何時か会う誰かの為
<番外編・ウィア16歳のお話>







  【7】



 火は赤く、黄色く、色を変えながら目の前で光のダンスを踊る。
 けれど前の時程それが眩しく見えないのは、その先の穴の外が、うっすらと白く明るくなってきているからだ。
 寒くは、ない。
 外の冷気が少しだけ中に流れてきたりもするけれど、目の前の炎と、体を抱き締めてくる暖かい体温があるから。
 背中をぴったりと覆う、自分よりずっと広い男の暖かい胸、引き寄せられるようにまわされた腕。片腕はウィアの頭を包み込むようにして、髪の毛を撫ぜながら彼が眠ってくれたのだと分かった。
 眠っている彼の顔を見てみたくて体を捻れば――残念なことに、頭のすぐ上にあった彼の顔の瞳が開いた。
 少しだけまだまどろみを残した水色の瞳は、それでも見上げるウィアの視線に気がつくと、静かに細められて笑みを浮かべる。

「寒くないか?」

 言いながら上から掛けていた布を引き上げようとエルが動けば、ぴったりと合わさっていた肌が離れて、そこで初めてウィアは寒さを感じた。

「寒い、からもうちょっとくっついてろよ、エル」

 ウィアが言えばエルが呆れたように苦笑して、それでも抱き寄せてくれる。

「やっぱこうしてるのが一番あったかいよな」

 ウィアは、ごそごそと彼の胸にぴったりくっつくように体を寄せて、自分から腕にしっかり抱かれようとする。エルはそんなウィアの頭をまた撫ぜて、暫くじっと動かないでいた。
 彼の体温が心地よくて、頭を撫ぜられるその優しい感触が気持ち良くて、ウィアはうとうとと瞼を落とす。
 けれど、眠りに落ちようとする寸前で、エルの声が聞こえた。

「体は、辛くないのか」

 ふっと意識が引き上げられて、ウィアは驚くように瞬きする。

「あ、あぁ、だいじょーぶ。そらーまったくだるくないっていったら嘘だけど、こんくらいはよくあるしー、エルは優しかったからンなきつくない」

 寝惚けた所為で呂律が少し怪しくなりながらも、ウィアは急いで返事を返した。
 ほっと息をついたエルはまた髪を撫ぜてきて、ウィアは眠くなりそうになりながら彼の胸に頬を摺り寄せた。

「すっげー気持ちよかったしー。エル優しかったしー。ンで今こうしてンのもすっげー気持ちいい」
「まったく、気楽なヤツだな」

 溜め息のように言われた言葉に、ウィアは得意げな顔をして、エルの目の前に人差し指をぴっと立てる。

「いいじゃん別にー、深刻に考える事ねぇって。単純にいったらセックスなんてなぁ、互いに同意の上でやって、どっちも気持ち良かったなら問題なんか何処にもないだろ? 男同士なら、子供出来ちゃうーとか責任とらなきゃーなんてのもないんだしー。……それとも、あんたは気持ち良くなかったのか?」

 少し拗ねたように睨んだウィアに、やはりエルは苦笑して、ウィアの頭を撫でるというよりぐしゃぐしゃとかき混ぜた。それに文句を言って頭の上の手を抑えようとするウィアの耳元に、エルは唇を寄せると、今度は優しい声でそっと囁く。

「そりゃな、俺も良かったさ、抑えるのがきついくらいにな」

 唐突なエルの行動に、ウィアはぞくりと体を震わせ、囁かれた耳の方の肩を持ち上げる。
 それから擦るように耳を抑えてエルから体を少し離すと、笑っている彼の顔を睨みつける。

「なんか反則だぞ、クソ親父」
「ガキのくせに悟った事を言い出すからな、ちょっとした仕返しだ」

 肩を震わせて笑いながら、エルはウィアの体を引き寄せる。引き寄せて、抱き締めて、何をされるのか構えたウィアの頭の上に顔を埋めると呟いた。

「あったかいな、お前は。人の肌がこんなにあったかいってのを、すごく久しぶりに思い出したよ、ありがとな」

 ウィアはちょっと照れくさくなりながらも、気持ちのいい彼の肌にしがみつく。

「あんたが奥さんの事、すごーーく愛してたってのは分かるけどさ、寂しいならただ我慢するだけって事もないと思うぜ、あんたは生きてるんだからさ、ちゃんと生きていく為に必要なことは望んでいいんだ。人間マトモに生きてりゃ聖人様みたいに行かないのが普通だろ。奥さんがあんたに生きてて欲しいって思うなら、普通に人間らしく、泣いて、笑って、ちゃんと人生楽しんで人として幸せに生きて貰いたいって思ってたと思うぜ」
「お前さんにとっちゃ、セックスは生きてく為に必要な事なんだな」

 エルが僅かに笑ったのが、気配でわかった。
 ウィアは彼の顔を覗き込むように見上げた。

「ヤルかどうかはまぁおいといてもさ、一人じゃ人間生きていけないだろ。きつい時は人に縋ったっていいんだよ、そのうち自分が縋られる側になる時もあんだしさ」

 ウィアと目があったエルは、哀しそうに笑う。

「そうだな」

 そうして、目を閉じる。
 手だけでウィアの頭を撫でて、何か考えるようにしているエルに、ウィアはふと思いついて体と腕を伸ばすと、彼の頭に手を置いて、彼のマネをするようにその頭を撫ぜた。
 驚いたエルが目を見開く。

「人に対してしつこくやる事はさ、実は自分がやってもらいたい事らしいぜ。まぁ、だからお返しな、きっと本当は俺じゃなくてこれはあんたの奥さんの役目なんだろうけどさ、奥さんの代わりしたついでで俺が撫でてやるよ」

 エルは目を閉じてそのまま顔を手で覆う。肩を震わせて、嗚咽を飲み込んで、歯を噛み締める。

「馬鹿言うな、胸もないくせに女の代わりは無理があるだろ」

 冗談めかした口調でいうものの、エルの声には震えがあった。。
 彼が泣いているのがそれだけで分かって、けれどウィアもまた冗談めかした口調で返す。

「そらなー俺女じゃねぇからなぁ。まぁ、女より面倒だけど挿れられちまえばやる事一緒だからいいじゃん」
「このマセガキが」

 ウィアは笑った。
 エルも顔を隠したまま笑い声を上げて……けれどきっと、泣いていた。









 日が完全に上がった後、すっかり乾いた服を着て二人は出発した。
 少し遅れがちなウィアを、エルは自分の所為という自覚がある分必要以上に気にしていたが、最初から余裕を持って予定を立てていたこともあって、それが原因で大幅な遅れになる事はなかった。
 予定通りに山頂付近を見回り、それから再び山を下りる。
 ちなみに、その日の夜も、ウィアはそれとなく誘ってみたりしたのだが、エルは再びウィアを抱こうとはしなかった。尤も、外でするのはウィアとしてもどうかと思うところもあったし、そもそも疲れの所為で食い下がる気力もなく寝てしまったので、そこまで本気で彼に行為をせがむような真似はしなかったのもあるが。

 そうして、この仕事をはじめて4日目の夕方、山を下りる道中の彼らは、再び、初日に泊まった山小屋に向かっていた。

「あー、今日はちゃーんと、屋根のあるとこで寝れるっ♪」

 前と違いまだ日が沈みきる前だった為、小屋が見えてきた途端、ウィアははしゃいで走り出した。

「こら坊主、走ってコケてもしらねーぞ」
「だいじょーぶ、自分のカスリ傷くらいなら治せっからさー」

 リパの神官といえば代名詞のような治癒の術だが、見習いのウィアではまだ他人を癒す程の事は出来ない。神官までなっていない信徒であっても、素質のある人間なら自己治癒程度は出来るのだから、今のウィアの実力は神官というにはどうにも憚られる程度といえた。ハッキリ言えば、こうして冒険者の仕事を手伝うには実力不足で、エルにとっては足手纏いだという自覚もある。
 まぁそれでも、それで落ち込むような事はウィアに限ってはないのだが。ようは出来るようになったら、出来ない奴の分のフォローをする側に自分が回る事になるから、今はその分頼っていいものだと開き直っている。
 ただやはり、現状でも出来れば役に立ちたいとは思う訳で、ウィアはエルよりも早く小屋の前までくると、薪を重ねてあるところにまで行き、そこで今夜分の薪を持ってくるつもりだった。
 エルは野宿やら旅の荷物を殆ど一人で持っていたから、荷物の少ないウィアが持っていけば調度良い、と、思って束を持ち上げようとしたウィアは、その予想外の重さに顔を青くする事になる。

 持ち上がらない、とはいわないが、簡単に持ち運べる重さではない。
 家でウィアも薪を運ぶ事があるが、こんな重かった覚えはない。一度手を放して、ひりひりと痛む手を擦りあわせてから唾をつけて気合を入れて、再び薪の束に手を掛けた。
 そこで、それを奪う形でひょいとエルがその束を持ち上げる。

「重いだろ、慣れないヤツはやめとけ。ここにあるのは殆どエレの木だ、硬くて重い分長く燃えてくれるからな」

 薪を抱え上げたエルは、勿論力の入らない右腕は使わず左腕だけであの重い束を持っていた。
 思わず今更ながらに、ウィアは感心する。

「……エルって、力すげーあるんだな」

 エルはウィアの頭をこつんと軽く小突いて、呆れて溜め息を付いた。

「今頃言うか、今までどこ見てたんだ」

 ウィアは唇を尖らせて、エルをじとりと睨む。
 エルはそれに楽しそうに笑うものの、すぐにその笑顔は消えて、自嘲気味に皮肉な笑みだけを唇に残した。

「まぁ、右がだめな分こっちで力入れる事は全部どうにかしなきゃならんかったしな。今ではかつての右以上にこっちは力がついた、それでも弓は片手だけ力があってもな……なんでも前並の事が出来るって事にはならんさ」

 寂しそうに右腕を見つめるエルの顔を、同じく寂しそうに見るウィアに気付いて、彼は再び笑うと右手をウィアの頭に置いた。

「昔はなー、そらー強弓のエルフラットってこの辺の山をベースにしてる狩人の間じゃちょっとは有名だったんだぞ。こんな小さい弓じゃなくて、これの倍以上ある弓を持って歩いてた。弓ってのはお前が思うよりずっと力が要るんだ、俺がお前くらいの時に、親父が使ってるでっかい弓が引きたくてしょうがなくてな、そらもう力付けたくていろいろやったもんさ」

 優しい笑顔で頭を撫ぜる男の顔を、ウィアはじっと見つめる。
 少し前まで、くしゃりと楽しそうに笑うその顔を見るのがウィアは大好きだった。今でも彼の笑顔は好きだけれども、その水色の瞳の奥の寂しさを見つけてしまった後は、少しだけ胸が痛くなる。

「ほら、さっさと中いくぞ。今日はお前さんとは最後の夜だからな、出来るだけのご馳走を作ってやる、お前も手伝え」

 頭から離れていった手を負うように、ウィアはエルの背中について歩き出した。









 その夜、エルの言った通り、道中で捕まえた兎やら拾った木の実やらを全部使って、ご馳走、と呼べるくらいの夕飯となった。
 寝る時になって、ウィアは、今夜こそ最後だからとエルにはっきり抱いて欲しいと言ってみたが、エルはやはり笑ってはぐらかすだけで、子供を寝かしつけるようにウィアの隣で抱き締めて眠ってくれただけだった。
 最後までエルの胸の中で不満を言っていたウィアだったが、やはり何時の間にか、その心地よさに眠りの中に落ちていて、眠ったウィアの額に彼がキスをした事も知る事はなかった。

 そして、別れる日の朝になる。

 前に泊まったときと同じく、起きればエルは既に起きて外に出ているようで、少しだけ悩んだ後、ウィアも起き上がって外に出てみる事にした。
 外の空気は寝起きの体には肌寒く、ドアを開けた途端寒さに肩を震わせたウィアだったが、空気自体は澄み切って気持ち良く、自然と深呼吸をしたくなる。それから段になっている小屋の前を下りて、辺りを見回しエルの姿を探してみた。
 彼の姿は見えない。
 けれども、耳を澄ませば鳥の飛び立つ音には少々不自然な草の揺れる音がして、ウィアは聞こえた方向に歩いてみる。
 歩く途中で、更に、今度は先程よりも大きな草が払われる音がして、ウィアは確信をもってその音の方への歩調を速めた。
 やっと見えた姿は、彼が高く生えた草の中で作業をしているところで、どうやらそこで草を刈っているらしいと分かった。
 ウィアが声を掛けようと更に近づくと、エルが作業しているその傍に、小さな石碑のようなものが見えた。それでウィアには、その石碑が何なのかも、前回も朝早く彼がここに来ていたに違いないという事もわかってしまった。

「ウィア、起きたのか」

 じっと彼の作業を見ていたウィアをエルが見つけるには、然程時間を待たなかった。
 エルは手を振ってウィアを呼ぶが、ウィアの視線とその表情を見て、彼もまたウィアの考えている事を理解すると、笑顔を収めて歩いてくる。

「エル、あれってさ……」

 目の前に来たエルに思い切ってウィアは口を開く。けれどエルはウィアの手を取ると、静かな笑みを浮かべてその手を引いた。

「どっちにしろ、後でお前も連れて来るつもりだったんだ……来てやってくれ」

 草を刈っていたのもその為だ、といいながら、エルが連れてきたのは先程見えた石碑の前で、その石碑に刻まれている文字を見て、ウィアは自分の予想が当たった事を知った。

 レジーナ・モーゼス。

 それはエルの最愛の人の名前。
 だからこれは、彼女の墓標なのだと分かった。

「奥さん、ここで亡くなったのか……」
「あぁ、ルーメリーを追ってちとヤバイのが来た時に、狩人仲間で討伐隊を組んで戦ったんだが、その時にな。俺は手を必死に伸ばしたが間に合わなかった。リパの神官も傍にいなかったし、そもそも体の方の損傷が酷くてな、どっちにしても蘇生は無理だったとは思う」

 死んだ者を生き返らせる蘇生の術は、使える神官も少ない上に、出来る条件が厳しい。死んで時間が経っていたり、治せない程遺体の損傷が激しい場合は、成功する可能性は殆どない。その場に蘇生術を使える神官がいて、かつその神官が治せる程度の傷でやっとどうにかなる程度だ、蘇生以前に条件を満たす方が難しい。

「お前さんには、彼女に会ってやって欲しかった。リパの祈りでいいんで、祈ってやってくれ」

 言われてウィアはこくりと頷くと祈りの言葉を呟く。
 石碑に刻まれているのは、狩人達の大半が信徒である森の女神ロックランの印である。エル自身も勿論そうなのは、服やベルトにお守り代わりにつけられた印で分かる。
 だがウィアは彼らの祈りの言葉を知らない。
 だから精一杯の気持ちだけは込めて祈りの言葉を紡ぐ。そして心の中で少しだけ、エルにこれだけ愛されている彼女への羨望の気持ちを告げる。

 ウィアが祈りを終えると、エルは既に顔を上げていて、じっとその石碑を見つめていた。

 石碑の傍の雑草は刈られ、周囲には花をつける植物達が植えてある。今の時期に咲いている花は少ないが、それでも彼が彼女の為に、出来るだけいつでも花が咲いているようにしているのだろうと予想出来た。花の中でも蔓を伸ばすものはちゃんと支えに縛られていて、彼がここを訪れては手を入れている事がわかる。

「だからあんたは、ここを守る為に、ずっとこの山を調査する仕事なんか受けてるんだ」

 考える事なく口から出てしまった言葉に、エルはこちらを向くと苦笑する。

「それだけでもないがな。まぁそんなとこだ」

 そうして、また石碑に視線を戻す。
 懐かしむように、優しい笑みを浮かべてじっと石碑を眺めるその顔は、まるで眠っている彼女と心で会話をしているように見えた。
 暫くそんな彼を見つめて、それからウィアは、ずっと聞きたかった事を聞く事にした。

「なぁ、右腕の傷ってさ、もしかして、その時の……」

 ウィアはずっと疑問に思っている事があった。
 腕を失くしたのならまだしも、動く状態で腕があるのならば、治癒術で治せる可能性が高い。少なくとも治そうとした事があるのなら、あの大きな傷痕だけは、もう少し目立たないところまで治せている筈である。それがされていないという事は、エル本人が治そうとしていないのではないかとウィアは思ったのだ。
 そして、彼がそう思うのが、彼女の為であるなら理由がつく。

「あぁそうだ。これは彼女が死んだ時に負ったモンだ」
「だから、治そうとしていないのか」

 すかさずそう返したウィアに、エルは静かに振り向いた。
 エルが浮かべる笑顔は哀しそうで、けれども、ウィアが好きだったあの幸せそうな笑みだった。

「彼女が襲われた時、俺は手を伸ばして彼女を庇おうとした。だが、間に合わなかった。けどな、伸ばした腕の所為で、彼女の顔には傷が付かなくて済んだ。その所為で、彼女の最後の言葉を聞く事が出来た。だからな、この腕の傷は最後に俺が彼女に出来た事の印だ。自己満足ってのは分かってるんだけどな、それでもこの傷があるから後悔に押しつぶされなくて済んだ。治そうとは思ってないよ、この腕はきっと向こうで彼女と共にあるだろうから」

 エルの笑顔は幸せそうだった。
 瞳にたくさんの哀しみを含んで尚、その笑顔は本当に幸せそうに見えた。
 この笑顔こそが、彼の愛情の深さなのだとウィアは知った。

 彼の顔を見とれるように見ていたウィアに、エルは手を伸ばしてその頭を撫ぜてくる。

「……なぁウィア、彼女はな、俺の事をエルって呼んでたんだ。俺の事をそう呼ぶのは彼女だけだったんだ。だからな、最初お前さんにそう呼ばれてとても懐かしかった、ありがとうな」









 今日も授業終了のベルが鳴る。
 見習い神官達は、ある者は補修代わりの奉仕活動の手伝いに、またある者は熱心に書庫へいって勉強をしに、そして大抵の者は家に帰る支度をしていた。
 そんな中、席も立たずに大きく欠伸をして、ウィアは机につっぷす。
 一昨日やっと仕事が終わり、山歩きから帰ってきたウィアは、未だ疲れが取りきれなくて今日は一日中欠伸が出て仕方なかった。何度も注意をされたもののそれで収まるものでもなく、教師達も多少はウィアの事情を分かっていたのもあって、途中から無視をされる事になった。

 まぁ、俺もよく持ったよな、とウィアは自分でも思う。

 ずっと家と神殿の往復に、簡単な体術の授業程度しか普段体を動かさないウィアが、5日も山を歩く生活だったのだ。最中は、周囲の目新しさとエルについていこうとする気力だけで持ってはいたが、帰ってきた途端体中の体力と精神力が尽きたように倒れ込んだ。
 昨日は一日ほぼ寝ていて、食事を食べる気になったのだって夕方になってからだった。その分食べまくったものの、やはりその後は倒れるように眠って、今朝は兄に無理矢理起こされて連れて来られた。いくら若いといっても、かなりの無茶をした自覚がある分、疲れが取れなくて当たり前だと思う。

 とりあえず。
 朝一でアルステラ神官に報告して、書類提出は頼み込んで2,3日待って貰うようにして貰った。
 書類自体は急ぐものでもないらしく、それは問題なく了承を貰ったが、やはり小憎らしいガキに面倒事を押し付けたその結果の方が気になるようで、アルステラ神官は会って真っ先にウィアに今回の仕事の感想を聞いてきた。それにウィアが『とても良い経験をさせていただきました。ありがとうございます』と満面の笑顔でいったので、拍子抜けしたらしい彼の顔はかなりケッサクだったと思い出す。

 それでも、彼も流石に神官としてそれなりの地位にまでなった者である、ウィアはその時初めて彼から含みない言葉で褒められた。
 どうやらそれであの神官様からの自分に対する心象はかなり良くなったらしい、とは思ったものの、それが良かったのかは少し考えるとこであったが。……大変ではあったが、また今回の仕事をいいつけられればエルに会えるかもしれない、という思いがあって、また押し付けられるのもいいなと思ってもいたのだ。
 次はもっと鍛えておいて、彼に褒めてもらおう。きっとまた、あのくしゃりとした笑顔で頭を撫でてくれる筈。考えただけで、照れくさいような、それでいて嬉しくて笑みが浮かぶ。

 だが、そうやって机につっぷしながら考えているウィアに、頭の上からよく知っている声が掛けられた。

「おいウィア、まだここにいたのか。まぁ他に誰もいないから丁度いいといえばいいんだがな、なぁ、今日空いてるなら俺に付き合わないか? お前ずっとお遣いでいなくてさ、そらぁ寂しかったんだぜ」

 顔を上げれば、少年というより青年といった、そこそこ整った顔の同級生が一人。
 赤茶色の髪に黒い瞳のロゼッタは、いいながらウィアにキスしようとした。

「あぁ? だめだな、悪いけど」

 それを手で押し止めて、嫌味な程の笑顔でウィアはロゼッタの顔を押し返した。

「なんだまだ疲れてるのかよ、何時ならいいんだ」

 不満そうな彼に、ウィアは笑顔のまま、今度は胸を張って言う。

「俺、もうそういうのやめたんだ。今度から一時の相手は他当たってくれ、やっぱセックスは愛があってこそだよな」

 ウィアの言葉に、ロゼッタは心底驚いたように口を間抜けにぽかんと開く。
 その肩を叩いて別れを告げると、ウィアは急いで家路へとついた。

 その場だけの肌の温もり以上の心の温もりを、ウィアはエルから知った。それがどれだけ満たされて幸せなのかも教えてもらった。
 けれどそれが、ウィアの為のものではなかった事もちゃんと分かっている。
 だから今度は、本当にウィアの為だけにその温もりをくれる人を探せばいい。そして、今度は、自分からもその人に温もりを与えて上げるのだ。――そう考えただけで、他のどうでもいい連中と寝たいとは思わなくなった。

 自分は自分と、その何時か会える愛する人の物だから。
 未だ見ないその人物の事を思うだけで、ウィアはエルが感じていた幸せを、少しだけ自分も感じる事が出来た気がした。



END

---------------------------------------------

 こんな感じで愛に目覚めたウィアさんでしたが、この後思い込みが暴走して、兄貴の所為でイレギュラーバウンドで跳ね返って、なんだかおかしな事になるのは本編の通り。
 この後、ウィアはエルに会ってません……とりあえず今のところは、ですが。てかこっちのエルさんを、本編で出すかどうかが決まってないんですけどね。出したらまた長くなるんだもん……。

Back  


Menu   Top