神官が運ぶは優しき願い





  【4】




 外を見れば、月は高く。
 今日は暖かくていい陽気だった筈なのに、何時の間に風が出たのか、窓がカタカタと音を鳴らしている。
 シーグルが来てからすっかりそちらに気を取られていた所為で、思った以上の時間が経っていたようだった。外はすっかり深夜といえる時間になっていて、心なしか肌に感じる空気も冷えてきている。
 どうりで、眠い筈だ。
 大きく欠伸を一つして、ウィアは思う。
 一仕事終わったという充実感の所為でほっとしたのか、急激に眠気を覚えてウィアは目を擦る。まだ、最後の仕事が残っている、恋人としては恐らく一番の難問だ。自分を叱咤して、けれど顔は笑顔のままで、ウィアは眠気覚ましに背伸びをした。

 窓の外に見える向かいの屋敷からは明かりが消え、外に広がるのはただの暗闇だった。あの家の主も確かリパ大神官の家だったかと思い出し、それなら明日の朝も早いだろうしなと納得する。もっとも、テレイズはまだ起きているようだから、我が兄ながら、明日は大丈夫なのだろうかと少しだけウィアは心配になる。
 それでも、調べ物で遅くまで起きたりしても、テレイズが遅刻をするのは見た事がないから、大丈夫なんだろうとすぐに思い直したが。

 ちなみに、昔からデキのいい兄と違って、ウィアは遅刻の常習犯だった。とはいえウィアは準神官で、神殿から給料を貰っている身ではないので、朝の祈りに間に合わなくても特に怒られる事はない。いざとなったら『仕事でした』で欠席すればそれで済む身分である。そして、冒険者をやっている準神官の連中は、ウィアみたいなのが普通であった。
 既に明日は仕事があったことにしてサボリを決めているウィアとしては、朝早く起きる気などこれっぽっちもなく、それどころかほぼ徹夜覚悟だろうなと思っている。

 軽い足取りで廊下を歩き、フェゼントの部屋へ向かう。
 そうして彼の部屋の中へ入れてもらってウィアが最初に言ったのは、まずはシーグルの事だった。

「あのさ、フェズ。シーグル全部食べたぞ。美味かったって。それで、母さんの味だっってすげー喜んでたっ」

 入ってきたなり満面の笑顔でそういってきたウィアを、フェゼントはまず驚いた目で見返した。だが、すぐにその言葉に反応して、ゆっくりとその顔を笑顔に変えた。

「母さんの……彼は、覚えていたんですね」
「うん、風邪引いた時に作ってくれてたって。あいつもミルク料理好きだっていってたぜ」
「あぁ……そういえば、そうだったかもしれません」

 嬉しそうにフェゼントが微笑むと、ウィアも嬉しい。
 にこにこと自分も自然と笑顔になって、嬉しそうなフェゼントをウィアは見つめる。

「一緒に仕事した時にさ、俺、あいつの食事ってほんとにちょびっとしか食べてないのしか見てないんだよ。パンだって俺が食ってるのの半分くらいだし、それにチーズを一欠けら口入れて水飲んで終わりっていうような状態だった。料理が出ても、2,3種類を一匙づつ取ってやっと食ってる感じだった。でもフェズのスープはさ、本当に美味しそうに、嬉しそうにさ、全部ちゃんと食ったんだぜ。フェズが料理作れば、あいつの食えない病も治す事が出来るんじゃないかなっ」

 ウィアは浮かれて、フェゼントの手を取る。
 フェゼントは嬉しそうだった。
 先程のようにそこから表情を曇らせる事なく、笑顔のままだった。
 けれども、笑顔のまま、彼の空色の瞳からは涙が零れる。

「フェズ?」

 言われて初めて自分で気付いたのか、フェゼントは指で涙を拭った。

「いえその、嬉しいんです、とても。私はずっと彼に負担をかけるばかりで、彼の為に何も出来なかったので。……彼の為に出来ることがあるという事が嬉しいんです」
「うん、きっとフェズががんばれば、あいつも普通に食えるようになるよ。だってさ、俺、シーグルが美味いっていうところも、あんなに嬉しそうに食べるところも初めて見たんだ。普段のシーグルはちょびっとの食事さえ、全く楽しくなさそうにさ、多分無理矢理食べてる。俺は食べるの大好きだから、食べる事が嬉しくないなんてすごい勿体ないし、悲しい事だと思うんだ」

 フェゼントが笑顔を曇らせて、眉を寄せる。
 けれど、その顔は何時ものような罪悪感を感じて苦しむ表情ではなく、単純に弟のシーグルを心配する兄の顔だった。

「そんなに、酷いのですか」

 ――ほら、フェゼントはシーグルを嫌ってなどいない。大事な弟だと思ってる。
 その事を、本当ならすぐにでもウィアはシーグルに伝えたかった。

「シーグルが屋敷で食事とらないのだってさ、コックやじーさんに、食べるかどうか監視するように見られているのが辛かったからだっていってた。仕事を終わらせた村人にご馳走されるのも、食べられない事で気分を悪くさせるのが困るって、やっぱり辛そうだった。本人はもう慣れて辛くないっていってたけどさ、辛くない筈なんかないよな」

 フェゼントの瞳からは、また一筋涙が落ちる。
 最初の涙が嬉し涙なら、今の涙はシーグルの事を思って彼の為に流した涙だろう。

「そう、ですね。昔から彼は我慢強くて、痛くても苦しくても滅多に弱音を吐きませんでしたから……」

 顔を手で覆って、フェゼントは鼻をすんと鳴らす。
 こんなに思いやり合う仲なのに、何故、うまくいかないのだろう。
 一体何故、こんな事になってしまったのか。
 それを、ウィアは聞きにきたのだ。
 だから静かに泣くフェゼントに、ウィアは意を決して声を掛ける。

「あのさ、フェズ……」

 声の調子でいいたいことがすぐに分かったのか、フェゼントのすすり泣きが止まる。

「えぇ、分かっています。全て話す約束でしたね」

 ゆっくりとフェゼントは顔を上げる。
 その瞳にはもう涙はなく、決意をした者の強い瞳だった。

「では、まずは……私達の父と母の話からしましょう――」

 フェゼントが表情を消して話し出すのを、ウィアは黙って聞いていた。






 彼らの父親はシルバスピナ家の跡取で、シーグルとそっくりの銀髪に青い瞳の騎士だった。母親は、彼と冒険者としてよくパーティを組んでいたリパの準神官で、フェゼントと同じ金髪に近い茶色の髪と明るい茶の瞳の女性だった。
 二人は愛し合ったものの、父の父、シルバスピナ卿の猛反対を受けて駆け落ちした。
 やがて二人には子供が生まれた。だが、二人目の子供であるシーグルが4歳になった時、シルバスピナ家から迎えが来て、シーグルは無理矢理連れて行かれてしまった。

 シルバスピナ家には、王が初代当主の銀の髪から家名を付けたという事から、銀髪の者が家を継ぐ決まりがあり、三人の兄弟の中でシーグルだけが銀髪だった。

 両親は当然シーグルを取り返しにいったが、父親かシーグルか、どちらかをシルバスピナ家に跡取として残せといわれ……父は残る二人の子供と妻を見捨てる事が出来る筈もなく、結局シーグルを差し出す事しか出来なかったと、フェゼントは深夜に二人が話しているのを聞いた事があった。

 シーグルがシルバスピナに引き取られた後、隠れる必要がなくなった父親は騎士団に入ったが、とある地方の暴動騒ぎで命を落とした。
 遺体は妻の待つ家には返されず、シルバスピナ家に返された。

 その所為なのか、母親はそれ以後精神的におかしくなっていった。

 彼女も冒険者として家計を支える為に仕事を始めたが、精神は益々病んで行った。
 体さえも壊し、父親に似ている所為か、それとも罪の意識の所為か、シーグルのことばかりを話すようになり、フェゼントと下の弟であるラークの事をまったく分からなくなった。いる筈のないシーグルを探し、見た筈もない彼の成長した姿を話し、他の子供達は最初からいなかったかのように忘れた。
 やがて、その母親も死亡する。
 そこへ、十年ぶりにシーグルが、恐らく母の訃報を聞いて姿を表した。
 その時にフェゼントは言ったのだ。
 家のドアを空けた途端、顔を上げたフェゼントに向かって、兄さん、と呟いた彼に。

『貴方に兄と呼ばれる筋合いはない。今更来ておいて、まだ家族だと思っていたのですか』

 そこまで話すと、フェゼントは感情を抑えきれなくなったのか、顔を手で覆って肩を震わせた。

「私が悪いんです。母の理想通りの立派な騎士姿の彼に嫉妬して、彼を酷く傷つけたんです。ですから私は、彼に今更兄と呼ばれる資格なんかないんです」

 後悔の涙を流すフェゼントを見て、ウィアは思う。
 確かに、悪いのはフェゼントだろう。けれども、彼が責められるべきかと言われれば違うと思う。
 ウィアは、未だ顔を上げないフェゼントを、抱き締めるというよりも両手で覆うようにして包むと、額同士をこつんと合わせた。

「うん、確かにフェズが悪い。……でもさ、俺、フェズの気持ちわかるよ」

 ぎゅっと腕に力を込めれば、フェゼントが恐る恐る顔を上げる。
 だからウィアは、出来るだけの満面の笑顔をフェゼントに向けた。

「うちの兄貴って昔からやったらデキ良くてさ、俺はまぁ頭の方も身長も何にも普通以下だったからさぁ。物心ついた時から兄貴と比べられてて、んであのすかした性格だろ、もうガキん時は大嫌いだったんだよな」

 そこで、今でも嫌いだけどな、と歯を見せて笑ってみせれば、フェゼントが僅かに笑みを漏らす。

「どうにかして兄貴に一泡吹かせてやりたくていろいろやったんだけどさー。なんか全部読まれてて成功しなかったんだよな」

 言いながら、道化じみた動作で顔を難しそうに顰めて悩むふりをしてみせる。
 フェゼントは明らかに微笑んだ。
 それを見てウィアも嬉しそうに微笑むと、すぐに顔から笑顔を消して話を続ける。

「でさ、うちの両親事故で死んだんだけどさ、死んだ時、年齢上仕方なかったんだろうけど、兄貴にだけ知らされて、俺かなり長い間二人が死んだの教えてもらえなかったんだよ。だから俺は何も知らなくて、俺達がこの後どうするかとか全部兄貴が決めちゃってさ、それで忙しかったんだろうけど、俺ずっと親戚の家にほっとかれたんだよ」

 ――親戚の家で、ウィアは訳のわからない状況に反発して、叔父や叔母を困らせるようになった。頭が良くて何でも出来るテレイズは親戚の間でも評判だったから、ウィアが何かをする度に、テレイズと比べられて愚痴られる事が多かった。あげくの果てには、すっかりデキの悪い子供扱いで、ウィアが何をいっても聞いてもらえなくなった。
 そしてその家で両親の死を知り、デキのいい兄は引き取りたいという親戚が多いものの、まだ幼く厄介者のウィアは引き取りたくないという者ばかりだという事を知った。テレイズは兄弟共に引き取ってくれる先を探そうとしていたから、苦労しているという話も。

「俺っていらない子なんだなって思ってさー、いやもうクサったクサった。挙句にやっとの事で二人共で引き取ってくれる親戚を見つけて迎えにきた兄貴にさー、なんかもー忘れたけど相当無茶苦茶な事いって責めたんだよな」

 ウィアは笑顔で話しを続ける。
 けれどフェゼントは、ウィアの身の上話を聞いて辛そうに顔を曇らせる。
 ウィアはそんなフェゼントにしっかりと抱きついて、その肩口に顔を埋めた。

「自分はいらないんだって、思うのはすごく辛いよな。嫌いな人間にそう思われるのだって辛いのに、それが大好きな母親からだったらもっと辛いよな。フェズはそれでもがんばってたのに、自分が欲しくて得られなかったモン全部持ってるシーグルを見て、辛かったのが抑えられなくなったんだろ」

 今度はフェゼントがウィアの肩に顔を埋める。
 ぎゅっと、フェゼントの手がすがるようにウィアの服を握り締めて、その体が震えているのが分かった。
 ウィアは、暫くフェゼントが落ち着くまで彼を抱き締めて、そしてゆっくりと顔を上げる。

「神官やってる俺がいうのも何だけどさ。人間ってのは本物の聖人君子なんてまずいないからさ。妬むし、羨むし、悔しいって思う生き物だから、それで相手に酷い事言う事だってあるさ」

 フェゼントも顔を上げてウィアの顔を見る。
 ウィアは少し首をかしげて微笑んだ。

「人を傷つけた事ない人間なんかいない。失敗した事のない人間も、後悔した事ない人間もいない。……でも、相手が生きていれば、いくらでも謝れるし、やり直せるさ」

 フェゼントが苦しそうに、それでも笑みを浮かべる。

「本当に貴方は……ありがとう、ウィア」

 言われてウィアは照れくさそうににっと笑うと、フェゼントに再び抱きついて、頬を摺り寄せた。

「俺はシーグルのことでフェズが苦しそうにするのは見たくないんだ。だから、後悔してるなら謝って、それでさ、シーグルの話をしても笑えるようにしよう」
「そう、ですね」

 フェゼントが今度はちゃんと微笑んで、ウィアを抱き締めてくる。
 二人で頬を擦り合わせて、そして、自然と唇を合わせる。
 ちゅ、と可愛いキスから始まって、お互いを求めて舌を絡めるまで。
 キスが深くなるにつれ、抱き締める互いの腕に力が入る。もっと、相手を引き寄せようとする。
 唇を離せば、お互いの瞳に情欲の色を見つけて、フェゼントは恥ずかしそうに、ウィアは嬉しそうに笑った。

「フェズ、大好きだ」
「私もです、ウィア。貴方はいつも私を救ってくれます」

 そんな大層な事をした自覚がないウィアは、そこで目を丸くする。

「俺、そんなすごい事してないぞ」
「いえ、貴方はすごいですよ」

 なんだか意味がわからなくて、ウィアは眉を寄せて考えてみるものの、いつも通り、考えても仕方ないかと早々に諦めた。
 そんなウィアを、フェゼントは笑顔で見つめる。

「まぁいいや、あのさ……続き、しちゃだめ……かな?」

 ウィアが断られる事を覚悟で、それでもそちらについては諦めきれずに言えば、今度はフェゼントは笑顔のままだった。

「私も、貴方が欲しいです、ウィア」

 ウィアの顔には、今日一番の笑顔が浮かんだ。

「本当に? いいのか?」
「えぇ、でもその……」

 あまりにも喜んだウィアの顔に不安になったのか、フェゼントが少し戸惑うように言葉を詰まらせると、理由がわかったウィアはすぐに返した。

「いや、俺が下でいいよっ。……フェズにはさ、抱かれる方は……嫌な、思い出があるんだろ」

 フェゼントは少し苦しそうに俯く。
 ウィアが心配で顔をのぞきこむと、彼は辛そうな笑顔を浮かべて、そのウィアの顔を見返した。

「騎士になったばかりの時に、騎士団の人に無理矢理……。だから私は、きっと罰が当たったんだと思ったんです。彼に酷い事をいった罰が当たったと。実際、彼を避けずにちゃんと話を聞いていれば、そんな目に会わなくて済んだのですから」

 その言葉を聞いたウィアは、むっとしたように顔を顰める。
 その反応が意外だったのか、フェゼントは少しだけ驚いた顔をした。

「罰ってのは、罪を償えない人間が受けるもんだ。自分が酷い目に合うことで償うっていうのは、そりゃぁ聖人様のお話には出てくるけど、俺はあれは違うと思う。償うなら正しく、償うべき相手に償うべきだと俺は思う」

 言ってから未だに驚いた顔をしているフェゼントに、ウィアは少しバツが悪くなって目を逸らした。

「まぁといっても、不良神官の俺だからこんな事いうんだけどな」

 フェゼントは笑う。

「いえ、すごいですよ、ウィアは。貴方はとても神官としても素晴らしいと思います」
「え? えぇぇ?」

 自分でも神官落第生を自覚をしているウィアは、勿論、神官として褒められた事は初めてだった。
 だから無性に恥ずかしくなってしまって、頬が熱くなってくる。
 顔を真っ赤にして視線が定まらないウィアの様子がおかしかったのか、フェゼントは声を出して笑って、そしてキスをしてくる。
 ウィアは大人しくそのキスを受けると、フェゼントの首に手を回して引き寄せた。


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次はフェゼント×ウィアの甘々H。



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