【4】 夕日のような赤い髪を振り乱して、女が喘ぐ。 うっとりと、彼女の望む男の姿をその瞳に映して。 まったく違う男の姿に、かつて彼女を捨てた男を重ねて、彼女は悦びの声を上げる。 現実を見ず、夢の中で生きているような女にとっては、きっと今はこれ以上なく幸せなのだろう。 だから、その首に手を掛けた。 それでも、女の顔は幸せそのものだった。 やがて、手にその体から力が抜ける感触が伝わってきても、彼女の顔は笑っていた。 ――もう、何度もみた光景。 事切れる女の姿を、自分はただ見ている。 何度も見すぎて、もうなんの感情も持たない、女の死体。 見下ろす女の死体は、だんだんと体温を失くしていく。 艶やかに上気していた頬から色味が失せ、その肌が青白く変色していく。 その死体の顔が。 赤い髪が。 完全に体温を失った、冷たい肌と共に変わる。 銀色の髪の、目を閉じると驚く程幼く見える彼の――。 「――――ッ」 目が覚めて、セイネリアは今自分が叫んだでのはないかと思った。 それは『あの時』から何度も見た夢で、通常なら悪夢と呼ばれるものだろうが、それだけならセイネリアにとって日常すぎていて特にどうという夢ではなかった。 けれども、最後に見たあの顔は――。 触れる肌の冷たさと、人からモノになってしまった死体の感触を思い出して、セイネリアの手が震えた。今の夢は、セイネリアにとってまさに悪夢であった。 「ボス?」 背中越しに聞こえた声に、すぐに我を取り戻す。 彼女なら、気配だけで今のセイネリアの様子に気づいただろう。それでも、相手が彼女であれば問題はなかった。 「……なんでもない、カリン。気にするな」 「はい」 忠実な部下である彼女は、たとえ何かに気づいていたとしても、セイネリアにそれ以上を聞く事はない。セイネリアが忘れろといえば、彼女は、もし今セイネリアが何か叫んでいたとしてもその事実を忘れる。セイネリアが忘れるだけでは不満だから死ね、といえば、彼女は躊躇なく自害するだろう……彼女は、優秀で忠実なセイネリアの道具なのだから。 ――こんな夢を見るようでは、ヘタな人間と寝る事も出来ないか。 自嘲に口元を歪めて、セイネリアは思う。 ――どうやら本気で、自分にとってシーグルは致命的なカードになっているらしい。 カリンは何も言わない。 けれども背に触れる肌から、いつもと違う主人の様子を感じとって緊張している様子がわかる。長い付き合いだからこそ、彼女にとって、自分のこんな状態は不安要素であろうと思う。 暫く考えた後、セイネリアは口を開いた。 「カリン」 「はい」 「これから話す事は、聞いたら忘れろ。ただの寝物語だ」 「はい」 今まで誰にも言う事がなかった、昔話。 遠い過去の話を、何故だか今は言う気になった。誰かに伝えたいのではなく、ただ、それが事実であったという事を自分に聞かせる為に。 「なぁカリン。俺の名前、似合わないと思わないか?」 セイネリアは口を開く。 顔には自嘲の笑みだけを張り付かせて。 「どう考えても似合う訳がない……普通は女につける名前だからな」 語尾には馬鹿にしたように軽い笑い声さえ混ぜる。 セイネリアというのは花の名前だと、後から人にいわれて自分でも似合わなすぎて笑った事がある。今では誰もいう事はないが、まだ駆け出しの冒険者の頃はそれで馬鹿にされた事が何度もあった。それでも、セイネリアはその名前を名乗るのを止めなかった。 「俺の母親は、いわゆる場末の娼婦で、俺が生まれる前から狂ってた。……よくある話だ、好きだった客の男に捨てられておかしくなったらしい。まぁ、捨てられただけの時点では多少ノイローゼ気味程度だったらしいが、その時身ごもってた子供が生まれてすぐに死んで、そこから完全におかしくなった」 何故だか、話せば話す程、冷静になっていく自分をセイネリアは感じていた。 これはもう何の感傷も湧かない過去の話。みじめな女とみじめな子供の昔話。首都の裏通りの娼館では珍しくもない話の一つだった。 頭は多少おかしかったとしても、相当の美人と言えた女に、店側は構わず客を取らせ続けた。そして女は、捨てた男と同じ黒髪の男の客を好んで取った。セイネリアの父親は恐らく、そうして女を買った客の一人だったと思われた。 子供の頃のセイネリアには、育った娼館が世界の全てで、父親なんて探そうと思った事もなかった。周りにはそういう子供しかいなかったし、母親さえいれば十分だと思っていた。 ……そう、自らの名前の事実を知るまでは。 「俺が生まれた時、おかしくなってた女は、死んだ子供……それが女児だった訳だが、それと同じ名前を俺につけて、子供が死んだという事実を忘れた。誰か分からない男の子供を、自分が愛してた男の子供だと思い込んだ。だからあの女にとっては、俺は先に生まれて死んだ娘だった訳さ。 だが、さすがに子供の頃はまだしも、大きくなってくると俺は『娘』には見えなくなってきたんだろうな、あの女は俺の事を『誰?』と言い出した」 その時に、セイネリアは自分の全てを否定された。 母親からの愛情が、自分のモノではない事を知った。 幼いセイネリアを異常なまでに溺愛した母親。 だがそれは、セイネリア自身ではなく既にいない娘の事だったのだと彼は理解した。母親にとっては、自分は存在しない人物だという事を知った。 自分という人間が、生きる意味も価値もない人間だという事を知った。 だから、彼はその娼館を飛び出して、冒険者として一人で生きる事を決めた。 強くなれば金が入る、人の上に立てる。単純な力差関係が成り立つ冒険者という職業は、なにももたない人間が成り上がるには最適だった。 自分に何も価値が無いのならば、自分という存在の意味を自分で手に入れる。誰もが認めずにいられないだけの力を、自分自身で手に入れればいい。 セイネリアは只管に強くなる事を目指した。どうせ何も持たぬ自身、壊しても構わないと思っていたセイネリアは、相当の無茶と、手段を問わぬやり口で力だけを求めた。 「騎士になり、それなりに金も力も手に入ってから、俺は飛び出した娼館にいってみた。驚いた事に、あの女はまだ生きていた。俺は実の母親であるあの女を買って抱いた。あの女にとって好きな黒髪の俺は、たいそう気に入ったらしくてな、俺の上で喜んで腰を振っていた。知らない男の名前――多分、捨てた男の名前だろうな、それを呼びながら、善がり狂ってた」 久しぶりに会った母親を、驚く程冷静な目で見ていた自分をセイネリアは覚えている。 生きていた事に、驚くよりも実際は落胆したような覚えさえある。 ただ、世間一般に言われているような、母親への思慕のようなものは、まったく感じなかった事だけは確かだった。 「俺の精液をぶちまけられて恍惚としているあの女を見て、俺はその首を絞めた。寝る事しか知らないような女の首は、簡単に潰れた」 ロクでもない場所のロクでもない商売、しかも死んだ女は狂ってる。少し金を積んでやれば、娼婦一人が殺されたくらい事件にはならない。 「母親を殺しても、俺は何も感じなかった」 セイネリアの声に、感情は一切ない。 何度彼女を殺す瞬間を夢にみても、それが悪夢だと思った事はセイネリアにはなかった。ただ、過去の場面を繰り返し見せられるだけ、退屈な映像を見ているだけの気分だった。 ……死んだ母親の顔が、シーグルの顔に変わるまでは。 「ボスは、母親を深く愛してらしたのですね。……殺す程に」 言われた言葉に、セイネリアは目を閉じて考えた。 「すいません、私が発言をするべきではありませんでした」 彼女も咄嗟に言ってしまったセリフだったらしく、すぐに気付いて自分の失態を謝る。 「いや、いい」 セイネリアは考える。彼女の言葉の意味を。そして、何故あの夢の中で、母親の顔がシーグルに変わったのかを。 「どうせ、忘れる話だ。今ならお前が思った事を言っていいぞ」 言われて、彼女は、少し考えているのだろう、暫くの無言を返す。 けれども、考えながら、戸惑うように話し出す。 「私が思っただけです。ボスは母親を愛してらしたから殺したのだと思います。だって貴方は、余程の理由がなければ自らの手で人を殺さないでしょう?」 今度は少しだけセイネリアは驚いた。 「成る程、そういう見方もあるか」 確かに、自らの行動を辿ってみれば、それは間違ってはいないのかもしれない。 セイネリアは、どうでもいい相手なら放置するし、敵であれば殺すよりも相手が逆らえなくなる程のダメージを負わせるか利用する方をとる。殺さなければならない状況というのは、自分側が余程余裕がなくて、殺すという手段でしか切り抜けられないと判断した時くらいだろう。 だから、確かに。 彼女の言い分からして、母親に対して本当に何の感情も持っていなかったのなら、自分なら間違いなく放置した筈だ。 セイネリアは考える。 そのセイネリアに、カリンが自信がないのか、更に細い声で付け加える。 「……ボスの母親は、その時貴方に殺されて幸せだったと思います」 「そうか……」 「はい」 カリンはそれで、再び言葉を返さない忠実な部下に戻る。 そしてセイネリアも、それ以上話を続ける気はなかった。 「話は終わりだ。俺はもう少し寝る」 「はい」 目を閉じたセイネリアは、考える。 ――俺は、怖い、のか。 彼を失う事が。 考えただけで心が一瞬で冷える程、シーグルを失う事を怖いと、セイネリアは自覚せざる得なかった。 狂言だったとはいえ、血溜まりの中に倒れている彼を見た時の自分の無様な反応を思い出せば、嘲りと共に心が軋む。 つまり、それだけ、彼を失う事が怖いのだ――彼を愛しているのだと、その事実にぞっとした。今まで、何も執着を持たずに生きてきた男は、自分のこの感情がどれ程強く、今までの自分を壊す程に蝕んでいるのか、それを予想出来ずに途方に暮れる事しか出来なかった。自分の中に生まれた、この執着の深さの底が見えずに恐怖するしかなかった。 そして認めてしまえば、また――その彼を自分が望むカタチで手に入れる事が決して叶わぬ事も分かって――セイネリアは、その救いのなさに自らを嘲る事しか出来なかった。 --------------------------------------------- どうにもキリが悪くて短くなってますがすいません(==; BLなのにセイネリアとカリンの事後を匂わせるシーン……お気に障った方がいなければいいのですが……。 |