『その濁りない青に』0話から1話の間、セイネリアがシーグルと再会する話。 【9】 「どうやら無事だったようだな、安心したぞ」 声を掛けられてシーグルは顔を上げた。 そこには兜をとって素顔の黒い騎士がいた。 見上げた所為で光が映ったせいか、それとも別の理由か、シーグルは眩しそうに目を細め、我知らず呆けた顔でただ彼の顔を見つめてしまった。 戦闘は無事、こちらの勝利で終了した――。 蛮族達は壊滅的なダメージを受けて撤退していった。砦側からの発表だと、おそらく今回の蛮族による襲撃はこれで終いだろうという事だった。 ただ今回の蛮族達の動きはかなり考えられていたらしく、砦を襲う事で砦にもある程度の兵数を残させた上で、村を襲って砦からクリュース兵を誘い出すのが狙いだったらしい。村への襲撃は少しちょっかいを出す程度ですぐに逃げたそうだから本当に狙いは出撃した部隊の方で、しかもその部隊の主力が前方に集まっていると判断したから分断して後方部隊を襲った――という事だろうと説明があった。 確かに、後方部隊の面々の方が装備は良くても弱そうに見えた連中が多かったろうし、敵からすれば恰好のターゲットに見えたのだろう、とシーグルは思う。 蛮族は基本、自らの武勇を誇る為にクリュースの砦を襲う。 つまりはどれだけこちらの兵士を殺したかを競う訳で、ついでに偉そうな者、強そうな者を倒せば仲間内での評価が上がる、いい装備の者を倒せば金になる。いかにも偉そうな者の場合なら殺さずに捕まえる事もあるが、ともかく相手を殺す事が目的であるから、降参しないし逃げる事はない。彼らの名誉と誇りにかけて。 ……それは、蛮族出身であるシャレイから聞いた話だ。 その彼らをして、その名だけで逃げ出すというのだから――黒い騎士を見て、シーグルは苦笑する。 剣を振ったのを見ただけでもすごいと思ったが、彼が実際に戦う姿はすごいどころの話ではなかった。 思い出しても味方ながらにぞっとする。 セイネリアが敵に向かって歩いていくだけで、恐れおののく蛮族達が左右にバタバタと倒れ、もしくは吹き飛ばされていく。しかも本人は終始面倒そうに、本気など微塵も出していないかのように軽く動いているように見えて――だ。 それでも、踏み込みは強く、剣は速く、動きは正確で。 そしてなにより、どこまでも平常心で、まったく疲れも見せず、いっそ事務的にさえ見えるくらいにただ淡々と敵を倒していく。シーグルでさえ逃げる蛮族達の気持ちが分かると思えたくらい、どこまでも『仕事』として冷静に命を刈り取る男の姿は最強という言葉を背負うに相応しかった。 「無事だったのは貴方のおかげだ、礼を言う」 見上げた目を細めたまま彼にそう告げれば、彼は笑って近くに座った。 「なに、後方部隊を助けたのはこちらも計算あってだしな。なにせお前やあそこにいた貴族連中に何かあれば、砦の連中はエライ罰を受ける事になる。それを助けたという事でこちらも特別報酬が入った」 それにでにっと笑みを浮かべた彼を見て、シーグルも釣られるように苦笑する。 「そうか、貴方にメリットがあったのなら良かった」 そう呟いてしまえば、セイネリアは僅かに眉を寄せてこちらの顔をじっと覗き込んできた。 「な、何かあるのか?」 シーグルは反射的に身を引きながら尋ねる。 「落ち込んでるのか?」 さらっと言われた言葉はまさに図星で、シーグルの頬はかっと熱くなった。 「それは……そう、だろう。自分の力のなさを思い知った」 そこでそう素直に答えてしまうのがシーグルで、思わず視線を逸らそうとしたら、黒い騎士の笑みにそのまま目が離せなくなった。 「なら、強くなれ。どんな方法でも生き延びたのならもっと強くなって見返すチャンスはいくらでもある。反省するのは重要だが、生き延びたなら次は上手くやれるようにすればいい」 それは確かに今のシーグルが欲しい言葉ではあったから、彼の顔、獣のようだと恐れられる強い琥珀の瞳に更に惹きつけられて目が逸らせなくなる。 「戦場では生き残れればそれでいい。倒した敵の数などおまけのようなものだ」 その言葉は彼が言うからこそ文句のいいようがなくて、けれどその言いようにはシーグルもつい、笑ってしまった。 「そうだな、貴方のいう通りだ。いや違う……貴方の言う通りでありたいと……そう、思う。……ありがとう」 最後の礼の言葉は思わず漏れてしまった本音だ。 けれど彼のおかげで心が軽くなったのは確かで、自然とシーグルは微笑んでいた。 ――次は必ずもっと強くなっていよう。この男のように一人で戦局をひっくり返す程ではなくても、彼の脇を守る一人になれるくらいには。 だがシーグルの言葉に、こちらの顔をじっとみていた黒い騎士はほんの僅かに、何か気に入らない事でもあるのか眉を寄せた。 「ずっと思っていたんだが……お前、別に俺に対してはそんな馬鹿丁寧な言葉で返してくれなくてもいいぞ」 何か彼の気に障る事を言ったのかと少し身構えたシーグルとしては、それを聞いて正直気が抜けた。 「といっても、貴方の方が年上だし、冒険者としての実績も上で、自分の傭兵団を持っているような人物相手にあまり馴れ馴れしいのは……」 言えば、彼は少し不機嫌そうな瞳のまま、何かを思いついたかのように口元だけを歪めた。 それにシーグルが嫌な予感を感じた直後――。 「いやだなぁしーちゃん、地位で言うならしーちゃんのほうがえっらーい貴族様だしふつーならえらそうにしゃべってもいいのはしーちゃんの方じゃない?」 そこで一瞬、シーグルの思考は停止した。 まさに頭の中が真っ白という感じで、今聞いた声と目の前の騎士の姿との整合性が取れなくて頭が考える事を放棄した。 だが、それでもしばらくして。 「しーちゃん、というのは……」 どうにかそれだけを呟けば、何事もなかったように目の前の男はしれっと言う。 「勿論、お前の事だ」 そちらは普段の彼の話し方で、ほっとすると同時に先ほどのは幻聴だったのだとシーグルは思い込もうとした、のだが……そんな都合のよい事は許されなかった。 「しーちゃんは本当に真面目すぎて可愛いなぁ、自分の弱さに落ち込むなんて可愛過ぎてイイコイイコしたくなっちゃうね」 流石にもう聞かなかった事には出来なくて、シーグルは唇を震わせた。いやそれどころか体まで震わせてセイネリアを睨んだ。 「いくらなんでもふざけすぎじゃないか。俺はそこまで子供じゃない」 「えー、でもしーちゃんて純粋過ぎて子供っぽいかなーって、体形もまだ男というより少年だしね」 自分のコンプレックスをはっきり言われて、シーグルもいい加減キレた。 「黙れっ、そんなのわざわざ言われなくても分かってる、貴様っ、わざと俺を侮辱して煽っているだろっ」 すると彼はまたそこで作ったような笑みを止めると、何事もなかったかのように口調を戻した。 「あぁ、勿論わざとに決まってる。まぁ、馬鹿にされたくなければその調子で頼む。堅苦しい言葉遣いで話されるのは面倒だからな」 言いながら立ち上がると、彼は今度は無言で手だけ振ってその場を離れていった。 シーグルはその大きな黒い背を見つめながらすっかり落ち込むどころではなくなった自分の気分を考えて、あれは彼なりの励ましだったのかとも考えたが……それが違うと分かるのはもう少し先の話となる。 「どーこほっつき歩いてたんだよっ、本気でお前雑用全部俺に押し付けやがって」 顔を見た途端エルがそう言ってきて、セイネリアは笑って彼の肩に手を置いた。 「いつもの事だ、勿論感謝してるぞ」 「けっ、どこまで本気なのかね……」 「いや、本気で今回はお前に感謝してるぞ、面倒事を全部お前に押し付けられたおかげで俺はいろいろ楽しめたからな。だから特別報酬だ、例の賭け金の上がりは元金を引いてお前にやる」 それには不機嫌一杯だったエルの顔が怒るのを忘れて固まった。 「足りないか?」 笑って言うセイネリアに対して、エルは声の代わりにまず顔を左右に振った。 「ならいい、これからも頼むぞ」 置いた手で一度肩を叩いて離せば、歩き去っていくセイネリアの背に向けて呆れたようなエルの声が掛けられた。 「……ったく、くれるときは本気であんたは気前いいからな……結局文句も言えねぇじゃねーか」 セイネリアは喉を僅かに震わせて笑った。それから機嫌が良さそうに天幕へと入っていく。 その姿を、新人である他の団員達は直立したまま見送っていた。今回、流石に相当脅しが効いていた彼らは、エルの話では死ぬ気で戦って戦場での役目はどうにか果たしてくれたようだった。実際の戦場経験とセイネリアから脅された事で、前よりは使えそうな面構えにはなったかとはセイネリアも思うところだ。これなら新人教育という目的も果たせたなとそう思えば、今回は金以上に得るものが多かったと言える。 なにより、彼を見つけられたのだし。 自分に憧れと羨望のまなざしを向ける、美しい銀髪の青年の顔を思い浮かべる。 あの真面目で純粋過ぎる強い彼がどこまで自分を楽しませてくれるのか、それを考えるだけで当分は退屈しなくてすみそうだとセイネリアは思う。これだけ気分が上がる感覚も久しぶりで、だからこそ彼には時間と手間を掛けて、まずはじっくり彼を知って楽しむつもりでいた。 手に入れて壊すか、手なずけたまま傍に置くか、どちらを選んでもあの真っすぐな青年は壊れるまではセイネリアを楽しませてくれるだろう。せいぜい俺を失望させるな、とそう考えながら、何もない心を少しだけ波立たせたその存在を思い浮かべ、琥珀の瞳を愛おし気さえ見えるように薄く細める。 可愛いシーグル、そして可哀想なシーグル、自分に目をつけられたばかりに……考えながらセイネリアは瞳と共に唇に昏い笑みを浮かべた。 END. --------------------------------------------- やっと終わりました。長かったな……ここから暫く二人で冒険者のお仕事して、本編プロローグの1に続く、という感じです。 |