折れた剣と心の欠片





  【5】




 その夜も特に問題が起こる事はなく、朝が来て予定通り、一行はまた船に乗って川を下った。
 旅は順調だった。
 敵の襲撃どころか、盗賊も、大型獣の脅威の影もなく、あまりにも順調過ぎて不気味な程何もなかった。
 二日目にエルマの言い分を聞いて見張りの組み合わせを変えた後は彼女も文句を言う事はなくなり、後は特に問題らしい問題はなく、目的地まで道のりは後少しを残すところまでになっていた。
 とはいえ、目的地が近いと分かったのは、その目的地まで後1日程となった、船旅の終着地点へ来てからの事だったのだが。

「なぁる程、行き先はクランクトか。やけに川を下ってるから何処行くんだと思ったぜ」

 シーグルが今さっき聞いたばかりの予定を皆に告げれば、ベーガルが大仰に溜め息をついてみせた。

「あそこからの転送で、目的地までって訳だな。回りくどい事だな」
「まったくね、どれだけ用心深いのかしら」
「だからこそ、俺達を雇ったんだろ、金持ちが用心深くて疑り深いのなんか今更だ」

 ベーガルとエルマが愚痴るのを、アルスが諌める。
 何も言わない護衛対象の一行の方をちらりと見て、彼らは肩を竦めてみせて口を閉ざした。

 クランクトはクリュース国内のクーア神殿の総本山であるクーア大神殿がある。そこでは特別な転送が使える事で知られていた。
 クーアの術と言われればまず上げられる転送の術だが、一人の神官が使える術では然程遠くへ飛べず、いいところ街中くらいの距離が精一杯となる。但し、予め自分で転送用の魔法陣を引いておいた場所を目的地とするなら、もう少し距離を伸ばす事は出来る。
 クーア神殿では、そこから更に、陣と陣の間を飛ばす事、複数の神官で術を使う事で各町の神殿同士の長距離転送を可能にし、それを冒険者に有償で提供する事によってかなりの収入を得ていた。
 その転送サービスが大神殿になると少しまた条件が違っていて、大神殿内の転送陣の部屋へいけば、クーア神官一人の力で街間転送が可能になる。
 つまるところ、普通の神殿ならば、転送先を神殿側に知らせて送って貰う手順を取るのが、大神殿の場合は行き先を漏らさず、身内の神官に、国内の好きな場所へ飛ばさせる事が出来るのだ。更に言えば、その場合の転送先は、各町のクーア神殿へではなく、実際に術を使うクーア神官が自分で描いた魔法陣のある場所になる。
 一言でいえば、クーア神官の転送能力を大幅に高める部屋がある、で済む話であるが、遠方から身内の神官を使って、誰にも知らせず直接自分の家やら領地内などに直で飛ばす事が出来るこの方法は、政敵が多い貴族などがよく使う手段ではあった。
 となれば、王子の共二人の内、一人がクーア神官なのだろう、とは今だからこそ分かる事だ。

「どれだけ行き先を秘密にしたいんだかね」

 ただの独り言のようにベーガルは呟く。
 プロとして仕事を割り切っている彼らではあるが、護衛対象の正体を知らない事に関して不満があるという事は、こうして事ある毎の態度で分かっていた。
 とはいえ、シーグルとしては向こうの事情も分かる分、教えられないというのも納得出来るのでどうしようもないのだが。

「まぁ、とにかく野宿は今夜が最後って訳だ。最後の夜くらいは少しばかり賑やかに行きたいとこだね」

 アルスはそう言って、いつもの水袋とは違う別の水袋を取り出した。








 昨夜までの岩場ばかりの風景と違い、草や木々に囲まれた夜の森は月の光も葉に隠れがちで、焚き火の炎が無ければ殆ど暗闇の世界になる。
 夜の静寂の中、夜行性の動物達や虫の鳴く音が時折聞こえるものの、それらの全ては遠く、特に危険を感じる事はない。結界の魔法が効いている状態ならば、魔力を持った高位の化け物や魔法召還された異界の生き物でもなければ、彼らに近づいて来る事は出来ない。
 だから、危険があるとすれば、まず考えられるのは人間相手だ。
 目的地まで後1日の距離は街に逃げ込める程近くもなく、最後の夜というだけあってメンバーの気が緩んでいる。実際、ささやかな酒宴という事で、酔う程の量ではないものの夕食時に殆どの者がアルスの持って来た酒を飲んでいた。勿論、シーグルは一滴も飲んではいないが。
 つまり、もし、仕掛けて来るものがいるのだとすれば、今夜を置いて他にない。
 横にはなって寝ているようには見せても、シーグルは今晩は寝ないつもりでいた。

「ん、ちぃっとションベン行って来るわ」

 そう言って火の前に座っていたベーガルが立ち上がる。
 もう朝に近い時間、今の見張り番は彼とクリムゾンだった。二人はずっと会話なく番を務めていたが、そう言ってベーガルが森の中へと消えて暫くして、状況が変わった。

 人の気配。
 勿論それはベーガルのモノではなく、他人の、複数の気配。

 気付いたシーグルは目を開けると、他の寝ている連中に視線を巡らす。
 そうすれば、流石に皆上級冒険者と言うべきか、同じように目を開いて互いに視線だけで状況を確認しあう。

『目を閉じて、合図をしたら、起き上がれ』

 指で指示しながらシーグルが囁く程の声で言えば、彼らは返事のかわりにゆっくりと瞬きをした後目を閉じた。
 シーグルはすぐに、胸に手を当てて呪文を呟く。

「神よ、その慈悲の尊き光を我に――……」

 途端に辺りが一瞬、昼のような光に包まれる。
 リパの光の呪文は、神官でないシーグルでは、使えるもののあまり得意ではない術だった。使いなれている盾の術のように唱えた後即発動させる事も出来ず、光るのも本当に一瞬だけで、松明代わりにも使えない。
 だが、状況によっては使えない訳でもない。

「行くぞっ」

 合図と同時に起き上がれば、他の者達も起き上がる。
 辺りにいる気配からは叫び声が上がっていて、どうやら気配の内何人かはマトモに光を見た所為で目が眩んだらしい。

 クリムゾンとラタが、それぞれ気配のある方向へ向かって剣を構えて走りこんでいく。
 アルスが、弓に矢をつがえて更に別の気配を狙う。
 エルマが杖とナイフを構えながら呪文を唱え、シーグルはちらと王子達一行を見て、護衛達二人がぴったりと王子を守って傍についているのを確認してから走り出した。

 金属が合わさる音が、夜の澄んだ空気の中で高く響く。
 けれどもそれはあまり続かず、すぐに悲鳴と共に終りを告げる。
 今もまた、少し遅れて走り出したシーグルが、目指す敵の前まで来て剣を突き出せば、慌てた敵が構えるのさえ出来ずにその剣を体に受ける。

 だが、何処か、おかしい。

 腕に剣を受けて転げ回る男を見下ろして、シーグルは思う。
 剣を捨てて呻く男をひきずりながら、シーグルが焚き木の位置まで戻ると、他の者も負傷した敵をそれぞれ連れて帰ってきていた。

「ベーガルが帰ってこないな、あいつが密通者か? 確かにあいつ、妙に事情を探ろうとしていたふしがあったな……」

 アルスが負傷した敵達を縛りながら言う。
 けれども、何故かシーグルは違和感を感じていた。
 考えながら回りを見回して、そうして気付く。

「エルマは?」
「あー、逃げた奴追って走って行ったかな、向うへ行ったと思う」

 シーグルは残ったメンバーと辺りの気配を探り、決断をする。

「俺が行って来る、他はここに居てくれ」

 だが、走り出したすぐ後を、もう一人の影が追う。

「俺も行く。貴様に何かあったらここにいる意味がない」

 赤い髪の、戦士としては身軽な男が、断る間もなくシーグルに追いついた。
 仕方なくシーグルは彼を連れて彼女を追う事になった。









 今回のように襲撃を恐れながらの場合、動物避けの結界はかなり広い範囲で行う。
 けれども、その結界の外へ出ても、彼女の姿は見当たらなかった。
 結界の外へ出れば、当然大型獣等の脅威に晒される事になる。身体能力が他のメンバーに比べて落ち、間合いが必要な魔法使いの彼女がそんな危険を冒すのはどう考えても不自然だった。

 だから、やっと彼女を見付けた時、その傍に追って行ったろう敵の姿が倒れていても、シーグルは彼女にすぐに近づかず、警戒を露わにして彼女から数歩の距離を残して立ち止まった。

「どうしたの? やっとこっちも仕留めたとこよ。私じゃこいつ運べないから、運んで欲しいんだけど」

 エルマはいつも通りの態度のまま笑顔でそう言ったが、シーグルは近づかずに彼女の様子を伺っていた。クリムゾンも、シーグルに従うようにその場に留まっている。……いや、彼は、すぐに構えられる状態でいるシーグルの前に出て、明らかに彼女に向けて剣を構えた。
 その様子を見て、エルマが声を出して笑う。

「シーグル、貴方を初めて見た時は、私も乙女らしく王子様みたいなんて思ったけど訂正するわ、貴方の立場はまるでお姫様ね」

 そうして笑い声が止まった後、再びシーグル達を見た彼女の顔は、いつものおしゃべりで好奇心旺盛な明るい彼女の表情ではなかった。

「気付かれちゃったかしら、ねぇ」

 唇は笑みを浮かべたまま、瞳は昏い。僅かに狂気さえ見えるその瞳は得体が知れなかった。
 気配を一変させた彼女は、魔法使いの長い杖を肩に担ぐと、楽しそうに語り出す。

「貴方がリパの光の術まで使えたのはちょっと予定外だったわね、お陰でこっちの暗示が切れちゃったから、時間稼ぎも出来ないんですもの。ちゃんと暗示が効いてれば、貴方達が殺してくれる筈だったのに、皆腑抜け過ぎてあっさり生け捕りにされちゃうし。もう、折角いろいろ事前に暗示を掛けてドラマティックなシナリオを用意してたのに全部パーなんてつまらないわ」

 シーグルはそれで、先程敵を倒した時感じた違和感の正体を理解する。
 襲撃者達は、シーグル達を伺って隠れていた時は、確かに殺気を纏っていた。けれど、倒した時の彼らからは、殺気が消えていた気がしたのだ。

「まぁ、失敗しちゃったから諦める事にするわ。もう手は出さないから安心していいわよ、じゃーね」

 逃げる気配を察したクリムゾンが彼女に向かおうとするのを、シーグルは止める。
 それを見てエルマはまた笑って、呪文を唱えた。
 彼女の頭上に金色の輪が出現する。
 振り返って目で抗議するクリムゾンを、それでもシーグルは止めた。

「近づかなかったのは正解よ。近づいて来たらちょっと痛い目にあうようにしていたから。殺すつもりはないけどね。……ねぇシーグル、貴方、結構魔法素養があるのね、騎士じゃなく魔法使いか神官になったらよかったんじゃない?」

 言葉の最後は笑い声に重なって、そうして彼女は杖を高く掲げ、更に呪文を唱える。
 杖から光が溢れ出し、ゆっくりと彼女の体を包んでいく。
 杖を掲げた彼女の手の甲の蝙蝠の刺青に目を固定させて、シーグルは思う。魔法使いが体に刺青を入れるのは、杖と同じ原理だという。つまり、呪文と魔法陣を身体に書いておいて、キーワード一つで魔法を発動させる為だ。だから、身体にある刺青は呪文か魔法陣である筈。ならばあの手の蝙蝠は何の為に――。
 見ているだけのシーグル達の前、彼女の全身が光に包まれ、そして、頭上の輪に吸い込まれるように消えた。
 月明かり以外の光が消えた暗闇には、勿論彼女の姿はなかった。

「転送術が使える魔法使い……そうそうにいるものじゃない」

 クリムゾンが、彼女がいた場所へ数歩近づいて、軽くしゃがみ込み地面を見る。

「確かに魔法陣が書いてあるな」

 言いながら抜いたままの剣で、何度か陣を切るように消して無効にする。術者本人がいないから恐らくもう発動しないとは言え、念の為だろう。
 シーグルも剣を納めて近づいて行く。

「そっちの男は?」
「死んでる」
「襲って来たのが暗示の所為なら、弔ってやらないとな」

 言ってシーグルは男の傍に来ると目を閉じ、小さくリパの弔いの祈りの言葉を呟く。
 だが、呟きを終えて、その遺体に触れようとした途端、後ろにいた気配が動いた。

「何をする?!」

 気配はクリムゾンだ、彼が後ろにいた事はシーグルも承知していた。だから、警戒をしていなかった。
 クリムゾンは、気配に敵意を感じさせる訳でもなく、ただ、シーグルの両腕を掴んで後ろに回して押さえていた。

「ラタが忠告したんだろ? 随分無用心だったな」

 耳元で囁かれて、シーグルはぞくりと背筋を震わせる。

「何をする気だ?」
「勿論、殺す気はない。傷付ける気もない」

 クリムゾンの声には感情らしい感情がなく、彼の意図が読めなかった。
 シーグルも、忠告を忘れていた訳ではない。だが、追って来た時といい、エルマと対峙した時といい、クリムゾンは明らかにシーグルを守ろうとしていた。だから、つい、警戒を怠った事は否めなかった。

「分からない、なんて言わないよな?」

 クリムゾンの掠れた声が耳元に囁く。
 そのまま、彼の吐息が近付いてきて、シーグルの耳を唇で銜え、それからぺろりと耳たぶを舐める。ぞくりと、シーグルが再び体を震わせる。耳元で、クリムゾンが小さく嗤う。

「抱いてやる」

 皮紐が擦れる音がして、後ろで手が縛られた事が分かった。
 そのまま地面に放り投げられて、シーグルは無様に転がる。
 すぐに、その上からクリムゾンが圧し掛かって来る。
 赤い髪に赤い瞳の男が、うっすら口元に歪んだ笑みを浮かべて言う。

「今から俺が、お前を抱くんだよ。あの人の大切なお前を、な」






---------------------------------------------

そんな訳で次回はエロです(・・。



Back   Next


Menu   Top