迷う剣は心を知る






  【6】



 この国の法律では、強くなれば、それだけ法に守られなくなる。
 だから冒険者として名を上げ、強くなった者達は仲間を集める。
 互いに自分達の身を守り合い、集団として仕事を請け負う。集団で仕事を受ければ見返りの良い仕事をとる事も出来、メンバーの誰かに何かあった場合にもフォローが利く。
 小さなものはパーティとして、大きなものは傭兵団や私設騎士団等と名乗って、上級冒険者達は何かしらの集団に属しているのが普通だった。ただ、大規模なものは勿論集団全員が上級冒険者という訳ではなく、彼らにつくことで恩恵を得られる一般冒険者達がその人数の殆どを占めている。

 黒の剣傭兵団も、そうした集団の一つだった。
 規模だけでならそれ以上のところもあるものの、実力では随一と上級冒険者達の間では誰もが認めるところで、特にセイネリアの名を出せば、それだけで表立って敵対しようとする者はいなかった。

 首都セニエティのこの辺りには、同じように傭兵団や私設騎士団と名乗るものが、他にもあと三つ程ある。
 どれも規模が大きいものばかりで、それぞれ広めの敷地を所持し、建物と厩舎、それに簡単な訓練場をその中に持っていた。
 黒の剣傭兵団の場合は、傭兵団の連中とは別に情報屋の者達がいて、彼らは一部の者を除いて、団の者と会う事なく生活していた。
 仕事内容的に顔を知られるのが都合が悪いから、という事になっているが、表に出れない理由があってそちらの登録になっている者も多かった。
 元リパ神殿所属の大神官ロスクァール・キリシもその一人で、彼は犯罪者として追われている訳ではないが、養い子共々、リパ神殿に居所を知られると不味い立場の人間であった。

「おや、貴方がこちらにくるとは珍しい」

 朝の光の中では異様な黒ずくめの長身を見て、ロスクァールは目を見開いた。
 子供達と共に庭の花達に水をやりに出ていたのであるが、突然彼を見れば、やはり心臓に悪いと思う。
 この敷地内で西館と呼ばれるここは情報屋の連中がいる場所で、傭兵団の者は基本立ち入り禁止になっていた。
 当然ながら、ここ全ての長であるセイネリアは入ってきて構わないのだが、まず大抵は、用があるなら情報屋のトップであるカリンを通して伝えられるのが常だった。

「少し部屋から出たかったからな、たいした意味はない、気にするな」
「でも、用件があるのでしょう?」
「あぁ」

 ロスクァールが主である彼に直接会った回数は、実はそれ程多くない。
 きちんと直に話をしたのは、契約の時だけだった。あの時はただ圧倒されるだけで、必死に話をした覚えしかないが、朝の光の中で見る彼は、まだあの時程の威圧感はないように思われた。

「昨日、カリンから預かった子供がいるだろう」
「えぇ、ソフィアですか?」

 昨夜、カリンが連れてきた子供は、クーア神殿の術を使う、まだたった十二歳の少女だった。カリンがロスクァールに彼女の面倒を見るようにいったのは、恐らく、彼の弟子であり養い子のアルタリアと共に見てやれという事だったのだろう。
 少女は極端に無口ではあったが素直で、今まで西館に同年代の少女がいなかったアルタリアは喜んで彼女の世話をした。そのおかげか、少しづつだが話をするようになり、彼女の名前と歳を聞けたのは今朝の事だった。

「話がある。呼んでくれ」

 そう言われたロスクァールは、一瞬、迷う。
 勿論、セイネリアの命令を拒絶する気などはないが、あのまだ幼い少女が、この男と話をする事に耐えられるだろうかと思ったのだ。
 それでも、ロスクァールは一礼をして、庭に向かってソフィアの名を数度呼んだ。
 返事は返らないものの、暫くすれば背の低い人影が木の向こう側から現れる。だが、少し問題だったのはその人影が2つという事で、彼女達はこちら側の視界に入ると、途端、近づき難そうに恐る恐る歩いてきた。

「アルタリア、お前は呼んでいないよ。向こうで待っていなさい」

 アルタリアは足を止め、そしてぺこりとお辞儀をすると、花壇の奥に向かって逃げるように走っていった。
 まぁ無理もない、とロスクァールは思う。
 ソフィアは、セイネリアの姿を見ても恐れる事なく、呼ばれるままにやってくる。そして、用があるのがロスクァールではなくセイネリアの方だというのが分かったのか、彼の前に立って、尋ねる。

「何のご用でしょうか」

 表情に乏しい少女は、セイネリアを恐れない。
 それには正直、ロスクァールは驚いた。

「話がある。……それと、お前とは契約がまだだったろう」
「はい」

 思わずロスクァールは叫んでいた。

「待って下さい。そんな小さな少女と?」

 セイネリアが、琥珀の瞳をロスクァールに向ける。
 それだけで彼は言葉を無くした。

「俺は子供を引き取った覚えは無い。こいつが、うちで仕事をするといったから連れてきたんだ」

 ロスクァールは言葉もなく、主に頭を下げる事しか出来なかった。








 西館の窓は、大抵の部屋が西向きについている。
 その為、部屋の中は朝という割に明るくならない。
 その部屋の中で、セイネリアは少女と机を挟んで、正面から向き合っていた。

「……そうか」

 セイネリアの唇に、僅かな笑みが浮かぶ。

「はい、あの人は、ずっと耐えていました。彼らに屈しない為に」

 少女の声には殆ど抑揚がない。
 ただ淡々と、セイネリアに聞かれるままに、昨日、シーグルが彼らに捕まって犯されている様子を話していた。子供がまともに見て話す内容ではないだろうに、生々しい現場を淀みない声で静かに綴った。

 この彼女だからこそ、契約する価値はある、とセイネリアには思えた。

「――分かった。その話はもういい。次はお前の話だ、お前がうちに所属するなら契約をしよう」
「何をすればいいのですか?」

 すかさず彼女が聞き返す。

「お前がただ、仕事の代わりに報酬と住む場所が欲しいというなら、単にこのエンブレムを受け取るだけでいい。だが、それ以上の望みがあるなら、別の選択肢がある」
「それ以上の望み?」
「もしお前に叶えたい望みがあるなら、俺の力でどうにかなるものであれば叶えてやる。ただし、俺がいいというまでずっと、お前は俺に絶対の忠誠を誓う。俺の命令をきき、俺の為に命を掛けろ。……そこまでの望みがお前にないのならば、先に言った通り普通に団員として所属すればいい。その場合は、所属する以上俺の命には従って貰うが、何時ここを出て行くのも自由だ」

 少女は黙る。
 だが、彼女は願いを言うだろうと、セイネリアは感じていた。
 表情が消えた瞳は、意志を全て失くしたもののそれではなく、何か強い願いに飢えているもののそれだった。

 セイネリアには、望みや願いといったものが無かった。
 ただ唯一、強く目指したものは、誰からも否定しようがない自分という人間の存在価値を作る事で、その為にただ只管に力を求めた。
 だから、セイネリアがこの傭兵団を立ち上げた時、彼はより強い組織を手に入れる為に考えた。
 最初は、恐怖で部下を支配し、裏切る事のない集団を作る事も考えた。
 だが、それは所詮強制されたもので、命令以上の事は出来ない駒を手に入れるだけだ。
 人は、感情で動くものだ。
 他人を見てきて、セイネリアはそう思った。
 強い願いも、望みも、何も感じなかったセイネリアは、感情でどれだけ人間が必死に動くのかを見てみようと思った。その為に、使う対象もなく手に入れた力を使ってみるのも面白いと思ったのだ。

 一生を捧げてまで叶えたい願いの為なら、人はどれ程の能力を発揮するのか。

 勿論、それだけの価値のありそうな者にしか、こんな契約を提示したりはしない。
 ただ、この少女はそれに値するとセイネリアは思ったのだ。

「私は、強く、なりたい」

 瞳を大きく開いて呟く彼女には、ハッキリと強い意志が見えた。

「強く、なって、あの人の助けになりたい」

 だが、続いた彼女の言葉に、セイネリアは僅かに眉を寄せる。

「あの人?……お前の師だった男か?」

 そうであるなら、見込み違いだったかとセイネリアは思う。
 あの下らない男にまだ拘るようなら、所詮子供かと。
 だが、少女は首を振り、どこか遠くを見るように話を続ける。

「あの男は……私を拾って、都合のいい道具にしただけだった。私はただのモノで、何でもあの男の言う事をしなくてはならなかった。だから私は、私を、全部捨てた。でも、あの人は諦めなかった。自分を手放そうとしなかった。あの男に従っても、心を捨てなかった」

 セイネリアは琥珀の瞳を細める。
 この少女がいっている人物が誰か、セイネリアに分からない筈はなかった。

「そして、私を助けてくれた」

 少女の顔が僅かに微笑む。

「シーグルか」

 こくりと少女は頷き、そしてセイネリアの顔を真っ直ぐ見つめる。

「貴方にとって、私はただその辺りに転がるゴミも同じだった。私がここにいるのは、あの人のおかげ。あの時、あの人以外の誰が止めても、私は死んでいた。……貴方は、あの人が止めたから、初めて私を見た」

 セイネリアは自嘲に唇を歪める。
 少女は、その理由を分かっていて言っているのではないのかもしれない。
 何故シーグルだけがセイネリアを止められるのか、セイネリア本人さえ、ほんの少し前までは気付けなかったものを。

「いいだろう、契約だ。お前が強くなる為に、望むモノは全て与えよう。……だから、お前はシーグルを守れ。あいつを助けろ」

 まるで胸の痞えが取れたように、少女は微笑む。
 その瞳からは、恐らく彼女自身でも気付いていない涙が零れた。

「はい。私は、契約します」


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