親愛なる魔物様へ





  【5】




 さて、魔物が常に付きまとう生活になって3日。
 ファルスは、既にノイローゼになりそうだった。

「こんな人の少ない田舎なんかいられっかー。こんなとこ出て街いこうよ、街」

 魔物は事ある毎にそう騒ぐ。
 毎回毎回、騒がれて、ファルスは相当に辛くなってきた。

 一応ファルスは魔物の為に、村の中でも人の多そうな場所へと暇があれば連れていったりしていたのだ。だがもちろん、こんな辺鄙な村じゃ祭りでもないと人が集まる事も少なく、魔物の希望する『人の多い場所』には程遠すぎるところばかりだ。
 村に早々と見切りをつけた魔物は、だから、こうして事ある毎に、ファルスにこの村を出ろと騒ぐようになったのだ。

「ていうかお前も一応若いんだからさ、こんな村なんか出て都会へ行きたいって思うものじゃない? 普通」

 実はファルスとしては、そこを言われるのが一番苛付く。

「そらー、行って見たいとは思うけどさ。俺みたいな平凡なのが出ていってもさ、結局、ロクな事も出来ずに帰ってくるだけだよ」

 だから、行っても無駄なのだ。
 ファルスはずっとそう思ってきた。
 せめてもう少し、剣の腕に自信があれば。頭がよければ。魔法の素質でもあれば。何か一つくらい自信がある技能でもあれば。
 そうすれば、思い切って街に出て冒険者になろうと思ったろう。
 けれども現実は、何をやっても人並みで。特に、といえるものがない。
 そうして今日も、ミルクの配達帰り、一応村の奥さん連中が集まる井戸端会議会場というか水場をとおりぬけて、出来るだけ人のいそうなルートを通って家に帰る。
 カラになった容器を乗せた荷台の上には魔物が座り、やっと大人しくなったとファルスがほっと胸を撫で下ろす。それでも魔物がまた何かしやしないかと、内心びくびく歩いていると、前方から見覚えのある人物が歩いてきた。
 ファルスは思わず足を止める。

「フラックさん」

 声を掛けると、その人影は手を振って、こちらに向かって少し急ぎ足でやってきた。

「ファルス、配達帰りか」
「はい、フラックさんは狩りですか?」
「あぁ、こっちも帰りだ。今晩の分は獲れたからね」

 そういって、持ち上げた彼の手には兎の姿。二羽いるから一羽はきっとどこかで野菜か何かと交換するんだろうと思う。
 フラックは元冒険者で、前は首都の辺りで仕事をしていたと聞いている。だから剣の腕もかなりのもので、村の自警団の若者達は皆彼に剣を習っていた。普段はこうして狩りをして獲物を他の食料と交換して生活しているが、ガラの悪い人間が外からきたり、畑を荒らす害獣などの対処には、率先して前に出てくれ、皆頼りにしている。
 ファルスから見ると、十分に強くていろいろ知っている彼は、けれども冒険者としては下っ端だったといつも言っている。自分は上級冒険者にさえなれなかったと寂しそうに呟く彼を見れば、ファルス程度で首都に行って冒険者になったとしても、そこで成功するなんて、無理もいいところだと思えた。

「ミルクはまだ余分にあるかな? あるようなら、少し分けてもらいたいんだが」
「あぁ、大丈夫ですよ。もし先約がないなら、とーさんがそろそろ肉食いたいっていってたんで、うちで交換してきませんか? まぁ、ミルクの他には、イモとチーズくらいしかないですけど」
「あぁ、それならお願いしよう」

 そういって一緒に歩き始めた彼を、魔物がじろじろと嫌そうに顰めた顔で見つめている。

「誰、こいつ」

 とはいえ、魔物の質問には無視をするしかない。
 ここで喋ったら怪しまれる、とぐっと堪え、魔物なんだから心くらい読めばいいじゃないか等と考える。

 魔物は、剣の主であるファルスにだけ見えて、その声もファルスにしか聞こえない。だが、見えないだけで存在はしているから、触る事は可能らしい。魔物が覚えている範囲で話してくれた事は、魔法方面の勉強をしていないファルスには半分も理解出来なかったが、とりあえず今はそれだけ分かっていれば良さそうではあった。
 未だに魔物は何も思い出せず、魔剣の原理も、どういう状態で魔物がいるかもよく分かっていない。
 本当に一生魔物に付きまとわれないとならないのか、もしかしたらどうにかする方法があるのか、どうにかなるならどうにかしたいとファルスは切に思っている。

「そういえばリーンが、ファルスの腕がすごい上がったといっていたが、ちょっとやる気になったのか?」
「あ、いや、まぁその」

 聞かれた声に驚けば、フラックはファルスの顔を不思議そうに覗き込んでいた。
 ちょっと照れたように頭を掻くファルスを見ると、その顔が笑う。

「お前もとうとう冒険者になる気になったか。若いんだからな、一度は都会へ出てくるといい」

 それには苦笑を返して。
 だが、そこでふとファルスは思いつく。

「あ、そういえばフラックさんは魔剣って見たことありますか?」

 冒険者として暫く仕事をしていたフラックは、村で一番物知りだ。というか、その手の知識は村で知っているとしたら彼しかいない。

「分かってると思うけど、お前が魔剣持ってることは絶対言わないようにな」

 魔物に言われなくても、さすがにファルスだってそれくらい分かっている。
 フラックは顎に手を当てて唸ると、目を細めて口を開く。

「随分前にね、本物を一度だけ見たことがあるよ。触らせて貰ったけど、やはり俺には抜けなくてね、でも持っただけで普通じゃない事はすぐに分かった。あれの主になるには、まだまだ俺の力じゃ全然足りなかった」

 寂しそうなその顔は、彼が冒険者としては上にいけなかった事に対してなのだろうか。
 やっぱりこの人でさえこうなのだから、自分など……とファルスは思ってしまうのだ。

「あ、それで……魔剣に取り込まれてる魔物の話とか、聞いた事ありませんか?」
「いや、聞いた事がないな」

 即答で返してきたフラックは、僅かに眉を寄せる。

「魔剣の中に魔物が住んでるという事なのかな?」

 真剣な顔で聞いてくるところを見ると、本当に彼は知らないのだろう。
 それならあまり長く話さない方がいいと思い、ファルスはこの話を切り上げる事にした。

「魔物が魔剣の意志って感じで取り込まれたのが取り込んだような? ……そういう話を聞いて、魔剣てそういうものなのかなーと、ちょっと興味が湧いただけです、すいません」

 そう返せばフラックもそれ以上その話を振ってくる事はしない。後は村の噂話や森の様子等、無難な世間話に花を咲かせて、二人はファルスの家までの道を歩いた。







 ファルスが部屋に帰ると、真っ先に頭の上に踵落としが落ちてきた。
 喰らったファルスは、当然しゃがみ込んで頭を押さえる。

「それで、あいつ誰」

 もう魔物の暴行にわざわざ文句をつける気力もなくなったファルスは、せめてもの抵抗代わりに、恨みがましく魔物を見上げる。

「フラックさんは、俺達の剣の師匠だよ。元冒険者で、強いしいろいろ詳しいんだ」
「ふーん」

 魔物は腕を組んで少し難しそうな顔をし、何が気に入らないのか、嫌そうに溜め息を吐いた。

「あいつ、ちょっと注意したほうがいいと思うな。ヘタに魔剣の事知ってるからか、お前の話に妙に食いつきが良かったのが気になる。とりあえず、今後一切魔剣の話はしないほうがいいね」

 未だに痛む頭を押さえながら、ファルスは魔物のその意見を胡散臭げに思う。

「フラックさんはいい人だぞ。そりゃー、冒険者だったら、憧れの一つみたいなもんだろ、魔剣ってのは。だったら興味はあるんじゃないのか?」

 そこで魔物はファルスの腹に蹴りを入れる。
 ファルスは床に突っ伏した。

「そうだよ、お前みたいに価値分からない人間と違って、価値分かってる人間にとってみれば、魔剣の情報ってのは聞き流して終わるようなものじゃないんだ」
「考えすぎだろ。普通、俺みたいなのが魔剣の事で有用な情報持ってる筈ないって思うだろうし」
「お前が言い過ぎてなければそうだったんだけどね」
「俺、適当に誤魔化してたろ?」

 魔物の苛立ちがまったく理解出来ないファルスは、首を傾げて頭を掻く。魔物は大きく溜め息をつきながら、ベッドの上にあぐらを掻いて座り込んだ。

「まぁ、いいや。動くなら動いてくれてもいいしね」

 そして、何かを思いついたのか、座る魔物の顔に笑みが浮かんだ。
 ファルスは嫌な予感がして仕方なかった。






 それから4日は、普通にある程度の問題しかなかった。
 まぁ、魔物と一緒な訳であるから、問題がない筈はないというその程度の問題だ。
 魔物は相変わらず村を出ていこうと騒いでいたし、気に入らないとファルスにすぐ暴行を働いた。おかげで、ファルスはあちこちに痣が出来て親に心配されたりもしたのだが、その度に転んだといったりと、いろいろ誤魔化さなくてはならなかった。
 リーンは嬉しそうにファルスに手合わせをしようと言って来るようになって、それを断るのに苦労をした。ただ断ってはいたものの、ちょっと次の時には勝てるかもという期待を込めて、こっそり剣の素振りを始めていたりしたのだが。
 とりあえずは、想定内の問題程度の平穏な日々が続いていた。

「なぁ、ファルス、見たか。フラックさんのところに来た人」

 その日の午後、あれ以降やけに声を掛けてくるようになったリーンが、ファルスがいつも通り自警団の溜まり場の小屋へ来た途端に、そう声を掛けてきた。

「誰か来てたんだ?」

 妙に興奮した様子のリーンを見て、何も知らないファルスは首を傾げるだけだった。

「魔法使いだ、本物の。ちゃんと杖持った本物の魔法使いだ」

 そういわれればそれは確かに珍しいと思いつつも、へーとしか返せない。リーンは相当に興奮しているようで、小屋の中をうろうろといったり来たりして落ち着かない。

「嫌な予感がする、ちょっと注意しときなよ」

 魔物はそういってくるが、ファルスとしては、何をどう注意するというのだとしか思えない。
 リーンはそわそわと小屋の中を行ったり来たりしながら、フラックのところへ行く口実を考えているのか、ぶつぶつと何か呟いている。それを回りは呆れた顔で見ているのだが、それでも今日はずっとその調子だったのか、皆も慣れたように彼を放っておいていた。
 本人の訓練次第でどうにでもなる剣と違って、魔法使いに成れるのはもって生まれた資質が必要だ。だから誰でも成りたいと思って成れるものではなく、しかもその資質がある者はやはり少ない。資質が見出されればどこかの魔法使いに弟子入りして、だが、そこで見習いのままで終わる者も多いのだ。
 そんな訳であるから魔法使いは珍しく、こんな辺鄙な村ではお目にかかる機会などありはしない。噂によれば、首都等で冒険者をしていれば、冒険者の魔法使いにそこそこ会えるらしいが、それでも彼らは大半が見習い魔法使いだと言う事だ。

 ――まぁ、見習だろうと、魔法ってのを見ることがないからな、こんな田舎じゃ。

 だから、冒険者に憧れているリーンが興奮しているのも無理はない、と思う。実際、ファルスだってちょっと興味がなくもないが、魔物が煩いから、そういうのに興味がある様子を出さないようにしているところもある。
 だから、思い切ったように掌を握り締めて何かを呟いたリーンを、ファルスはぼんやりと眺めていたのだが。

「ファルス、やっぱりフラックさんのところに行こう。折角魔法を見せてもらうチャンスだ」

 そういって腕を引っ張られて、ファルスは返事をする間もなく小屋の外に連れ出されてしまった。回りの者達はやっと行くのかという顔をしてにこやかに送り出してくれるだけで、ファルスも否定をし難い雰囲気だったというのもある。リーンはファルスが行きたくない等とは夢にも思っていないらしく、鼻息も荒く上機嫌だ。

「おい、嫌な予感がするっていったろ。魔法使いはまずい、行くのはだめだ」

 と、魔物は言ってはくるが、この状態でもう断る訳にはいかないだろう。
 ファルスはすっかり諦めムードでリーンの後について歩く。きっと後でまた魔物に殴られるんだろうなと思いつつも、どうせいつもの事だからとも思う。
 リーンの後ろにくっついて、魔法を見せて貰って喜ぶ村の善良な青年Aとして、リーンの影で目立たないようにしていればいいのだと、その時まで、ファルスは気楽に考えていた。

 まさか、魔法使いが来た理由が自分にあるとは思ってもいなかったので。





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