【5】 ノックの音に反応して、ホーリーがドアを開けにいく。 次に彼女が連れてきた人物を見て、サーフェスはにっこりと笑みを浮かべた。 「そろそろ、来るんじゃないかと思ってたとこだよ」 「本人に会うには禁止令が出てるからな」 サーフェスの嫌味な程の笑顔にも軽く笑みで返して、セイネリアは壁の傍の椅子に座る。サーフェスとホーリーの部屋、兼、時折診察室でもあるこの部屋のその椅子は、セイネリア専用で置いてあるものだ。彼が座った事で、ホーリーが茶を用意しにいくのもいつもの事。椅子に座るという事は、じっくりと話があるという事になるからだ。 「まぁ流石に、何の用、とは聞かないけどね」 クスクスと笑いながら、サーフェスは整理中の薬品や薬草を箱にしまうとセイネリアに向き直った。サーフェスにとっては、セイネリアの用件は何よりも優先される。それが、ここにこうしている為の誓約だった。 この傭兵団にいるものの内数人は、何かと引き換えにセイネリアに絶対的に従う事を約束している。ただし、セイネリアは実さえあれば表面的な事は気にしないから、ハタから見れば、セイネリアに対する口調や態度では、契約している者達がそこまでの主従関係にあるようには見えない。だが実際のところは、この傭兵団である程度の地位や実力を認められている者たちは大抵、セイネリアと絶対的な主従関係の契約をしている。 勿論、彼らはただ契約の為だけで従っている訳でもなく、大抵の者はセイネリア自身の力量を以って主と認めているというのもあるが。 「あの坊やの事だよね。一応エルが簡単な症状を伝えたと思うけどー……。まぁ、他に問題はなさそうだから、体力さえ回復したら一応普段通りになるんじゃないかな」 楽しそうにやはりクスクスと笑いながら、立場的にこんな態度をとったら普通は命がないだろうな、とサーフェスは思う。 いくら部下の態度を気にしないセイネリアであっても、サーフェス程彼が不機嫌になるだろう態度をとるものはいなかった。あからさまに嫌味をいったりするのもサーフェスくらいだ。 サーフェスとしては、それでセイネリアという人物を計っているのもあるのだが、今のところ彼の主は、嫌味や不快な態度くらいはあっさりと無視してくれる。――余程懐が深いのか、無頓着なのか、事務的なのか。未だに彼を計りきれていないが、少なくとも従うに値するだけの人物ではある事は確かだろう――それが今のところのサーフェスの感想で、今こうしてここにある事に彼は後悔をした事はなかった。 嫌味な笑みを浮かべるサーフェスに、セイネリアはまったく気にした様子もなく、いつも通りの感情の見えない声で聞いてくる。 「一応な。お前の事だから、その他にもあいつに関して言いたい事があるんじゃないのか」 ふむ、とサーフェスが笑みを収めて、セイネリアの顔をじっと見つめる。 顔の表情程度じゃセイネリアの意図は読めない事は承知の上であったが、少しばかりいつもと様子が違う気がするし、同じような気もした。こちらの返事を待つ訳でもなく、静かに茶を飲むセイネリアの顔からは、別段そこまで彼に関して強い関心があるとも思えないように見えて、サーフェスは少し首を捻る。 ―――でも、そんな事はないよね。 わざわざたった一人の為に足を運んで、詳しい容体を聞きにくるというのは、何か特別な理由でもなければ説明がつかない。それどころか、彼に関しては、セイネリアは一度壊そうとしてそれを止めた事もあるのだ。あの時から、シーグルという存在がセイネリアにとってどんな意味を持つのか、サーフェスはずっと考えていた。 サーフェスはだからまだこの時は、セイネリアのシーグルに対する特別扱いには、ただのお気に入りだけではなく、何か別の件が関わっていると思っていた。今までの事を考えれば、それが自然で一番納得がいく理由であるからだった。 「まぁそりゃね。無茶ぶりは事前に聞いてた通りかな。目が覚めてすぐにベッドから抜け出したものの、動けなくてベッドの下で藻掻いてたよ。マスターは外出中だったし、僕とホーリーでベッドに持ち上げるのに苦労したなぁ」 聞いたセイネリアは、僅かに眉間に皺を寄せる。 サーフェスは少しだけそれに驚いた。 こちらが裏を探ろうとしている時に、こんな分かりやすい反応を見せるなんて、それだけでも彼らしくない反応だった。 「とりあえず、やっぱり食事は出来ないっていうから、今は栄養剤飲ませて寝かせてる。まぁ、何気に素直みたいだから……あーもしかして最初の時にこっちに迷惑掛けたって負い目があるのかもね、今はやけに言う事聞いてくれてるから、多分まっすぐ歩けるようになるまでは、大人しくしててくれるんじゃないかな。 あぁ、マスターが会わない限りは、って条件つくけどね」 明らかに不機嫌、とまではいかないが、セイネリアの表情は憮然として不快そうに見える。嫌味に一々腹を立てるセイネリアではないだろうから、彼の不機嫌の理由はどこにかかるのか。興味深い状況に、サーフェスは我知らず自分でも口が軽くなるのを自覚した。 「後はまぁ少しづつね、容態の確認も兼ねていろいろ聞いてみたんだけど、なかなか面白かったよ、彼。そこまで極端に食べれないっていうと、興味があるからね。例えばそれは身体的な原因か、精神的な原因か、とか」 セイネリアの気配が一瞬だけ揺れる。眉間の皺がなくなり、瞳がじっとサーフェスを見据えてくる。つまり、セイネリアが聞きたかったのは、ここからの話なのだろう――僅かに意図が分かりだして、サーフェスは口元に笑みを浮かべた。 「それで、お前はどっちだと思う?」 聞いてくるセイネリアの顔に表情はないが、わざわざ聞き返してくるという事はそれだけ関心があるという事だ。 「そうだね、簡単にいえばー……本人は身体的要因だと思ってるけど、実際は精神的要因のが強いだろうね」 セイネリアが僅かに目を伏せる。 「やはり、そう思うか」 この男が今感じている感情は何なのか、サーフェスはそれが気になるが、まだその顔からは読み取れない。 「医者の特権でハッキリ原因を聞いてみたんだけどね。どうにも子供の頃にハンストして相当マズイとこまで食事を食べなかった事があったらしくてね、それから体が食事を受け付けなくなったらしいよ。……マスターは聞いた事ある?」 ちらりと伺うようにセイネリアを見れば、彼は自嘲するような笑みを口元に乗せて首を振る。 「いや……最初の頃だったら、聞いたら話したかもしれんがな」 ―――あれ、まさか。 ふいに、サーフェスには分かってしまった。 見せかけでなく、セイネリアの今の表情は本当のものだ。何故かそう確信出来てしまった。 それと同時に、思わず出る溜め息。 伺うような笑みさえ、顔から消えていた。 「ハンストした理由まではハッキリ言わなかったけどね。食事を食べない所為で衰弱しきって死にそうにまでなったらしいね。それ以後、どうしても食べれなくて、最低限の栄養を取れる程度までにするのも相当苦労したそうだよ。……んで、どうにか食べられるようになったものの、ちょっとしんどい事があると、前みたくまったく食べれなくなるんだってさ」 「そうか……」 呟いたまま、セイネリアは何か考えるように視線を外す。 その顔に表情らしい表情はなかったものの、サーフェスには常なら読めない彼の感情が、今は簡単に分かってしまった。 ―――なんだ、この男も、人間だったという事か。 裏を探ろうと考えて分かったのは、裏がないという事だった。 単純な話だ、シーグルに対する特別扱いは、セイネリアにとって彼がそれだけ特別な人物だったというだけ。立場ではなく、セイネリア個人として、彼の感情面での、大切な存在。散々読もうとしていた彼の感情は、ただ単にシーグルという青年を心配していたのだ。 けれどサーフェスは、その先を考えたくなくて顔を振る。 「精神的にきつい時に余計食べれなくなるって時点で、そもそも食べられないのが精神的理由だって誰だってわかるだろうにね。まぁ、認めたくないんだろうけどさ。体の所為にしちゃったほうが、自分の所為じゃないって思える。自力でどうにかなる問題じゃないからって諦められる。一種の逃避だね」 いいながらセイネリアの様子を伺えば、彼の眉間には目に見えて不快そうな皺が寄る。 「逃避か……逃げる程あいつが弱いと?」 ―――あぁ、貴方がそんな顔するのを見る日がくるなんてね。 考えるだけで溜め息が出る。こんな事態はサーフェスの想定外だ。 「そうとは言ってないよ。むしろ弱くないから自分のストレスを外に出せないのさ。誰かの所為にも出来ず、全部自分の所為にして溜め込んで、それでも無理やり強さを保っているからツケは全部肉体に行く、自分で自分の体を壊す。珍しい話ではないね。 ただまぁ、彼の場合はそんな自分さえ許せないのかもね。へたすると、もう、体の所為にでもしないと自我を保てないのかもしれないくらい追い詰められている可能性もあるね」 セイネリアの唇が更に歪む。 サーフェスが今言った事を、セイネリアがまったく予想していなかったとは思えない。なのにわざわざ聞いてきたという事は、多分、セイネリア自身も出来ればそうではないと思いたかったのだ。 「彼の性格を考えたら、カウンセリングや本人の努力によって症状の改善をするのは難しいだろうね。というか、彼自身に治るように努力させようとしたりしたら、それこそ余計に悪化するんじゃないかな。だからそれよりは、彼をそこまで追い詰めているストレスの原因の方をどうにかするのがいい。マスターは、何か聞いてない?」 サーフェスがあまり期待せずに聞いてみれば、今度はすぐに否定されずに、一息分の間を置いて、呟きのような静かな声が返ってくる。 「多分……子供の頃というなら、家族の事だろうな。あいつは子供の頃は親兄弟と普通の家庭で暮らしていて、ある日実家の爺さんにあいつ一人だけ貴族の跡取として連れてこられたそうだ」 それ以上は聞いていないが、と独り言のように続いて、セイネリアは唇にまた自嘲の笑みを刻む。瞳は遠くを見つめ、何かを考えているよう見える。 「成る程ね」 サーフェスは溜め息というよりも、天を仰ぎたいくらいの気持ちになった。セイネリアが今、サーフェスの予想通りの感情であるのなら、それは彼にとって破滅と隣り合わせの危険を伴う。だからサーフェスは、確信していて尚、それが間違いである事を祈らずにはいられなかった。 「小さな頃に理不尽に親から引き離されれば、確かに子供が負うにはきついストレスになるだろうね。単純に考えたら、家族とまた暮らせるようになれば彼のストレスは解消されるんじゃない?」 「親はどちらも死んでいる。そして兄弟とは……もうすでに一緒に暮らしている」 サーフェスは、肩を上げて首を振る。 というよりも、この話題を続ける事が既に嫌になっていた。 「それじゃ、ちょっと解決策は分からないな。何かまだあるのかな、親がいればよかったのかもしれないけど、兄弟と暮らし始めてみたものの確執みたいなのがあるとか」 それにはセイネリアも、僅かに首を横に振る。 「それは分からん、そこまでの話は聞いた事はないな」 見た目上は、いつものように淡々と話しているように見えるセイネリアだが、内心の感情が揺れているのがサーフェスには分かってしまう。 だから、それ以上はそんなセイネリアを見たくなくて、サーフェスは椅子から立ち上がると窓に向かって歩いていく。それから、外を見るふりをして、彼を見なくても済むようにすると言葉を続けた。 「僕の見たとこだと、彼はすごい危ういね。長生きは出来ないタイプだよ。いつもで神経を張り詰めて自分を追い詰めて……あの状態のままだと、いつか破滅するだろうね」 セイネリアは何も答えない。 けれども、彼が動揺しているのが気配でわかる。だから、サーフェスはセイネリアの顔を見ない。 「分かってると思うけど、こうしてマスターが彼に関わっているのも、彼を追い詰めてる大きな原因の一つだろうね。貴方みたいな人が、あんな正反対の立場の人間に関わるべきじゃない。今までみたく、相手が破滅してもいいなら口を出さないけど……そうじゃないんでしょ」 言えばすぐに、セイネリアの声が返ってくる。 「……少なくとも、今回、あいつがあんな無茶をしていたのは俺の所為だな」 声に感情はない。淡々とした声は、あくまでも静かだ。 それでも、サーフェスは今はまだ彼の顔を見る勇気はなかった。 「あいつが無茶をし出す直前、あいつはパーティ登録を全部消していた。俺に関わった所為で知り合いに迷惑を掛けない為だろう、あいつの考えそうな事だ。……確かに俺は、あいつを破滅させる方向にしか連れていけない」 セイネリアの葛藤は、サーフェスには分かる。 だが、それ以上に、その感情の行き着く先も分かっている。 「貴方にとっても、だよ。彼は貴方の弱点になる。ヘタをすると貴方自身も破滅する事になる」 それには一瞬の沈黙が降りて。 それから自嘲を含んだ声が返ってくる。 「……わかっているさ」 いうと同時に、セイネリアが立つ気配がする。 話は終わりという事だろう。 サーフェスはゆっくりと振り向いた。まだ、セイネリアは部屋を出ていってはいなかった。 「彼が死んでから僕のところに頼みに来ないでね、僕は……僕と同じ過ちを他人に犯させるつもりはないんだ」 セイネリアは、分かったというように、手を軽く上げると部屋を出ていった。 --------------------------------------------- また会話回ですいません。サーフェスさんの過ちについてはそのうち。てか傭兵団の主要メンバーは大抵訳ありなんで、全員の話書いてるとキリないっちゃないんですよね(==; |