後悔の剣が断つもの





  【6】




 夜ならば陽気に騒ぐ人々が行き交う、人気のない朝の首都セニエティの裏路地。
 体も心も重く、行きたくないと止まりそうになる足をそれでも動かして、シーグルは赤い角笛亭に向かっていた。
 だが、今日はそんなシーグルの前に立ちふさがる人物が現れた。

「どちらへ行かれるのでしょう?」

 身に付ける物すべてを黒で統一している男。
 更にはその男の場合、分かり易い事に肩にエンブレムがついている。となれば、彼が何処の手の者かはすぐに分かる。

「分かっているから出て来たんだろ」

 セイネリアの手の者であれば、ここのところシーグルが何処へ行っているかくらい分かっている筈だ。

「シェン・オリバーという男に会いに行くのでしょうか?」
「そうだ」

 しかもこの男の気配には覚えがある。
 ここ数日、何度か感じていた、前の男とは違う気配。
 つまり、今現在、彼がシーグルを付けて、その行動をセイネリアに知らせていた人物だと思われた。

「彼に会いに行くのは止めて頂きたい」
「従う理由がない」

 ――何処まで、分かっているのだろうか?
 ふとシーグルはそう思う。

 セイネリアは気付いている、シーグルが他の男に抱かれている事を。シーグルは問われてもその相手を言わなかった。けれど、普段からシーグルの行動を調べさせている彼なら、それがシェン・オリバーだという事くらい容易に予想出来ただろう。だからこそ、部下にシーグルを引き止めさせた。

 ――まだ、見限っていないのか。

 あの時、去って行ったセイネリアを見て、シーグルはついに彼も自分を見限ったかと思った。あの男から解放されるのかという安堵と、自分には本当に価値がないのだという思いに、気が抜けたように呆然とした覚えがある。

「では、何の為に彼に会いにいかれるのでしょうか?」

 シーグルは口元に皮肉な笑みを浮かべる。
 ここで、抱かれに行くと答えたならば、この男は何と言うだろうか。

「答える理由もない」

 男は眉を寄せて黙る。

「そこを退いてくれ」

 シーグルが言えば、そこで男は決断したかのように体に緊張を走らせた。

「出来ない、といったら?」

 言って構えた男が持つ武器は、丁度腕の長さくらいある二本の棒だった。先端に鉄が巻かれて鈍器の重りとしての形を僅かに見せているが、重りとしてはそこまで大きいものではなく、攻撃部分としても小さすぎてダメージ的には微妙に見えた。それを両手に持って気を張らせた相手を見て、シーグルも剣を抜いた。
 この男なら、勝てる。
 気の張り方、落ち着いた様子、それだけを見ても彼がなかなかの手練だという事はわかる。だが、この相手には不味いと直感させる程のものはない。更に言えば、男がこちらに向けてくる敵意には迷いがある。それは、よほどの優位な実力差がない限りは致命的だ。
 一歩、足を踏み出せば、男が走り込んでくる。
 2本の棒で左右から交互に、途切れない連続攻撃を仕掛けてくる男。勿論、攻撃は同じ方向から来る訳ではない、様々な方向からやってくる。
 それらを体の動きだけで躱し、数歩後ろへと下がる。
 一見、予測不可能な変幻自在の動きに見えるその攻撃は、だが避ける事は難しくなかった。
 鎧を着ているシーグルでは、いくら鈍器とはいえあの程度ものでは攻撃が当たっても意味のない箇所が多い。
 その上、後々深刻なダメージになりそうな場所は狙ってこないのだから、軌道はランダムでも、その目指す場所は決ってくる。

 大方、そこまでの怪我をさせないように言われているのだろう。……何故、とまでは考えたくないが。

 何度目かの攻撃を躱すところで、シーグルは大きめに一歩足を引いた。
 そうして、相手もそれにあわせて大きめに一歩踏み出そうとしたところで逆に前へ出て懐に飛び込み、剣の根元で相手の横腹を薙ぐ。
 男の体が横へ飛ばされ、地面に倒れる。
 感触から、胴にも防具をつけていたらしく、それなら大した怪我にはならないだろうとシーグルは思う。刃のない部分だから死ぬ事はないだろうが、防具もなしにマトモに受ければ当たり所によっては不味い事になる。
 それでも重い鉄の剣の打ち込みは、相当のダメージになった筈だった。
 地面に蹲り、腹を抑えて唸る男は、それでも流石にセイネリアの部下だけあって、シーグルに視線を向けたまま、痛みに転げ回るような事はしない。

「セイネリアに伝えろ。俺なぞさっさと見限っておけと。お前が欲しがる価値など俺にはないと」

 シーグルを見上げた男の顔が、何かいいたそうに顔を顰めて口を開く。
 だが、声を出すのはまだきついのだろう。
 シーグルはその男へ背を向けて歩き出す。

 もし、相手がこの間の灰色の髪と瞳の男であったら、正直シーグルはこんな簡単に勝てた自信はなかった。
 今回の男は、腕は決して悪くないものの、シーグルを傷つける事に迷いがあった。だが、前の男ならばきっと迷いはしない。引き止める為なら、足を折るか歩けない程の怪我をさせるか、その程度は最初から狙って来ると確信出来る。
 重ねた経験の差は纏う空気だけでハッキリと違いが分かる。若く見えてあの男は相当の場数を踏んでいる。普通に対等の条件で戦った場合、あの男相手だったなら勝てるかは五分五分、ナイフや短剣がメインである向こうの武器と、こちらの鎧という優位性を入れてもそのくらいだと思う。
 今日はあの男でなかったのは幸運だったか。
 けれど、そこまで考えたシーグルは口元に自嘲の笑みを浮かべる。

 ――本当に、止められなかった事が幸運だったのか?

 自分は、今、引きとめられた時、どこかほっとしたのではないか?
 もし、ここで負ければ行かなくていい理由が出来ると、心のどこかで少しでもそう思わなかったと言えるだろうか?

 セイネリアがまだ自分を見限っていなかったという事を、喜んでいる自分が全くいなかったと、そう、言い切れるだろうか。

 考えるシーグルの歩く先には、赤い角笛亭の赤茶色の看板が見えてきていた。








 ここへ来るのも既に3回目になる。
 そうなれば店員も、兜を外したシーグルの顔を見ただけで、シェンの部屋へ通してくれる。
 相変わらず、客を守るように作られているこの店の二階では、シーグルが上がってきた途端じろりと睨む用心棒役の男がいる。場所を案内する必要もない所為で、シーグルが一人なのを見ると、その男は胡散臭げな視線を投げてはくるものの、シェンがいる奥の部屋へ行けと顎で指示してきた。
 男の前を抜けて、シーグルはシェンの部屋を目指す。
 相変わらず、その他の部屋にはあまり人が泊まっているようには見えない。少なくともシェンの部屋の両隣には誰かがいる気配はなく、部屋の中で多少何かが起こっても、他の者には分からないだろうとシーグルは思った。

 ドアを開ければ、部屋には白髪混じりの濃い茶の髪の男、シェン・オリバーがいた。
 だが、彼だけでなく、その横には紫の法衣を着た男が立っていた。
 肩掛けの印を見れば、その人物がクーア神官だという事がわかる。となれば、シェンの意図する事はある程度予想が出来た。

「やぁ、待っていたよ。君のお陰で、別の場所で身を隠す目処がついてね。迎えまで寄越してくれたんだ」

 ならば勝手に一人で行け、とシーグルは思う。
 とはいっても、彼が待っていたというなら、一緒に来いという事なのだろう。

「それは良かったな。ならばもう俺に用はないだろう」
「まさか」

 シェンは黒い瞳を細めて笑う。
 一見、ちょっとした悪戯でも思いついたかのような無邪気にも見える笑みは、余りにも嘘臭くて吐き気さえしてきそうだった。

「言っただろう、君を少しづつ、光の見えない闇の底まで堕としてあげると。何の為にわざわざ君を呼び出して待っていたと思うんだい? さぁ、君も一緒に来るんだ。断る事は出来ないだろう?」

 優しげともいえる顔で、彼はシーグルに手を伸ばす。
 シーグルには最初から拒否権はない。ぎゅっと強く掌を握り締めて、シェンの顔を睨みつけて、それでも一歩一歩、彼に近づいて行く。

「何処へ行くんだ?」
「さぁ、ついてからのお楽しみという奴さ」
「俺に、何をさせたい?」
「それもついてからのお楽しみだよ」

 ほら、と近づいてきたシーグルの背中を押して、クーア神官の前に立たせる。
 背の低い初老のクーア神官は、シーグルの顔を見上げると、大仰にお辞儀をして見せた。

「ご立派な騎士様、それでは貴方を我が主の元にお連れしましょう」
「主?」

 シーグルが聞き返したのと同時に、男の手がシーグルの体に触れる。
 そうすれば、転送の時特有の、視界が一瞬極彩色に崩れてぐちゃぐちゃになってから、それが逆に正常な色と形に纏まり出して、目的地の風景に変わる。
 着いた場所は、部屋の中だった。
 あまり広くなく、特に家具がある事もない部屋。現在立っている場所の床を見れば、転送用の陣が描かれてあって、ならばここは転送で帰ってくる為だけの部屋なのかと思う。
 そんなモノがあるのは、公共の機関か、神殿、地位の高い貴族、もしくは規模の大きい傭兵団。
 そう考えていたシーグルは、廊下へと続く、その部屋の出入り口だと思われる場所に立っている男を見た途端、ここが何処かを理解した。

「ようこそいらっしゃいました、すぐに主の元へお通し致します」

 いかにも冒険者の戦士らしい姿の男。その男の胸には、額にまっすぐ長い角がある、下半身が魚の獣が描かれていた。首都の周辺で冒険者をしていれば、そのエンブレムに見覚えがないものの方が少ない。神話に出てくる海の化け物の名を冠した傭兵団。
 人数だけなら首都で一番規模が大きいといわれているその傭兵団は、セイネリアの従える黒の剣傭兵団を敵視している事でもまた、有名だった。

「俺を、売ったのか」

 呟く程の声で吐き捨てれば、シェンが軽く肩を叩いてくる。

「どちらにしろ、君はもう引き返せない。私の言い成りになると決めた時点で、君の運命は決っていたのさ」




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そんな訳で、次回、シーグルはここの傭兵団長と会う事に……。

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