『その濁りない青に』0話から1話の間、セイネリアがシーグルと再会する話。 【4】 これは自分のミスだった、とシーグルは思った。 言うべきではなかったのだ、と。 シーグル達がシャレイを探しにいくと、彼は必死で何かを探していた。事情をきけば、体を拭くために一度シャレイが装備を外した間にいつの間にか彼の大切な祖父の代から引き継がれた剣が消えてしまったという。 彼が大切な剣を落とすとか置き忘れるとかはあり得ない。となれば誰かに盗られたと考えるのは当然で、シーグルは周囲にいる連中に片っ端から彼の剣の事を聞いて歩いた。 元蛮族であるシャレイを嫌っている連中は多い。殆どの者は馬鹿にするか揶揄うだけだったが、聞いているのがシーグルであるならシーグルにしか使えない脅し文句がある。貴族法において、自分を馬鹿にした態度を取れば相応の罰が与えられるが――勿論自分の事に関してならこんな手は使わないが、この場合は使えるモノなら何でも使う。 そうして、聞いて回った時、一人の男がこう、言ったのだ。 『はん、蛮族あがりがやたらと立派な剣を使ってるから勿体ねぇって誰かが持って行ったんだろうさ』 シャレイの剣は鞘から抜かなければ『立派』な剣には見えない。未だ戦闘が一度も起こっていない状態で彼の剣が『立派』であるのを知っているのは、仕事で組んだ事がある仲間だけである。 そしてその言葉を言った男は、シャレイと一度も仕事をしたことがない。 つまり、それはその男が犯人か、もしくは犯人の知り合いで抜いた状態のシャレイの剣を見た事があるという事である。 本当に知らないんだな、と聞き返したがその男はシラを切り通した。更には文句を言って怒鳴りだしたから一旦シーグルは引いたが、それでもその男が怪しいと、その理由をシャレイとリューネイに打ち明けたのだ。 だがそれは……いうべきではなかったとシーグルは後悔していた。 聞いた途端シャレイはシーグル達が止める間もなく男のところへいってしまい、たちまち野次馬が集まる騒ぎになってしまったのだ。 これはまずいとシーグルはリューネイにその辺にいる砦の兵を連れて来てくれるように言って、自分はシャレイを止めにいったのだが……。 「俺の剣、知ってるの、分かってる」 「しらねーよっ、言いがかりで暴力かよ、野蛮人め」 「泥棒に、野蛮人、いわれたく、ない」 「んだとぉっ」 ついにはカッとなった男が剣を抜くに至って、シーグルはシャレイを庇って剣を抜いてしまった。 「おぉ? なんだあんたの方がやるってのか?」 「貴様が剣を持たない相手に剣を抜いたからだ」 野次馬達は無責任に盛り上がって勝負するように騒ぎだす。シャレイは悔しそうに顔を顰めながらも、シーグルにごめんと謝ってくる。 更にはまた悪いタイミングで、リューネイが連れて来た砦の兵がやってきた。 「お前達は何をしているっ、ここでは喧嘩も、無許可の決闘も禁止されているぞっ」 騎士団員の恰好をしたまだ若い兵はシーグルを見た途端、急いで男との間に入ってこようとした。それで止(と)めようとするだけならまだ良かったのだが、その兵がシーグルに怪我をさせまいとでも思ったのか、まるで庇おうかとするように強引にシーグルの前に入ってきて、しかも完全にシーグルの方を見てシーグルに気を取られてしまっていたのが不幸な結果を招いてしまった。 おそらく、向こうの男も脅しで剣を振って見せる程度のつもりだったのだろう。 それが想定外に無理矢理シーグルの真ん前にその兵士が立ってしまったものだから、剣先がその兵士の腕を掠めてしまった。 兵士が腕を押さえる。シーグルは咄嗟に兵士に大丈夫かと聞いてしまったが、内心少々面倒な事になるとも思った。大丈夫ですとシーグルに告げた兵士は、今度は相手の男に向き直ると言ったのだ。 「貴様、誰に剣を向けたか分かっているのか?」 あぁやはり――シーグルの嫌な予感は的中する。兵士はシーグルの身分の話を始めて貴族法を持ち出してきた。 とはいえ相手の男も引くに引けない。 「俺は別にそこの貴族様に剣を向けようとしたんじゃねぇ、そもそもはそこの野蛮人が俺に勝手ないいがかりをつけてきたからだ」 「それでも貴様が次期シルバスピナ卿に剣を向けたのは変わらんではないか」 そもそもシーグルはシャレイを止めさせた上で、シャレイの剣の事を男に追及して貰うために兵を呼んだのだ。それなのに何故こんなバカバカしい問題になっているのか。 「俺に剣を向けたのは問題じゃない、こうして仕事をしている以上、この程度の事で貴族法を持ち出す気はない。剣の事なら俺じゃなく貴様はこの兵に謝らなくてはならないだろう。例え間違いでも怪我をさせたのは大問題だ」 いい加減うんざりしてシーグルが言うが、相手の男はもう後には引けないとばかりに喚き散らす。 「は、どう考えてもそれはそいつが悪い、わざわざ自分から剣を出したところに出て来たんだろうが」 なんだこの馬鹿は――と思いつつも、この男がここまできてまだ大口を叩いていられるのは理由がある。男の所属は黒の剣傭兵団――つまり、冒険者としては一目置かれる団の肩書を持っていて、しかも今回は名高いその長までもがここにいるという事で気が大きくなっているのだろう。 セイネリア・クロッセスの名は最強という言葉だけなく、恐怖を持って語られている。いわく――奴に逆らうな、逆らえば死より恐ろしい目に合う――と。噂だけでなく、実際彼に敵対して悲惨な最後を迎えた貴族もいたという事で、貴族連中さえも平民である彼にはヘタに関わりたがらないと言う話だ。 だが……それでもこの馬鹿にはいい加減頭に来てシーグルは男を睨んで言う。 「いや、どうみても止める腕がない貴様が悪い」 「なんだとぉっ、少なくとも貴族のひょろひょろに負けるような腕じゃねぇぜ」 それにはシーグルも更に苛立つ。――好きで細い訳じゃない。 そんな中、人垣の向うで一度ざわめきが大きくなる。 直後、こちらの周囲をぐるりと取り囲んでいた人の輪の一角が崩れた。 人々が避けて道が出来あがる。その中心に現れた人影を見て、一度大きく膨れ上がったざわめきは急激に消えて沈黙がおりた。 「マスター……」 男の呟きの通り、そこには全身を黒で固めた甲冑の男、セイネリア・クロッセスがいた。 戦場に自分から志願してわざわざやってきた旧貴族の馬鹿息子。 セイネリアがその顔を見てやろうと思ったのは、それが本当にただの世間知らずの馬鹿息子なのか、それとも本気で覚悟があって戦場にきたのか――それを確認する為だったのだが。 まさか、ただの馬鹿息子じゃない方だとは思わなかったと、内心セイネリアは楽しくなっていた。 あの目を見れば分かる。顔もあまり変わっていない。間違える筈もなくあれは――あの時の少年騎士……いや、今では青年と言っていいだろうか。 成程、やけに品のいい顔をしていたから貴族様だというのは納得できるところだが、それでも先輩騎士共に目をつけられたあたりはあの容姿の所為だろうなとは思う。女顔ではないのだが整った顔は男くささがなく、銀髪に白い肌と色素の薄い顔立ちにあの濃い青色の瞳の強さは印象深過ぎた。あの強い瞳を屈服させてやりたいという気持ちが沸き上がるのは仕方ないだろう。 「ま、マスター……」 どこか不安そうに自分に媚びを売るような笑みを浮かべる男の顔を見て、セイネリアは即座に悪いのはこっちだろうなとは察した。 「どういう事情か話してみろ」 言えば団の男はセイネリアと視線を合わせず向うの青年を見て言う。 「そもそもは、向うの元蛮族が俺を盗人扱いしてくれたのが悪いんです。あんまりしつこいんで剣を抜いて脅そうとしたらその貴族の若様がしゃしゃり出て来たんです」 わざわざ相手が悪いように言う人間は、自分が正しい事に自信がないか、自分が悪い事を分かっている人間と決まっている。いくら腕が良くてもこの馬鹿はウチでなら一生下っ端で終わるタイプだろうなと思いつつ、セイネリアは伺うように貴族の青年の顔を見た。相手は落ち着いて、こちらの顔を真っすぐ見つめてくる。それに自然と浮かぶ笑みを抑えるのにセイネリアは苦労したくらいだ。 「まずこちらの仲間が装備を外した少しの間に剣がなくなった。周囲にいた者に聞いたところこの人物の発言が怪しいと判断した」 「ほう、どのあたりが怪しいと思った?」 「彼は消えた剣の事を『やたら立派な剣』と言ったんだ。その剣が立派である事は鞘から抜かないと分からない。まだ一度も戦闘が起こってない以上、『立派な剣』である事を知っているのは仕事で組んだ事がある者だけだ」 成程、頭もなかなか良いようだとそう考えれば唇は自然に笑みを引く。 「……だから彼が剣の事を知っていると確信して、剣の持ち主が彼を問い詰めた。それを追い払おうとして彼が剣を抜いた。俺が剣を抜いたのは、剣を失くしたと言っている剣を持たない人間に彼が剣を向けたからだ」 最初の直感通りこちらの団の男が悪いのは確定だろうが、それをただ認めて解決というのは面白くない。さてどうするかと愛想笑いを浮かべる男をみて――その胸に目立つようにある騎士の印を見つけてセイネリアは考える。 「更にはそれを止めに入ったそこの兵士に彼は怪我をさせた」 今度は明らかに目を逸らして言葉に窮した様子の男に、セイネリアは笑みを浮かべつつ呆れかえった。まったく、そこまでやっていて庇って貰えると思うならこの馬鹿の頭はどれだけお目出度いのだ、と。 これは完全にこちらの馬鹿が悪いと分かっていて……それでもセイネリアは笑みを浮かべたまま男に聞いてみた。 「向うのは言い分はかなり正当なようだが、お前の言い分はどうなんだ?」 男の顔が引きつる。それはそうだろうなと思っても、ここまできて謝れもしないだろう。 「言いがかりです。剣のことは、たまたま奴が剣を抜いたところを見ただけですし、その後の事も……そもそもそいつが俺につっかかってこなければ剣なんて抜きませんでしたよ」 予想通り嘘を嘘で上書きして責任を向うに放り投げた男に、セイネリアは苦笑してしまってからあの青年に向き直った。 「こいつの言い分からすれば……剣を抜いて怪我をさせたのはこちらが悪いとも取れるが、そもそもの失くした剣の事はそちらの言いがかりでそちらが悪い、という事になるな」 「剣を抜いたところを見たなど嘘に決まっている、こちらは彼を見た事がない」 勿論セイネリアも誰が悪いかなど分かっている。分かっているが、こんな面白い状況なら利用しない手はないというものだ。 「嘘と言っても明確な証拠もないしな。どちらが一方的に悪いかは判断がつかん。それで提案なんだが――二人とも騎士として剣を抜いたなら、いっそその剣で決着をつけるというのはどうだ? もしそちらが勝ったのなら、こちらが犯人かどうかは別としても非礼を謝罪し、我が団の威信にかけて消えた剣を探しだすと約束しよう。当然、そちらが負けた場合は逆にこちらに謝罪をしてもらう事になる、そっちの男と共にな」 青年の整った眉が僅かに寄せられる。けれど瞳はじっとこちらを睨み付けてくる。ここまで逸らさずこちらの目を睨み返してくる人間は稀過ぎて、あの時の見立ては間違いなかったようだとセイネリアは思う。あの強い瞳が強いまま再び自分の前に現れたその幸運には、神など鼻で笑うセイネリアであってさえ何者かに感謝したい気持ちになるくらいだった。 「マスター、それは……」 少し声が震えている男に、セイネリアは唇だけに笑みを浮かべて目を合わせてやった。 「お前も騎士だろ、それにウチの名を背負っているんだ、当然それで文句はないな?」 男の瞳はこちらを見返せず視線を落とす。明らかに顔色を悪くして、それでも男は返事を返した。 「勿論……それで構いません」 そうしてあの青年の方に顔を向ければ、こちらが見ていなかった間もこちらを睨んでいたらしくすぐに瞳があって彼は言う。 「俺もそれで構わない」 周囲からざわめきが起こる。勝てる訳がないのを分かっていて勝負とは、やはりあの団のやり方は汚い――などとこちらを非難する声が聞こえるが、別にそれを睨んでやる気もないし勝手に言わせておく。 「試合の判定をするのは俺でもいいか?」 それにはさらに周囲から不満の声が上がるが、こちらを見つめる青い瞳には動揺も迷いも浮かばず一時も逸らされる事はない。 「あぁ、それでいい」 「なら決まりだ。とはいえ今は朝飯時ではあるし、今すぐより後で改めての方がいいだろう。なら午後の作業終わりの鐘が鳴ったら準備をして訓練場に、というところでどうだ? 砦の連中には俺の方から話をつけて決闘の許可は取っておく」 「了解した」 周囲のざわめきがわっと膨れ上がる。既に賭けを始める連中の声も聞こえる中、あの青年に対して応援する声も聞こえた。 「では、その時に」 「あぁ」 それでセイネリアが背を向ければ、彼も背を向けて仲間の方へ行ったのが分かった。 「シーグルちゃん、俺はあんたに賭けるぜがんばってくれよ〜」 そんな中聞こえた声に、セイネリアは薄く笑う。 ――シーグル、か……。 声に出さずにその名を呟いてみてその響きを確認してから、セイネリアは唇の笑みを深くして満足げに琥珀の目を細めた。 --------------------------------------------- 楽しそうなセイネリアさんでした。 |