悪巧みは神官の嗜み





  【7】




 ――フェゼントは目を開いた。
 体中、べっとりと嫌な汗をかいている。息が荒い。
 視界に広がるのは暗闇。窓から入る月明かりで仄かに照らされた、部屋の姿。
 ここがどこで、どうしてここにいるのか。それを思い出したフェゼントは、大きく安堵の息を吐いた。

「……罰があたったんだ……」

 フェゼントの瞳からは涙が零れる。

「罰があたったんだ。私だけが幸せになろうとなんてするから」

 一月以上前の事。今のは夢だったのに、男達の手の感触が生々しく思い出されて、フェゼントは体を震わせる。耳からは下品な笑い声が未だ聞こえるようだった。

 新人騎士にはよくある不幸な事件。
 この国の特殊な法律の為に、若い男でちょっと見目のいい新人騎士によく起こる。
 大抵は、従事した騎士から忠告を受けて注意するそれは、フェゼントが仕えたのが女騎士だった為、彼女は知らなかった。
 シーグルは知っていて警告しようとしていたのを、フェゼントが彼と顔を合わすまいと避けたのだ。
 避けて、会わないようにして。騎士試験に受かった後、ラークにも言わずこっそり騎士団に行き、エンブレムを貰ってそれを見せて驚かすつもりだった。
 手続きをしにきたフェゼントに、立派な騎士が声を掛けてきて、優しそうに騎士団の案内をしてくれるといってきた。そんなものについていってしまった、自分の自業自得といえば、それまでだ。

「自分の罪を忘れるなと、自分がどれだけ汚いかと。だから今更、こんな夢を……」

 フェゼントは手で顔を覆った。






 東の空がうっすらと明るさを帯び、濃紺の空のすそ野が薄い青に変わっていく、まだ夜明けには少しばかり早い時間。
 それでも朝を予感した鳥達の声が遠くから僅かに響く中、フェゼントは剣を振っていた。
 シーグルのように、幼いうちからずっと剣を振ってきた者と違って、フェゼントはまだ自分の剣の扱いは未熟なことを理解していた。特に、フェゼントが習った剣は、師だった女騎士が力や体格のハンデを覆すために考えた型で、正確な剣のコントロールが必要だ。
 一歩、一歩、交互に出す足捌きと同時に、剣を振り下ろし、剣先を切り返して薙ぎ、そこから手首を返して突く。
 頭の中で敵の動きを想定して、それに対応して剣をコントロールする。イメージの中で勝負がつけば、最初の型から再び新たなパターンを想定してやり直す。
 毎日、欠かさないそれは確かに鍛錬の為ではあったが、こうしていると余計な事を考えなくて済む。今は、それがフェゼントの救いになった。
 だが、そうして、一心に剣を振っていたフェゼントは、人の気配にその腕を下ろした。

「随分早いね」

 声の方を見れば、テレイズが、ランプの明かりをこちらに向けて照らしながら立っていた。

「起こしてしまいましたか、すいません。たまたま早く目が覚めてしまったので、もう起きてしまおうかと」

 笑顔を浮かべたつもりだったのに、フェゼントのその顔が強張っていた事は、テレイズには分かってしまったらしい。彼は眉を顰めると、小さく溜め息をつく。

「いろいろ悩むべき問題があるようだね、君は」

 フェゼントは思わず顔を俯かせた。

「自らの罪に怯えている。俺には、そう見える」

 フェゼントはぎゅっと掌を握り締めた。腕が震える。
 その彼を見て、テレイズは少し考えた素振りを見せる。
 そして。

「吐き出して、楽になるかい?」

 フェゼントは顔を上げた。
 テレイズの顔は真剣だった。

「リパの神官として、君の告白を聞こう。勿論、聞いた事は絶対に口外しない、ウィアがどうしてもといってもだ。――我が神に誓って」

 フェゼントは迷う。
 神官であるテレイズを信用してないというのではなく、全てを吐き出して、自分が楽になってもいいのかと。

「無論、無理強いはしないよ。告白は苦痛を伴うからね。吐き出したからといって、君の罪がどうにかなる訳でもない。ただ、話す事で自分の罪を見つめなおし、少しでも心の重りを軽くする事が出来ればと思う」

 ――そうだ、いつも逃げてるだけだ、私は。

「お願いします、神官様。私の罪を聞いてください」

 顔を上げたフェゼントを見て、テレイズが背を向けて歩きだす。

「では、俺の部屋……よりは、書斎のほうがいいか。今ならウィアも寝ているから、都合がいいだろう」

 フェゼントはその背を追った。




 テレイズが、部屋の隅に置かれた香炉に火を入れる。
 途端、神殿で昔嗅いだ事のある独特の匂いが、仄かに鼻腔をくすぐる。
 フェゼントは机に座り、テレイズはその背後に立っている。

「始めていいかな?」

 掛けられた声に、フェゼントは祈りの形に手を組んで、ごくりと唾を飲み込んだ。

「はい、お願いします」

 フェゼントの返事を聞いてすぐ、肩に置かれるテレイズの手。
 小さく聞こえてくる呪文を、フェゼントは目を閉じて聞いていた。

 告白するものは絶対に嘘をつかない。
 それを聞く者は絶対に口外しない。
 その契約の為の術は、正神官でないと使えない。
 その後に続く別の術は、今度は告白者の記憶を思い出しやすくする為のもの。香の匂いと合わせて一種の催眠状態にするのだが、この術単体で無理に自白させる為に使われる事もある。
 テレイズの術を唱える声は、小さく、たまに大きく、揺れる蝋燭の炎のようにゆらぎながら聞こえてくる。体がほんのりと温かくなり、手足の感覚が無くなって来る。ふわふわと、宙に浮いているような軽さが体を覆い、それにつられるように心も軽くなってくる。意識が酷くあやふやになり、今自分が何をして、どうしているかさえ忘れていく。

 もう、フェゼントにはテレイズの声は聞こえなかった。



 幼いシーグルが、フェゼントの手を引く。
 自分よりも小さいのに活発な彼は、よく、家にいるフェゼントを外に引っ張り出して遊びにいった。
 父親と同じ深い青の瞳が、自分に笑いかける。
 その彼を、大きな鎧に包まれた騎士が抱き上げた。
 シーグルはフェゼントに手を伸ばす。
『嫌だ、嫌だ、放せっ、兄さん、兄さんー』
 フェゼントは、馬車に乗せられ連れて行かれるシーグルを、ただ、泣いて見ている事しか出来なかった。



 ――ふと意識が浮かび上がって、フェゼントは目を開いた。
 その肩を軽くテレイズが叩く。

「続けて」

 再びフェゼントの意識は、柔らかな感触に包まれていった。



 シーグルは帰ってこなかった。
 母親は、目に見えて痩せた。
 父親は笑わなくなった。
 フェゼントは何も分からなかった。
 それでもまだ、父親も母親も、子供達の前では普段通りにしようとしていた。
 子供達が寝静まった後、二人が口論していても、母親が夜通し泣いていても。表面上はまだ幸せな家だった。

 父親が死んで、母親が時折、冒険者として仕事に出かけるようになった。
 その頃から、彼女の様子がおかしくなった。
 ここにいないシーグルの事ばかり話すようになり、たまに自分が何をしていたのか忘れるようになった。
 だんだん、その状態は酷くなって、そのうちにフェゼントも弟のラークの事も忘れた。
 特に、ラークの事はたまに思い出して呼ぶのに、フェゼントの事は全く、最初からいなかったように名前から長男としての存在まで全てを忘れた。
 そんな彼女は、シーグルの事だけは完全に覚えていて、彼の事ばかりを話していた。
 症状が酷くなってくると、想像の中で成長した彼の事をまるで彼女は会ってきたように話しだし、居る筈などないのに彼を探して歩きまわったりした。
 フェゼントは、少しでも母親の記憶を取り戻したくて、自分の姿をみて貰いたくて、父親と同じ騎士になる事に決めた。
 訓練などしたことがなかった体を、必死に鍛えた。
 だが、その母親も死んだ。
 精神がおかしくなっていた辺りから、体の方も病気を煩っていたのだ。
 泣く弟を宥めて、フェゼントが途方に暮れていた時、彼はやってきた。

 銀色の髪に深い青の瞳、父親そっくりの容姿の、母親がいつも話していた、想像の中の理想の姿のシーグルがそこにいた。

 未だ騎士になるために従事するアテすらないフェゼントと違って、鎧に包まれた騎士の姿。
 高い背に凛とした姿は、女顔で背が伸びなかったフェゼントとは違っていた。
 狂って現実を忘れてさえ、母親に愛されていたシーグル。
 引き取られた祖父が貴族だという事は知っていたが、あまりにも立派な彼の姿にフェゼントは嫉妬した。
 どれだけ足掻いても自分が手に入れられない物を、全部持っていた彼を妬み、憎んだ。
 だから、フェゼントの顔を見て『兄さん』と呟いた彼に言ったのだ。

『貴方に兄と呼ばれる筋合いはない。今更来ておいて、まだ家族だと思っていたのですか』

 シーグルの顔が、凍りついたように固まったのを覚えている。
 それから、みるみるうちにその顔から表情が抜けていくのが分かった。
 その時から、彼は一度も『兄さん』とフェゼントを呼ぶ事はない。



 ――すすり泣く声が聞こえる。
 フェゼントの瞳からは涙が溢れていた。

「私が、悪いんです。私の醜い嫉妬が彼を傷つけたんです。でも、彼は私を責めなかった。逆に、自分の方が悪いのだというように、私達の為に自分を犠牲にしていた――」

 呟くような告白を、テレイズは黙って聞いている。

「私が、悪いんです。全て私の所為なんです……だから、罰を受けて当然だったんです……」

 声は途中から嗚咽に変わる。
 話は、続いた。



 母親が死に、生活する資金さえなくどうすべきか悩んでいたフェゼントに、騎士の従者になれるよう取り計らってくれたのはシーグルだった。
 更に彼はフェゼントと末の弟のラークを、シルバスピナの敷地にある離れ屋に住めるようにしてくれた。
 母親の葬式も、彼のおかげできちんととりおこなう事が出来た。
 全て、反対する祖父を説得して、彼はいくつかの条件を飲む事で兄弟の為に尽くしていた。
 フェゼントは惨めだった。
 シルバスピナの敷地内に住むようになって、ここで彼がどんな暮らしをして、自分達の為にどんな条件を飲んだのか、聞けば聞く程惨めになった。
 それでも彼に謝ることが出来なかった。
 感謝の言葉さえ言えなかった。
 彼の顔を見ることが出来なくて、彼を見れば彼を傷つける事しか言えなくて。

 だから、罰をうけたのだ。

 騎士になれて浮かれていたフェゼントは、新人騎士に目をつけていた古参の騎士達に犯された。
 その時に、フェゼントは思ったのだ。
 これは罰なのだ、と。



 ――ゆっくりと意識が浮かびあがる。
 フェゼントが目を開くと、窓の外はすっかり明るくなっていた。
 部屋の中も、ランプを灯さなくても大体見えるくらいには明るい。
 頬が濡れているのに気付いて、フェゼントは自分が泣いていた事を知った。

「少しは、気分が軽くなったかい?」
「……はい、ありがとうございます」

 言えばテレイズは僅かに微笑んで、窓辺に歩いていくとカーテンを開けた。
 部屋の中に光が差す。

「……今の君の告白とは関係なく、ウィアの兄として、一つ、聞いていいかな?」

 フェゼントは、未だ零れる涙を拭いながら顔を上げる。
 ウィアが起きるまでに、この泣きはらした目をどうにかしなくてはならないと思いながら、朝日を浴びるテレイズの顔を見た。

「今更かもしれないけど……ウィアとどうして恋人になったのか、経緯を聞いてもいいかな?」
「え? ……あー、それは……」

 意外なことを聞かれたフェゼントは、思わず顔を赤くする。
 とはいえ、ここまで自分の事を知られた相手に、今更誤魔化す意味もない。
 仕方なく、事務局で会って、コトに至る経緯までをかいつまんで話せば、テレイズの顔がだんだんと険しくなっていくのが分かった。
 けれども、テレイズがそんな顔をした原因は、フェゼントの思った理由ではなかった。

「君が気がついた時、君の格好は?」
「胸当てをとって、鎖帷子は着たままで……ブーツは脱いでいました」
「ウィアの格好は?」
「神官服は少し胸元が開いて……全体的にも止めてあるところが緩んでいたりしていたかと」
「靴は?」
「履いていなかったでしょうね」
「脱いだ靴はどこにあった?」
「ベッドの下に、揃えてあったと思います」

 そこまで聞いて、テレイズは大きく溜め息を吐いた。

「あの、クソガキ……」

 テレイズは頭を掻いた。

「多分、それは逆だったんじゃないかな。否、きっと逆に違いない。押し倒す側がそんな半端な格好でいる事もおかしいし、押し倒された方が自分から靴を脱いでいたというのも不自然だ。大方、あの色ぼけ坊主が君の鎧を脱がそうとして四苦八苦した挙句、間違って倒れたか何かに違いない。君は騙されたんだ」

 苦い顔をしながら顔を手で覆うテレイズは、ぶつぶつと何かを呟いている。
 あのクソガキ、エロガキ、それでも神官なのか……等々、ウィアへの文句を只管につづっているようだった。
 フェゼントはそんな彼を見て、思わずふきだした。

「知っていました」

 テレイズが呟きを止めて、フェゼントの顔を目を丸くして見つめる。

「その時は、私がとんでもない事をしてしまったと焦りましたけど、後から考えれば、いくら酔っていたとはいえ、私がそんな事を出来た筈はなかったんです。あの時の私には、最初から同意の上だったとしても行為に至る事は出来なかったと思います。人肌に触れるだけで怖かったんですから」
「うん、……そりゃぁ……そうだろうね」

 いってから、テレイズは首を捻る。

「では何故、大人しくウィアと恋人のままでいるのかい?」

 フェゼントは笑う。

「人に触れるのが怖かった筈なのに、彼とは自然に触れ合う事が出来ました。とても、幸せでした。きっかけは騙していたとはいえ、ウィアは本当に私を好きでいてくれて、私も彼が好きでした。明るい彼といるとそれだけで心が暖かくなりました」

 フェゼントは、騎士団から帰ってきた後誰にも会いたくなくて……特にシーグルに会いたくなくて、逃げるようにアウグスト山に篭った。
 それから一月の間、誰とも関わらずに生活して、やっとすこし気分が落ち着いてきて街に出てきたのだ。
 そして、出会ったのがウィアだった。

「彼に救われたんです、私は」

 浮かべたフェゼントの微笑みは、少女のように可憐で幸せそうだった。
 テレイズが思わず、自分の悪巧みを恥じて苦笑する程に。

「……仕方ないね」

 テレイズは呟いて、窓の外の朝日を見ると、眩しそうにしながら背伸びをする。

「君はウィアの事をとても大事にしてくれるだろうし、ウィアは君にべったりだし。だったら、仕方ないね、今のところは君とウィアの事を認めるしかないじゃないか」

 フェゼントは驚いて、そしてまた綺麗に微笑んだ。

「ありがとうございます」

 そんなフェゼントの様子を、笑みさえ浮かべて観察していたテレイズだったが、ふと、その表情を引き締める。
 つられてフェゼントも、顔から笑みを消した。
 テレイズが真っ直ぐフェゼントに向き直って、改めて口を開く。

「……ただ、あくまで君がウィアを守れるような状態なら、だ。君自身や、君の所為でウィアに危険が及ぶような状態になったら、離れてくれ。これは譲れない」
「え? ……えぇ、はい、分かっています」

 テレイズのその言葉の意味は、理由を知らないフェゼントには正確に分からなかった。ただいざとなったら、自分の気持ちよりも、ウィアの安全を守る方を優先する事は、フェゼントとしても異論はなかった。

「そんな事にならないように、彼を守ります」

 テレイズはその返事に、曖昧な笑みを返す。
 彼はウィアからシーグルの事については口止めをされていたし、彼自身も言うべきではないと思ったから、それ以上は言えなかった。

「なら、もう部屋に戻ったほうがいい。あぁ、顔は洗っておいたほうがいいよ。ウィアが起きるまでに、その赤い目はどうにかしておくように」
「あ、はい、そうですね」

 フェゼントは笑って、それからお辞儀をして部屋を出て行こうとした。
 けれどもそこへ、思い出したかのようにテレイズが言葉を掛ける。

「あぁそうだ」

 フェゼントはドアを開けたまま振り向いた。

「俺に対して気を使うのはありがたいんだが。うーん、まぁ、ハッキリいうと、この家でセックスするくらいは構わないよ」
「え? あ、は、はい」

 途端にフェゼントの顔が真っ赤に染まる。
 それを見たテレイズは、にやりと、彼らしい人の悪い笑みを浮かべた。

「あんな風にウィアを育てたのは俺だしね。今更その程度でガタガタいう気はないんだ。俺の方も好き勝手やっているからね」

 フェゼントは耳まで赤くして、ぎこちなくテレイズにお辞儀する。

「は、い。ありがとう、ござい、ました」

 恥ずかしすぎて混乱するフェゼントは、ドアを閉めた途端、火照る自分の頬を手で覆った。
 部屋の中からは、テレイズの笑い声がする。
 益々恥ずかしくなって、フェゼントは気を落ち着かせる為に深呼吸をする。
 ここの兄弟は、随分とそういうことに関しては深く気にしない性質らしい。
 喧嘩して、平然とそういう話をして、でもお互いに大事にしあって。
 そんな彼ら兄弟がとても羨ましかった。

「ごめん……シーグル」

 今はまだ、直に謝る事さえ出来ないけれど。
 でも、自分も彼に何か出来たらとフェゼントは思う。



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いわゆる懺悔シーンですね(・・。


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