黒い騎士と黒の剣




  【17】





 昼でも暗い樹海の中、うっそうと生い茂る木々の間から差し込む光達は、その色に僅かな赤味を帯びて、旅ゆく者にそろそろ一日が終わる頃だと知らせている。
 樹海の外を目指す帰り道は、不気味な程順調に進んでいた。
 行きの面倒な方向確認に比べても、サーフェスの術による道順の確認は簡単で、迷う事もなく、足手まといもいない分歩く速度も速く、順調過ぎるともいえるペースで彼らは進んでいた。……そう、このまますんなり首都に帰れる筈がないという確信がある中、見かけだけは彼らの帰り路は順調だった。

 だから、その確信が姿を現した時にはやっと来たというところで、別段驚く事もなく、セイネリアにとって、取るべき行動はあらかじめ決めてあった。

「ふぅん、予想はしていた、というところかしら」

 辺りは完全に闇に包まれ、今は深夜とも言える時間になっている。
 森の暗闇の中、浮かぶように立っている女は勿論、魔法使いであり、今回の雇い主であるメルーだった。

 セイネリア達一向は、特に妨害もトラブルもなく道を進め、この日の終わりには、行きに泊まったかつての魔法使いの住居である廃屋にまで辿りつく事が出来ていた。そうしてその夜、火の番をしていたセイネリアは、家の外に彼女の気配を感じて外に出てきたという訳だった。

「まぁな、少なくとも、このまますんなり俺達を帰す気はお前にはない筈だからな」

 メルーは最初から、少なくとも雇った連中は誰一人として生還させる気がない、とセイネリアは読んでいた。それは単純な、助ける気がない、というレベルの話ではなく、助からない事こそが計画のうち、というものであろうとセイネリアは思っていた。つまり、彼女は自分以外の面子が助かっては困る、もし助かったなら必ず始末しにくるだろうという事だ。

「えぇそう、だって貴方達に無事帰ってもらったら、私は困るんですもの」
「あの場所自体の情報が漏れるのがまずいのか?」
「そうね、あそこへ行ったって事がバレるとまずいの。でも、計画は少し修正になったわ」

 妖艶、という言葉そのままの艶やかな笑みを浮かべて、女は一歩、セイネリアに近づいてくる。

「貴方があの剣を手に入れたのが想定外ね。あれは人間が持てるものじゃない筈だもの。まさか、あれの主になれる人間が現れるとはね」

 目を爛々と輝かせた女魔法使いは、媚びた表情を作ってセイネリアの傍にやってくる。いくら色香を匂わせてしなを作っても、狂気を隠せないその瞳は、化け物の目と同じだとセイネリアは思った。

 ――いや、化け物は俺か。

 セイネリアは唇に、薄く笑みを纏う。

「私は嬉しいのよ。だって、貴方を殺さなくていい理由が出来たんですもの」

 うっとりと目を細めてセイネリアの顔をのぞき込んでくる女の顔は、どこか恍惚としていて、言葉通り嬉しそうに見えた。

「私はね、どうにか貴方は殺さなくて済むように、事情を打ち明けて、こちら側の協力者になってもらおうって、何時言い出そうかずっとずっと悩んでいたのよ。だからそんな必要もなく、貴方と手を組めばいいだけになったこの状況に感謝しているの」
「手を組めばいいだけ、か」

 セイネリアは女の発言を鼻で笑う。
 だが女はまだセイネリアの意図に気付かないのか、手を胸で組んで頬まで染めて、唇に笑みを浮かべ続ける。

「えぇそう。剣を手に入れたなら、貴方は分かった筈よ、この国の重大な秘密を、その剣の正体とその力を、あの城がどの国のもので、かつて何が起こったかを」

 女の言葉に、セイネリアの表情は全く変わらない。
 薄く唇に笑みを浮かべ、ただ感情のない瞳で女の顔を見つめる。

「そうだな、分かったさ。分かったが、お前と手を組む気は俺にはない」

 嬉しそうに笑みを浮かべていた女の顔から、その笑みが消える。
 ありえない、と唇だけで呟いて、歓喜に恍惚としていたその顔が、どす黒い負の感情に染まっていく。まるで、白い紙に黒い液体を落としていくように、艶やかな美しい女の笑顔は、昏い狂気の色に塗り替えられる。
 冷たい魔女の容貌に変化した女の顔は、狂気を孕んだ瞳だけが、先ほどと変わらぬまま、セイネリアを見つめていた。

「そう――言っておくけど、私、協力関係を約束出来ない者は、貴方であっても見逃す気はないわよ」

 声さえ別人のように、どこまでも冷たく、昏い。
 けれども、それがセイネリアの心にまで、ほんの僅かでさえ響く事はなかった。

「そうか」

 感情のない平坦な、まるで棒読みのような声でセイネリアは答える。

「勿論私は、貴方達を皆殺しなんて野蛮な手を使わないわ。でもその分、確実に、貴方達をここに閉じ込める。私にはそれが出来るのよ」
「そうか」

 全く同じ調子で同じ言葉を返せば、それはわざと馬鹿にしているのだという事くらい、女にも理解出来たようだった。

「既に、貴方達は私の罠の中にいて、もう逃げられなくなっているとしたら?」

 女の声に苛立ちが混じる。
 見開かれた瞳には、狂気と怒りが映っていた。
 けれどもセイネリアが返す声には、やはり何の感情も混じっていなかった。

「……それでも、俺の返事は変わらんな」

 セイネリアは、口元の笑みそのままで、瞳に侮蔑を込めて女を見る。
 女は一瞬愕然とした表情を浮かべた後、瞳に明らかな怒りを込めて、セイネリアを睨み付けてくる。

「あぁそうだ、一つ確認しておきたいんだが」
「何よ?」

 唐突に、セイネリアが緊張感のない、妙に軽い声を出せば、メルーは困惑して眉を寄せた。
 
「お前の弟子はどうする気だったんだ。弟子も殺す気でつれてきたのか」

 彼女は首を傾げて、何故今そんな事を聞くのだろうという表情を顔に浮かべたが、それに対する答えはちゃんと返してきた。

「あの子は別よ。……私が黙れって言えば黙らせる事が出来るし、事情を話せば、魔法使いとして、今回の事を黙っていなければ自分の立場がまずくなるって分かるだろうし。……だから悪い事をしたわ、あの子だけは助けてあげるつもりだったのに」

 聞きたい事がそれで分かったセイネリアは、そうか、とだけまた呟く。その様子が気に障ったらしい女魔法使いは、今度は不機嫌そうに、眉をきつく寄せて尋ねてくる。

「でも、なんで今あの子の事なんか聞くのかしら? 若い女を殺すのは勿体なかったとでも?」

 セイネリアは見せつけるように、嘲笑に取れる笑みを顔に浮かべると、殊更馬鹿にするように軽く喉を震わせてまで言ってやる。

「そうだな、年増のあばずれよりは、確かに向うのが方が勿体ないだろうな」

 女の顔が、魔女の顔に再び変わる。瞳に昏い憎しみを燃やし、セイネリアを睨み付ける。狂気の笑みに彩られた女の顔は、もはやどこにも人間らしさが残っていなかった。

「……いいわ、死にたいなら死になさい。あの剣はそもそも封じておかなくてはならないものですもの」

 そうして彼女の姿は、一瞬の間にセイネリアから遠ざかる。おそらく、その姿はもともとただの映像か、空間魔法の一種で近く見せていただけなのかもしれない。それくらいの質量感のない移動をした女を、だがセイネリアは驚く事もなく見ていた。

「ブ・デ・レグ・ラグ・ロー・クロウ……」

 杖を高く掲げた女は、その場で呪文を唱えだす。今は魔力自体を見る事が出来るセイネリアには、この周囲を覆っていた魔力が、重なり合い、組み合い、固く繋がりあって強固な檻を作っていく様が見えた。

「空間の檻、絶対に出る事の出来ない結界を張ったわ、もう、貴方達はそこから一生出られない」

 杖をおろした女は、闇にも輝く魔物の瞳を輝かせて、セイネリアを楽し気に見つめた。

「……実はね、最初からここに貴方達を閉じ込める予定で術の準備はしてあったのよ。ここはもともと魔法使いの住居だったから、魔法の欠片が散らばっていても、見習い連中じゃ分からなくて都合がいいから」

 それでもセイネリアは、動揺した様子を微塵も見せず、女の言葉に、そうか、とだけ返した。
 メルーはそれに明らかな苛立ちを一瞬顔に浮かべたが、自分の術に余程の自信があるのか、すぐにその顔には狂気の満足げな笑みが戻る。

「馬鹿な男」

 背を向けて、吊り上がった唇のままそう呟いて、女魔法使いの姿はその場から消える。
 その直後、セイネリアの背後から人影が現れる。

「閉じ込めたってのはどういう事だ?」

 青い髪のアッテラ神官が言いながら近づいてくるが、セイネリアはそれを無視して、懐から木の鍵を取り出した。

「おい、セイネリア?」
「黙ってろ」
「はぁ?」

 エルは抗議しようとしたが、セイネリアが鍵を空間に刺すに至って、何か考えがあるのだろうと思う事にしたのか、素直に口を閉ざした。
 言うまでもなく、セイネリアが使ったのは、メルーに渡された別空間に作った倉庫を開ける為の鍵な訳だが、それを何故ここで使ったのか分からない彼は、不満そうに顔を顰めていた。
 鍵を回せば、空間に、魔法の光が現れる。

「まだ使えたか。あの女はやはり抜けている」

 セイネリアが呟くと同時に、光は完全に開いて大きな輪を作り、そうして一度その光は弱くなる。それから開いた空間の穴に向かって、セイネリアは声を掛けた。

「おい、どうする。あの女につくか、それともこっちにつくか?」

 エルはセイネリアが何に話しているのか分からないのだろう、中を覗き込もうと近づいてくる。

「あの女はお前を助ける気はあるようだ。だから、そのままそこにいれば、あの女が出してくれるとは思うぞ」

 言えば、空間の向う、たくさんの魔法書の中に埋もれるようにしていた『彼女』は、起き上がって聞き返してくる。

「随分余裕だけど、貴方には、あの女をどうにかする方法があるって事?」
「そうだな、あるといえばある」
「確実に?」
「さぁな」

 彼女は一度考え込んで、けれどもすぐに決断すると、空間の中から出てこようと手を出した。

「……いいわ、そっちにつくわよ。あのおばさん信用出来ないし、どうにもまずい匂いがするもの」

 穴から出た手をセイネリアが引っ張って、そのまま持ち上げて外に出してやれば、細い少女の体が弱い月明かりの下に現れる。

「アリエラ、お前さん、そんなとこにいたのか」

 エルが驚きの声を上げれば、魔法使い見習いの少女は、腰に手をあてて胸を張った。

「そうよ、この中に空気があるって事は分かってたし。最悪でも、あのおばさんか、誰か一人でも帰れればここを開けてくれると思ったもの。……ただ、ふっるい本が積み上げてあるおかげで、あり得ないほど埃臭くてたまらなかったわ。もう、最初なんか咳が止まらなくて服破ってマスク作ったのよ、あーもー、新鮮な空気が美味しいー」

 体中の埃を懸命に叩いて払いながら、少女はうんざりした顔で文句をまくし立てる。

「もしかしてお前、最初から彼女が中にいるってのが分かってたから、あっさりあそこで見捨てて行こうって言ったのか?」

 彼女の姿を呆然といった顔で見ていたエルが、そう言ってセイネリアを振り返れば、すまして素知らぬふりを決め込む男の代わりに、アリエラが怒鳴った。

「そーよ、その人、中を覗いたりはしなかったけど、鍵自体はつかって何度もあの空間を開けてたもの。声掛けてこないし、まだ地下みたいだったから、私は本の影に隠れてたけど、実際は気付いてたんでしょ」

 どこか声が怒っているのは、セイネリアが気付いていたのに無視をしていたからか。

「まぁ、あそこから出したところで、どうせ足手纏いになるだけだからな」
「いやでもお前、外に出た時点で出してやれよ。彼女、何日もこん中にいたんだぞ」

 エルもまた少し怒った、というか抗議する口調で言ってくるから、セイネリアは呆れて軽く笑ってしまう。

「道中でも足手纏いだ。それにエル、あの女は言ってたろ、あの中は時間の流れがこっちよりも遅いと。つまり、中にいたアリエラにとっては大した時間は経ってない筈だ」
「へ?」

 間の抜けた顔で、エルが確認するようにアリエラの顔を見る。そうすれば彼女は腕を組んで、不機嫌そうに、やはり怒った口調で返した。

「そうよ、こっちは何日経ってたのか知らないけど、私にとってはまだ一日経ってないわね。足手纏いって言われて否定する気はないけど、でも、中にいるのを知っていたなら一声くらいはあってもいいんじゃない?」
「お前はあの女の弟子だからな。あっちを優先する可能性があったろ」
「……それで、確認できたから声掛けたって訳?」
「そうだ」

 アリエラは、少女らしくない、深い溜め息を吐く。
 それをやはりどこか面白そうな目で見ているセイネリアに気付くと、彼女は更に顔を不機嫌そうに顰めて、今度はずかずかとセイネリアの元に歩いてきた。




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アリエラさんは無事でした。次回はどうやって抜けるか、なお話。大体できてるんですが、長くなりすぎてて調整中。



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