神官は剣に触れられず




  【5】



 表通りに出れば、明るい日差しと人々の喧噪が視界を満たして、我知らすシーグルは安堵の息をついた。
 いつも通り、大通りには人が溢れ、首都はいろいろなところから来た冒険者達の活気に包まれている。
 自由の国、クリュース。
 生まれの低い者でも、実力一つで他の国ではあり得ない夢を掴めるかもしれない国。
 表面上は平和と繁栄を謳歌しているように見えるこの国は、しかしながら今は将来を決める大切な岐路に立っている。一般市民達には見えないところで、時期国王争いは既に動き出し、平和な町の裏で宮廷周りはキナ臭い空気に包まれていた。

 少し前にヴィド卿から受けた仕事。
 あの時の護衛の仕事は、どうやら本当に護衛対象は本物のウォールト王子だったらしい。つい先日、呼ばれた時にヴィド卿から礼と共にそれを打ち明けられ、仕事中は秘密にしていた事を謝罪された。
 更にその時に、現在の時期王座争いの話を匂わされ、それとなくこちらの側について欲しいという話までされた。はっきりと断る訳にもいかない手前、シーグルは返事を濁す事に苦労したのだが。
 ただ、その時の話に少し気になる点があった。
 シーグル達が王子の護衛の仕事をしていた時、丁度同時期に、他の国王候補である王子達も何者かの襲撃を受けていたという。
 気になって情報屋に他の襲撃事件の事を調べさせれば、どうやらそれは全て同じ組織――エルマの手の甲にあった蝙蝠のマーク、他の襲撃者達にもそれがあったという記録があった――の仕業であるという事が分かった。だが、疑問が残るのは、有力な候補の3人全てが彼らに襲われているという事で、どの勢力が彼らを差し向けたのか、特定どころか絞り込む事さえ出来ないという事だった。更に、どの襲われた候補達も襲われたという事実はあるもののそこまで深刻な事態にならずに済んでいて、どこまで彼らが本気で襲撃を掛けているのかも分からなかった。
 考えてみれば、エルマも手間を掛けた割にはあっさりと諦めて引き下がったし、あの状況だけを考えれば、脅しだけで本気で襲撃をする気がなかったのではないかとも思える。
 だから現状考えられるのは、候補の内の一勢力がカモフラージュに自分側の王子も込みで襲わせたか、候補達とは別の勢力が候補達全員に対して脅しを掛けているのか、予想はその二つに分かれる。

 ――もう少し、襲撃者達の事が詳しくが分かればいいのだが。

 そう考えて、あの情報屋が言っていた通り、セイネリアに聞けば確かにもっと確実に情報が手に入るかと思った直後、シーグルの口元には皮肉めいた笑みが湧く。
 そうして、情報料だと言って、自分はまたあの男に抱かれに行く訳か。もしくは、余計な事に関わるなと足止めをされるか。へたをすれば、あの男がなにかしらの決着をつけてしまうかもしれない。
 結局、どれもがまた自分があの男に抱かれる姿しか思い浮かばなくて、シーグルは乾いた笑い声をあげて笑う事しか出来ない。
 あの男にに会いたくない。
 あの男に触れられたくない、声を聞きたくない。
 あの男に会えば会うだけ、自分の弱さを見せつけられる、心が折れてしまいそうになる。彼の強さを見せつけられ、自分の惨めさを痛感する。
 更には――その先を考えて、シーグルはぶるりと身を震わす。

 もう、何も考えたくなかった。

 セイネリアが自分をどう思っているかも。
 自分が何の為にこうして未だ騎士として振る舞っているかも。
 心の中は何を考えても感情に訴えず、ただ、あるがままの事を受け入れて行くだけしか出来ない。
 それでも、幼い頃から植え込まれた義務に従うように、体は今までの生活を続けている。
 ただ、頭は何も考えたくないから、自分の事から目を背けて別の事を考えている。出来るだけ仕事をこなすのも、こうして自分が調べたところで何か出来る訳でもない事を探るのも、全てただ自分自身から目を背けて逃げているだけだ。

 この中身のなくなってしまったような心のまま、自分はこれから表面上だけは騎士としての生活を続けて行くのだろうか。これから、一生。

 それとも、いつか、あの男がそんな命を終わらせてくれるのだろうか。






 ウィアがフェゼントを連れて家に帰って来ると、いかにも小言を言いたくてたまらない、といった顔をしたテレイズが待っていた。話がある、と言われなくても言われるのが分かったウィアは、フェゼントの前で言い合いになる前に兄のところに自分で行き、兄の書斎に付いて行った。
 この兄はもう、自分達がセイネリアに会って来た事をつきとめたのだろうか。そう思ってウィアは身構えていたのだが、彼が言って来た内容は見事にその予想を外していた。とはいえ、ある意味、そんな小言一つ聞けば済むような単純な内容よりも余程深刻な内容だったのだが。

「ウィア、一つ言って置く事が出来たんだ」

 よく兄を観察すれば、その表情が硬い。

「シーグル君についてなんだが……俺は関わる事が出来なくなった」
「どういう事だよ?」

 一度は腹を決めた筈の兄がこう言って来るとなれば、何か状況の変化があったのだというのはウィアだって理解出来る。だが、問題はそれが何の所為かという事だった。これ以上またシーグルに何か問題が起こったのではないかという思いが、ウィアの心に不安を落とす。

「お前自身が彼と会うのは……本当は禁止したいところだが、ぎりぎり言い訳が立つ。だが、この間のように、うちに連れて来るような事はだめだ。俺が直接彼と関わっている、と取られる訳にはいかない」

 兄の言葉は歯切れが悪い。テレイズがここまで遠回しな言い方をするというのは珍しかった。多分、それだけ本当は言いたくない事だというのは分かる。
 だが、勿論ウィアがそれで引きさがる筈がない。

「どういう事だよ、またシーグルに何かあったのか?」

 テレイズは顔を顰めて、考え込むように軽く眉間を指で押さえる。それから大きく息をついて、睨んで来るウィアを見返した。

「政治的な話でね、彼はとある派閥に所属してる……と周りから考えられてる。実際彼が本当に所属してるかどうかは別としてね。それで俺の立場としては、彼と接触がある事で俺もその派閥についていると思われる訳にはいかないんだ、分かってくれ」

 政治的な話、という事であれば、ウィアは全く分からない。おそらく、そこをもっとちゃんと説明しろと言って説明して貰っても理解出来ないだろうと思う。だからウィアは反論する言葉を持たないが、それでも兄に確認しなくてはならない事があった。

「シーグルがその……派閥に入ったって思われた所為で、前より悪い状況になってる、とかはないんだよな?」

 テレイズは眉を寄せる。

「そこはどうとも言えないな。勿論敵対勢力から反感を買う事にはなるだろうけど、彼が所属していると思われてる派閥はかなり有力なところだからね、直接その所為で状況が悪くなる事はない筈だ。貴族連中にとっては、セイネリアの名前も脅しになるだろうし、直接手を出して来るような馬鹿はいないだろう。……まぁ、派閥に関しては、どちらにしろ、彼が貴族の跡取りである限り、その内何処につくかは決めなくてはならなかっただろうしね、仕方ない事ではある」
「そっか、それなら……まぁ、いいんだ」

 未だ不安は残るものの、とりあえずはそこまで悪い事態でもないと思ったウィアは、安堵の息を吐く。
 テレイズが更にそんな弟を安心させる為にか、少し笑顔を浮かべてウィアの頭を撫でる。

「俺の立場では仕方ないんだ。大神官が政治的に何処かの派閥に繋がってるって思われる訳にはいかないからね。そこを分かって行動して欲しい。後、ウィア自身がシーグル君と会うのは禁止はしないといっても、彼と何か関わったら絶対俺に知らせる事。何があっても怒らないから……怒ってどうにかなるって話じゃないしな」

 苦笑しながらも真剣な瞳のテレイズをみれば、兄としてはかなり譲歩しているのだと言うのは分かる。本当は頭ごなしに彼に会うな、出来れば彼に関係するフェゼントにさえ会うな、と言いたいところを抑えているのだろう。
 ウィアは政治の話など分からない。
 けれど、だからこそ、不安が拭えなかった。
 






「話は終わりましたか?」

 ウィアが部屋に入って来ると、フェゼントは何処か不安そうにしながらも笑顔で出迎えてくれた。
 フェゼントの部屋、といっても、今彼はここに滞在している訳ではないが、いつでも彼が来たら泊まれるように用意してある部屋で彼は待っていた。
 自分の部屋だと兄の部屋と近いから、こちらの部屋で待っていてくれ、と言ったのはウィアだったが、彼は待っている間に黙って座っている事も出来ず部屋の掃除をしていたらしい。明らかに記憶よりも綺麗になっている部屋にウィアは苦笑するしかない。フェゼントの為、とこの部屋を毎日掃除しているのはウィアで、その大雑把な性格の通り大雑把な掃除をしているという自覚はあった。

「話の内容……は私が聞いてもいい事でしょうか?」

 言われてウィアは迷う。
 シーグルに関する話であるから、本当なら言った方がいいのだとは思うが、これ以上フェゼントに彼に関する心配事を増やしたくないという気持ちもある。
 フェゼントもまた、普段ならこちらの事情に首を突っ込もうとする事はしないのに聞いて来るという事は、彼も何か察しているのかもしれない、とウィアは思う。多分、内容が内容であるから、テレイズがフェゼントにも意味ありげな視線を向けてしまった可能性が高い。
 今のフェゼントはシーグルの事に関して、心配し過ぎて敏感になっている。
 だから結局、迷った末に、ウィアは話を誤魔化す事に決めた。
 こっそりと心の中で『本当に今回の事でシーグルに悪い事は起きないんだよな、信じるぞ、クソ兄貴』と呟きながら。

「いやー、内容って言ってもさ、いつものお小言だからわざわざ言うような事じゃないよ。何夜遊びしてるんだとか、ったく子供じゃないんだからさ。夜ってもまだ日が沈んでそんなたってないじゃんかと」

 少し緊張した面持ちでウィアを見ていたフェゼントの顔が、そこで和らいで笑顔になる。

「それでも心配なのでしょう、そこは仕方ないですよ」
「えー、でもさー、その程度でいちいち説教食らってたらさ、時間が勿体ないとか思わないか? だって人生の時間は限られてるし、その限られてる時間の貴重な数分がただ小言聞く事に消費されてるんだぜ?」

 フェゼントがくすくすと声を出して笑う。
 ウィアも満面の笑顔を浮かべた。

「ウィアは本当に、何かというと時間が勿体ない、ですね」
「そりゃそうさ、だって同じ時間を使うなら、出来るだけ楽しい事に使いたいだろ」

 腰に手を当てて胸を張って自信満々にそう言えば、フェゼントは更に笑った後、急に黙って下を向いた。

「フェズ?」

 突然の事にウィアは困惑するしかない。
 
「……今のシーグルが、声を出して笑う事はあるんでしょうか」

 下を向いたまま呟かれたその言葉に、ウィアは固まる。そして、固まったまま返事を返せなかった。

「子供の頃、彼はよく笑って、泣いて、怒って、とても感情豊かな子供でした。私は引っ込み思案で、兄なのに弟である小さな彼にいつも引っ張られて遊びに行きました。でもきっと、シルバスピナの家に行ってから、彼は変わってしまったのでしょうね。今の彼はいつでも無表情で、どこか辛そうで……子供の頃の彼と違い過ぎて、私は彼の顔をまともに見る事が怖かったんです。ウィアの言葉を借りるなら、彼がシルバスピナの家に行ってからはずっと、楽しい時がない勿体ない時間ばかりを過ごしていたんじゃないでしょうか」

 フェゼントは下を向いたまま、声を震わせて言う。
 もしかしたら泣いているのかもしれない。
 そしてウィアは、彼の話を聞いて自分の発言を後悔していた。

「ごめん、フェズ」

 驚いたフェゼントが顔を上げる。
 予想通り彼の目は赤かった。

「あのさ、楽しくない時間が全部勿体ないって訳じゃないと思う。そりゃ、何するにも楽しい方がいいけどさ、何かの為に辛い事だってしなくちゃならない時ってあるし……その時辛い思いした所為で、後でもっといい事がある訳で……うーん、なんていうかな、ほら、例えばフェズは騎士になる為に結構辛い訓練したんだろ? でもその時間が勿体なかったって思わないだろ?」

 フェゼントはその水色の瞳を大きく開く。

「えぇ、そう、ですね」

 ウィアはそんな彼に笑ってやる。

「人生には辛い事も必要なんだよ。辛い思いをしても、それが報われた時は、その辛い時が辛けりゃ辛い程嬉しいもんだろ」
「確かに、そう、ですね」

 フェゼントは笑う。
 そして、ウィアを抱き締める。
 唐突な彼の行動に、ウィアは驚いて顔を赤くした。

「え? えぇ? フェズ?」

 フェゼントはウィアを抱き締めたまま、ただじっとその体温を確かめるように目を閉じている。
 ウィアは困惑したものの、こうしているのは無条件で嬉しい事なので、少し照れはしたものの、ウィアもまたフェゼントの体に腕を伸ばして抱き締め返した。

「やっぱり、貴方はすごいですね、ウィア」
「……ん、何がかは分からないけど、まぁ、フェズが喜ぶような事があったならいいや」

 抱き締め合っているのは気持ちがいい。
 大好きな人の体温を感じているのは、それだけで幸せになれる。
 ウィアも目を閉じてフェゼントの体温を感じていると、穏やかな彼の声が呟きのように聞こえて来る。

「ねぇ、ウィア。テレイズさんに何を言って貰った時が一番嬉しいですか?」
「え? うーん、なんだろ。兄貴は言い方スカしてっから何言ってもムカつくんだよなぁ」
「では、もしテレイズさんに謝って貰ったら嬉しいですか?」
「んー、何謝って貰うかにもよるかなぁ、そりゃまぁ、あの兄貴を謝らせられるなら嬉しいってか、すげー気分いいけどさ」

 フェゼントはくすりと笑う。

「ファンレーン様が、謝るだけじゃだめだって言っていた意味が、分かった気がします」
「そうなのか?」

 フェゼントは、ウィアの体温をもっと感じようとするように頬を擦り寄せる。ウィアはそれがくすぐったくて、でも気持ち良くて、ウィアもまたくすくすと笑う。

「次に彼に会えたら、言わなくてはならない事が分かりました。だから大丈夫です、絶対」
「そっか、うん、それじゃ大丈夫だよな、絶対」
「はい」

 二人して頬を擦り寄せて、笑い合って、いつの間にか自然と唇同士が触れ合う。

 最初はただ、頬を擦り合わせる延長のように、唇同士を触れ合わせて軽く擦り合わせるようなキス。それからどちらともなく唇を開いて、相手の粘膜を感じて、唇よりも高い口腔内の体温を感じる。
 舌を触れ合わせるのも、最初はちょんと、互いに先の方だけを触れてまるでつつき合うように。それが少しづつ深く触れていって、最後には絡ませ合うまで。
 深いキスになれば、それはもう、その先を互いに求める行為にしかならず、二人して相手の服に手を掛けて脱がし合いながらも、交互に求めるように唇を合わせ直してより深く繋がりあう。
 ちゅ、と水音さえ鳴れば、恥ずかしさに頬が染まるものの、行為を求める体はもどかしく揺れる。脱がせ終わった上着を捨てて、曝された肌を求めて、今度は裸になった上半身を合わせるように抱き締める。胸と胸を擦りあわせて、互いの胸の尖りに相手の熱を感じて、それでもより相手を感じたくて、抱き締め合いながら口腔内でも激しく舌を絡ませ合う。
 夢中で互いを貪りあって、ふと顔を離せば、情欲に蕩けた瞳の互いを見て、どちらともなく笑みが湧いた。
 そうして、今度は性急に求めるのではなく、両掌を組んでから、ゆっくりと顔を近付けて行って軽く唇同士を触れさせて、離れる。
 次に確認しあうように浮かべた笑みは、この先の行為を確認するように。掌同士を組んだまま、二人はベッドへと向かった。




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次回はフェゼント×ウィアのH。

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