神官は剣に触れられず




  【4】




 中央広場へ向かう通りは人が多く、その大半が冒険者であるからか服装も人種もさまざまで、その中を力ない足取りで歩く小柄な二人の事など誰も気にとめない。

「それで、今日はシーグル何処行ったんだって?」

 思い切ってウィアが顔を上げて聞けば、考え込んでいるようだったフェゼントも少し驚いて顔を上げる。

「今日はヴィド卿に呼ばれたという事で、城の方に行っているそうです」
「ヴィド卿ってのは城にいるような偉い奴なのか?」

 流石に今のウィアの発言はフェゼントでなくても気が抜ける。その辺にいる町の子供でさえ、ヴィド卿の立場の詳しいところまでは知らなくても、国の行事によく出て来る偉い人程度の知識はあるだろう。

「ウィア……それを知らないのはちょっと……リパ神殿の礼祭とかに必ず出席していたでしょう?」
「いあー……そういうのは大抵サボるか、出てても話なんか聞いてなかったし……」
「……それは神官としては流石にちょっと……」

 胸を張って答えたウィアではあったが、フェゼントにそこまで言われれば軽く落ち込む。落ち込む素振りで下を見て、それからちらりと上目使いで見返せば、フェゼントはその叱られた子供のようなウィアの仕草に思わずくすりと口元に笑みを浮かべた。

「テレイズさんが言ってましたよ。ウィアは興味ある事と覚えなければいけないって強制された事以外は、信じられないくらいモノを覚えないって」

 兄の名を出せば途端にぷぅと頬を膨らませて口を尖らせるウィアの反応に、フェゼントは目を見開いた後、我慢出来ずに吹き出した。今度は肩を震わせて声を出してまで笑うフェゼントに、ウィアも満面の笑顔を浮かべた。

「うん、落ち込んでたってさ、いい考えが思い浮かぶ訳じゃないし、どーせならもっと前向きに考えようぜ、フェズ」
「前向き……ですか」

 沈んだ空気はなくなったものの、それでもまだ不安を拭えないフェゼントに、ウィアは自信満々に言ってやる。

「そ、シーグルは大丈夫。フェズが会って話すれば、きっとすぐに解決ってさ」

 フェゼントは困ったように、けれども目を丸くして首を傾げる。

「それはちょっと……楽天的過ぎませんか?」

 ウィアはその彼にびっと指をさして、真剣な顔をして見せる。

「じゃぁさ、悲観的に考えたとこで何か変わるのか? 俺達が落ち込んでても笑ってても状況なんて変わらない。重要なのは行動に移す事だろ。そんで、悲観的に考えてるとさ、行動するのが怖くなって本当に手遅れになったりする事もある。だったら楽観的に考えて、自分を勇気づけて出来るだけ早く行動するほうがいいじゃないか」

 ウィアが言い切ると、フェゼントはその言葉を噛み締めるように、静かに目を伏せて胸に手をあてた。

「そう……ですね」

 今、ここまでシーグルを追いつめてしまったのは、まさに自分が悲観的になって行動出来なかった所為だと言う事をフェゼントは分かっている。それを後悔しているからこそ、フェゼントはウィアに見えるように笑顔を浮かべる。

「今、落ち込んでいても仕方ないですね。まだ何か出来る内は、考えないで行動するべきですね」

 やっとまた行動を起こす気力が戻ったフェゼントに、ウィアは胸を撫で下ろす。
 けれども、二人とも心の内では口に出さなくとも分かっている事があった。

 落ち込んでいても笑っていても何も変わらない。……そう、もし既に手遅れだったとしても変わらないのだ、と。







 長い廊下の行き着く場所、セイネリアの執務室へ向かって、青い髪のアッテラ神官は不機嫌そうに歩いていた。

『最近のマスターはずっと機嫌が悪い、用がなければ近づくな』

 と、いうのが、ここ数日、黒の剣傭兵団の団員達の間で当然の如く囁かれている事であり、おかげで、別件で忙しいからと雑務を他人に押しつけてあったのに、それでも副長であるエルの元に相談に来るものが後をたたない。
 ただでさえ普段から強面のあの男には、団員達は重要な用がない限り寄りつこうとはしない。のだが、ここ数日は余程なのか、単なる報告程度でさえ皆こちらにやって来る始末だった。
 忙しいエルは、ここ暫くたまたまセイネリアと話す暇がなかった。だから、どんな状況だというのだと、顔を見て文句の一つでも言ってやろうとやって来たのだ、が。

 部屋に入った途端、睨まれたその瞳に、エルは早々に硬直した。

「何の用だ」

 部屋に入る前の気合いなど一瞬で吹っ飛ぶ程に、セイネリアの纏う空気は不穏過ぎる。

「あんたの様子がおかしいって聞いたからな、ちょっと顔見てやろうと思ってな」

 それでも、それを言い切った自分を思わずエルは心の中で誉めた。
 セイネリアは口元に壮絶な笑みを浮かべると、その琥珀の瞳を手で覆う。あの恐ろしい視線に晒されなくなっただけで、エルは我知らず安堵の溜め息をついていた。

「おかしいか。……そうだろうな、俺もそう思う」

 その声に込められた自嘲めいた響きに、エルは気が付く。この男は今、機嫌が悪いというよりも、どうすればいいのか分からなくて藻掻いているのだと。
 思わず首を振りたくなるその考えに、エルの表情が険しくなる。

「今度は何があったんだ、あの、坊やに」

 呟くように聞けば、目の上を覆っていたセイネリアの手がゆっくりと下りて行く。途中からはだらりと、投げ出すように下に落ちる。
 隠すものはなくなったものの、セイネリアが上を向いた所為で、あの恐ろしい瞳はエルを見る事なく宙を見つめていた。

「まだ、何も起こってない。……ただ、止められないだけだ」
「何を?」

 聞き返した事に、セイネリアが答える事はない。
 それでもやはり、この男がここまで感情を露わにするのは、あの銀髪の騎士の所為なのだという事をエルは確信する。

 ――本当に、人間臭くなっちまったなぁ、セイネリア。

 思わず心でそう呟く程に、エルにとってはそんな彼の姿は驚くべきものだ。
 髪と同じ青い瞳を細めて、エルはじっとそんな主の様子を眺める。
 だが。

「……エル、兄弟というのは、それだけで無条件で信頼出来るものか?」

 唐突なセイネリアの質問に、驚き過ぎて、言われた内容の理解がエルは遅れた。
 それでもやっと頭が追いついて返事を考えれば、セイネリアはやはり宙を見たままエルを見る事はなかった。

「無条件っていうか……さ。まぁ、生まれた時からの仲だからな。一番弱くて何にも出来ない時期を知ってるから、隠す必要がないっていうか……隠しても全部分かってるっていうか……信頼ってもなぁ……まぁ血の繋がりは切れないもんだから、どうあっても捨てられるもんじゃないしな」

 エルが今、こうしてセイネリアの下についているのは彼と契約をしているからだ。そして、彼の為に働くその代価として彼に望んだものが、死んだ弟の復讐だった。
 だからこそ、セイネリアはエルに聞いたのだろう。

「そういや、あの坊やは兄弟がいたんだっけな」

 言えば、ずっと宙を見ていたセイネリアの瞳がエルを見る。その瞳は迷いと昏い怒りに震えていたが、エルにとって今、その瞳は恐怖を感じるよりも痛々しく映った。
 まったく、この男に関して、そんな事を思う日が来るとは思わなかったが。

「俺の場合の話だけどさ……俺は、俺だけは弟(あいつ)を信じた。そしてそれは間違ってなかった。それが事実だ、だからそれを証明する為にここにいる訳さ」

 エルにはセイネリアが何故唐突にそんな事を聞いて来たのかは分からない。今言った言葉が、彼の中で何かの答えを導き出すのに役だったかも分からない。
 セイネリアは、口元に浮かべていた消える事のない自嘲の笑みを更に深くすると、椅子に座り直して、エルの顔を真っ直ぐに見返して来る。

「フユを戻してしまったが、そちらの穴は大丈夫か?」

 少なくとも、入って来た時の淀んだ空気よりは少しだけマシになった状態でセイネリアが聞いて来る。こうして頭を仕事の方に切り替えられる内は、まだエルは彼に関して安心出来る。

「あぁ、大丈夫だ。裏工作は大体終わってたからな。後は交渉がメインだし、いるメンツでどうにかなるさ。ただ、この間の後処理が……な」

 これから大事を控えている時期に、一角海獣傭兵団の件の後処理は頭が痛い問題だった。間をあけずに派手な仕事をすれば、権力者共からの風当たりが強くなる事は避けられない。
 セイネリアは喉を震わせて笑う。

「このところ、俺の所為でお前達に迷惑ばかりを掛けているな」
「やめてくれ、あんたがそんな事言い出す方が気味が悪い。まぁ、俺は、この時期だからって、今回の計画を止めろとあんたが言わない限りはかまわないさ」

 長い時間を掛けて計画をして、今やっと実行に移そうとしているそれは、エルがここにいる理由となっている復讐の為に他ならない。
 だから、団全体としては、ある程度ほとぼりが冷めるまでこの計画に一度ストップを掛けた方がいいと分かっていても、こればかりはエルはそれを主に進言する気はなかった。

「いざとなったらここを離れればいい。おそらくそれで団を離れる者も多いだろう、人も削れるし丁度いいさ」

 それはエルも考えていた事だった。
 この仕事が終わったら、それを提案するつもりでいた。ただ、彼の主がここを離れたくないだろう理由も分かっていたから、言い出すのを迷っていただけだった。

「俺もそうした方がいいと思う。ただ……いいのか?」

 だから聞き返せば、セイネリアはその琥珀の瞳を伏せて、自嘲に歪んだままの唇を開く。

「あぁ……きっと、その方がいいだろう」

 だが、それでも……と。
 声に出さずに呟いた、セイネリアのその言葉をエルが知る事はなかった。







 西地区の中でも上区と下区と呼ばれる場所では、その場の雰囲気も、住む住人達もまったく違う。上区は裕福とは言えないが普通に善良な一般市民達の居住区になっているのに比べて、下区は更に下層の住民か、もしくは姿を隠している者達の隠れ住む場所になっている。
 その、下区の中にある、小さな酒場の一つ。10人も入れば店が一杯になる、そんな酒場の隅の席で、頭からフードをすっぽりと被って話をしている二つの人影があった。

「……と、俺が調べられた事はこれくらいだ」

 片方の影、少し南の地方の訛(なまり)がある掠れた男の声がそう言えば、もう片方の影が男に皮の小袋を渡す。
 男は、受け取ったその袋の中身を暫く見て考えると、中から数枚の銀貨を取り出して握り締め、袋はそのまま相手に返した。

「何故だ? 最初からそれが約束の報酬額だった筈だ」

 皮袋を返された方は若く張りのある男の声で、もう一人の男とは対照的に、見本に出来る程綺麗な発音のクリュースの首都公用語だった。

「こんなに貰う訳にはいかねぇよ、これで十分だ。この程度、警備隊や騎士団の記録をちょっと見れればすぐに分かる程度の内容だしな。……まぁ少なくとも、あんたから騙し取ろうとは思わねぇ」

 言われた男は、じっと相手を見つめたまま無言でいる。全身を覆っているマントから出ている手は、皮袋を返された時のままの位置で止まっていた。

「こんな仕事をしているモンとしちゃ、あの男だけは敵に回したくないからな。……そもそも何で、あんたが俺みたいな個人の情報屋を雇ったのかが分からねぇ。あんたならあの男から情報を聞いた方が早いし、もっとずっといいネタが手に入った筈だ」

 けれども、その男の言葉を全て聞き終わる前に、仕事を頼んだ男の方は皮袋を懐へ仕舞い込んで立ち上がる。その瞬間、マントに隠れていた、銀色の魔法鍛冶製独特の美しい光沢を放つ鎧がランプの下に曝される。そして、僅かにフードが揺れた途端に見えた、その下にある鎧に負けず美しい輝きを持つ銀糸の髪も。

「それはお前が知らなくていい事だ。また、今回の関連で情報が入ったら連絡をしてくれ」

 それだけを告げると、シーグルは、入った時よりも幾分か人の増えた小さな酒場を出て行く。日の光の下歩けない者達が多いこの店の他の客達は、シーグルと情報屋の男の存在など誰も気にしなかったし、出て行くその姿に目をやる者もいなかった。







 ――さて、厄介事を背負い込む前に、止めるべきか。

 裏通りを歩く青年騎士を見失わないように距離を取って歩きながら、フユはこの状況を考える。
 あの情報屋にシーグルが何を聞いたのか、そのあたりは既に分かっている。まだ決定的な情報を彼が手に入れていないから、何か行動を起こしたりという事はないだろうが、ヘタに核心に迫ったりなどすれば面倒な事になるのは確実だった。
 だから、その前に止めたいの、だが。
 果たして、止めたところで彼が素直に止めてくれるとは思えないのが頭の痛いところだった。

「なんであの坊やは、余計な事にばっかり首突っ込むんでしょうかねぇ」

 更に言えば、面倒事に巻き込まれるのも得意だ。
 フユや、他の傭兵団の者達からしたら、彼には大人しく、この国の他の貴族の騎士様らしく、危ない事に手を出さずに上から命令だけする立場に甘んじていて貰いたいのだが。
 よりにもよってこの忙しい時期に、一番手を出してほしくないものに手を出してくれるのだから、見張り役としては困るしかない。

 既に報告の方は済ませているから、その内指示は出るだろう。
 今のままなら、まだ、動くのはそれからでも構わないだろうが、出来るだけ早い内に止める方がいいのも分かっている。

「まったく、クリムゾンじゃないスけどね、さっさと大人しくボスのモンになってくれりゃ、俺のお仕事も減るんですけどねぇ」

 この間の仕事でクリムゾンがシーグルに手を出した所為で、この仕事を受け持つ人間がフユしかいなくなってしまった。いざとなれば後はラタかカリンとなるが、ラタは隠密行動が苦手だし、カリンはこんな仕事を専属でしてられる余裕がない。それ以下の者をあてれば、また対処し切れない事態が起こるかもしれない。
 だから、フユはこのところよく思う。

 ボス、そろそろ選んでください、と。




---------------------------------------------

各サイドの状況説明回。という事でシーグルはこの章では初でしたね。


Back   Next


Menu   Top