シーグルの憂鬱な日常




  【後編】



――そんなやりとりがあってから、3年後。
 相変わらず冒険者相手に、人には言い難い部分の治療をしているアッテラ神官は、入ってきた細身の人影に声をかけた。

「お、久しぶりだな。で、またアレかい」

 数ヶ月ぶりに治療院に現れた銀髪の青年は、トーツィンが手を上げると、バツが悪そうに口元を歪めた。

「あぁ……よろしく頼む」

 最初の頃のように、いかにも恥ずかしいのを耐えている……というのではなく、自嘲じみた苦笑を浮かべて、もうすぐシルバスピナ卿となる青年はいつも通りトーツィンの後ろについて奥の部屋にやってくる。
 そういえば、彼が口調を変えてからどれくらい経ったのだろうか。確かいつまでも生真面目に『先生』扱いをしてくる彼に、トーツィンの方から言ったのだ、『あんたは偉い貴族の若様なんだから、そんな丁寧に話してこなくていいぞ』と。確か彼が成人した時に言った筈だから、それから一年くらいは経つのだろうか。
 口調だけでなく、彼が持つ雰囲気も大分変わった。初めて見た時の気楽な冒険者ではなく、騎士団に入って部下のいる立場へと変わった辺りからか、彼は大分大人になったと思う。まぁ、トーツィン個人としては、前のような初々しい彼の姿の方が楽しかった、というのはあるのだが。

 そうして親父神官は、現シルバスピナである青年の治療を行い……そうして、ある事に気がついた。







「よぉ、久しぶりじゃねっか」

 気楽に声を掛けてきたアッテラ神官の親父に、フユは僅かに眉を寄せた。まったく、アッテラ神官というのはこの手のいかにも単純明快な脳筋タイプが多いから、と彼の所属する傭兵団にもいるアッテラ神官の副長に当たる男を思い出して、呆れたようにため息が出る。

「アンタとは、そんな軽々しく声掛けて貰う仲じゃないッスけどね」

 言えばやっぱり単純すぎる男は、がははと大声で笑ってからにんまりと口元に笑みを浮かべてこちらを見つめてくる。

「まぁいいじゃねぇか。でだ、今回はちゃんとお前ンとトコのボスの命令なんだろ?」

 フユは一瞬、口元を思い切りへの字に結んだ。

「なんでそんな自信満々に言うんでスかね」
「そりゃな、だってお前さん、いつもこの中まで入ってこないモンの、ずっとあの坊やをつけて歩いてたじゃねーか。いかにもお仕事っぽくな」
「では、今回ここへ姿を現したのはどうしてだと思ったんでしょうかね」
「そりゃなぁ……」

 にたにたとにやけ顔という言葉がよくあう顔で、アッテラ神官はフユの顔を覗き込むように見つめてくる。それが酷くフユにとっては居心地が悪い。

「会ったんだろ、あの坊や、お前ントコのボスにさ、かれこれ2年ぶりってとこか? ……あぁ勿論、それが本当だとしても他言する気はねーよ。患者のプライベートを言わないのはこの仕事の掟ってモンだ」
「そういやアンタは前にも、あの坊やの事を、うちのボスの本気の相手と言ってくれましたっけね」

 その言葉にはさも意味ありげに、神官は喉だけで静かに笑って目を軽く閉じる。

「あぁそれはな……でもまぁ、間違ってなかったんだろ?」

 妙に余裕のある態度を取るこの神官は、実はフユにとってはかなり読み難い相手で、だからいつも通りの笑みこそ崩さないものの、尋ねる声には苛立ちが混じる。

「よければ、どうしてそう思ったのかを聞いていいっスかね」

 そうすればこの親父は眉を跳ね上げてじっとこちらを見てくると、やれやれとやけに芝居がかったような動作で肩を竦めてみせた。

「んぁ? なんだそんな事か。いいか、アッテラの治癒術ってのは、患部の感触が分かるからそこがどんな状態かってのが分かる。んでついでに、患者本人に治療箇所を指定して貰うから、その時に患者の意識とちょっとだけ同調するんだよ」
「へぇ、それで?」

 この男の診療所は元々あまり広くない。この男が今座っている位置は部屋の奥で、フユのいる位置は外から入ってきた扉のその前だ。当然部屋の中としては最大に近い距離が取られているはずで、戦闘となればフユの一番得意な距離でもある。
 なのに何故か……フユはこの男に対して苦手意識というか、妙に神経がピリピリして体が勝手に身構えてしまう。
 そんなフユの緊張をも見て取ったのか、じっとこちらを見ていた神官の瞳が、苦笑と共に急に表情が柔らかくなって軽い笑みを浮かべた。

「まぁそんな訳でだ、いろんな人間のいろんな状態を診てきた経験上……わかんだよ」

 笑いながらも、その視線が軽く伏せられていくのを見て、やはりよく分からない男だとフユは思う。

「なにがでスかね?」

 だからそう聞き返したのは当然のことだ、だが。

「そりゃーあれだ、愛があるか、ないかって事さ」

 言いながら、お茶目にウィンクなんてしてきたイイ歳の親父に、フユは口元を引き攣らせた。

「ふざけてるんじゃないっスよね?」

 フユが嫌味をたっぷり含んだ笑顔で聞けば、親父も満面の笑顔で答える。

「おう、大マジだぞ」
「…………」

 互いに笑顔で、暫く無言で見つめ合った後、フユが大きな溜め息をついた。

「まぁ……それはそういう事で納得しときまスがね。どっちにしろ、アンタは誰にもそれを言ったりする事はないみたいっスからね」
「あぁ、言わねぇよ誰にも……あの坊や本人以外にはな」

 不気味ににやにやと笑ってまた目を閉じた神官を見て、フユはその場から去る事にした。







 樹海行の仕事から帰って来たシーグルは――正確には結局樹海にはいかなかったのだが――急いで帰ってきた後、とりあえず身動きが取れない程忙しくなる前に、ひさしぶりにトーツィン神官に診てきてもらった。だが……治療後、ここ2年程聞かれる事がなかった質問をされて少々驚く事になった。

「今回の相手は恋人……って訳じゃないよな?」
「あぁ、違う」
「また無理矢理だったのか?」
「……いや」
「やっぱお前さん、相当熱烈に愛されてるんだな」

 最初、どうしてそこでそう返されるのかと面くらったシーグルだったが、すぐにそれは深く考えない事にして、唇に自嘲じみた苦笑を浮かべた。

「……そうだな、だが、俺はそれに何も返せないんだ」

 頭に浮かぶ黒い騎士の姿に語尾が思わず震える。愛されている……というのは分かりすぎるくらい分かってしまっても、自分が彼にどう接すべきかがシーグルには未だに分からなかった。

「まぁ俺にゃアンタにあれこれ言う権利はないがね、確実に言える事は……アンタがここへ来る理由が、アンタが愛されてるって結果なら良かったさ、という事だな」

 トーツィンの声は茶化しているように軽いのに、心の奥に届く。
 実際の年齢はおいておいても、見た目はウォルキア・ウッド師よりも上に見えるトーツィンの口調は、年長の者特有の重みとそれを隠す軽さが同居していて、しみこむように胸に入ってくるようだった。

「愛されてる、か……俺にはどうすれば『愛している』と言えるのかよくわからないんだ」

 だからつい本音を口に出してしまう。誰に相談すべきか分からない心の内を、たまにしか会わない治療師の神官に吐露してしまう。

「そら愛ってのは人それぞれだからな、他人からこれだって教えられるモノじゃねぇよ」

 いいながら神官は軽く笑う。そうして、軽くお茶目に鼻の頭を擦ると特に大した事もないように言ってくる。

「ただまぁ、アンタがヤってて嫌だって思わない相手は、ほぼ確実に『好き』なんじゃねぇかね」

 シーグルはそこでまた少し目を見開いて、それから口元だけで静かに笑う。
 口調は軽いくせに確信をついてくる、そういえばこの神官は少しウィアに似ているかもしれない。そう思えば、きっとウィアがこの神官と同じくらいの歳になったらこんな感じになりそうだと想像してしまって、あぁでも体格というか外見は全然違うかなどとも考えて思わずクスリと音が漏れた。

「そうだな、確かに俺は、あいつを『好き』ではあるんだろう」

 小さく、呟いて。それを神官が聞き返してきたのには何でもないと答えて、シーグルはいつでも気楽な口調の親父神官に別れを告げた。

 今のシーグルには、はっきりと自覚出来ていることがある。

 女のように男に抱かれるのは嫌ではあっても、彼に抱かれていることが嫌ではない。それどころか、彼の腕の中で安堵してしまう自分を知っている――愛されているのだと、彼に抱かれる事でそれを実感して喜びを感じている自分がいる事を知っている。

 もしこのまますべてを委ねてしまったら、どれだけ楽になれるのだろう、と彼の腕の中で思った。
 けれども同時に、そうしたら自分は自分を捨てる事になるのだとも思った。彼の腕の中に留まるなら、すべてを捨てて彼だけを選ばなくてはならない。家を捨て、名を捨て、家族を部下を責任すべてを捨てたら、それはもう自分ではない。

――だからセイネリア、俺が俺である事をお前が望むなら、お前は俺を手に入れる事は出来ない。俺はお前を選ぶ事は出来ないんだ。



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後編のこのお話は、丁度続編の1話直後、首都に帰ってきたあたりのお話になります。
シーグルの日常話。といいつつ、こんな事が積み重なってシーグルはいろいろ自分の気持ちを確かめてましたよって話でした。



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