クリスマス企画。騎士成り立てシーグルのちょっとしたエピソード。 【2】 狭い路地裏ばかりを辿っていくこの辺りでも、ところどころ、水場や、道と道の交わり場所などは、ちょっとした広場になっていた。 先程よりも陽が高い時間になり、暖かくなった所為か、帰りはそんな場所には行きよりも多く人を見かける。朝はあまり見なかった子供達の姿もたまに見かけた。特に水場では手伝いなのか、母親と一緒に水を汲んだ瓶を持って歩いている子供をよく見かけた。 気付けば、一瞬見蕩れるようにそんな母と子の姿を見ている自分に気付いて、シーグルは軽く頭を振った。それから、少し急ぐように道を歩く。 だが、何度目かのそんな広場を通り過ぎようとしたところで、そこに人だかりが出来ているのにシーグルは気付いた。 足を止めたシーグルは、それを見て一瞬迷う。 何があるのかという興味はあるものの、こんなところで野次馬に混じるのもどうなのか。それでも、この辺りでどんな事が起こるのかは知っていてもいいだろうと思って、人だかりに向かって歩いていく。所詮野次馬の一人に紛れるだけ、まさかそれで厄介事を背負い込む事などあるとは思わなかったので。 人々の合間から顔を覗かせたシーグルに最初に見えたのは、黄色の肩掛けをつけた3人の兵士達だった。つまり、首都の警備隊の連中だ。となれば何か事件があったのかと思い彼らの周辺を見れば、その足元に女が倒れていた。 女の姿はピクリとも動かない。その上に僅かに雪が乗っている事と、地面には赤黒いシミのような跡が広がっているのを見れば、彼女がどうしたのかは理解出来た。 死んでいる女を思って、シーグルは思わずフードの下で顔を顰め、手で胸を押さえる。 噂話だけでも、この地区で死体など珍しいものではない、とはよく聞いていた。周りの野次馬達の様子を見ても、驚いた様子は見えない。ただ、彼らがこうして集まっているのは、どうやら死体の女を見知っている所為らしく、そこここで小声で女の事を話しているのが聞こえた。 更に言えば、ここの人々は警備隊にはあまりいい思いを持っていないらしく、見ている人々の瞳には暗い反感の感情が見えていた。 「発見者はいないな、よし、さっさとそれを運んじまえ」 警備隊の3人の内、一番立派な鎧を着ている男は騎士で、後の二人に指示をする立場らしい。言われた下っ端の二人はしぶしぶといった顔をして、女の遺体に近づいて行く。 だが。 「近寄るなっ、かーさんに触るんじゃねぇっ」 そう叫ぶ子供の声が聞こえて、シーグルは急いで声の主を探した。 「ぼーず、お前のかーちゃんはもう死んじまってる、ただの死体だ。どうやら殺されたみたいだからな、一応俺達は調べなきゃなんねーんだ」 そう言って近づいて行った男達の隙間、丁度シーグルからは警備隊の連中の影になって見えていなかった場所に、少年が遺体の傍に蹲るようにして座っていた。 その光景を見ただけで、シーグルの胸がぎゅっと苦しくなる。 少年は、遺体に縋って母親を渡すまいとしていたが、騎士の男に引き剥がされて泣きじゃくる。周りの人間達は、口々に小声で警備隊を非難する言葉を吐いていたが、誰も行動で何かしようとはせず、ただ見ているだけだった。 「嫌だっ、だめだっ、かーさんを連れていくなっ」 少年の悲痛な声があたりに響く。 シーグルは固く拳を握り締めた。 少年がいなくなった事で、残る二人の兵が遺体の傍に近づいていく。 遺体運びなど、確かに嫌な仕事ではあるのだと思う。けれど、文句をいうのはまだしも、壁際にそって倒れているその女の体を兵士が足で転がしたのを見たシーグルは、とうとう我慢する事が出来なくなった。 「待ってくれ」 人の間をすり抜けて、警備隊の方に近づいていくシーグルに人々の視線が集まる。 「貴方にとっては他人だとしても、遺体にその扱いはないだろう」 「なんだぁ、お前は」 警備隊の兵達にとって、シーグルはどう見ても不審者だ。 更に言えば、3人の男達は全員がシーグルよりも背も体格も上だ。嘗められるもの仕方はない。 「死者に敬意を払うのは、当然の事だと思うのだが」 「なんだぁ? お前もこの女の身内なのか」 「違う、全く知らない、だが……」 遺体の前にいる兵二人は、シーグルを見て鼻で笑う。 「じゃぁ黙ってな」 言いながら、一人がシーグルを突き飛ばす。 そのシーグルに、もう一人が近づいて来て上から睨む。 「……お前さぁ、余所者だろ。ここじゃ死体なんて珍しくもねーんだよ。一々かたずけさせられるこっちの身にもなってみやがれ」 シーグルは拳を握り締め、それでもまだ声を抑えて男達に言った。 「あなた方にとってはそうでも……あの子にとってはたった一人の母親なんだ、せめて、もう少し丁重に扱ってくれないだろうか。そうしてくれれば、あの子もきっと、少しは安心して遺体をあなた方に預けられると思う」 「うるせぇっ、余所者は黙ってな。邪魔するとちょっと痛い目にあう事になるぜっ」 言いながら苛立ちを隠そうともしない男は、再び、先程よりも更に乱暴にシーグルを突き飛ばそうとした。だがそれはシーグルに避けられて、男は怒りを露わにする。 「貴様っ、逆らう気か?」 「あなた方に逆らう気も、仕事の邪魔をする気もない。願いを言っているだけだ、話を聞いてくれないか」 「うるせぇっ、邪魔すると痛い目をみると言ったよなぁっ」 男は、今度は突き飛ばすどころではなく、確実に拳を振りかざしてシーグルに襲いか掛かってくる。それは避けられたものの、もう一人の男もまたシーグル目掛けて拳を突き出してくる。それもまだ避けられはするものの、流石に警備隊として一応の腕を見込まれた者だけあって、行きにあったごろつき共に比べるとシーグルにもそこまで余裕はない。 殴る、蹴る、二人がかりで攻撃されれば、避けるだけでもかなり神経を使う。それに加えて動きづらいフード付きのマントを身に付けたまま、更に、背後にいる野次馬連中の事まで考えれば、一見余裕そうに避けられてはいても、その実一杯一杯であった。 そんな状態で、背後で悲鳴が上がる。 だが、それに振り向く余裕はない。 気配だけで探ろうとすれば、打撃音と鎧を着けたものが倒れる音がした。 「セガルっ」 前にいる警備隊員の二人が叫んで、それでシーグルも振り向く余裕が出来た。 「後ろは気にすんな」 背後にいたのは、小柄だが体格のいい、いかにも手馴れた冒険者といった風情の男。そして、足元に倒れているのは、黄色い肩掛けをした人物。 どうやらもう一人警備隊員がいたらしく、背後からシーグルを狙って来ていたのだろう。 「感謝する」 その警備隊員をおそらく倒した冒険者の男に、シーグルは礼を言って前の二人に向かう。 仲間を倒された事で余計に頭に血が上ったらしい男達は、二人同時にシーグルに殴り掛かって来る。 避けるだけでは限界かと判断したシーグルは、避けたすれ違いざまに一人の足を引っ掛けて転倒させる。だが、残った男がそれで更に頭にきたらしく、剣を抜いて突き出してきた事で、シーグルは大きくその場から飛び跳ねて後ずさった。 「本気で怪我したいらしいな……」 構えた様子からでも、男の腕は嘗められるようなモノではないと分かる。少なくとも、まともに渡り合うなら、こちらも剣を抜かないと危ないと思うくらいには。幸いな事に、この場所くらいの広さがあれば、腰の長剣を抜いても問題はない。けれど、抜けば完全に警備隊に逆らったととられても仕方ない。 シーグルは迷う、だが、そこで。 「お前達、やめろっ。ボッサス、さっさと剣を収めろっ」 ボッサスと呼ばれた、今シーグルに剣を向けていた男が、その剣を鞘に納める。 シーグルは息をついて、腰に手を掛けようとしていたその手を下ろした。 「……お前等、分からないのか、そこの方は『本物の』騎士様だぞ」 警備隊の男達がじっと見つめてくる中、言われてシーグルも自分の姿を確認する。 どうやら、身を隠していた筈のフードは上がり、マントさえ開いて右半身は完全に露出してしまっている。 あれだけ動いてしまっては仕方ないかと今更ながらに思いながら、分かるものがいるなら面倒がなくていいかとも思い直す。 わざわざ『本物の』とつけてくるなら、こちらが貴族であるという事は分かっているのだろう。 「その紋章、シルバスピナ卿かと存じますが」 ここにいる男達のうちで一番地位が高いと思われる騎士の男が前に出て、恭しくシーグルに礼をする。 今のシーグルはまだ旧貴族特有の魔法鍛冶製の鎧を着てはいないが、その身分を示すものとして、着ている鎧にも胸には家の紋章がついている。とはいえ、胸の紋章だけなら、貴族でなくても勝手に自分の紋章をでっちあげて描いているものもいる。だがこの男は、紋章をちゃんと確認してから確定したのだ。 「まだ、卿と呼ばれてはいない」 紋章を見ただけで家の名前を言ってくるとは、この男も貴族なのかもしれない、とシーグルは思う。だが、顔が露出した所為で年齢が分かっただろうこの状態でこんな事を言ってくるという事は、そこまで貴族事情に詳しいという訳でもなさそうだった。詳しければ、主要旧貴族の当主の代替わりくらいの情報は仕入れている筈だ。 「成る程、では、次期シルバスピナ卿でございますね」 シーグルが不審そうに相手をみる中、改めて、男は馬鹿がつく程丁寧にお辞儀をしてみせる。シーグルは返事を返さなかったが、それは肯定と受け取ったらしい。 「部下が失礼を働き大変申し訳ありませんでした。重々言って聞かせておきますので、どうかこの場はお許しいただけませんでしょうか?」 「……別に、貴族院に報告する気はない。ただ、こちらの話を聞いて欲しいんだ」 「はい、それはもう」 旧貴族の跡取りに危害を加えようとした。しかもこちら側から先に手を出したのではなく、一方的に彼らの側から。 それをもしシーグルが貴族院に訴えたなら、確実に彼らの処罰は免れ得ない。シーグルは、いかにも貴族優遇の為の貴族法は嫌いであるから訴える気など最初からないが、彼らが恐れるのは当然だろう。 ――結局、権力を傘にして言う事を聞かせるのと同じだな。 そうは思っても、今回ばかりはそれでもいいかと思う事にする。これ以上の騒ぎも起こさず、自分の要求が通るのならやむを得ない。 「あなた方の仕事の邪魔をした事は謝罪する。ただ、私はもう少し、死者に対して敬意ある扱いをあなた方にして貰いたかっただけだ」 「そうは申されましても……何分、ここでは死体の片づけなど日常茶飯事でして……その、いちいちあまり手を掛けていられないのという事情がありまして……」 不自然なまでに丁寧な男の口調は逆に気に触るものの、男の言い分も十分シーグルは理解しているつもりだった。 「分かっている。別にここで葬儀をしろと言っている訳ではない。ただもう少し遺体を丁寧に……出来れば運ぶ前に、彼女の冥福を祈る弔いの言葉、祈りの一句でも掛けてやれないだろうか」 「祈りの言葉ですか……それは……その……我々の中にはそのような言葉を知る者もいませんし、運ぶだけの為にわざわざ神官を呼ぶ訳にもいきませんし」 シーグルは溜め息をつく。 シーグルは彼らに、きちんとした弔いの祈りをしろと言っている訳ではないのだ。 とはいえ、祈りの一句と言ったのはまずかったかとも思い直す。いくら大抵の者がどこかの神の信徒であるといっても、覚えられる術が目当てでただ信徒となっている者も多い。警備隊に入るような腕に覚えのある者であれば、特にその傾向が強いだろう。 「気持ちの問題だ、言葉は正式な祈りになっていなくてもいい……たった一言、言葉を掛け、態度で示すだけで周りのあなた方に対する感情も大分変わると思うのだが」 男は気まずそうに口を閉ざす。 どうやら、警備隊が住民達に快く思われていない事は、彼らにも自覚があるらしい。 シーグルは男に背を向けて、遺体の方に歩いていく。警備隊の者達は困惑はしているようだが、今度は止めようとはしてこなかった。 遺体の前には、少年が座り込んでいた。 シーグルと警備隊のやりとりの間にすかさず逃げ出して母の元へ行ったのだろう。少年はシーグルに気づくと、涙に塗れた真っ赤な瞳でシーグルを見上げた。 「母さんの為に一緒に祈ろう、言葉は何でもいい」 シーグルはこの少年に掛ける言葉が分からない。 母を亡くした悲しみは理解出来ても、これからの彼を思って励ますべきか、それとも一緒に嘆いてやるべきか、どうすれば彼の気持ちが少しでも救われるかが分からない。その為の言葉がすんなり出てくる程、シーグルは大人ではなかった。いくら騎士として勉強を重ねてきてはいっても、まだ15年しか彼は生きていないのだから。 だからシーグルに出来るのは、少年の為、その母親の為に祈る事だけだった。 シーグルは遺体の傍に片足をついてしゃがむと、左手をリパの聖石がある胸の位置に置き、右手を彼女の額にかざして目を閉じる。 「慈悲深き我が神よ、貴方の傍に召されたこの魂を――……」 シーグルは神官ではないから、勿論、正式な祈りの言葉は分からない。ただ遠い昔、神官であった母親が村人の葬儀で言っていた言葉を思い出して、覚えている部分だけを繋げて言っているだけだった。 言葉は正式ではない分、心だけは込めて。 天に召された彼女の魂の救いを願う。 祈りを終えてシーグルが立ち上がると、警備隊の者達も、そして周りで見ていた野次馬達も、皆頭をうなだれてそれぞれの信じる神への祈りの姿勢をとっていた。 それに笑みを浮かべ、シーグルは未だ遺体の傍に蹲っている少年を見下ろす。 「すまない、殺された遺体は警備隊の方で調べなくてはならないんだ。だから君の母さんは連れて行かなくてはならないけれど、そこでちゃんと神官様が来て弔って下さる筈だ」 いくら死体の処理が日常茶飯事だとしても、首都の警備隊ならば決められた手順は守っている筈である。となればおそらく、あのヴィンサンロア神殿の神官が呼ばれるのだろうとシーグルは思う。 「君の大切な母さんと離れるのは辛いだろうけど、君の母さんと同じ目にあう人を無くす為なんだ、分かって欲しい」 少年はこくりとうなずく。 その瞳に、銀色の髪と深い青の瞳の少年騎士――シーグルの顔をじっと映して。 |