貴方が幸せをくれたから




  【3】




 仕事の日程も終わり近くなっていたその日、食事に薬を盛られたらしく、知人の狩人は急に眠り込むと、いくら呼んでも目を覚まさなくなった。そこへ別の班の者がやってきて、クルスは自分が陥れられた事を知った。

「よぅクルス、久しぶりだな。相変わらず、強い奴のおこぼれ貰っていいご身分してるようじゃないか」

 それは、最近では顔を合わせる事さえなくなっていたゼナヴだった。彼と、恐らくは彼の仕事仲間と思われる者達がやってきて、クルスはハミに逃げないように後ろから押さえ込まれた。そこでクルスはハミも彼らの仲間だったという事を知った。

「あんま調子に乗ってるようだと痛い目に会うって事をさ、お前の体にはしっかり教え込んでやらないとな」

 下卑た笑いで近付いてくる彼らを、クルスは諦めた思いで見つめるしかなかった。
 普段なら、同じ仕事に呼ばれる事はない程の評価差があって、おまけに役目が重なるゼナヴと、こうして仕事場で顔を合わせるなんて事はまずないと言っていい。けれど、今回のような大規模な調査の仕事は、実力に差がある者達が構わずに集められる事が多く、こんな事が起こりえてしまったのだろう。

「なぁクルス、随分調子に乗ってるようじゃないか」

――あぁ本当に、少し調子に乗っていたかもしれない。

 クルスは苦笑する。確かに最近あまりにも全てがうまく行っていて、自分がどういう風に生きてきたかを忘れていたかもしれない。多くを望み過ぎないと思っていたのに、望んだよりも多くを手に入れてしまった事で、嫌な事ばかりだった頃の自分を忘れていたのかもしれない。
 クルスは目を瞑って覚悟する。今から起こる事はただの暴力だ、黙っていいなりになっていればいつかは終わる、いつも通りに。

 ゼナヴの顔が近づいてくる、伸びてきた手が服を脱がせていく。
 胸を撫ぜられて、足を開かされて、生暖かい息が吹きかけられる。
 嫌で嫌で堪らなくて、体が震えて動かなくなる。久しくこの感覚を忘れていた所為もあるのだろうか、これからされる事を考えれば嫌悪感に吐き気さえしてきた。

 また、『彼』だと思えば気持ち良くなれるかもしれない。

 頭の中に浮かんだそれに、クルスは流されてしまいそうになる。けれど、実際に彼の顔を思い出して、その綺麗過ぎる真っ直ぐな彼の瞳を思い浮かべたら、頭が急に理性をとりもどした。
 だめだ、と心が拒絶した。
 目の前に圧し掛かってくるゼナヴの顔を見て、その色欲と優越感に塗れた醜い顔を見たら唇が歪んだ。

――そうだ、コレを彼と思うなんてありえない。

 自分の上に覆いかぶさってきたゼナヴの姿を冷静に見て、クルスは考える。
 この辺り一帯にはまだ他の班が近くにいる可能性は高い。調査中ならば、耳のいい狩人達が辺りの音に注意を向けている可能性がある。

「嫌っ」

 クルスは叫んで、ゼナヴの下肢を蹴り上げた。

「嫌っ、嫌ぁっ、誰かぁっ、助けてくださいっ」

 精一杯の声で叫べば、慌てて他の者達がクルスの口を押さえ込んでくる。
 クルスは暴れる。うまく逃げられれば、そうでなくとも誰かに声が届けばと、とにかく夢中で暴れて抵抗する。
 けれども、最初は彼らも油断していたからこそで、三人がかりで押さえつけられればクルスの力ではどうにもならない。後は誰かに先ほどの声が聞こえた事を祈るしかなかった。

「ク〜ル〜ス〜……てめぇ」

 股間を抑えて蹲っていたゼナヴが、怒りを露わにして顔を上げる。真っ赤な顔でこちらを睨んで、その瞳には殺気さえ浮かんでいた。

「大人しくしてりゃちょっと遊んでやるだけで許してやったのによぉ、無事に帰れると思うな」

 いや、殺気というよりも狂気だろうか。純粋にクルスはそれを恐れて、今度こそ体が固まって抵抗が出来なくなる。

「そうさ、冒険者同士のトラブルではな、例え殺したって罪にはならないんだ……」

 だが、呟いたゼナヴのその言葉には他の男達が焦りだして、不安そうな顔で互いの顔を見合わせると、口々にゼナヴを宥めだす。

「おいゼナヴ、そりゃこいつが戦闘能力があるって登録されてる場合だ。こいつは神官だ、殺したらまずいぜっ」
「あぁ、流石にそこまでやったらマズイ、少し頭を冷やせ」
「うるせぇっ、だったらお前達は手を出さなかった事にすりゃいいだけだ。俺がやったんなら神官同士で大した罪にはならねぇよっ」

 その解釈が正しいのかはクルスにはよくわからなかったが、男達はそれに納得して安堵したように見えた。おそらくこの中では頭がいいゼナヴの言葉だから間違いない、とただそう思っただけだろう。
 ゆらりと立ち上がったゼナヴが、足を振り上げてクルスの腹を蹴り上げる。
 息が止まって、口を離されていても声も出なくて、クルスは痛みに涙を流す。
 もう一度ゼナヴの足が足が動くのを見て、クルスは目を瞑った。

「貴様らっ、何をしているっ、すぐにクルスから離れろっ」

 聞こえた声に、最初クルスは幻聴だと思った。
 場が凍った空気を感じて恐る恐る目を開ければ、確実に幻聴でも幻覚でもなく、鎧に包まれていても見間違える筈のない彼の姿が近づいてきた。

「シー……グル?」

 何故彼がここにいるのだろう、と呆然と見る事しか出来ないクルスの元へ、迷いなく真っ直ぐと彼は歩いてくる。見てすぐに分かるあの強い瞳は兜に隠れて見えなかったものの、その纏う空気と歩く姿だけでクルスにはそれが間違いなく彼であることが分かった。
 一瞬クルス同様呆然としていた他の者達は、急いで短剣を抜くとクルスの首に押し付けた。

「来るなっ、こいつがどうなってもいいのかっ」

 シーグルの足が止まる。
 けれど彼は、纏う空気に動揺を一切みせず、笑う気配さえのせて聞いてくる。

「なら聞くが、俺相手にクルスを盾に取ってどうする気だ?」

 明らかに見下した声で言われて、男達は叫んだ。

「そんなのっ、てめぇもまとめて痛い目にあわせてやる。なんなら口封じって手もある、死人に口なしってな」

 けれどそれを聞いたシーグルは、鼻で笑って気配で男達を馬鹿にする。

「てめぇっ、立場が分かってないのかっ」

 尚も調子に乗って声を荒げた男を、クルスがシーグルの名を呼んだ時からずっと青い顔で黙っていたゼナヴが止めた。

「止めろっ、その人に俺達が何かする訳にはいかないんだ」
「どういう事だゼナヴ、だって相手は騎士だろ、戦闘能力のある者なら……」
「黙れよっ、向うは貴族様なんだよっ、怪我させただけでも問答無用で牢獄送りだ」

 それで黙ってしまった男達に、冷静なシーグルの声が掛けられる。

「そのまま大人しくクルスを離してこの場を去れば、今回は何もなかった事にしてやってもいい」

 それで僅かに安堵の声を漏らした男達に、今度は殺気を篭めてシーグルは言う。

「だが少しでも彼に何かをしたなら、ここで俺がお前達を殺してやってもいいし、貴族院に適当な罪をでっち上げて報告してやってもいい。それとも、クルスも俺も殺して、それで捕まらない自信があるか?」

 男達はごくりとつばを飲み込んで、決定権のあるだろうゼナヴの顔を見る。
 クルスは知っている。ゼナヴは身勝手で乱暴者だが馬鹿ではない。先ほどは頭に血が上っていたのかもしれないが、今の彼の顔ならどうすれば自分にとって一番いい結果となるかくらいは分かっている筈だった。

「……行くぞ、お前達」

 だからそう呟いて、ゼナヴはクルスを押さえている男に手を離すように言う。

「いいのか? このまま黙って解放したら、どっちにしろ後で貴族院に訴えられるかもしれないんだぞ。それならいっそ……」
「馬鹿野郎、旧貴族の跡取りを殺したら魔法使いも出てくる、逃げられる訳がない。それにその人は言った事は守る筈だ」

 言いながら、ちらとゼナヴが振り向いてシーグルを見る。

「あぁ、言った通りこのまま立ち去れば何もしない」

 シーグルがそう言った事で、男達は安堵してクルスの横を通り抜けて去ろうとする。その彼らの足が、次に続けられたシーグルの声で反射的に止まる。

「……ただもし今後彼に何かしたら、問答無用でしかるべき罰を受けてもらう。いいか、クルスは俺の大切な友人だ、彼に何かあったら俺はお前達を許さない。他の知り合いにもそう言っておくといい」

 すぐにでも殺さんばかりの低い声がその場に響く。男達の顔が一斉に青ざめる。
 シーグルの顔を見る事も出来ず震える男達は、更に次の言葉でその場から走って逃げだした。

「失せろ、目障りだ」




 一人その場に放置される事になったクルスは、兜を脱いで心配そうな顔で近づいてくるシーグルの顔を、どこか現実感がないように呆然と見詰めた。

「大丈夫か、彼らにその……酷い、事をされたのか?」

 傍にしゃがんだシーグルが聞いてくる。
 先ほどまでの殺気など完全に消し去って、本当に心配そうに、不安そうにこちらを見てきた彼の顔に、クルスは思わず涙が出てしまってそれを指で拭った。手が震えているのは彼らから解放されてほっとしたせいか、押さえつけられていた手が痺れているせいか……それとも、嬉し過ぎてなのかは自分でも分からない。
 ただ、彼の方が泣きそうな顔でこちらを見てくるから、どうにかがんばってクルスは笑った。

「はい、大丈夫です。脱がされただけですから……まだ、その、それだけです」

 そうすれば彼は本当に安堵したように息をを吐いて、それから顔に笑みを浮かべる。

「そうか、良かった……本当に、君が無事で」

 その時の彼の笑みはやけに子供っぽくて、その笑顔が嬉しくて、愛しくて、彼に触れたいと思う心をクルスは抑えた。

「ありがとうございます、シーグル。でも……すいません。その、私の為に……あのっ、私の為なんかに貴方の名を傷つけるようなマネまではしないで下さい。私はそこまで……」
「何を言っているんだ、たかが多少あれこれ言われる程度、君の身と引き換えに出来るものじゃないだろう」

 言いかけた言葉を怒って返されて、クルスは目を見開いて、そしてまた泣いてしまうのを隠す為に笑みを浮かべた。自分は今、幸せ過ぎて、嬉し過ぎて死んでしまうのではないだろうかと思うくらいだった。

「君は、今の家に来て俺が独りぼっちになってから、最初に出来た友人なんだ。君と会えたから……君が友人になって欲しいと言ってくれたから、俺は笑えるようになって……あの時、約束したから、それまでに少しでも冒険者として評価を上げて置こうと思って俺は……」

 それで少し声が震えてしまった彼は、泣きそうになっていた顔をぎゅっと引き締めてクルスの顔を睨んでくる。

「ともかく、君は謝る必要なんかない。俺と君は友達なんだ、俺の立場とか名だとかも気にしないでいい。少なくとも、こうして冒険者として一緒にいる時は対等だと思ってくれ」

 それは無理です、と言いそうになりながらも、口ではそれに了承の返事を返す。
 そうしてクルスは、彼の顔を見上げて微笑む。

――神様、私は幸せです。

 彼が言ってくれた『大切な友人だ』というその言葉だけで十分だった、今この時の彼の顔を思い出すだけで、この先どんな事があっても生きていけると思った。







 その後、シーグルが水を汲んできてくれたから、火を焚いて体を拭いて身を整えて、とりあえず寝てしまった狩人が起きるのを二人して待つ事にした。
 シーグルがその場に現れた理由を聞けば、それは偶然、という訳ではなかったという事が分かる。
 調査中にとある班で少し厄介な化け物を見つけたという事で、丁度仕事が終わって空いていたシーグルに討伐依頼がいったらしい。シーグルはクルスがこの仕事に参加している事を知ってその依頼を了承し、こうしてやってきたという事だ。

「クルスの居場所ならこれで分かるからな、討伐の方が終わったから君を探していたんだ」

 そうして彼が見せてくれたのは引かれ石で、グリューも含めた3人で組んだ最初の仕事の報酬で買いそろえたものだった。それはある一定の距離内でしか効果はないものの、セットとなっている石同士が引かれあって、他の石の居場所の方向がほのかに光るという魔法アイテムだ。仕事中にはぐれても仲間を見つけられる為、それなりに高価ではあるが固定パーティを組んでいる者同士は買いそろえる事が多い。

「いいかクルス、もし今度また何かあったらすぐ俺に言ってくれ、嫌な感じを受けたとか、怪しいと思っただけでもだ」

 大真面目にそう言ってくる彼の顔を見て、クルスはにこりと笑う。

「はい、シーグル」

 とはいえそう答えたクルスだったが、心の中ではそう言ってくれた言葉だけで十分だと思ってもいた。
 彼が自分を大切に思ってくれるというその事実があるならそれだけでいい。クルスは彼の重荷にはなりたくないし、彼がどう思ってくれていても、やっぱり自分の所為で彼の名に傷がつくことなどあってはならないと思っていた。
 シーグルは本来なら貴族の特権を使う事は好まない。騎士の称号も、上級冒険者の名も、自分の実力で勝ち取ったものだという自負がある。だから彼は自分の事ならプライドに掛けて貴族の名に頼ろうとはしない。その彼がクルスを助ける為には貴族の特権を匂わせたのだ、それはとても嬉しかったけれど、彼にその発言をさせてしまった事がクルスは悔しかった。もう、彼にそんな発言はさせたくなかった。
 だから、もう十分だった。彼からはたくさんの幸せを既に貰い過ぎた。

「あれ、シーグル、もしかして貴方怪我してませんか?」

 ふと、火に薪をくべているシーグルを見れば、彼の腕に軽い擦り傷をクルスは見つける。

「あぁ、さっきの戦闘中に少しな。怪我という程でもないから、特に治癒を頼まなかった」

 恐らく実際の討伐では、依頼で呼ばれたシーグル以外に、今回の仕事に参加していた者から実力の高い班がサポートに回されたと思われた。ならば当然、そこには治癒が使える術者はいた筈だった。

「どうせこれから君に会うと思っていたから、わざわざ他人に頼む気にはならなかったんだ」

 そう言って笑う彼に、クルスは思わず涙が出てしまって、どうにか笑顔をくずさないようにするのが難しかった。

「クルスの治癒術はとてもその……優しいんだ。だから出来るなら君に頼みたかった」

 あぁ神様、どうしよう幸せ過ぎます、とクルスは零れてしまった涙をぬぐって笑う。
 そうして心の中で誓う。
 笑って彼の腕に術を掛けながら、クルスは自分自身に誓う。

 彼に貰ったたくさんの幸せを彼に返せるように、自分はこの術をもっと使えるようにしよう。
 いつか彼と会えなくなっても、影ながら彼の役に立てるように。
 彼とずっと一緒にいられなくても、どんな些細な事でもいいから彼を助けられるようになろう、と。

 そうしてクルスは、シーグルに別れを告げられても尚、その誓いをずっと忘れず胸に抱いていた。



  END.

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 って感じでクルスにとってはシーグルは友人でであり、好きな人であり、崇拝の対象であった分けです。
 これを踏まえて続編のクルスさんの出てる部分を読むと、二人の関係を微笑ましく見れるかもです。


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