賢者の森
<プロローグ・メイヤの章>





  【8】



「何やってんだろ、俺」

 こっそり部屋に帰ってきたメイヤは、ベッドの中にもぐり込みながら、酷い自己嫌悪と胸の痛みに唇を噛みしめながら呟いた。いつからか、気づいたら、目からは涙さえ流れてきていた。
 もう、剣の素振りがどうとかいう気分ではなくなっていた。かと言って、眠れる訳がない事も分かっていた。
 ティーダとクノームが何をしていたのか、なんて、分かりすぎる程分かっている。男同士でそういう事をする、という事がそこまで珍しい事ではない事も分かっている。
 では、何にここまで自分はショックを受けているのだろう、とメイヤは思う。
 一つには、自分の最低さだ。彼らの行為を見ていて、気づいたらメイヤの手は自分の吐き出したもので濡れていた。自分は何をやっていたのかと、そんな事を自分がするのだという事がショックではあった。
 けれどもやはり、一番メイヤをこうして落ち込ませている原因は、彼ら二人がそういう関係であった、という事なのだろう。そして、それにこれだけ胸が痛くなるというのは、自分もまた、そういう意味でティーダの事が好きだったのだろうという事なのだと。
 男に抱かれるティーダの姿を見て、自慰をしてしまうというのは、つまり、自分も彼をそういう意味で欲している、という事なのだ。

 なら、自分はどうすればいいのだろう。

 ティーダは既にクノームとそういう関係だというなら、自分はどうすればいいのだろう。
 そして、自覚してしまったからには、彼らを見る度にこの胸の痛みは消えないのだろうと予想出来て、メイヤはただ涙と深い溜め息を漏らす事しか出来なかった。







 次の日の朝、まだ早い時間にクノームは帰った。
 メイヤには明らかに敵対心を向けて当たりのきつい彼だったが、それでも美味かったと食事の礼だけはして、前にメイヤを一緒に連れて行った時と同じ転送術で、彼の姿は別れを告げた途端あっさりと消えた。

「さて、俺は少し寝直すかな」

 クノームを見送って、少し眠そうに欠伸をしたティーダの横顔をメイヤは見て溜め息をつく。

「そりゃ眠いでしょうね」

 さすがに堂々とは言わなかった為、ティーダには聞こえなかったろうが、その様子がおかしいことに気づいた彼の師は眉を寄せる。

「なーにしょげてるんだ、お前は」
「別に、なんでもありません」
 
 返す声にトゲが入るのは、メイヤ自身でも押さえようがなかった。

「魔法も使えるようになったし、あのクノームを負かしたんだぞお前。それがどんだけすごい事か分かるか? 浮かれる理由はあってもお前が落ち込む理由が思いつかねーよ」
「そんなにすごいんですか、あの人」

 別にクノームの事を聞きたくもなかったのだが、思わずそう言ってしまえば、ティーダは身を乗り出してメイヤに熱弁をふるいだす。

「魔法に関しては、あいつは口だけじゃなく本物の天才だ。生まれつき魔力がありすぎて苦労するくらいにな、本当の本物さ。昨日お前が手合わせしたのだって、実は本気じゃない、……なんとなくお前も分かってたとは思うだろうけど」
「えぇまぁ、それは」

 実際、彼が油断をしていたのと自分を嘗めていたからこそ勝てたのは明白だったので、それで自惚れるようなメイヤではない。
 それでも、ハッキリそう言われればやはり悔しくて、返事も濁る。

「あいつが持つ魔力は、人間が持てる量を越えてるんだよ。だからこそあいつも大変な目にあってきててな、まぁ詳しくはいわねーけど、あの仮面付けてるだけであいつの魔力は9割方抑えられてる。あの仮面付けてないと日常生活に支障が出るレベルなんだ」

 ティーダが彼の事を話せば話す程、メイヤは気分が滅入っていくのを自覚していた。
 ティーダが話す内容も、理解は出来てはいたが、頭にあまり入ってはこなかった。
 いつもはバカがつくほど生真面目な弟子がそんな心ここにあらずな状態はさすがにティーダでも気づいて、彼は溜め息と共にメイヤの頭を軽くこづいた。

「ったく、さっきから何ふてくされてるんだ、お前は」

 メイヤは頭を押さえ、じっとティーダの顔をみる。
 ティーダは大仰に顔を顰めて、そのメイヤの視線を受ける。
 口をぎゅっとへの字に曲げていたメイヤは、暫くそんな師の顔を睨んで、そして呟いた。

「俺、昨日、見ました」
「なにをだ?」

 ティーダが目を見開いて首を傾げる。

「夜、貴方とあの魔法使いが、ベッドの上で……」

 さすがに、それ以上はハッキリと言えなくて語尾を濁らせれば、それでもすぐに理解したティーダは目に見えて顔を赤くした。
 それから、頭を抱えて大きく溜め息をつく。

「お前なぁ……」
「彼と貴方がそういう関係だとは知りませんでした」
「ていうかさぁ……ったく、それがすねてる原因かよ」

 じっと涙目になりそうな目で睨むメイヤに、ティーダはやれやれと頭を掻いて嫌そうな顔をする。

「そういう関係っていうか……そういう関係ではあるけど、あいつとはお前が思うのとは少し違うんだ……」
「違うって?」

 じとりと目を座らせて睨むメイヤに、ティーダは思い切り顔を顰めてまた溜め息を付く。

「んー……まず言っとくと、そういう事してても俺達に恋愛感情はない」

 それにはメイヤがすかさず聞き返す。

「体だけって事ですか」

 ティーダは頭を掻いた。

「身も蓋もない言い方すんな。てかそれ以前に、子供がそういう事言い出すな。まぁ、言い方としちゃそれで間違ってはいねーけど、なんていうかな、育てついでっていうか、乗りかかった船だから仕方ねーなーっていう関係なんだよ」
「なんですか、それは」
「だーかーらー、まぁ、あんま深く考えんな。あいつも可哀想な奴なんだよ、俺以外とはそういう事出来ない理由があってさ、まぁ、仕方ないなって」

 ティーダは頭を掻きながら、目を閉じて眉を寄せる。その表情は真剣で、ただ誤魔化す為に言っているのではないのはメイヤにも分かった。
 それでも、たとえ深い事情があったとしても、やはりメイヤには納得出来るものではなかった。

「仕方ない、で貴方は男と寝るんですか」

 だから声が相手を責める口調になるのは抑えようがない。

「んーまぁ、別に嫌な相手じゃなきゃ、そこまで勿体ぶる体じゃないからなぁ……」

 面倒そうにいう姿からは、彼にとってはそれが大したことではないと思わせるものがある。彼は、何故かこうしていつも自分の事は軽んじているところがあって、自分はどうでもいいのだという態度を取る。
 メイヤはそれがいつも嫌だった。
 彼にそんな態度をとらせたくなくて、ここにいると言ってもいいくらいだった。

 けれども今は、彼のそんな態度を逆手にとって、メイヤは言う。

「だったら俺とも、寝てくれますか?」

 聞いた途端、すぐに言った言葉の意味を理解出来なかったのか、ティーダは完全に硬直して、まさに時間が止まったかのような間が発生する。
 けれども彼は唐突にすべてを理解したらしく、ピクリと顔の筋肉が動いたかと思えば、今度は一気に時間が動き出したかのごとく大騒ぎを始めた。

「ちょ、ちょーーーっと待て。えーとえーと、なんだ、どうして、てかどこからそういう話になるんだっ」

 その反応も想定内だったメイヤは、じろりと彼を見つめた後、理解力のない、というよりも理解したがらない師にはっきりと告げた。

「ですから、嫌じゃなければ寝てもかまわない、というなら、俺とも寝てくれる訳ですか?」
「えーと、お前、その、寝るってのはもちろんその、あれだ……」
「えぇ、俺ともセックスしてくれるんですか、と聞いてます」
「えーとな、うーん」

 考え込むように腕を組んで唸りだしたティーダは、頭の中で今必死にどうやって誤魔化すかを考えているところだろう、とメイヤは思う。
 だが、なにを言われようと、今、メイヤは彼の思惑通り誤魔化されてやる気はなかった。
 だから、彼が逃げられないようにする決定的な言葉を告げる。

「俺、貴方が好きです。そして、俺も男ですから、貴方の事を出来るなら抱きたいです」

 ティーダは一瞬、面食らった顔をして、それから暫くまた考え込む。だが、それでとうとう誤魔化す事を諦めたのか、彼は大きく溜め息をひとつつくと、真剣な顔をしてメイヤを見つめた。

「とりあえず落ち着け、誤魔化さないでちゃんと答えてやるから、お前も少し頭冷やせ」

 じとりと彼を睨んだまま、それでもメイヤはそれには、はい、と答えた。

「まずな、お前も気づいてるとは思うけど、俺は見た目通りの年齢じゃねぇ」
「はい、分かってます」

 即答ではっきり返したメイヤに、ティーダは苦笑をする。その顔は初めてここに来た時にみた、すべてを諦めたような寂しそうなあの顔だった。

「魔法使いが皆目指す研究の一つに、自分の寿命を延ばすってのがあってな。大抵の魔法使いは、なにかしらの延命処置を自分に掛ける。……とは言ってもな、自分の体自体を延命させて、歳を取らなくするっていうのは、理想ではあるけどほぼ成功するヤツはいない。俺はまぁ、運がよかったんだ。とある時から、俺の姿はこのままで止まってる。ただもちろん、それは人が単純に言う不老不死の万能の術じゃない、制約も多い、限度もある。俺の本当の歳を知りたいか?」

 それにはメイヤは首を振る。
 ティーダはメイヤの頭に手を置くと、いつも通りその頭を少し乱暴に撫でながら視線を遠くへと向けた。

「はっきり言ってな、こうして歳取らなくなって、人の生活時間から取り残された俺はもう人間じゃない。少なくとも、人間の世界の枠から外れてる。だから、好きだっていわれても、それを普通に受け取る事は出来ない、もしお前が本気なら本気なだけ、その気持ちは不毛なだけだ」
「それでもっ」

 顔をあげたメイヤに、ティーダは優しい笑顔を浮かべる。

「でも、好きだって言われるのは嬉しいさ、ありがとうな」

 それでメイヤは言葉を無くす。
 ただ否定されただけなら反発も出来るのに、そんな風に本当に嬉しそうに言われたら文句が言えない。
 狡いじゃないか、とメイヤは思う。
 反論出来ない事が悔しくて、思わず目から涙がこぼれてしまったメイヤは、乱暴に目をぐいぐいと腕で拭いながら、それでも言葉の代わりに師をじっと見つめる。
 笑顔だったティーダの顔が、少しだけ苦しそうに眉を寄せる。

「そうだなぁ、お前がもう少し大人になって、俺とお前の距離を理解出来るようなったらな、それでも体だけでも繋がりたいって思うなら、抱かれてやってもいいよ。……けどな、多分知ったらお前は今の気持ちのままじゃいられなくなる。お前の今の気持ちが本気でありゃあるだけ、知った時にお前には辛い事になる」

 だから、本当は本気であって欲しくない――師の哀しそうな瞳はそう語っていた。
 それでメイヤは気がついた。この人をこんな顔にしたくなくてここにいるのに、自分は何をしているんだと。
 メイヤは俯いたまま、懸命に顔に笑顔を作る。
 そして、顔を上げる。

「メイヤ?」
「約束ですよっ。俺がちゃんと分かるようになって、それでも貴方が欲しいっていう気持ちがそのままだったら相手をして下さいね。俺は……そうですね、それまでに勉強してクノームさんより貴方を喘がせられるようにしておきます」

 真剣だったティーダの顔が、面食らったように驚いたものへ変わる。
 それから彼は、メイヤの強がりが分かったのか苦笑に軽く喉を震わせると、いつも通りにメイヤの頭に手を置いて、乱暴にぐしゃぐしゃとその髪をかき混ぜた。

「ばーか、生憎あっちに関しては勉強よりは実践のが強いに決ってる。あいつに勝ちたきゃこんな森に篭ってないで、街行って彼女でも作って来い」
「俺が街に行ったら、貴方はまたろくにモノを食べないで、散らかった部屋でだらだらして髪の毛にゴミつけて歩く生活に戻るじゃないですか」
「それでも別に困ることないからいいんだよっ」
「よくないですっ」
「なんで?」

 いつも通りのやりとりに、無理矢理作っていたメイヤの笑顔も柔らかくなる。
 それを感じたティーダの笑顔も柔らかくなる。
 だが、次の一言で、彼の笑顔がまた変わる。

「綺麗な人は、他人の夢を壊さないくらいにちゃんとしとくのは義務だと思ってください」

 別に笑顔が消えたわけでも、怒ったわけでもなかった。
 ただ、驚いたように宝石のように綺麗な緑色の瞳を大きく見開いて、黒い髪の魔法使いは暫くそのままの顔でいて、そして、その後に静かに、綺麗な笑みを浮かべた。
 それは、メイヤが見たこともない程、柔らかで、嬉しそうに見える静かな笑みで、思わず見とれるくらいに綺麗だった。

 メイヤの頭にあったティーダの手が、優しく撫でてくる。

「酷い理論だな、そりゃ」

 言いながら、声を上げて楽しそうに笑い、ティーダはメイヤの横をすり抜けて家へと帰っていく。
 それをメイヤは、呆然としたまま、見送る事しか出来なかった。

 その時の彼の笑顔の意味を、まだ、メイヤは知らなかったから――。



END
 >>>> 次のエピソードへ。

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メイヤ編というか導入編はこれで終了です。
次回は恐らくクノームさん中心のお話。彼の生い立ちと立場のお話を軽めに。
しっかし、メイヤさん主人公ですが、こんな感じだから、師匠とのHにたどり着かせるのが難しいんですが……。



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