【1】 黒の剣傭兵団。まだ設立されてから一年と経っていないその傭兵団は、既にクリュースの首都セニエティで冒険者をしているものならまず知らない者はいないと言われる程に有名になっていた。 何故そこまで有名なのかといえば、その団を作った男の存在が一番大きい。 セイネリア・クロッセス、クリュース最強の騎士、彼に逆らえば死ぬより恐ろしい目にあう――と。冒険者達にそう噂される程に恐れられた男は、団を作る前からすでに首都周辺をねじろにする冒険者達の間では知らぬ者がない程名が通っていた。そんな彼が傭兵団を立ち上げたのだ、その団の名が有名にならない筈はない。 更に言えば、それだけの男の元にはやはり実力者が集まるのか、黒の剣傭兵団の者達は皆優秀であるという意味でも有名であった。上級冒険者達が数多く在籍し、腕はあるが問題があって上級冒険者になっていないと言われている者達も数多く名を連ねていた。そういう者達であってもセイネリアの命令は絶対である為、仕事においての信用面に関してもまた絶対的であるといえた。 また噂では、傭兵団には表に出ない裏のメンバーがいて、彼らは情報部隊として暗躍し、首都の情報屋を牛耳っているとも言われていた。 そこまで有名であれば、その傭兵団に入りたいと思う者は多く、何の実績もない駆け出し冒険者であれば特に、まずその団の門を叩きに行くものは多かった。 けれどもまた黒の剣傭兵団は、そう簡単に入団を認めない事でも有名であった。冒険者事務局においてもまったく募集は掛けておらず、団員達の殆どはどうやって入ったのかもわからない者達ばかりであった。噂によると、セイネリア本人が見つけた者だけが入れるとも、団員の誰かの推薦が必要だとも言われていた。 ともかくにも、それだけ有名でありながらもそこまで所属人数が多い訳でもなく、なのに実力では皆が首都一だと認めている、それが黒の剣傭兵団であった。 「マスター、やっぱ人手不足だ。って事で事務局の方に募集出しておいてもいいか? まー実力の方はテストありって事にしときゃどうにかなるだろ」 傭兵団の長であるセイネリアの執務室に、副長であるエルラント・リッパー、通称エルの声が響く。彼は戦いを教義とするアッテラ神官であって、性格的に人付き合いが上手い為、団の対外交渉役として表向きのこの団のナンバー2の地位にいた。 「別に人など増えなくても構わん。有象無象が増えても仕方ないだろ」 獣のようなと言われる金茶色の瞳を不機嫌そうに細めて、セイネリアが副長の男をちらと見る。一般人であればそれだけで背筋が凍る彼と普通に話して文句の一つも言えるというのが、実はエルがここの副長としていられる一番の理由であった。 「だー、だから人手不足なんだよっ、アンタの名もあって仕事はがんがん来るんだがな、いかんせん割り当てられる人間が足りねーんだって。まぁまぁ程度の腕でも揃えておきゃ、今は断ってるような細かい仕事も受けられるようになんだろ。そういう仕事だって普段から受けときゃ、いろいろ繋がりが作っておけるってのはアンタでなら分かるよな」 基本的にこの団で何かする時の決定権は全てセイネリアにある為、エルは対外交渉役という肩書以上にセイネリアに対しての交渉役でもある。団内の問題から団員達の要望、依頼主からの問い合わせやら要請等は、ほぼ全てエルを通してセイネリアに伝えられる。……早い話、大抵の人間はセイネリアに直接何か言うなんて恐ろしい事は出来ないから、エルが間に入る事になるのだ。 正直、エルとしてはオーバーワークだと叫びたいが、最初からそれが自分の役目として納得してこの地位にいる為、仕事内容に関する文句は言えなかった。 「ボス、エルの言う事ももっともだと思います。入団希望者は事前にこちらで調べておけば、テスト前にある程度ふるいに掛けられると思いますが」 セイネリアの傍にいたカリンがそう口添えすれば、ようやくセイネリアは考えてくれる気になったらしく顎に手を当てて黙る。 エルはそれでほっと息をつく。エルがオーバーワークだと投げ出さないで済むのは、彼女の存在が大きかった。表向きはエルがナンバー2という事になっているが、本当のナンバー2はカリンの方で、彼女は主に情報屋部門の連中のまとめ役とセイネリアの秘書的な事をこなしている。エルがセイネリア相手に立ち行かなくなっていると、大抵彼女が助け舟を出してくれるのだ。 「いいだろう、エル、募集を掛けろ。テスト前のふるい落としはカリンに任せる。テストの内容は希望者同士で軽く試合でもさせればいいだろう。ただ勝った者を取る訳じゃない、あくまで俺が見て選んだ者だ。非戦闘員は書類を俺に見せて通った者だけ呼んで俺が会う」 実力では首都一と名高い黒の剣傭兵団が人員の募集を掛けたという噂は、そうしてすぐに首都の冒険者達が噂する事となった。 組織というのは、上手く動かそうと思うと、そして実際上手く動きだすと、自然と肥大化せざるえなくなる。それは分かっていたものの、セイネリアとしては傭兵団の人数が増えるのはあまりおもしろい事ではなかった。 人数が増えれば質の低下が起こる……のは当然だが、笑える事に組織の下っ端程声が大きく傭兵団の名前を使いたがるのが面倒だ。なにせ名前はあまり売り込みすぎると上から目を付けられる。権力者の膝下の首都で活動するには目立ち過ぎるのはよくなかった。 とはいえ、確かに今のままでは人が足りないというのもセイネリアには分かっていた。少数精鋭といえば聞こえはいいが、それだけ人数がぎりぎりで余裕がないとも言える。 ――まぁ、多少なりとも面白い人間がくればいいと思っておくか。 勿論あまり期待はしていないが、とセイネリアは思う。 所詮、名のある傭兵団に入ろうなどと思う者は自分に自信がないものばかりだ。自分に自信がないからこそ、名のある肩書が欲しい。もしくは、楽に仕事にありつきたいが為に組織に所属したい。そういう人間は、余程こちら側からも利用価値がない限りはいらない。せめて、この傭兵団を利用してやろうと思うくらいの人間がいればいいのだが。……入団テスト前に、セイネリアが考えていた事はそんなところであった。 そうして実際、入団テストは、黒の剣傭兵団が入団希望者を正式に募ってからほぼ一月後に行われる事となった。思った以上に希望者が多かったというのもあってカリンの方での調査が余分に掛かったというのが主な原因だが、その所為で実際にテストをする事になった人数は大分減っていた。 「全員で16人か。つまり8回分の試合を見ればいい訳だな」 「あぁ、それとは別に非戦闘員が4人な。実際あんたが会って決めるんだろ」 「分かってるさ。一日仕事だな」 「はん、アンタの仕事は大抵自分の部屋でふんぞり返ってるだけなんだから、似たようなもんだろ」 「否定はしないな」 外の、他の団員達の前でセイネリアとエルがそんなやりとりをしていれば、どうにも不安そうな顔をしている者が数名。彼らとしては、エルがあまりにセイネリアに軽口をたたくのだからそれだけでハラハラしているのだろう。 こういう場面をたまに見せておくと、団員達のまとめ役というエルの立場に対しての信頼が上がる。なにせ一般団員にしてみれば、セイネリアと直で話す事だけでも相当に覚悟がいる事なのに、こんな普通の会話が出来るだけでもエルを尊敬するくらいだろう。 「で、どうだよ。見たところ期待出来そうな奴はいるか?」 ぞろぞろとやってきた入団希望者達を一通り見て、エルがこそっと耳打ちしてくる。 「まぁ、どれもそれなりだな。まだどうなるかわからんが」 実際のところ、カリンが念入りにふるい落としに掛けただけあって、どれもそれなりには使えそうな面構えではある、というのがセイネリアの感想だった。そうして実際テストである試合が始まって見ても、その感想は変わる事もなかった。 どれも使えなくはない――ただあくまで下っ端としてどうでもいい仕事を割り当てられる程度だが。その考えは半分程の試合が終わった後も変わらず、セイネリアとしては『退屈』という文字が頭の中に浮かんできていた。 だが、そうしてあまり気のない様子で希望者達の試合を見ていたセイネリアだが、最後に近くなってやっと少しは興味が湧く人物を見つける事が出来た。 「――で、どうよ」 テストが一通り終わって一度部屋に引き上げたセイネリアに、エルがついてきて聞いてくる。それにセイネリアは自分の椅子に座りながらも、わりとどうでもいいという態度で返した。 「何人欲しいんだ?」 「へ?」 「だから、お前の方で何人欲しい? 実力の程度はだいたい分かったんだろ、あれくらいの連中でいいなら何人欲しいんだ?」 それでエルは焦ったように、慌てて指を折って考え出した。 「ほぼ全員、それなりに役立つが特に期待できるものはない、というところだ。カリンがうまく選んだようだからな、別に全員合格でもいいぞ」 それを聞いてなんだか気の抜けた顔をしたエルは、気の抜けた顔のまま考える事を止めて答えた。 「まぁ、んじゃぁ……8人かな」 言えばセイネリアは、渡されていた希望者の名簿にその場で丸をつけてエルに渡した。 エルはそれを受け取ると、じっと丸で囲まれた名前を確認して、そうしてその数を数えて首を傾げた。 「9人いるように見えンだが……」 セイネリアはそれに口元を楽しそうに歪ませて答える。 「あぁ、一人は割と面白そうだから俺の方で貰う、所属はカリンの下になるが――クォン・テイ・ナグトという奴だ」 最強の男、セイネリア・クロッセス――そんな風に冒険者達から言われているのだから、彼が外を歩いていれば当然のように人は道を開け、目を合せないようにびくびくしながらもちらちらとこちらに視線を寄越す。そんな事には慣れてしまったセイネリアは、まったく回りを気にも止めずに歩いていた。 後ろからついてくる男の方は周囲の反応に驚いて、きょろきょろしながらもついてくる。 ぼさぼさの銀髪というより白い髪、浅黒い肌に黒い瞳と一見してどこの出身かはわかりづらい、見た目の印象で言うなら『地味な男』という表現が一番しっくりくる感じだが、体付きは細身ではあってもかなりしっかりしている。……こういう体格の男と会う場面は決まっている、と彼を見てすぐセイネリアは思った。 今回のテストで団に新しく入った他の者と違いセイネリア付きとなった男は、最初にセイネリアの前に立った時は目線をあまり合わせないようにし、すっかり体を小さくさせて怯えている様子を見せていた。だが、ちらとであってもこちらに向けられた時の目はそれなりにちゃんとセイネリアを見ていた。 それで確定だと思ったセイネリアは、なかなか怯えた様子を崩さない彼に言ったのだ。 『で、お前の目的はなんだ? 俺の暗殺か?』 怯えた男は大仰に目を見開くと、震える声で答えた。 『……な、なんの話でしょうか?』 それには正直笑ってしまいそうになって、セイネリアは彼の前で腕を組んだ。 『お前、テストの時は明らかに手を抜いてただろ。なかなか見事な演技だったからな、面白そうなんで俺の傍付きにすることにした』 『あの……俺には何の話か分からないです。手を抜くなんてそんな余裕がある筈ないです』 『それならそれでいいさ。ただ暗殺なら暗殺でいつでも好きに仕掛けてくるといい。お前が諦めない限りは傍に置いておいてやる』 そうすればその青年は顔をこわばらせながらも、ご冗談を、と力なく、外見のイメージ通り気弱そうに笑ってみせた。だが表情に気を使っている所為で、その黒い目がしっかりこちらを見たまま逸らされていない事にセイネリアはまた笑いそうになってしまった。 セイネリアはこの自分の瞳が人を見ただけで威圧出来る事を知っている。だからそれを真っ直ぐ見返せるだけで、その人物が相当の覚悟をしているか、もしくは相当の度胸があるのだと判断する。そしてまたそうならば、その人物はそれなりに見込みがあると思っていた。 強い意志を持っている人間、強い自分を持っている人間――傍に置くなら、そういう人間でなければおもしろくない。それが自分を殺そうと思っているのなら尚面白い。自分を前にしても心折れずに狙ってくるなら、相当にいい。 まぁそれでも、大して期待をしていないのも確かだから、この遊びも飽きるまでだとは思ってもいた。例えば彼が自分の予想外の事をするような――そんな事が一度でもあればいいのだがと思いつつ、セイネリアはその青年、クォンを暫く傍に置いてみる事にしたのだった。 冒険者が集まるセニエティの街、特に大通りは人が多く、その中には冒険者や冒険者志願の者達は勿論だが、商人や神殿関係者、そして人が集まれば必然的にスリも多い。後ろを歩いているクォンは未だに何か不穏な動きをする事はなく、セイネリアとしては少々つまらないなどとも思っていたところだった。 だがそうして歩いていたセイネリアの視界の隅に、明らかに怪しい様子の男が映った。その男がどういう類の人間か顔を見ただけでピンと来たセイネリアは、男がその後思った通りの行動をしたことで足を一度止めた。 それに即反応して足を止めたクォンをちらと振り返れば、彼の方もセイネリアが見ていた男の方を見ていた。 セイネリアは軽く口元を歪ませる。 それから、怪しい男がその場を去ろうとしたその先に、ナイフを投げた。 緊張を持ってセイネリアを見ていた周りの者達の視線が、今度はそのナイフを腕に受けた男に集まる。セイネリアがじっとその男を見れば、男は逃げる事も出来ずにその場で腕を押さえたまま立ち竦むことしか出来なかった。 「そいつはスリだ、誰か捕まえとけ」 言えばその傍にいた者達が焦って男を取り押さえる。それから誰かが男の体を検査し出したらしく、被害者達が自分の財布だと言い合っている声が聞こえてくる。セイネリアはその騒ぎには別段興味もなかったのでそのまま歩き去ったが、ついてきた男の様子は少し困惑しているように見えた。 だから、大通りを抜けて人の少ない道に入ってから、セイネリアは足を止めて振り向いた。 「どうした? 何か言いたい事があるか?」 男は怯えた様子の演技もそこそこに、それでもこちらの目を見ないようにして言ってくる。 「その……噂と違うと思ったんです」 「ほう、どういう噂だ」 「貴方は他人に興味がないと……だからスリなんて無視するかと」 「なんだ、そんな事か。ただ単に目障りだっただけだ」 セイネリアは特に面白くもなさそうに答えた。 男はそれに僅かに眉を寄せている。だからセイネリアは更にそれに続けてやった。 「俺に気を取られてる人間の隙を狙ってスリなんぞされたら、気分が悪いだろ」 「それだけですか?」 「あぁ、気に食わないから邪魔してやった、それだけだ。俺の見ている前でああいうくだらない事をやったあいつが馬鹿だったというだけの話だな。……少なくとも、スリの被害者達の事などこれっぽっちも考えていなかった事は確かだ」 するとクォンは軽く息をついて、先程までとはうってかわって背を伸ばした。 「前言を撤回します。確かに噂通りのお方です」 セイネリアはそれを鼻で笑う。 「そうか。それでお前もそろそろ演技は止めるのか?」 言われてクォンは苦笑して肩を竦めた。 「そうですね。少なくとも、貴方にはこういうわざとらしいのは意味ないと分かりました」 怯えた様子もなく視線をちゃんと合わせてきた男に、セイネリアは軽く鼻で笑ってから機嫌が良さそうに彼に背を向け、団へ続く道を歩きだした。すぐにクォンが付いてきたのが気配で分かる。 「セイネリア・クロッセス。実はですね、俺は貴方に聞きたい事があったのです。良いですか?」 突然後ろからそんな事を言ってきた男の意図は分からないが、セイネリアはそれに、あぁ、と了承を返した。 「最強の名とその通りの力、部下、情報……それらを手に入れて、貴方は何をするつもりなんですか?」 それにセイネリアは即答した。『何も』と。 --------------------------------------------- シーグルを騎士団で助けて再びシーグルに会う間のお話です。黒の剣を手に入れた後傭兵団を作って暫くしてからのお話。 |