湖国の山の廃村と過疎集落群
湖国の山の廃村と過疎集落群
多賀町(旧脇ヶ畑村)保月の郵便局の跡です。この建物には村役場,診療所などがまとまっていたようです。
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# 9-1
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2000年に入って,平均一月に1か所のペースで廃村探索を行っていることもあって,炭焼きなど林業を主体とする山村の廃村に関しては,地図を見ることでかなりの確率で見つけることができるようになりました。山深いところにあって,周囲の村よりもかなり標高が高い場所にある小集落(特に行止まり集落)は,多くの場合,廃村もしくは過疎が進んだ集落です。
炭焼き,養蚕,紙すきなど,山村における産業は,昭和30年代から40年代にかけての産業構造の変化によって廃れてしまい,他に生業がなかった集落は廃村とならざるを得なかったわけです。この辺りの事情は,炭鉱や金属鉱山が廃鉱になったときのことと共通します。
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# 9-2
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滋賀県の東部,彦根市の隣のそれほど山深くない多賀(Taga)町に廃村があることを知ったのは,h川口さんのホームページ「寂静廃址」にあった廃址探訪の記事からで,そこでは向之倉(Mukainokura)という廃村が紹介されていました。
その後,h川口さんとのメールのやり取りで,隣町の永源寺(Eigenji)町の山奥に茨川(Ibarakawa)という廃村があるらしいということを伺い,1984年発行のロードマップを調べると,国道から林道を10kmほど入った場所に茨川を見つけることができました。
永源寺町には5月に「根尾村史」で読んだ木地師ゆかりの里(蛭谷,君ヶ畑)があるということもあり,これにも興味が湧きました。
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# 9-3
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前準備の定番は有楽町「ふるさと情報プラザ」の町のパンフレットと,国土地理院の1/50000の地形図です。
多賀町のパンフレットは「自然の神秘・多賀新世の旅路」というレトロ調の凝ったもので,五僧という集落には「廃村」と記されていて,公式パンフに廃村を紹介するという例はこれまで見たことがなかったので大いに驚きました。
さらに1/50000の地形図で多賀町を見ると,向之倉のほかにも,「廃村かもしれない」と思われる行止まり集落を十数か所見出すことができ,ほとんどの集落には神社や寺院の記号が記されていました。この時点で興味の主体は永源寺町から多賀町に逆転しました。
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# 9-4
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多賀町というと,多賀大社という滋賀県一の規模の神社があり,名神高速にも多賀SAがあるので,耳なじみの方も多いと思います。町域に東海道新幹線が通っているくらいなので,春に行った旧徳山村や旧西谷村,野迫川村に比べると,全然山は深くないのです。
電車も通じていて,JR彦根駅から近江鉄道多賀大社前駅までは,途中高宮で乗換えがあるものの,ほんの10分ほどです。
時折「廃村に興味がある」,「一度訪ねてみたい」との声を耳にするのですが,初めて廃村探索をなされる方には,比較的行きやすく,数が多く,個性的で,見ごたえのある多賀町の廃村・過疎集落群をお勧めしたいと思います。
【「廃村」と「過疎集落」】
以前から,廃村か否かの判定はとても難しいと感じています。何を規準とするかは何ともいえません。
そこで,人は住んでいるけれど,廃村と同じような風情がある集落を,「廃村と過疎の風景」では「過疎集落」と呼ぼうと思います。
滋賀県永源寺町君ヶ畑,秋田県五城目町北ノ又などが,この分類による過疎集落に当てはまります。
また,冬季(積雪期)に無人になる集落(「冬季無人集落」),家がごくわずかとなり機能が失われた集落(「準廃村」)は,「廃村」と「過疎集落」の境界線であり,「廃村と過疎の風景」では曖昧に扱おうと思います。滋賀県多賀町保月,岐阜県根尾村越波,黒津などが,冬季無人集落です。
滋賀民俗学会の菅沼さんとの会話や,地形図での確認から,多賀町の近辺には今回足を運んだ十三の集落の他にも,次のような廃村もしくは過疎集落を見出すことができました。どうも廃村や過疎集落には,狭い地域に集中する傾向があるようです。
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◎多賀町内・・・多賀町霊仙今畑(Ryouzen-Imahata),屏風(Byoubuu),後谷(Ushirodani)
◎多賀町の周囲・・・彦根市明幸(Myoukou),米原町榑ヶ畑(Kuregahata),愛東町大萩(Oohagi)
その1
永源寺町茨川,蛭谷,君ヶ畑
その2
多賀町桃原,杉,保月,五僧
その3
多賀町霊仙入谷,霊仙落合,彦根市男鬼,武奈,多賀町甲頭倉,向之倉
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