろう。ただ、子供の頃会った魔法使いに、剣士の割には魔力がある、魔法使いになりたいなら目指せない訳ではないと、そう言われた記憶がメイヤに決断させた理由の一つではあったのだ。あの時はまだティーダに会う前だったから、まさかその後、自分が本当に魔法使いを目指すとは思いもつかないで、笑ってその魔法使いに”俺は騎士になるんだよ”とその辺の子供らしい夢を胸を張って言ったものだったが。 そうしてメイヤは、ふと気がつくと、雑念を振り払うように頭を振った。 ――集中しないと。 石を手の中に軽く握り、呪文を唱えながら額に意識を集中する。そこに意識を溜められたら、そこから道筋をたどるように意識を移動させていく。頭を降りて胸を伝って、腕の付け根から腕をずっと下がって掌へ。成功していれば、熱が伝っていく様子が分かるとティーダは言うが、その感覚はあるものの、暫くしてもやはり石の色は変わらない。 暫くはずっとそれを繰り返しているのだが、それでもやはり、成果が全くでないとたまに集中も途切れる。 「感覚、は分かるんだけどなぁ」 腕輪を使った時に、熱が体を通る感覚は分かった。だからそれを思い出して、感覚ではあの時のような強さはないものの出来ている気はするのだが、いかんせん、それが結果には現れない。 泣き言を言う気はないからティーダには言わないものの、それでもメイヤは煮詰まっていた。 とにかく、放出出来る力が足りない、そうとしか思えなかった。 力が少なければ少ないだけ、最初のこの魔力を引き出せるようにするところが難しいらしい。だから、ギリギリのところであるメイヤが難しいのは仕方ない。 けれども。 努力する事には自信があったメイヤも、それが1月経っても全く成果の兆しさえ見えなければ、自信がなくなるのは仕方がなかった。 「おい、メイヤ」 掛けられた師の声の常になく優しい響きに、思わず悔しさで泣きそうになっていた目から涙が落ちた。それを見られたくなくて、メイヤは目をごしごしと腕で拭き、掛けられたその声に応えて振り向こうとしなかった。 こうしてずっと石を持っている姿を、いつでもティーダが見ていた事をメイヤは知っていた。言われた時間外でも、一人になるとこっそり石に意識をこめていた事もティーダは何故か知っていた。 「おいメイヤ、こっち向け馬鹿弟子」 ティーダが笑ったのが気配で分かる。 それは勿論馬鹿にした笑いじゃない、たまにメイヤが意固地になった時に見せる、優しい瞳での苦笑だ。 「嫌です。今、修行中です。集中切れますので話し掛けないでください」 悔しくて泣いてる顔を、彼に見られたくはなかった。 けれども、師は怒る事なく、今度は何も言わずに近づいてきたのが気配で分かってしまう。 「集中してるんです、放っておいてください」 すぐ傍に彼の気配を感じて、メイヤは少し強い声で怒鳴った。 けれどやはり、彼の気配は近づいてきて、そしてすぐ後ろまでくると足を止めた。 振り向かないメイヤの目の前、地面の上に長いローブを着た長い髪の人物の影が、メイヤ自身の影を飲み込むのが見える。しかしそれはすぐに低くなり、しゃがんだ師の、男にしては少し華奢な手がメイヤの肩に乗せられた。 「仕方ねぇなぁ……ほら、ちょっとこっち向け」 そう言って、実力行使という気か、ティーダはメイヤの肩を引く。 「だから、用なら後で……」 思い切って振り向いたメイヤは、そこで顎を掴まれる。 そして、何が起こったのか分からないままにその顎を引かれ、視界一杯に緑色の瞳の、綺麗な青年の顔が映る。 次に、唇に触れた柔らかいもの。 それが、ティーダの唇だと気付いた時には、メイヤは、体の中に熱い流れが注ぎ込まれてくる感覚に眩暈を覚えていた。 あの腕輪をつけた時と同じ、もどかしいような熱が体の中を巡る。 けれどこれは、あの時とは別の熱も混じっていた事を、その時のメイヤではまだはっきりと自覚までは出来なかった。 ほう、と。 唇を離した途端、視界一杯に微笑む師の優しい顔に思わず見とれて、メイヤは今何が起こったのかさえ夢見心地のままただ彼の顔を見ていた。体の中の熱と、頭の中の熱で、メイヤは何も考えられなかった。 だが。 「ティーーーダ……お前、何やってんだ」 聞こえる筈がない第三者の声に、メイヤは一瞬で正気に戻った。 「クノームか、やっと来たのか」 平然と、今起こった事が嘘のように、立ち上がったティーダは声の方へと歩いていく。メイヤは今の状況と先程起こった事と、それが頭の中で整理が出来ず処理限界を越えたように思考が真白になった。 「おい、ティーダ、頼みがあると言うから来たら、なんでそんなガキ相手に――」 メイヤの混乱と、クノームの怒りの声を無視して、顔だけ綺麗なガサツな魔法使いは、動揺を欠片も見せないで、いっそ本当は今何もなかったんじゃないかと思えるくらい平然としていた。 「クノーム、例のものはどうにかなったか?」 「それよりティーダ、あのガキをどうしたんだっ」 「あぁ、あいつな。おっとそうだ、おいメイヤ」 未だ呆然としているメイヤは、師と、突然現れた金髪に仮面の、見覚えのある魔法使いとのやりとりをやはり呆然と見ていた。 「ほら、もう一回やってみろ」 言われてメイヤはぎこちなく返事をする。 それからやはりぎこちなく立ち上がって、ぎこちなく石を握って目を閉じた。 「エルソ、リーズリール、体を巡る光の欠片よ……」 呟いて、額に意識を溜めて、それを掌の中の石に。 体の中の熱が巡って、手に溜まる。直後、掌の熱がすっと消えて、石の中に吸い込まれる、石を冷たく感じる。 恐る恐る、握った掌を開いてみれば、ただの灰色の石だったそれは、ほんのりと青い色を帯びていた。 「これ……」 「うん、やっぱオマエ、出そうとする力以上に、制御しよう、力を体に留めようって力のが強いんだよな。そういやそもそも剣の修行は、意識を集中して体に力を行き渡らせるんだもんな。外に放出させようってのとは逆の方向性だもんな。ちょっと厳しいよな」 「いえ、それは分かりましたが今のはその……」 そこで、無視をされた形でいる派手な服装の仮面の魔法使いが話に割ってはいってきた。 「そうだティーダ、どうしてそんなガキにキスなんかしてるんだ」 そうすれば当人は、周りがなぜそんな事に拘っているのか、まるで理解出来ないとばかりに眉を寄せた。 「後一押し、ってのは見てて分かってたからな、その一押しをするだけの力をやったんだよ。まぁ、これで暫くは出しやすくなってる筈だから、後は慣れろ。無意識にリミッターかけちまってる方の意識を少し緩めさせる勉強だ」 彼の事だから、キスしてきた事も勿論色気も何もない理由だとは分かっていたが、ここまでその気が全くないというのもおかしいのではないか。いつもながら、思わず頭が痛くなってきたメイヤだったが、これ以上この件について彼にどうこう言えば機嫌がどんどん悪くなってくるのは目に見えているので黙る事にした。 だから、溜め息を一つ。 ……したところで、同じく溜め息をした人物に気がついて、メイヤはちらと、かつて子供の頃、森から外まで自分を送ってくれた、金髪の豪奢な仮面をつけた魔法使いに目を向けた。 向こうも視線に気づいたのか、メイヤを見て、互いに無言のまま、何故だか相手の言いたい事が分かってしまって再び今度は軽く溜め息をつく。 まぁ、ティーダじゃ仕方ない。 きっと彼をよく知る人物なら、そういう結論になる筈。 「よし、クノームが来たなら丁度いいか、早速調整に入ろう」 そう言ってティーダはクノームを呼び寄せ、何か耳打ちをするとそのまま彼と小屋へ向かっていく。 「あのっ……」 思わず引き留めれば、やっぱりあまり気にした風もなく、ティーダは意外そうに首を傾げた。 「いえその……」 実は反射的に引き留めてしまっただけで、はっきりとした理由があった訳ではない。だから、すぐに続く言葉が出てこなくて、メイヤは思わず口ごもる。 「……俺は、これを続けてればいいんでしょうか?」 そう言って手に持っていた石を見せれば、ティーダは少し考える。 「あー……そうだなぁ、折角使えるようになってる間に、実用魔法の一つ二つ教えときたいとこなんだが、俺はすぐ手を離せないからなぁ。んー、まぁ、石作っとくのは後で結構役に立つから今はとりあえずそれやっててくれ」 それに返事を返したメイヤに、ティーダはすぐ背を向ける。クノームと一緒に家に入っていく姿を見送るのが、何故かメイヤには辛かった。 |