迷う剣は心を知る






  【7】



 セイネリアが本館に戻ると、時間の所為か、一階の廊下はそこここに人が歩いている姿が見えた。
 今頃起きた者や、外から帰ってきた者等、だるそうに歩いていた者達は皆、セイネリアの姿を見ると緊張に背を伸ばす。
 それらの中を通り過ぎていれば、追いかけてくる影がある。
 名を呼ばれて引き止められた事で、仕方なくセイネリアは歩調を緩めた。

「なんだ、エル」
「なんだじゃねぇ」

 不満そうにそう騒ぐ男は、傭兵団の副長である青い髪のアッテラ神官だった。本名はエルラント・リッパー、人付き合いが得意な彼は、部下にさえも気さくに『エル』と呼ばせる。神官といってもアッテラは戦神であるから、彼は他の神殿の神官達のような術者といった出で立ちはしていない。大きく背中にあるアッテラの印がなければ、ただの戦士に見える。
 この傭兵団の表向きのナンバー2である彼は、主に傭兵団としての活動の対外交渉役だった。セイネリアと違って人当たりがよく弁も立つ彼は、他人に対する観察眼もあり、この傭兵団を回すのに必要な人物である。勿論、戦闘の方の腕もかなりのもので、彼がこの地位にいる事に文句をつける者はまずいない。

「あのなぁ、このへんにある傭兵団で、一番偉い奴が供も連れずにうろうろしてるとこは他にねぇぞ」
「必要がある時は連れて行く」
「いやそうじゃなくてさ、普段から護衛の一人二人は連れて歩けっていってんだよ」

 それをセイネリアは鼻で笑う。

「俺に護衛が必要か?」

 エルはその青い頭を掻く。

「あぁもう。そりゃあんたは強いけど、なんかあった時に、盾になる奴はいるべきだろ。俺達は皆あんたに命を預けてる、あんたに何かあっちゃ困るんだ」

 セイネリアは、そこで初めてエルを一瞥する。
 それでエルは言葉を止める。

 彼もまた、望む物があってセイネリアと契約していた。
 だから彼は彼の望みの為に、セイネリアの力を欲している。

 階段を上って二階につくと、辺りは急に静かになった。
 エルは元々二階の見張りに用事があったらしく、上についた途端礼をして去って行く。

 本館につく前に、カリンからの使いが、掃除は終わった事をセイネリアに知らせに来ていた。
 連絡通りなら、シーグルは目が覚めている。
 このまま部屋にいけば確実に彼に会うだろう、そう考えてなぜか足の動きが遅くなるのをセイネリアは自覚していた。

 ――どうすべきか。

 実のところ、まだ、セイネリアは彼をどうするかを決めていない。
 単純に考えれば答えは二つで、彼をここへ閉じ込めるか、開放するかだけである。
 閉じ込めた場合……今更、何をいったところで、彼は大人しく自分の腕に収まろうとはしないだろう。薬を使わなくてもずっと彼を閉じ込めておけば、彼の心か、体か、あるいは両方が壊れていくのを見るだけだ。
 ならば彼を解放するかと考えて、また、彼を誰かの手で奪われるのかと思えば、腹に重いものが溜まっていく。それどころか、今回のように、少しセイネリアの手が後れただけで彼を失う事になったら。
 考えた途端、セイネリアの背筋が凍る。

 ――どれだけ、弱くなっていたんだ、俺は。

 それでも、足は部屋への道を辿る。
 彼をどうするのか決められずにいるのに、それでもセイネリアは彼の姿を見たいと思う。
 執務室を通り抜け、寝室のカギを開ける。この部屋にはカギが2つあり、今外したカギには魔法仕掛けも入っていて、内からはセイネリア以外では絶対に外す事が出来ない。
 まず入ったら彼に何を言われるかと考えて、だが、部屋を開けた途端、セイネリアの全身が凍りついた。

 血の、匂いがする。

 部屋の中には音がない。
 急いで中に入ってみれば、ベッド脇のランプに照らされて、赤い血溜りの中、シーグルが倒れていた。

 うつぶせに倒れている彼。
 真っ赤な色は、左手首を中心に赤い水溜まりを作っている。
 銀色の髪も、白い肌も、ところどころを赤く染めて。

 セイネリアは、その場から動けなかった。
 何が起こったのかを理解して、だが、理解を拒否した思考に体が縫いとめられた。
 こんな事が起こる筈はなかった。
 いくら自分を拒絶したとしても、彼が自ら命を断つなどというマネをするとは、セイネリアはほんの少しさえ思いもしていなかった。

 まだ、彼は完全に絶望していない筈。
 薬に飲まれた時の事は覚えていない筈。
 この程度では、彼はまだ壊れない筈。
 頭の中で、どこで自分の計算が違ったのかと考えても分からない。

 琥珀の瞳を見開いて、セイネリアは呆然とする。
 頭の一部は冷静に状況を見つめようとしているのに、それを感情が邪魔する、思考のバランスが取れない。
 それが体にも現れているのか、手足に力が入らず、思うように動かない。
 自分の息をする音がやけに響いて、酷く耳障りに感じる。
 息を整えようとしても、息の継ぎ方が分からないように不規則なものになる。
 自分の体の制御機能を無くしたかのように、思考と体が切り離された感覚。
 だからただ、呆けたように、セイネリアは立ち尽くす事しか出来なかった。

 だが。
 赤い、視界の中で、白い姿が動いた。

 セイネリアが事態を飲み込むより早く、白い彼の姿は一瞬で近づいてくると、セイネリアの腰にあった剣の中から一番短いものを抜いて、後ろへ下がる。
 無理をしているのがありありと分かる青い顔で、肩から息をして、シーグルはそこに立っていた。
 見れば、手足のあちこちから血は流しているが、切った筈の手首から血が滴り落ちているような事はなかった。
 恐らく、手足の傷は、血の匂いをさせる為に自らつけたもの。落ち着いて考えれば、あれだけの出血量なら血の匂いはこの程度では済まない。
 よくみれば、部屋の暗さで分かり難いが、床にある血溜まりの色も本物の血液とは違う。そういえばこの部屋にも、書簡を書く為の道具が一式置いてあったかもしれない、赤い液体を作り出せる色粉はあった筈だ――と考えて、何故、そんな事も気付かなかったのかと、我ながら不思議になる。

 自分は見事シーグルに謀れたのだと、セイネリアは思った。
 しかも呆然としすぎて剣を盗られるなど、一体どれ程呆けていたのだ、と。
 思った途端、口元には笑みが湧く。
 その笑みが何を示すものなのか、セイネリアには分からなかった。
 ただ、口元が歪むのを止められなかった。

「俺を、開放しろ、セイネリア。助けて貰った礼は言う。だが、俺はお前の人形になる気はない」

 覚束ない足で立ち、セイネリアから奪った短剣を持って構えるシーグル。
 全身ぼろぼろの体で、血を流しながら、それでも青い瞳は強くセイネリアを見据える。
 血に塗れたその姿を、セイネリアは目を細めて見つめた。口元にはまだ笑みが残っていた。

「それで、そんな短剣一つで、俺を躱して逃げられると思うのか?」

 言えば、今度はシーグルが笑う。
 憎しみを込めた瞳でセイネリアを見つめたまま、唇だけを吊り上げる。

「まさか。そこまで甘く考えてはいない」

 言うと、唇から笑みを消して、シーグルは短剣を自分の喉に突きつけた。

「俺を開放しろ、セイネリア。そうでなければ俺は死ぬ。お前の人形として生きる俺に価値などない、そんな俺はいらない」

 セイネリアは目を見開く。
 彼の言葉の意味を理解して、ただその青い瞳を見つめる。
 それから。
 ゆっくりと、静かに目を閉じると、セイネリアは片手で顔を覆った。
 唇からの笑みが止められない。
 喉からは笑い声さえ漏れる。
 余りにも自分が愚かで、滑稽すぎて、セイネリアは嗤うしかなかった。

「どういうつもりだ……」

 セイネリアの笑う理由がわからずに、シーグルの声は困惑している。
 だがセイネリアは、嗤い、顔を手で覆いながらも、そんなシーグルに言った。

「あぁ、分かった。お前を解放しよう。――俺の、負けだ」

 セイネリアには分かってしまった。
 どれだけ力があろうと、彼を打ち倒そうと。
 もう、彼にセイネリアが勝つ事は出来ない。
 どれだけ彼を負かしても、その彼を失いたくないと思った時点で、最後に負けるのは自分の方なのだと。

 安心した所為か、元から気力だけで立っていたシーグルの片足の膝が折れる。
 手首を切らなくても、あちこちに作った傷からは相当の出血をしているように見えた。
 そう判断したセイネリアは、シーグルに近づいていく。

「近づくな」
「だめだ」

 セイネリアの顔からは、笑みが消えていた。

「早く手当てした方がいい。ただでさえ限界だろ、お前。……安心しろ、俺は一度言った事を違えん。お前は開放してやる、だから大人しく治療を受けろ」

 その言葉で気が抜けたのか、セイネリアが彼の体を抱きとめれば、シーグルはすぐにがくりと体から力を抜き、身を任せてくる。抱き上げればその息は荒く、熱があるようだった。震える吐息は熱の所為か、全く力の入っていない彼の体をベッドに寝かせれば、既に気を失っているのか瞳は閉じられていた。
 それでも未だに握り締めている短剣から、指を一本づつ剥がして、それを取り戻す。

「こんな短剣一本で、俺を負かすか」

 自嘲を浮かべながらも、セイネリアはそれを自分の腰の鞘に戻した。




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今回、区切り方があまりうまくいってないせいで、短い話と長い話の差が酷くて申し訳ありませんorz


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