最強の剣が迷う時
『7話:憎しみの剣が鈍る時』の中で、熱が出ているのに仕事に出たシーグルを無理矢理傭兵団に連れて来た時のお話



  【1】



 自分の部屋はシーグルがいるから、セイネリアはここのところその夜の相手の部屋で寝る事にしていた。仕事は――最初のうちはそのまま執務室を使っていたが、ドクターから彼に会う禁止令が出た段階で使うのを止めた。だから今はカリンの部屋で積まれた書類を見ている訳だが……。

――俺は、何をやってるんだ。

 セイネリアは何度も頭に浮かぶその言葉に自嘲する。
 そうして彼を思い出す度に重苦しい、それでもどこか何かを期待するような、自分でも理解出来ない感情が湧いてきてそれを持て余す。

――俺は、あいつを愛している。

 シーグル・アゼル・リア・シルバスピナを。
 我ながら『愛してる』という言葉のうさん臭さに馬鹿馬鹿しくなるが、それを笑い飛ばす事は今ではもう出来なくなっていた。それが真実だという事を自分はもう知っている。

 テーブルの上の書類を見て皮肉に唇を歪めると、セイネリアは椅子に体重を掛けて足をそのテーブルに乗せた。
 書類の内容はシーグルを襲った連中に関する報告書だ。彼らを雇った依頼主はもともとシーグルを攫ってセイネリアと交渉をするつもりだった。だからそのシーグルを勝手に嬲って、しかもそれをセイネリアに知られた上に取り戻されたとなれば、依頼主にとってその損害は単純な仕事の失敗程度ではすまない。
 裏街の連中に『セイネリアがその依頼主を探してる』と噂を流してやれば、あっさりと依頼主本人から謝罪と釈明の為の親書がきた。シーグルに危害を加える気はなかった、丁重に扱えといってあった等々と言い訳を並びたてた後で――最後にこちらが責任を持って契約違反をした者達は始末する、で締められていた通り、暫く後にそれが実行された、という親書がまた送られてきた。

 今目の前にあるのは、その後に本当に文書通り連中が始末されたかどうかを確かめさせた報告書だ。

 だが、そもそもわざわざ自分の手駒を使ってまでそんな事を確認させたのがおかしい。いつものセイネリアなら向うからの報告だけで終わらせていた話で、その後にその人物が生きているのが分かったら制裁を加えればいいとそう考えていた筈だった。
 けれど今回はそうしなかった。
 本当にそれが実行されたか――もうシーグルに彼らが危害を加える事がないのか――それを確認したかったのだ、自分は。そうしてもっと笑えるのは、そいつらが無事消された事を確信して自分は安堵しているという事だ。

――何をやってるんだろうな、俺は。

 絶対に手に入る事がない存在。けれども初めて心から欲しいと思った存在。あんなに嫌われていてさえ、彼に触れれば喜びを感じる、だから彼が自分を求めてくれたらなんてありえない仮定を考えてしまう。仮定などなんの意味もない――それを分かっているのに、自分の望みが叶う姿を思い描きたくなる。

「……相当イカレてるな」

 彼の事となれば最早自嘲以外にする事がない。しかも今、すぐ近くに彼がいると思うと――思考が彼の事から離れられない。ドクターから禁止令が出ていなければ、彼の顔を見たいという心と、それを冷ややかに見下ろす思考とで迷っていただろうというのが想像出来る。

「らしくないっスね、ボス」

 そこで音もなく現れた男に、セイネリアは黙って視線だけを向けた。
 このところシーグルについていた彼には、その代わりに別の仕事を言いつけてあった。だから彼が来たという事は、それについて報告が出来る程度の事が分かったという事だろう。

「フユか。まず先に報告を聞く」

 彼はそれには不満も言わず、そこで丁寧に膝をついて報告を始める。

「確かに化け物の正体は大きめのエレメンサっス。そンで朝方と夕方にあの坊やがいた森にエサ探しに降りてくるみたいっスね」

 フユに命じていた仕事はシーグルの仕事のターゲットについての詳細を調べてくることだった。あの日、シーグルが夕方ではなく朝に仕掛けようとしていたのは、逃げられたり長期戦になった時に暗くなる可能性を考えての事だろう。
 セイネリアはそこで少し考えた。それから外の風景を見て立ち上がった。

「どうしたんスか?」

 聞いてきた灰色の男にセイネリアは外していた装備をつけ直しながら答えた。

「今からいけば夕方前につくだろ」

 それでセイネリアがどうする気か分かったフユは、肩を竦めてみせる。

「あの坊やの獲物を倒してくるンスか? あとで怒るんじゃないスかね?」
「だが、受けた仕事を放置したまま連絡なしじゃあいつの信用が落ちる」

 それに……セイネリア自身、今ここであれこれ考えているくらいなら外へ行って少し暴れて来たい気分だったというのがある。
 だが剣を腰に差して戦闘用の準備が一通り整ったところで、部屋にカリンが帰ってきた。

「ボス、どちらへ?」

 彼女はシーグルの様子を見て来た筈だから、答える前にセイネリアはそれを聞いた。

「あいつは?」
「今は大人しく寝ています。ドクターが診察後にホーリーを置いていったのでおそらく今日は大人しくしている筈です」
「そうか。なら俺は軽く『仕事』をしてくるから後は頼む」

 カリンはそれに眉を寄せる。いくら自分にとって一番忠実な部下であっても、こんな突飛な主の行動には困惑して当然だろうとはセイネリア自身思う。

「仕事……ですか?」
「あぁ、あいつの仕事を代わりに終わらせてくる、アウグスト山の近くまでだ、夜には帰る」

 だがそれだけで全てを理解した彼女は、そこで恭しく頭を下げた。

「分かりました、いってらっしゃいませ」
「……悪いな」

 自分でもこの行動が馬鹿馬鹿しい事が分かっている分、そんな言葉が出てセイネリア自身自分のおかしさに困惑する。

「いえ」

 それを読み取ったのか、少し笑ってお辞儀をした彼女の横をセイネリアは片手を上げて通り抜けた。ただそこからすぐにドアへはいかず、壁際に立って見ていただけの男の前で一度足を止めた。

「どうせだ、お前もついてこい」
「へ?」

 完全に自分は関係ないとばかりに傍観していたフユは、声を掛けられて珍しく本気で驚いた顔をした。

「どうせ暇だろ、お前がいるといろいろ便利だからな」

 笑って言えば彼は肩を竦めて、それから少し芝居掛かったお辞儀をしてみせた。

「承知しました、お供させていただくっス」







 南門を抜けて暫く進んでから森へ入り、東へ向かう。
 駆け出し冒険者用の稼ぎ場といってもアウグスト山はパーティ推奨狩場であって、南の森のように一人でふらふら行く事は推奨されていない。首都から近く、隊商や薬草等の採取に来る者も多いだけあって人の行き来が多いこの山は、冒険者としては害獣の退治だけでもポイントが貰えるし、山を抜けるまでの護衛の仕事も多い、いろいろな意味で稼げる場所だった。
 ただ野生生物を絶滅させるのは好ましくないという事で、山や森には保護区域もありそこは許可のない者は立ち入ってはいけない事になっていた。境界線には魔力の特殊結界が張られているから入ればバレない事はない。ただ上級冒険者に認定されている者についてはやむを得ない事情があれば一応事後報告で入っていいことにはなっていた。
 アウグスト山に住み着いたという例のエレメンサはその保護区でエサを取らず、主に南の森までわざわざ降りて来て狩りをしているらしい。
 そのせいで危険すぎて山へ入れないだけではなく山の麓の森も危険という事になり、一般人の通行の妨げになっているのは勿論、本当に初期の冒険者さえ森での薬草集め程度も出来ずに困っているというところだった。

 当然冒険者事務局としては出来るだけ早急にそれを解消したいところではあるが、敵の正体が不明だっただけに危険度が分からず、しかも事務局からの仕事は報酬が安いのもあってなかなか受ける者がいなかった。

 シーグルがその仕事を受けたのは、それがエレメンサだと判明したからだろう。

 エレメンサは小型のドラゴンの事であるが、一応ドラゴンというだけあってかなりの強敵の部類に入る。上級冒険者でも一人で受けて安定して倒せる人間となれば相当に限られていて、しかもこんな条件でも受けてくれる人間となればシーグルしかいないと言っても過言ではない。
 エレメンサ退治はエレメンサの生態や弱点を知っている事は当然として、実際に狩った事があるという経験と、対応できる装備を持っているのが絶対条件となる。パーティで受ける場合もリーダーはかならずその条件を満たしていないとならない。
 実をいえばシーグルのエレメンサ退治の経験はセイネリアが友人ごっこをして彼と組んでいた時に積み上げたもので、だから彼の腕はセイネリアとしてもよく分かっている。あの頃随分いろいろ教えてやったのもあって、エレメンサ退治であれば彼が通常の状態ならまず失敗をする事はないだろうとは思っている。セイネリア程楽勝ではないだろうが、彼には旧貴族の鎧がある。最悪エレメンサが吐く火をまともに食らったとしても、短時間ならあの鎧だけでも防げる筈だった。

 ただ、彼がエレメンサの火を浴びると、そう想像しただけで何故か背筋に寒気が走ったのを感じてセイネリアはまた、自分自身に違和感を感じた。

――なんだこの感じは。

 一言で言えば『ぞっとした』。火で焼かれる彼を想像して一瞬、感情が大きく揺れた。多分これは『恐怖』だとセイネリアは自分の感情を分析する。
 赤い液体の中倒れたシーグルを見た時の感覚と同じ……彼を失うかもしれないという恐怖だ。

 だからまたセイネリアは自嘲するしかない、自分はどんな臆病者になったのだと。



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この話は『7章:憎しみの剣が鈍る時』の中で、熱が出ているのに仕事に出たシーグルを無理矢理傭兵団に連れて来た時のお話になります。
シーグルが傭兵団にいた4日間の間、セイネリアがどうしていたかという部分がメインの物語になります。



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