復讐者という名の予兆
<番外編・セイネリア×シーグル>






  【6】


 シーグルが目を覚ました場所は、見知らない、どこかの小屋の中だった。
 離れて見える窓から光が差しているから、今は昼間だという事は分かる。
 小屋の外に耳を澄ませば、鳥の声や風の音だけで、周囲に人がいないような場所に連れて来られたかと思う。
 部屋の隅には男が二人、そしてシーグルの腕と足は縛られ、身動きは取れない。
 この状態で暴れたところで、逃げる事は無理だろう。
 だからシーグルはじっとそのまま身じろぎさえせず、ただチャンスを待って辺りをうかがっていた。

 そこへ、小屋のドアが開いて、二人分の足音が入ってくる。
 静かに視線をずらしてみれば、二人のうちの一人はシーグルの知っている人物だった。

「帰ったぞ」
「おかえり」
「無事か?」
「ああ」

 男の一人はジャムだった。
 その様子から、シーグルをこうして捕まえたのは彼なのだという事が分かる。

 つまり彼は、恐らく最初から、自分を捕まえる為に近づいてきた。

 失望が大きく、黒く、胸の内に広がっていく。
 彼の言葉が嬉しかった。事情を知って尚、一緒に組もうと言ってくれた事が嬉しかった。兄だと思ってくれと言われて、本当に嬉しかったのだ。
 だからこそ苦しかった、自分に掛けてくれた言葉が全て嘘だと思う事は。組もうと笑いかけてくれたあの笑顔も作り物だったのだろうか。
 胸に刺さるような痛みに、シーグルは彼らに気付かれないようにしながらも歯を噛み締めた。

「――で、どうするんだ、お前」
「そうだな……」
「計画通りというなら、すぐ実行してもいいが、本当にいいのか? お前……」

 ジャムは答えない。
 代わりに彼が近づいてくるのを、シーグルは背を向けたまま感じていた。ゆっくりとした足音がすぐ傍で止まり、彼の影が自分の体の上に掛かる。
 影が小さくなって、彼が屈んだ事が分かる。
 手が触れて、シーグルの顔を覗き込んでくる。
 シーグルは気付かないふりをする事を止め、彼の顔を見つめ返した。
 ジャムが笑う。

「あぁ、目が覚めてたか。じゃぁ、説明はいらないな」

 この期に及んでも、彼は人の良さそうな笑みでシーグルを優しく見つめる。
 だからシーグルも、まだ彼を信じたいと思う心を捨てきれない。

「最初から、俺を騙していたのか」

 聞けば、やはり彼は困ったように優しく笑って、けれどもきっぱりと答える。

「そうさ。俺は最初から、お前をこうして捕まえる為に近づいたんだ」

 シーグルは口を引き結ぶ。
 一度強く目を閉じて、そして彼を睨みつける。

「俺は、お前を信じてた。俺の身を案じてくれて、兄と思えといってくれて、本当に嬉しかったんだ、それも全部嘘だったのか」

 ジャムは目を細める。
 けれども、暫くシーグルの顔を見つめると、目を伏せて静かに呟いた。

「昔話の続きをしてやるよ……シーグル」

 シーグルが睨む中、ジャムの顔から一切の感情が抜け落ちて行く。

「お前に似てるっていった奴の名前は、リオって言ってな。リオは騎士になる為に首都に行って、騎士になった後一度は騎士団に入ったものの、すぐに辞めてとある傭兵団に入った。その傭兵団の頭はそりゃぁ化け物みたく強くて、リオはその強さに憧れた。その頭の男もリオを気に入ったらしく、目を掛けてくれて、リオは本当にそいつを尊敬して、そして、多分愛してた」

 そこまでの話だけでも、シーグルにはその傭兵団が何処を指し、団の頭の男が誰なのかすぐに分かった。やはり彼らの目的は、自分を使って、あの男に何かする事なのだと理解出来た。
 ジャムの話は続く。

「けどな、強いからこそ、その男は敵が多かった。へたにあの男に気に入られたからこそ、リオは傭兵団に敵対する何者かに捕らえられた。連中は、リオを返して欲しければその男に一人で来いと脅迫した……傭兵団の頭であるその男はどうしたと思う?」

 そんな時に、セイネリアならばどうするか。そんな事はシーグルにとっては分かり切っている事だ。

「行かなかった」

 ジャムは僅かに口元に笑みを浮かべた。

「そうだ、行かなかった。だから、リオは死んだ」
「……それで、あいつを恨んでいるのか、だがそれは……」

 シーグルが言えば、ジャムは再び顔から表情を消して、冷静に返す。

「分かっている、仕方なかった。あの男の立場を考えれば、それは正しい選択だったのかもしれない。それでも俺達は、そんな単純にあいつの死を割り切れなかった。……だってな、調べれば調べる程、あの男はリオを助ける事も可能だったって分かるんだ。たった一人で敵のところに行ったってそうそう死ぬような男じゃない、ならせめて、言われた通り行ってくれればリオは死ななくて済んだかもしれない。行かなくても、あいつを救い出す事を最優先にしてくれていたら助けられたかもしれない……そう思ったら、あの男を憎むしかないじゃないか。あの男が少しでもリオの事を助けようって思ってくれたのなら、リオは死ななかったって思うじゃないか」

 途中から、冷静を纏っていたジャムの顔は哀しみに歪み、瞳からは涙が落ちる。
 シーグルはその彼の顔を、先程までと同じ強さで睨む事が出来なくなっていた。

「だが、リオという人物は、セイネリアに来て欲しくなかった筈だ」

 シーグルには分かる。
 リオが騎士で、彼にとっての主がセイネリアであったのなら、自分が囚われて主が脅迫されたなら、主に絶対に来ないで欲しいと願うだろう。

「あぁ、それだって分かってるさ、分かってるんだ、逆恨みだって事は。けどな、でもせめて、人をモノのように割り切って切り捨てたあの男に、大事な人を無くす痛みってのを思い知らせてやりたかったんだ」
「俺は、あいつの大事な人などではない」

 即座にそう返したシーグルの顔を、ジャムは目を細めて見つめ、そしてすぐに逸らす。
 シーグルはその彼に困惑しか返せない。

「だから、あの男が自分の物だとわざわざ言う人間がいるって聞いて、そいつを滅茶苦茶にしてあいつに返してやったら、あいつがどんな顔をするか見てやろうと思ってさ、それでお前に近づいた」

 ジャムは濡れている頬を指で拭う。
 それから改めて、真剣な顔でシーグルの顔を見る。

「……なぁ、シーグル、お前にもう一つ聞こう。リオの時と同じく、お前を助けたければあの男一人でやってこいと俺は言った。あの男はどうしたと思う?」

 シーグルは即答する。

「来ない。あいつにとって来る意味も必要もない。俺を助ける利点が何もない上に、俺が死んだところであいつにとって不利益になる事が何もない」

 ジャムは笑う。
 声を上げて笑う。
 事情が分からないシーグルの前で、大きく口を開けて笑い声を上げる。
 ひとしきり笑って、未だ肩を揺らしながらも笑みを収めると、今度は彼はまたシーグルの顔を真剣に見つめる。

「ならもう一度、前にお前に聞いた事を聞きたい。お前は、あのセイネリアって奴を憎んでるのか?」

 笑う彼の意図は分からないものの、その質問に返す言葉は決っていた。
 迷い様がなかった。

「憎いに決っている。あいつの所為で俺の日常の全てが狂った。仲間を失った、煩わしい連中に狙われるようになった、汚らわしい欲の目で見られる事が多くなった」
「本当に? ……本当に、あいつが憎いのか?」
「くどい、俺を騙して無理矢理犯した相手を、憎む以外にどう思うと言うんだ」

 ジャムは笑った。
 顔は泣きそうなのに、彼は声に出して笑った。
 やがて、笑い声は嗚咽になり、彼の頬には再び涙がつたった。

「ジャム……俺は」
「なぁ、シーグル」

 泣く彼に声を掛けようとしたシーグルは、同時に声を掛けられて口を閉ざした。
 ジャムは未だ泣きながら笑いに喉を震わせ、困ったような顔でシーグルの顔をじっと見つめてきた。

「実はな……さっきのは少しだけ嘘だ。本当は、最初は……騙すつもりじゃなかったんだ。最初は前に言った通り、お前があいつに似てたから、放って置けなくて声掛けたんだ。お前が目的の人物だって分かったのはその後さ」

 ジャムの手がシーグルに伸ばされる、静かに優しく頬を撫ぜる。
 その手は優しすぎて、そして彼の顔は余りにも哀しそうだった。

「でもそれで分かったんだ。リオはお前の代わりだったんだって。実際、髪と目の色以外、顔はそんなに似てないんだ。でも雰囲気がな、似てるんだよ。真面目で真っ直ぐで、すぐに人を信用して、綺麗すぎて眩しい……だから、お前に言った事は嘘じゃない、全部本当だ、本当に、助けてやりたいって思った。あいつを助けられなかった分、お前を助けてやりたいってさ。お前と仕事してる時は俺も楽しかった、復讐なんて止めてこのままお前と組んでたいって思った」

 ジャムはシーグルに頭を下げる。

「だから、ごめん、騙してた事を許してくれなんていわない。俺の言ってる事なんて、もう何も信じてなんかもらえないだろうけどさ、ごめん、すまない……」

 ジャムが顔を上げると同時に、もう片方の手もシーグルの頬に触れてくる。
 両手で挟むようにして顔を上げさせて、彼の顔が近づいてくる。
 唇同士が触れる。
 すぐに深く合わせられて、シーグルは眉を寄せる。
 開いた歯の隙間をこじあけて、彼の舌が押し込まれる。それと同時に、口の中に何かの液体が流し込まれる。

「うぅっ……」

 呻いて、顔を逸らそうとしても、顔は両手で固定されていた。
 深く唇を合わせられて、吐き出す事も出来ない。
 口の中の液体が唾液と混ざり、ジャムの舌が口腔内でその液体と共に暴れる。シーグルの舌を絡め取り、口の中をかき混ぜる。
 シーグルは何度も顔を離そうとしたがそれは叶わず、そして、その舌を噛む事も出来なかった。

 やがて、シーグルの喉がことりと動き、口内の液体を飲み干した。

 ジャムの顔が離れていく。

「ごめんな。だけど、お前さんと一緒に仕事してた時は本当に楽しかった。俺はお前を騙したけど、お前さんと一緒の時言ってた言葉は全部本心だったんだ。今更言い訳も厚かましいけどな、それだけは信じてくれ」

 ぐらりと、頭が揺れる感覚がして、シーグルは飲まされた薬か何かの所為かと思う。
 シーグルは意地でも眠らないように気を張ったが、直後にどこからか呪文が聞こえてきて、意識が急激に遠くなっていく。

「あや……まるな。謝ってなど欲しくない、それ、に……」

 彼にはまだ言いたい事があった、言わなくてはならない事があった。
 けれども、瞳を開けている事が出来ない。

「ごめん、ありがとう。……さようなら」

 僅かに残った意識の淵で、シーグルはそう言ったジャムの声を聞いた。




 シーグルが次に目を覚ますと、そこは先程いた小屋の中のままだった。
 けれども、小屋の中には誰も居らず、腕も足も、戒めを解かれ自由になっていた。勿論小屋に鍵が掛かっていた訳でもなく、シーグルの荷物はきちんと分かるところに置かれていた。
 ただ、彼らだけが居なくなっていた。
 荷物や、そこにいた形跡を何一つ残さず、彼らの存在だけが小屋から消えていた。








 シーグルが無事屋敷に戻ったという報告がセイネリアの元に入ってきたのは、ジャムに会った日の夕方の事だった。

 その間のセイネリアは、ずっと焦りと苛立ちの中にいた。
 最後にジャムが言った言葉からすれば、『今はまだ手を出していないが、これからどうにかする』と、取れる。部下達にはそのままシーグルを探させてはいたが、いい報告も悪い報告も入ってくる事はなかった。
 それが、日が沈む頃になって、あっさりと見つかったという報告が来た。
 しかも、既に解放されていて、怪我一つなく無事だという。

 セイネリアには、シーグルを捕まえた者達の考えが分からなかった。

 一体、何をしたかったのか、状況だけを見て理解する事が出来なかった。
 単純に考えるなら、セイネリアを試しただけだと取れるが、どちらにしろ、シーグルを何もせず解放した時点で『復讐者』ではあり得ない。
 不可解な事実に胸の内に気味の悪さが残る。
 だが、それより。
 シーグルが無事に解放されたという事実に、セイネリアは安堵していた。
 自分でも馬鹿馬鹿しい程に気が抜けたように安堵している自分自身が、セイネリアにとっては別の苛立ちの原因になる。

「それから、追加の報告が来ています」

 椅子に深く座り込み、目を閉じて考えていたセイネリアに、カリンが言う。

「先程、ジャム・コッカー含む4人組みが南門から街を出たそうです。追いましたところ、ボスに伝言を言った後、撒かれたそうです」
「なんと言っていた」

 撒かれた事に何かをいう事もなく、セイネリアはそれだけを聞き返した。
 カリンは一瞬躊躇するような間を置くが、セイネリアが目を開けば後を続ける。

「『我々は去る、もう何もしない。だが、復讐はこれからだ』と」

 セイネリアは何も言わずに目を細める。
 去る、というその言葉が嘘であるとはセイネリアには思えなかった。
 彼らの言葉が真実ならば、今回の件は少なくともこれで終わりにしてもいいだろう。彼らを追い、いつも通り徹底的に潰す気もなかった。今回の件は他の勢力に知られたくない分、ヘタに手を出して大事にするのは得策ではない。
 だから、これで終わりにしておくというのはセイネリアが判断した事だ。
 だが、腑に落ちない。
 彼らの意図が分からない。
 復讐がこれからだという意味はなんだというのか。
 そして、今回の件で、シーグルの存在を自分がどうしたいのかという事も分からなくなってきていた。

 だから、この件は終わったのだと自分に言い聞かせてみたところで、靄のように残る嫌な感触はいつまでもセイネリアの胸の内から消える事なく燻っていた。










「悪いな、ここまでつき合わせて」

 言えば、彼の仲間達は一様に皆笑う。

「俺は最初から分かってたよ。シーグルって奴を見た時からさ」
「そりゃー綺麗な顔してたからな、勃つかっていわれたら勃つけど、やっぱ罪悪感感じちまいそうだ」
「だな、リオと重なっちまう」
「僕はどっちでも構わなかったけどね、彼の心は面白かったし」

 口々に軽口をたたき合う彼らは、行きとは違って皆明るい表情をしていた。
 だからジャムも、これでよかったのだという思いを強くする。
 死んだリオが復讐など望んでいなかったなんて事、ジャムは最初から分かっていた。分かっていて尚、ジャム自身が納得出来なかったのだ。
 だから最初は本当に、セイネリアに大切な者がいるというのなら、自分と同じく、大切な者が酷い目にあって死ぬ苦しみを味あわせてやろうと思った。
 あの時セイネリアに言った言葉は、本当は本気で実行するつもりの事だった。
 だが、シーグル本人を前にして、それはどうしても出来なかった。

 けれども、ジャムは今満足していた。

 予定とは違った形だが、ジャムの復讐はいつか果たされる。
 今はまだ、気付いていないからこそ、例えシーグルを失ったとしてもあの男はそこまで苦しまない。リオの死を知ったジャムの気持ちの欠片も感じはしないだろう。
 けれどきっと、そのうちあの男は気付く。
 気付いたら、あの男は苦しむしかない。
 自分と同じ苦しみか、それ以上か。今はまだ分からない、けれども、どちらにしろ、あの男がかつて感じた事のない、あの男自身を滅ぼす程の苦しみになる筈だった。
 あの男が強ければ強いだけ、シーグルが強ければ強いだけ、あの二人の心が交わる事はない、セイネリアの心が報われる事はない。
 だから今は、シーグルを生かす事こそが復讐になる。

 ただ……。

「なぁ、ジャム」
「なんだ」
「本当は残りたかったんじゃないのか? あの坊やとこのまま組んでたかったってのはお前の本心だろ。結果的に、あいつ本人には何もしてないし、許してくれたと思うぞ。だってお前リオの事……」

 ジャムはその男をじろりと睨む。
 彼は肩を竦めて口を閉ざした。

 ジャムがこれだけリオの死に拘ったのは、彼の事が好きだったからだ。
 酷い生活、自分で自分をクズだと思っていたジャムにとって、リオは希望だった。同じ境遇でも汚れないで、綺麗なまま日の当たる世界にいた彼は、いつでもジャムの心の一番大切で綺麗な部分を占めていた。
 彼自身が大切で、彼の夢を応援していたからこそ、結局最後までジャムはリオに何も告げられなかった。行かないでくれとも、一緒に行こうとも、汚い自分を知っていた分、言えなかった。
 だから、セイネリアという男への復讐は、嫉妬でもあった。
 リオにあれだけ思われて、あっさりと見捨てた彼への、個人的な恨みが大きいと分かってはいた。

 だが。

 あの男への嫉妬も憎しみも鈍る程に、ジャムはシーグルと仕事をした時間がたのしかった。
 自分はこうしてリオと行きたかったのだと、果たせなかった望みを果たせたようで楽しかった。本当に、ずっとあのまま彼と冒険者をしていたかった。
 だが、やはり、復讐者としてやって来た自分を忘れ切る事も出来なかった。
 リオと似た、あの真っ直ぐな瞳をずっと騙す事も出来なかった。

「また、いつか会えるさ。その時にあいつが許してくれるんなら……」

 今度は、後ろめたいところなしで、心から彼と笑って話そう。
 ジャムは、そう考えて唇に笑みを浮かべた。



END


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やっと終了です。実はこの話、当初予定だと本編中の、セイネリアが気持ちに気付いた後の話でした。
で、Hはジャム×シーグルでした。そっちだともちょいジャムとシーグルが絡んだ話が多い予定でした。ただセイネリアの恨みネタとしてはしつこいのと、他の主要キャラ出てこない話またかよな感じだったので、ボツった話でした。
設定を本編前にした所為で、大分話の主題が変わってます。




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