後悔の剣が断つもの





  【7】




「遅かったみたいだね」

 白い髪の少年は、空(カラ)の部屋を眺めて少し困ったように言う。
 言われた女は、忌々しげに部屋の中を睨んだ。

「兎も角、ボスに伝えるしかない。お前が伝えて、その方が早い」
「了解」

 カリンに言われて、白い髪のアルワナ神官の少年は目を閉じる。
 この少年は双子で、彼ら二人は離れた場所にいても心話で意志の疎通が出来る。片方を連れていると、こうして連絡役として使える事が便利ではあった。
 だが、今日彼を連れて来たのはそんな事の為ではない。
 眠りと意識の神であるアルワナに仕える彼の、その神官としての術を使って、出来るだけ穏便にこの敵対勢力圏の店に潜入し、シーグルを追う為だった。

「少し時間を掛けすぎたか」

 場所が場所であるから、慎重になりすぎてしまったのかもしれない。
 誰にも見つからずに二階に行くのに一手間、二階の見張り役の男を眠らせてからアルワナの術で意識を読み取り、部屋の位置とシェンの様子や目的を聞き出すのに一手間。
 それに、シーグルの足止めをした男も、思った程時間を稼げなかったか。
 どちらにしろ、これだけの手間を掛けた上で失敗したというのが結果としての事実だ。

「手がかりになりそうな物はない、か……」

 最初からこの部屋を引き払って出て行ったのもあってか、部屋の中にはシェンが残した物は特に見当たらない。
 クーアの転送術で跳んだとすれば、何処へ行ったかをここで調べる事は不可能だ。
 後は、シーグル自身の居所を、別の神官の術で調べさせるしかないか。
 だが、そう思って部屋を出ようとしたカリンを、白い髪の少年神官が引きとめる。

「あぁ、もしかしたらコレ使えるかも」

 彼が持っていたのは部屋の備え付けだったと思われる、本くらいの大きさの鏡だった。

「なら、それを持って此処は出ます。向こうからの指示は?」
「……帰って来いってさ」
「でしょうね」

 カリンは唇を噛み締めて部屋を後にした。










 単純に言えば、派手な部屋。
 但し、もう少し感想をつけて言うのならば、品のない金だけ掛かった部屋、とでもいうのだろう。それなりに広い室内にはいかにも高価そうな家具や調度品が並び、部屋全体のバランスや配色などお構いなしに美術品が置かれている。それこそ、マトモな貴族連中から見たら失笑されるに違いないというのが、その部屋を見たシーグルの感想だった。
 だから、その部屋の主を見れば、部屋から想像出来る通りの男で、シーグルでさえ嗤いたくなる。

「ほう、こいつがセイネリアの……」

 男の目は、部屋に入ってきた時からずっとシーグルばかりを見ていた。一緒に入ってきたシェンには最初に一瞥をくれた程度で、後はずっとシーグルだけを見ていた。
 いかにも美術品とは無縁といった、戦士らしい隆々とした筋肉を持つかなりの大男。恐らく、あのクーア神官が言っていた『主』、一角海獣傭兵団の長がこの男だろう。であれば名は確か――。

「アルスベイト・クラーナ」

 シーグルが言えば、男はさも嬉しそうに瞳を細めた。

「その通り、俺がこの一角海獣傭兵団長のアルスベイト・クラーナだ」

 言って、男は満足そうに椅子に深くもたれかかると、肘掛に両肘を掛け手を組んだ。無駄に金箔のついた豪華な椅子はいかにも悪趣味で、この男がシーグルが嫌いなタイプの人物だという事だけはわかる。
 アルスベイトは、口を閉ざしたまま笑みだけを浮かべて、明らかに好色な視線でシーグルの姿を上から下まで舐めるように見ている。その意図は明白だ。
 シーグルはその視線だけでも腕に鳥肌を立てながら、心底嫌そうに睨み返した。
 じっと見ているだけだったアルスベイトが、立ち上がって近づいてくる。
 彼はシーグルの目の前にまでくると、顔を近付けてまでシーグルの顔をよく見ようとし、ごくりと、その太い首から突き出た喉仏を動かした。口元には薄ら笑いを浮かべている。
 一瞬で、シーグルの全身の肌が粟立った。

「確かにこれはすごい上玉だ。男にしとくにゃ勿体ないな」

 アルスベイトの、シーグルの顔全面を余裕で覆い掴めそうな程大きい手が伸びてきて、顎を掴んで顔を上げさせる。男の顔が、その吐き出す息が吹きかかる程近くまで近づいてくる。
 生臭い息の匂いだけでも逃げ出したくなるのを抑えて、シーグルは只管相手を睨みつけた。

「さぁて、どうするのが一番奴には効果的かな。まぁでも……まずはやっぱり味見といきたいよなぁ」

 顔は更に近づき、シーグルの頬を舌を大きく出して舐める。その感触にシーグルはぞわりと背筋を震わせた。続いて体を撫でていく手は、鎧の上からなのに関わらず嫌悪感で吐き気がした。男の手が足を撫で、更にその手が内股の辺りを摩り出すと、シーグルは最早我慢出来ずに男を蹴り上げようとした。

「おっと」

 しかしその足は男の腕に遮られる。

「だめじゃないか、君は逆らえない筈だろう?」

 すかさずそういってきたシェンの言葉を、遮ったのはシーグルではなく、この傭兵団の長である大男の方だった。

「構わねぇよ、こういうのをねじ伏せるのもまた楽しめる」

 アルスベイトの瞳がシーグルを見る。
 先程までの、ただ色欲の愉悦だけを浮かべていた瞳ではなく、得物を狙う大型獣のそれで。
 だからシーグルも先程とは違う理由で背筋を震わせた。
 ここに来てシーグルは初めて、この男がこれだけの傭兵団を束ねられるだけの力を持っている人物である事を理解した。

「逃げるなり攻撃するなり、好きなだけやってみろ」

 言われてシーグルは、反射的に剣に手を掛ける。それを見て、相手も腰の剣に手を掛ける。
 だが、手は掛けたものの、剣を抜く事をシーグルはそこで躊躇った。
 この部屋は狭いとまでは言わないが、長剣で立ち回れば、使える空間が限られて動きが制限される。それに、シーグルが抜かずにいる間、アルスベイトもまた抜かずに待っていて、つまりこの男は、シーグルが剣を抜かないなら自分も抜く気がないのだと思った。
 シーグルは剣から手を離し、相手から大きく一歩後へ引いて、間合いを取る。
 それをみたアルスベイトは、にやりと大きく口角を上げて、彼もまた剣から手を離した。

「なんだお前、俺と素手で戦う気か?」

 十分に間合いを取れない場所で、明らかに力で勝てない相手に挑んで、剣を抜いたところで勝てる自信はない。となれば、剣での戦いは負けた場合のダメージが大きすぎる。相手はセイネリアとは違う、生きて抱けさえすればいい程度の傷を負わせる事に何の躊躇いもないだろう。
 更に言えば、体の速さで相手より優位に立つシーグルの戦闘スタイルでは、出来るだけ空間が広く欲しい。となれば、長剣を抜いて更に使える空間を狭くするのも得策ではない。

 ――せめてもっと広い場所であれば、勝てはしなくとも負けないと言えるのに。

 考え込みながら、ただ睨み合いを続ける事に、だが目の前の男は早々に飽きたようで、見せつけるように一度拳を鳴らすと、その体に見合わぬスピードでシーグル目掛けて殴りかかってくる。
 それをシーグルは躱して、相手の後ろに回り込む。
 更に相手はすぐに振り返って拳を突き出すが、それは体を引くだけで避ける事が出来た。
 そこから畳み掛けるように連続で拳を繰り出すアルスベイトを、シーグルは最小限の動きで避けて、一歩一歩後ろへと下がっていく。
 だがやはり、狭い部屋の中ではすぐに逃げる場所がなくなって、シーグルは壁際近くまで追い込まれる。
 アルスベイトが勝ち誇った笑みを浮かべる。そこから大きく振りかぶって拳を振り下ろせば、それに合わせてシーグルは身を屈め、足を伸ばして相手の足を蹴り払おうとした。

「おっと、あぶねぇ」

 だが、アルスベイトの体重はシーグルの予想以上だったらしく、蹴られた足は衝撃に一度膝を折りはしたものの完全に払われるところまで行かず、一瞬だけ彼をよろけさせた程度にしかならなかった。
 シーグルは舌打ちしてすぐに相手から離れようとしたが、限られた空間の中で十分に間合いが取れない。長いアルスベイトの腕がぎりぎりでシーグルに届き、その腕に体毎吹っ飛ばされた。
 背中に衝撃、と同時に何かが割れる音。
 白い欠片と粉が舞って、恐らく石膏の像辺りを壊したのだと思う。
 躱しそこねがぎりぎり当たった程度の打撃では、ダメージ自体は浅い。
 すぐにシーグルは起き上がろうとするが、崩れた像の所為で足場が悪く、すぐに起き上がる事が出来なかった。そこへ、大きな手がやってきて、シーグルの鎖骨から喉元辺りを掴み、途轍もない力で体毎壁へ押し付けた。
 シーグルの息が詰まる。
 首の鎧部分は可動性の為、体より膨らんだ曲線を描いてダメージを逸らす板金製の胴部分程の強度がない。息が出来ずに意識が白くなりかけたシ―グルには、一瞬、死が近くに見えた。

「おっと、まずぃな」

 だが、すぐに手は離れ、解放された途端急激に呼吸が回復して、シーグルは激しく咳き込み、その場に崩れ落ちた。
 苦しさで涙がこみ上げてくる。胃から胃液が逆流したかのように酸っぱい味が口腔内に広がる。
 口を大きく開けたまま咳し続けるシーグルを、アルスベイトは体毎持ち上げ、床の上に下ろして体を押さえつけた。

「おい、お前も脱がすの手伝え、こんだけ着込んでると面倒だ」

 シーグルの鎧を外しながら、アルスベイトはシェンにそう声を掛ける。
 見上げる影が二人になり、彼らが自分の装備を外して行くのを、シーグルはまだ呼吸の整わぬ苦しさの中で見ている事しか出来なかった。

 最初から、逃げ道などなかった。
 例えアルスベイトを躱す事が出来たところで、鍵の掛かった部屋から出る術も、ましてやここの傭兵団の者達全てを振り切って敷地外まで逃げる事など、到底無理な事だと分かっていた。
 剣を抜かなかったのは、いざチャンスが来た時動けなくなる程の怪我を負わない為だが、それならそもそも最初から抵抗をしなければ良かったのだ。
 どうせ、結果は変わらない。
 この男相手に逃げ回るだけでどうにかなるとも思えなかった。
 それでも、抗いたかった。抗わねばならなかった。

『嫌ならちゃんと抗ってみせろ、諦めて、受け入れていれば男娼と同じだ』

 頭の中、冷たく見下ろしてきた琥珀の瞳に、ならどうすれば良いのだとシーグルは問う。
 シーグルの瞳から、息の苦しさからではない涙が零れた。





---------------------------------------------

次回は、アルスベイト×シーグルのHシーンです。一応今回のエピソードのメインH。


Back   Next


Menu   Top