<プロローグ・メイヤの章> 【6】 始まりの合図の後、最初に呪文を唱えだしたのはクノームで、体が動いたのはメイヤだった。 クノームは杖を掲げ、術を呟く。 だが、魔法使いとしては驚く程早い術の完成も、精神を集中する一瞬の間、相手に注意がいかなくなるのは仕方がない。それでも彼が知る魔法使い同士の手合わせならば、先に術を完成させる事が勝負の第一歩だ、その点で遅れをとる筈がクノームにはなかった。 ただしそれは、あくまで魔法使い同士の戦いならば、である。 術が完成し、相手に向けるためメイヤの姿を見ようとしたクノームは、そこでいる筈の場所に人影を見つけられずに動揺する。 そして。 「シーリス・リー、世界に散らばる光をこの手にっ」 魔法としては初歩の初歩である目くらましの光。リパ神官の使う光の術と効果はほぼ同じではあるが原理が違う、というのは師の言葉で、メイヤは教えられた通りのイメージを頭に描きつつ、精神を額に集めて体を通り、指輪へ、そして剣に溜めてそれを放出する。 術を完成させるほんの僅かの間にメイヤの姿を見失っていたクノームは、唐突に自分の目の前に現れた剣の姿を見て、まともにその光を見てしまった。 すかさずメイヤは次の呪文を唱える。 だが、流石に状況をすぐに理解したクノームは、今度は単語一つで発動が可能な術を叫んで、メイヤよりも先に呪文を完成させた。 それでも、メイヤの判断はさらに早かった。 咄嗟に魔法を諦めて後ろへ飛び去った直後、クノームを中心として外側へ放出するように風が舞う。 あれを食らっていたら、吹き飛ばされていたかもしれない。 内心ひやりとしながらも、剣を構えたままメイヤは相手の状況を見る。 確かに、長く剣と共に育ってきたメイヤにとっては、例え武器として使わなかったとしても、何もない状態よりこうして剣を構えているほうが精神を集中しやすい。そして何より、こうして剣を持っているだけで、長い鍛錬に支えられた自信がメイヤの心を落ち着かせる。 「成る程な、そういう訳か」 顔から手を離し、目が回復したらしいクノームはそう言って笑った。 「確かにこれなら、楽勝、とはいかないな。だが、それならそれでやり方はある」 クノームは再び術を叫ぶ。 今度もまた単語一つで完成する魔法で、これではメイヤもその隙に間合いを詰めて、自分の魔法を発動させる時間はない。 だが、術がくると構えたものの、それで何かが起こる事はなかった。 クノームはその場に立つだけで、彼の周りにも変化があった形跡はない。 ただ、術が失敗したのではないことは、腕を組んで自信ありげに立つ彼の姿から予想出来る。 ならば。 「ファン、風よ飛べっ」 術と同時に剣を振れば、剣から精神力で生まれた衝撃波が放たれる。 しかしそれでも、クノームは余裕の態度を崩さない。その理由はすぐに分かる。 衝撃波が彼に当たると思ったと同時に、何か、見えない壁のようなものに当たって霧散した。 ――うん、やっぱり。 あれだけの自信を見せるなら、恐らくは、防御用の結界か何かを張ったのだろうと思ったメイヤの予想は見事的中した。とはいえ、的中したからと言っても対処が出来るという訳ではない。 「さて、どうする、メイヤ」 不敵な笑い声を上げるクノームに、言われた通りさてどうしようと思ったメイヤは、ちらと師匠に視線を向けるが、目があっても彼は面白そうに笑うだけで勿論助言になりそうなヒントをくれる気配はなかった。 最初から期待はしていなかったから別に落胆はしなかったものの、それでも顔を顰めて、メイヤは金髪の魔法使いを見つめる。 「流石に、魔力と杖の差は大きいなぁ」 本来防御結界の呪文は、結構大掛かりな魔法の部類に入る。それがあんな一瞬で完成したのだから、勿論術は杖に込められた状態で、しかも本人が使い慣れているのだろう。 それでも、まだどうにかなる気はして、メイヤは考える。 実際のところ、魔法という事に関しては、メイヤはクノームの足元どころか次元が違うレベルの実力差があるのは分かってる。 だがだからこそ、逆に勝機がゼロという訳ではない。 実力差がありすぎるのなら、優位側には絶対に油断と慢心が生まれる。 そしてそれは、決定的に勝負を決めたと本人が思った時にこそ現れる。だからこそ――最終的には、いかに冷静に、正確に動けるかが勝負の鍵なのだと。幼い頃から教え込まれていた剣の道の教えは、剣の勝負でなくとも正しい筈だった。 メイヤのような底辺の魔力では、絶対に使う事が出来ない魔法結界。 それを展開した今、だから、きっと、彼は油断している。 メイヤの口元に我知らず笑みが湧いた。 「ファン・サテン、風よ運べっ」 今度は地面の土を握り締めて、呪文と共にクノームに投げる。 立ち上る土煙は、魔法によって方向性を持たされ、膨らみながらクノームへと向かっていく。散々練習させられた、魔法の基礎の更に基礎、煙の方向性を操る魔法は、ここ数ヶ月ずっとメイヤが唱えてきたものだ。 そして、同時にメイヤは走り込む。 「ファン、風よ飛べっ」 再び剣を振り、そこから衝撃波が飛ぶ。 ただしそれは結界が張られている今、クノーム自身に届く筈はないものであった。 だが。 余裕の表情でメイヤを眺めていたクノームの顔の中、その唇から笑みが消える。それと同時に、苦痛に歪み……そして彼はその場で地面に膝をついた。 「おしっ、勝負あったな、二人とも止めだっ」 すかさず間合いを詰めようとしていたメイヤは、そこでぴたりと止まる。 楽しさを抑えきれない様子で、にやにやと笑いながら、顔だけは綺麗な彼らの師は二人へと近づいてくる。 「いやー、すげー面白かったわ」 剣を鞘に納め、その場で礼をしたメイヤの頭を、ティーダがぽんぽんと軽く叩く。 「よくやったな」 それは魔法使いの弟子として、始めて掛けられた褒め言葉だった。 メイヤでさえ、嬉しさに顔が歪むのが止められない程、それは嬉しい言葉だった。 「さって、クノーム。お前、なんで負けたか分かったか?」 メイヤに掛けた声とはうって変わった嫌味をいう響きで、地面に座ったままの彼の傍にしゃがみこんだティーダが尋ねる。 クノームは顔を上げずに声だけを返す。 余程負けた事が悔しかったのか、彼の声は小さく平坦で、どこか子供が拗ねるような響きがあった。 「結界を張って、それで油断した。ひよっこに結界の切れ目など見える筈がないと……まさか、土煙を結界にぶつけて切れ目を見つけられるとは思わなかった」 「まぁ、流石に学習は出来てるな、それなら良しだ」 ティーダは笑顔のまま立ちあがる。 「よし、お互いいい勉強になったろうからな、今日はこれで仕舞いだ。さって、寝るぞー。俺も今日は指輪の調整で流石に疲れたからなっ」 元気よく小屋へ向かって歩いていくティーダを、追うようにメイヤも小屋へと向かう。 小屋に入る直前ちらと振り向けば、夜目にも映える金髪の仮面の魔法使いは、項垂れたまま、まだ立ち上がりさえしていなかった。 「気にしなくていいぞ、メイヤ。ドア開けといてやれ、そのうち入ってくるからさ」 そう言った師の顔は、たまにメイヤを諌める時の顔のように優しかった。 今日はいろいろな事がありすぎた。 ベッドに入って上掛けにくるまりながら、メイヤは思う。 魔法を使った、という感覚は前に腕輪を貸して貰った時以来の事である。ただ、あの時は溢れ出す魔法を放出していたような覚えしかないから、今回のように自分の力を使った、という感覚とはかなり違う。 ちなみに、魔法と言っても自分の所属する神殿から習う神殿魔法の感覚は、魔法使いの使う魔法とは全く違う。 こちらの場合、あまり魔法を使った、という感覚はなく、正しい術の手順と洗礼の印、後は神殿との契約があれば術は基本正しく発動される。大きい術を使えるかどうかは本人の才能と契約の内容、そして強い願いが重要で、本人の技能で補う部分はほとんどない。 前にティーダが軽く話してくれたところによれば、基本的には神殿魔法と魔法使いの魔法は同じものらしいのだが、神殿魔法は誰でも安定して使える為に、各神殿特有の印(アイテム)を媒介として、神殿内にある力を受け取る事が出来るようになっている、らしい。神殿の印というのは、信徒や神官が洗礼を受けて契約を完了すると貰えるもので、有名なところではリパの聖石や、アッテラの入れ墨、ロックランの腕飾りなどがある。いわゆるその神の信徒であるという印として受け取るものだが、それによって神殿で安定化させた魔力を受け取れるようになっているという事だった。 もちろん、アッテラの洗礼を受けているメイヤは、左腕に小さくアッテラ神の印の入れ墨がある。普段は服に隠れている場所だから、ティーダがそれを見てメイヤがアッテラ信徒であるという事を知った訳ではない筈だった。 と。 そんな理論を延々と語った上で、彼の師であるティーダは、最後に単純明確に二つの魔法の違いを教えてくれた。 感覚的には、手動(マニュアル)と自動(オート)の差みたいなもんだ、と。 その違いは今日、始めて自力で魔法を使う感覚を知って、メイヤも理解する事が出来た。 確かに、手動。 魔法使いの魔法は、原理と感覚を理解して、それを自力でコントロールしなければ発動出来ない。 だからこそ、おもしろい、とメイヤは思う。 確かに大きい力を使うには、元からある魔力の才能に依る要因は大きいものの、使い方と使う為の熟練度によって、いくらでもどうにかしようがある。 幼い頃から、才能よりも鍛錬と努力のほうがより重要だと教えられ、それを実践してきたメイヤとしては、理解すればする程、魔法というものに興味が沸いてきていた。 最初は、本当に自分で魔法使いを目指したいのかどうかあやふやだったメイヤだが、今ならばちゃんと胸を張って、なりたい、と言える。 それくらい、魔法を使えたという感覚と、工夫し、技能を磨けば磨くだけその成果が現れる、という今日の勝負の結果はメイヤを興奮させた。 そう、ちょっと興奮しすぎて、メイヤでさえも目が冴えてなかなか寝付けなくなるくらいには。 メイヤがベッドに入って既にかなりの時間が経っていた筈だが、未だにメイヤは、目を閉じても頭の中でいろいろ考えてしまって眠れなくて目を開けるという事を繰り返していた。 「うーん、これならいっそ起きて体を動かした方がいいかな」 何度目かに目を開いたメイヤは、そう呟くと思い切ってベッドから起きあがった。 子供の頃、始めて剣を持たせてもらった時、始めて手合わせをしてもらった時、やはり興奮して眠れなくなったメイヤは、そういう時は仕方なく起きて外に出て、剣の素振りをしたものだった。体を動かして、少し疲れて頭であまり考えなくなった辺りで寝る、というのが習慣になるくらいに、いろいろ眠れなくなった時もあったものだ。 体をのばして上着を羽織って、メイヤは少し考える。 さて、いつもであれば剣の素振り、というところだが、魔法使いとしてそれに変わるものといえばなんだろう、と。 ここで、今日習った魔法をひたすら練習してみる、というのをまず思いついたものの、体でなく頭を使う魔法の練習をこれから始めたら余計寝れなくなる気がした。 だから結局のところ、剣を持ってメイヤは部屋を出たのだが、師の部屋の前を通った時に中から声がして、思わず足を止めてしまった。 そして、メイヤ自身、魔が差したとしか思えない、いつもの自分なら絶対にしない、師の部屋の中をドアの隙間から覗くなどという事を実行してしまった。 それは、予感、だったのかもしれない。 --------------------------------------------- 次はHシーン。 |