復讐と義務と誇りの代わりに




  【前編】



 もう、忘れた筈なのに、今でも時折夢を見る。
 故郷の街を走り回る敵兵の姿、あちこちで上がる炎。倒れて動かない人々の中には見知った顔がちらほらと見える。ほら、あれはよく森へ行くときに声を掛けてきた角の酒場の親父で――……そこで目が覚めて、一番みたくなかった場面は見なくて済んだ。

 やれやれ久しぶりだったな、と背伸びをして起きれば外はもう明るい。それから隣のベッドを見て、綺麗に整えられているその様に同室の男は仕事中で留守だったかと思い出す。今朝は誰の気配もないところで寝た所為であんな夢を見てしまったのかもしれないと思いつつ、もう子供じゃあるまいし、なんて呟いて唇に自嘲をのせた。

「さって、起きるか」

 着替えをして、靴を履き、腰にナイフだけを刺して立ち上がると、ラタは傭兵団の食堂へと向かった。

 自由の国クリュース、冒険者制度なんて呼ばれる面白い制度があるこの国にラタがやってきてからかれこれもう8年が過ぎた。ガキが大人になるくらいの時間を過ごせば流石にもうガキの頃の自分に未練などなくて、失くしたモノを取り戻したいなんて思いはなくなった。……正確に言えばたった一つ、これだけはと願ったものを取り戻した段階で過去を全て捨てる覚悟が出来た。それはあの男と会って自分の運命という奴に納得出来たからかもしれない。

「ラタ、仕事の話だ、いいか?」

 そう言って向かいの席に座った女性に、ラタは了承の返事を返す。彼女はここの傭兵団のボスの片腕で、実質ここのナンバー2に当たる女性である。ラタは傭兵団の中でも主と『契約』をしている特殊な団員であるから、下っ端団員と違って仕事は直接彼女か主に呼ばれて言い渡される事が多い。

「勿論です、基本的には空いてますから。どんな仕事でしょうか?」

 まぁ空いてるのは向うも分かっているから仕事を持って来たのだと思うが、無条件で受ける気もない。『契約』相手の主からの命令なら拒否権はないが、今回の彼女の言い方なら強制の命令ではないだろう。

「あぁ、ザーグがアウグの密偵を捕まえたからな、尋問に付き合って欲しいそうだ」
「……また、ですか」
「あぁ、また、だ。悪いな」

 そうして艶やかに唇をつり上げて笑う女性に、ラタは食事中の手を止めて大きくため息をついた。

「構いませんよ、楽しい仕事じゃありませんが、私がいかないとならない仕事でしょうし」

 どうにも最近アウグ側の情報活動が活発で、アウグの言葉が話せる所為でこの手の事にはよく呼ばれる。だから明らかにうんざりした声で言えば、彼女は少しだけ微笑んだ。

「頼む。それと……ここでは上下関係に合わせて言葉遣いまで変えなくていいぞ。なんというか私も慣れないから違和感がある」
「違和感……分かった、地のままでいいんだな」
「それでいい。それにお前の場合、あまり上品な言葉遣いだとアウグの貴族出だというのがバレるぞ」

 それでラタはフォークを置いて彼女の顔を凝視する。この傭兵団のナンバー2である女性は美しい笑みを浮かべたままだった。

「気付いてたのか」

 ごくりと喉を鳴らして聞いてみれば、彼女は何でもない事のようにさらりと言った。

「私はボーセリングの犬として、アウグ人の見分け方というのを習っている。後は細かい言動のクセを見れば、貴族出身だというのくらいは分かる」
「ならつまりフユにもバレてるって事か……」
「そうだな、フユと、多分クリムゾンも分かっていると思うぞ」

 ラタはそこで頭を抱えた。
 アウグは一応このクリュースから見れば敵国である。現在戦争中という訳ではないが過去には小規模な小競り合いが何度か起こっている為、国境周辺は常にピリピリしている。どちらかと言えば一方的にアウグがクリュースを敵視している状態でクリュース側はあまり相手にしていないのだが、それでも一応の敵国であるから出身は隠して『アウグ近くの村の出身でアウグ人と取引していたから言葉が分る』という事にしていた、のだが。

「まぁ別にアウグ人だからといってどうこうするつもりもない。ボスと『契約』をしているお前が裏切る筈はないからな。ただ何故アウグの貴族がボスと『契約』する事になったのかは少し興味があるが」

 それでにこりと綺麗に笑みを返されたから、ラタはもう自分が焦っていたのが馬鹿馬鹿しくなって苦笑いを浮かべるしかない。

「いいさ、貴女になら隠す必要もない、話そうか?」
「あぁ頼む、ボスは知っているのだろう?」
「勿論、なにせそもそも『契約』の条件でもあったんだ……」

 幸い今日は大抵の者が出払っていて、食堂にいる人影は少ない。それに人がきたとしてもカリンと話をしている段階で、仕事の話だと判断してまず余程用があるものでなければ近づいてはこないだろう。
 視線を遠い昔に向けて、ラタは自分の過去を話し始めた。







 ヴァダン・ラタ・ラクザ――それがラタの本名で、アウグ国内の小さな領主、ラクザ伯爵の次男として生まれた。当然長男は跡取だから厳しく育てられたものの、次男であるラタは兄と歳が離れていたのもあって割合のびのびと育てられた。軍事国家アウグにおいて次男以降は兄である主の下で立派な戦士になる事が義務であったから、幼い頃から戦闘訓練はきっちりやらされていたものの、ラタ自身強くなりたかったからそれは少しも苦ではなかったというのもある。訓練さえちゃんとしていれば近所の子供達と遊ぶ事も許されていたし、街にも割合自由に出かけられた。
 強い立派な騎士になりたい、父や母が誇れるような、兄の役に立つ立派な騎士になる――それが物心ついた時からのラタの目標だった。

 兄は跡取であるから基本は父を師として育てられていたが、ラタは12歳になったところで父の知人であるエンジェ男爵に預けられて彼の従者になった。だが15歳になったある日、故郷の街は隣領のヴァナザ伯爵の侵略を受けた。
 ラタが報告を聞いて急いで駆けつけた時には既に街は落ちた後で、父も兄も領主の血筋の男達は全て殺され、布の館にいた母や姉達は囚われた。アウグでは領主同士での戦争も日常茶飯事で、貴族として生まれても奴隷にまで落ちる事は珍しくもなかった。ラクザ家の消滅もよくある不幸な話の一つとして、国王が関与する事もなくすまされてしまった。
 布の館にいた女達は全てヴァナザ伯爵の布の館に入れられ、姉が伯爵の妻の一人となる事でラクザ家の領地は合法的にもヴァナザ伯爵のものとなった。
 当然師であるエンジェ男爵のもとへもラタを探しにヴァナザ伯爵の手の者が来たが、そこでラタはエンジェ男爵に勧められてクリュースへ逃げたのだった。

 その時点でのラタは、いつか必ず国に帰ってヴァナザ伯爵を倒し、ラクザ家を再興するのだと思っていた。
 けれど、クリュースで冒険者となり、長く自分の力だけを頼りに生きる生活をして外から自分の祖国の事を見ている内、次第にその考えは変わっていき、自分の中の復讐心に疑問を持つようになっていた。たまたまアウグからやってきた男にあって、姉がヴァナザ伯爵の第一夫人となって子もいると聞いてからは自分が祖国に帰る意味はあるのだろうかと思うようになった。

 そんな時に、ラタはあの男と出会った。

「おい、あれセイネリア・クロッセスじゃないか?」
「本当だ、そういやあいつ傭兵団を作ったんだっけ、あの傍にいるのがそうか?」
「ってクリムゾンの奴がいんぞ、やべぇな」
「こりゃー敵さんは可愛そうな事になりそうだ」

 彼を最初に見たのは、北東にある砦の一つに傭兵として参加した時の事だった。
 クリュース北東の蛮族達は春になって雪がとけ、初夏ちかくになると嫌がらせのように砦や国境の村を襲ってくる事が多く、その年は事前にいくつかの部族が手を組んでかなりの人数でやってくるらしいという情報が入っていた。だからそれを迎えうつ為に、傭兵の募集が多くあってラタもそれに参加したのだ。
 冒険者としてそれなりに仕事をこなしてきている以上、セイネリア・クロッセスの名と噂話はラタも当然知っていた。ただ噂の方はあまりにも馬鹿げたものもあったため、半分くらいは誇張だと思っていた。それでも彼を一目見ただけで、あれは尋常じゃないくらいに強い人間だとはすぐに分かった。自分より強いか弱いかなんて話じゃなく、あれは確かに逆らったらまずいタイプの人間だとそう思った。そして興味も湧いた、そこまで言われている男なら、一体どんな事をしでかしてくれるのだろうと。

 軍事国家アウドの出身であるラタの考えは単純だ、強い者は勝利を掴む、名声と地位を掴む。あれだけの男なら一体何を狙っているのか、どこまで地位を駆けあがってくれるのか、考えるだけでぞくぞくした。それだけの『大物』だと思ったのはラタとしては初めての事で、俄然彼に興味が湧いた。
 だからその砦での最初の戦いの時、彼の戦いぶりを見たくて彼の隊の近くでわざと戦った。勿論それには冒険者として長く生活してきたしたたかな計算もあった――彼らの傍で戦っていた方が生き残る確率が上がるだろう、という。だがそれだけでなく、『敵が可哀想だ』と言われる程の彼の強さが見たかった、あの男の戦いぶりが見てみたかったのだ。

「化けモンだな」

 ラタと同じ考えの者は少なくなく、セイネリアの隊の傍にはそれなりに冒険者歴の長い熟練冒険者達が自然と集まっていた。それでも彼らが一瞬、自分の敵を忘れて見惚れる程に、彼らの隊とセイネリア・クロッセス本人の戦い方はすさまじかった。

 黒い騎士の剣捌きは正直を言えばあまりよくは見えなかった。肩と腕を隠すように覆うマントでその動きが見難かったというのもあるが、なにせ速さも力も尋常ではなく、こちらも敵と対峙している状態ではとても目で追い切れるものではなかった。彼の黒いマントが大きく翻れば、その後には敵が一人二人倒れている。敵はまるでただ彼の前に生えている草木のように、彼の剣の一薙ぎでバタバタと倒れていく。その動きには一切の無駄がなく、敵が何も出来なさすぎて無抵抗で倒されているように見える程だった。
 彼の隊では彼がそうして先頭に立ち敵の屍を量産して、その脇と後ろで彼の部下達が彼から逃げようとする者達を綺麗に始末していた。終いには敵はひたすら逃げるだけになって、こちらの周辺から敵がいなくなったくらいだった。彼の戦いぶりに見惚れていた者達も、目を離した隙に攻撃されるどころか敵に逃げられて、気づけば敵がいなくなっていたという状態になる事が多かった。

――確かに噂通り、あの男は別格だな。

 その時の戦いはいわばまだ前哨戦で、敵としてもこちらの戦力を探るのが目的だったらしく、数も言われている程ではなかったし、劣勢を見ると敵はさっさと撤退した。






 砦に戻ってからも、勝利に興奮している兵士達の半数近くはセイネリア・クロッセスとその隊の連中の話をずっとしていた。特に彼らの戦いぶりを始めてみた者達の興奮は酷く、どれだけあっという間に蛮族達が倒されていったか、恐怖に震えていたか、それを熱く話して盛り上がっていた。
 そうしてほぼ皆が皆、冒険者として認められ、出来るだけ上に行きたいと考える連中なら、誰もが考える事がある。

『俺達も黒の剣傭兵団に入る事が出来ればな』

 それは確かにラタも思った事だった。強くなる為、評価を上げる為、生き残る為、強い傭兵団に入りたいと思うのは冒険者としては当然の話だったし、なによりラタはあれだけの男が何をしてくれるのかという事に大いに興味があった。彼の部下となってあの男のしでかしてくれるだろう何か大きな事を間近で見てそれに参加したいと思った。

「はっ、てめぇが黒の剣傭兵団に入れるかよ。あそこはな、セイネリアのおめがねに適ったやつしか下っ端でも入れて貰えないんだぜ。一応募集はしてるけどな、まず申し込んでもよっぽどの実績がないと入団テストさえしてくれねぇ」
「って事はお前も申し込んだ事あるのか?」
「そりゃーな、最初の時によ。ただそん時は俺の知ってる連中ではただ一人もテストにまでいかなかった。上級冒険者の肩書がある奴だっていたんだぞ」
「マジかよ……」
「噂によると腕だけじゃ入れないって話さ」
「ってぇ言ってもなぁ、腕以外何を求めるんだ?」
「さぁな、何か特殊な特技や魔法が使えるとかだと選ばれ易いって話だが、あとは覚悟があるかどうか、だったかな」
「覚悟ってなんだよ」
「しらねーよ、お断りを知らせにきた奴がいったんだよ、腕もだが覚悟が足りないってよ」

――覚悟、か。覚悟ならあると思うんだがな。

 少なくともその辺の冒険者として成功したいと思っている連中に比べれば――そう考えながらラタは冒険者達の噂話に耳を傾けていた。
 実績はそれなりにあると思うし、腕もかなり自信はあるが、自分が『特別』かと言えばそこまでだとは思わない。あの男のおめがねに適う、というのがどれくらいの実力が必要かはわからないが、あの男の傭兵団にいる連中以上の腕があるとも言い切れない。剣だけは幼い頃からの訓練の賜物で雑魚冒険者と一括りにされる事はないと思うが、特殊な特技といえばはきっぱりないと言うのがつらいところか。

――まぁ、あの傭兵団に入れなくても、彼らの戦い方を見ておいて損はないな。

 だから次の戦いでも彼らの隊の近くにいく事をラタは決めていた。上手く目立つ事が出来ればあの男のおめがねという奴に適う可能性もあるだろう、と。




---------------------------------------------


 ラタとセイネリアの出会いのお話、続編の方でラタの過去のお話がちらっと出たのでやっと書けました。
 



   Next


Menu   Top